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婚約破棄された悪役令嬢ですが、世界のバグが見えるので元婚約者をざまぁしつつ無自覚最強騎士に一途に溺愛されて王宮と人生をデバッグします

作者: 夢見叶

婚約破棄された悪役令嬢は、世界のバグログを片手に元婚約者ごとルート修正します


 


 この世界には、誰にも見えない裏側の記録がある。


 運命が誤作動した瞬間、歪んだ感情が生まれた瞬間、誰かが自分の役目を忘れた瞬間。


 それらは全て、淡い金色の文字になって空間に浮かび上がる。


 そして、それを見えるのは、わたしだけ。


 わたしの名はクレイア・ノルティシア。


 侯爵家の一人娘であり、王太子ジークハルト殿下の婚約者であり、王都じゅうから悪役令嬢とささやかれている女だ。


 何より、世界のバグを記録する古い魔導書、通称バグログの所持者でもある。


 


 今、そのバグログは、社交界の華やかな舞踏会場の片隅で、小さく震えていた。


 視界の端で、淡い金色の文字が続々と生まれている。


 


 【イベントフラグ確認 王太子による婚約破棄宣言まで残り 3 分】

 【感情値異常検出 王太子ジークハルト 罪悪感値 0】

 【演算結果 このまま進行するとヒロインルート確定 悪役令嬢死亡エンド】


 


 ……死亡エンド。さらりと書くな、この本は。


 わたしは手にしたワイングラスをくるりと回し、会場中央に視線を向けた。


 ジークハルト殿下と、その隣に立つ伯爵令嬢リリアナ・フリューネ。


 殿下の目は、完全にリリアナだけを見ている。


 この状況で「君だけだ、クレイア」なんて言われたら、それはそれでバグログが炎上すると思うけれど。


 


 【推定シナリオ 王太子が悪役令嬢を一方的に断罪 聖女候補リリアナを守る宣言】

 【評価 古典的展開 やり直し推奨】


 


 心の中でため息をつく。


 やり直し推奨、と簡単に言うけれど、やり直すのはわたしの人生なのだ。


 とはいえ、バグログの予測は外れたことがない。


 前世の記憶を持ってこの世界に転生してから、わたしはずっと、この本と共に歩いてきた。


 誰にも聞こえない小さな声で、バグログが震える。


 


 【クレイア 準備は良好か】


「最悪の結末を回避する準備なら、とうにできているわ」


 


 わたしは小さく笑った。


 悪役令嬢として噂されるように振る舞ったのも、全部計算のうちだ。


 わたしが好んで意地悪をしたと思われているのなら、それこそがこの世界のバグ。


 本当は、全部、シナリオを変えるための布石だったのだから。


 



 


 事の始まりは、わたしが7歳の時だった。


 ある朝目覚めたら、わたしは前世の記憶を思い出していた。


 日本という世界で、平凡な女子高生だった記憶。


 通学電車で読んでいた異世界恋愛小説、特に婚約破棄ものを読みまくっていた日々。


 そして、転倒事故であっさり人生が終わった瞬間。


 


 次に目を開けたら、豪奢な天蓋付きのベッドの上で、メイドに「クレイア様」と呼ばれていた。


 幼い自分の手を見つめ、鏡に映った銀色の髪の少女を見て、わたしは思った。


 


「あ、これは悪役令嬢の顔ね」


 


 現実を受け入れるのは早かったと思う。


 それと同じくらい早く、異変に気づいた。


 部屋の隅の空間に、見慣れない文字列が浮かんでいたのだ。


 


 【新規記録開始 対象者 クレイア・ノルティシア】

 【シナリオ分類 乙女ゲーム系王宮恋愛】


 


 空間に浮かぶその文字列は、近くにあった古い本に吸い込まれていった。


 革表紙の厚い魔導書。


 タイトル部分は擦り切れて読めないが、内側に刻まれた古い文字だけははっきりと読めた。


 


 【デバッグ権限保持者】


 


 バグログとの出会いだった。


 


 バグログを開くと、そこには膨大な量の記録が残っていた。


 誰かが嘘をついた時、誰かが自分の役目から逃げようとした時、それらが全て、淡い金色の文字となってページに刻まれている。


 幼い頭で必死に読み解き、ようやく理解した。


 この世界には、元々決められた流れがあり、全員が無意識のうちにその通りに動かされている。


 しかも、わたしの役目はこうだと書いてあった。


 


 【悪役令嬢として王太子ルートを盛大にかき乱し、最後に断罪されて死亡】


 


