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第13話 二人の歩幅

 一月二日。

 冬の朝の空気は、肺の奥まで凍りつかせるような鋭さを持っていた。


 吐き出す息は真っ白に凍り、冬の乾いた風に乗ってすぐに霧散していく。そんな厳しい寒さの中、僕と菜々美は、小高い丘の上に鎮座する神社を目指して歩いていた。


 ここはかつて、この地を治めた一族の精神的な拠り所だった場所だ。幾多の戦火を潜り抜け、主君への忠義を貫いた武将たちの魂が眠っているという。

 参道の入り口に立つと、見上げるような長い石段が、天へと続く梯子のように伸びている。


「……結構、あるね。耕助くん、大丈夫?」


 菜々美が、アイスブルーのマフラーに顔を埋めながら僕を覗き込む。冷たい空気のせいか、それとも高揚感のせいか、彼女の頬はほんのりと赤らんでいた。


 彼女の首元には、あの日僕が贈った水晶のネックレスが、冬の淡い日差しを浴びて静かに輝いていた。


「俺の心配より、自分の心配しろよ。病み上がり……っていうか、まだ無理は禁物だろ」

「もう、いつまで病人気分なの? 今の私は、この石段を駆け上がれるくらい元気だよ」


 菜々美はいたずらっぽく笑うと、僕の半歩前を歩き出した。

 一歩、また一歩。石段を踏みしめるたびに、周囲の喧騒が遠ざかり、古い木々が放つ厳かな香りが濃くなっていく。


 この神社の主祭神は、かつて主君への忠義を尽くし、一族の誇りを守り抜いた武将たちだと聞く。

 命を賭して何かを守り、その志が数百年経った今もこうして人々の祈りの中に生き続けている。


 それはどこか、僕たちの境遇に似ている気がした。

 誰かの想いが、形を変えて残り続けること……。


 僕は、自分の胸元に手を当てた。厚いコート越しでも、そこにある鼓動は力強い。

 かつては「奪われたもの」の象徴だったこの鼓動が、今は「託されたもの」の証として、僕の掌を押し返していた。




 ◇ ◇ ◇




 石段を登り切り、朱塗りの門をくぐると、視界がぱっと開けた。

 高台にあるこの場所からは、眼下に広がる街並みが一望できる。


「わあ……綺麗……」


 菜々美が感嘆の声を漏らす。澄み渡った冬空の下、遠くの山々までが見通せた。


「ここに来るとね、自分がすごく小さな存在に思える。でも、それがちっとも嫌じゃないの。長い歴史の一部に、ちゃんと自分が混ざり合っている気がして」


 僕たちは手水舎で清め、拝殿へと進んだ。

 二礼二拍手一礼。

 賽銭箱に落ちる五円玉の鈍い音と、冷たく乾いた柏手の音が境内に響く。


 隣で目を閉じ、深く頭を下げている菜々美は何を祈っているのだろうか──。




 拝殿を離れ、僕たちは古い桜の木が並ぶ参道をゆっくりと歩き出した。春には見事な桜のトンネルになるというその枝には、今はまだ硬いつぼみが冬の寒さに耐えるようにして固まっている。


「ねえ、耕助くん。さっきね、お参りしてるときに思ったの」


 菜々美が、ふと足を止めて僕を見た。その瞳は、何かを見通すような不思議な深さを湛えている。


「この神社に祀られている人たちは、ずっと昔に亡くなっているけれど、こうして今も私たちに勇気をくれたり、街を見守ってくれたりしてる。……それって、生きているのとどう違うんだろうって」


 僕は少し考え、彼女の視線の先にある、苔むした古びた石碑を見つめた。


「……肉体があるかないか、だけの違いじゃないか。想いが残って、誰かの行動を変えるなら、それはある意味で『生きている』ってことなんだろうし。誰かの記憶の中で生き続ける、なんて言葉もあるしな」


 菜々美は僕の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頷いた。

 そして、空を見上げながら、クリスマスの夜よりもさらに透明な声で話し始めた。


「私ね、最近やっと気づいたんだ。生きるっていうのは、ただ呼吸して鼓動を繰り返すことだけじゃない。誰かが残してくれた『命の種』を、自分の涙と笑顔で育てて、まだ見ぬ誰かへの『希望』に変えていくことなんだよ」

 

 僕は言葉を失い、彼女の横顔を見つめた。菜々美は、凛とした声で言葉を継ぐ。


「私の心臓は、彼女から借りたもの。でも、その心臓を動かしているこの『熱』は、私だけのもの。命っていうのは、渡されたバトンそのものじゃなくて、そのバトンを握りしめて走る瞬間に流れる『汗』や、前を見つめる『眼差し』の中にこそ宿るものなんだと思う。生きるっていうのは、過去という暗闇を、自分の今の輝きで『未来』っていう名前に書き換えていく、たった一度きりの証明なんだよ」


 彼女の瞳には、かつての迷いや、身代わりであることへの卑屈さは微塵もなかった。


 彼女は、自分の中にいる優水菜という存在を「重荷」ではなく「光」として捉え直し、自らの足で立つ覚悟を決めていた。


「だから、私はもう、彼女を背負って歩くのはやめる。彼女と手を繋いで、あなたと一緒に、新しい足跡を刻んでいく。それが、私がこの世界に生まれて、彼女の命を繋いだことへの、唯一の、そして最高の解答(こたえ)だから」


 ああ、そうだ。

 過去は変えられない。失ったものは戻らない。

 けれど、その欠片を拾い集めて、新しい花を咲かせることはできる。


「……お前には、かなわないな」


 僕は少しだけ熱くなった目頭を隠すように苦笑し、彼女の頭を軽く撫でた。サラリとした髪の感触が、彼女が今ここで生きていることを僕の手のひらに伝える。


「えへへ。数学だけじゃなくて、人生についても私の方がちょっとだけ先に答えを見つけちゃったかな?」




 僕たちは、社務所でおみくじを引くことにした。

 「せーの」で開いた紙。


 僕は『吉』。菜々美は『大吉』だった。


「見て!大吉! 『願望ねがいごと:他人の助けを得て叶う。急ぐべからず』。……他人の助けって、耕助くんのことだね」

「急ぐべからず、だってさ。お前、さっき石段駆け上がるとか言ってただろ。やっぱり無理すんなよ」

「もう、すぐそうやって茶化すんだから」


 菜々美は頬を膨らませながら、おみくじを木の枝に結びつけようとして、菜々美が少し背伸びをする。

 その拍子に、彼女の指先が僕の指先に触れた。


 病的なまでに白い手と少し焼けた色の手が重なり合う。

 どちらからともなく、僕たちはその手を強く握りしめた。


 神社の境内を吹き抜ける風が、彼女の髪を揺らす。

 数百年、変わらずにこの場所を守り続けてきた神々や英霊たちも、今、僕たちのこの小さな一歩を見守ってくれているだろうか。


「耕助くん。来年も、再来年も、またここに来ようね」

「ああ。……その頃には、お前はもっと足が速くなってて、俺が追いかけるのが大変になってるかもしれないけど」

「ふふ、覚悟しておいてね」




 ◇ ◇ ◇




 帰り道。登りよりもずっと楽に感じる石段を下りながら、僕は思う。

 僕の胸の鼓動もまた、新しい物語へと変わり始めている。


 「失った好きな人への執着」から、「共に生きる少女への献身」へ。


 それは優水菜を捨てることではない。彼女が僕の中に残した愛という種を、菜々美という新しい光で育てていくということだ。


 街の方から、遠くで新年の賑わいが聞こえてくる。

 僕たちは一歩ずつ、けれど確かな足取りで、まだ誰も見たことのない未来という白地図へと歩き出した。


 冬の太陽はまだ低いけれど、僕たちの握り合う手の中には、どんな暖房器具よりも熱い、確かな「生」の温度が通っていた。

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