 ……あまりにも救いがない。


 しかも、前世で散々読んできた典型的なテンプレートそのものだ。


 王太子に婚約破棄され、聖女ポジションの少女をいじめた罪で断罪され、処刑される。


 それが、元のシナリオ。


 わたしは本を閉じ、しばらく天井を見つめていた。


 


 その日の夜、布団の中でバグログを抱えながら、わたしは覚悟を決めた。


 


「断るわ」


 


 静かな声で、そう告げた。


 ページがぱらぱらと勝手にめくれ、淡い金色の文字が浮かぶ。


 


 【シナリオ拒否を確認】

 【デバッグ権限 正式付与】

 【以降 重大なバグ発生時 保持者にのみ警告表示】


 


 それが、すべての始まりだった。


 



 


「クレイア様、殿下がお呼びです」


 現在に戻る。


 侍女のキルシェが小声で告げた。


 会場中央では、ジークハルト殿下が人々に囲まれている。


 その視線の先、まるで光源のように眩しい笑顔を浮かべているのはリリアナだ。


 彼女の頭上には、わたしにしか見えない薄い輪が浮かんでいる。


 


 【ヒロイン候補 リリアナ・フリューネ】

 【固有フラグ 奇跡の治癒魔法】


 


 バグログが小さく震え、わたしにだけ文字を送ってくる。


 


 【注意 このイベントに介入しなければ死亡エンド確定】


「それは嫌だからここまで準備してきたのよ」


 


 わたしは笑みを整え、ゆっくりと会場中央へ歩いていく。


 ささやき声が周囲から聞こえる。


 


「ノルティシア嬢よ」

「殿下の婚約者だ」

「でも最近は、フリューネ嬢の方が……」


 


 噂はもう耳にタコができるくらい聞いてきた。


 わたしがリリアナをいじめている、だとか。


 リリアナの前でだけ、わざと意地悪な笑みを浮かべている、だとか。


 その多くは意図的に流させた情報だ。


 誤解を恐れずに言うなら、わたしは自分で悪役令嬢の役を演出してきた。


 誰かが悪役を演じなければ、この世界はぬるま湯のまま進んでしまうから。


 バグに気づかないまま、シナリオ通りに。


 


「クレイア、来てくれてよかった」


 ジークハルト殿下がわたしを見て、完璧な笑顔を浮かべた。


 青い瞳。金の髪。


 見目だけなら、絵に描いたような王太子だ。


 だけど、彼の胸のあたりには、わたしにしか見えない黒い点がぽつりと灯っている。


 それはバグログが示す、不誠実の印だ。


 


 【ジークハルト 自己正当化率 95%】

 【問題点 自分を物語の主人公だと信じきっている】


 


 知っている。ずっと見てきた。


 彼がどれだけ自分の行いを美談に塗り替えてきたか。


 民を思っていると言いながら、数字遊びだけで満足していたこと。


 それでも、元のシナリオなら彼は「なんだかんだで頼れる王太子」だったはずだ。


 ……リリアナに出会うまでは。


 


 バグログのページの端に、古い記録が見える。


 そこには、こう書かれていた。


 


 【本来ルート 王太子はヒロインと出会わない】


 


 つまり、彼とリリアナの出会いそのものがバグなのだ。


 それ自体は、悪いことではない。


 問題は、そのバグに気づけない王太子の弱さだ。


 


「ここにいる皆の前で、大切な話をしようと思う」


 殿下の声が会場に響いた。


 楽団の演奏が止まり、視線が集中する。


 ああ、始まる。


 バグログの文字が忙しなく動く。


 


 【イベント名 公開断罪】

【難易度 高】

 【推奨行動 主導権を奪え】


 


 わたしは一歩だけ、殿下より前へ出た。


 その動きに、周囲の空気がわずかに揺れる。


 殿下の眉が、ほんの少しだけひきつった。


 予定では、殿下が先に口を開くはずだったのだろう。


 でも、それを待つ理由はない。


 


「ジークハルト殿下」


 わたしは穏やかに微笑み、はっきりとした声で言った。


「婚約の件について、皆さまの前で話し合う機会を設けてくださり、ありがとうございます」


「……クレイア?」


「本日は、わたくしからもお伝えしたいことがございます」


 


 バグログが、わたしの背中を押すように震えた。


 


 【主導権取得 成功】

 【死亡エンド分岐 1 つ回避】


 


 まずは1歩。


 わたしは会場をぐるりと見回し、静かに言葉を紡いだ。


 


「わたくしクレイア・ノルティシアは、本日をもって、ジークハルト・エルネスト殿下との婚約を破棄する意思を固めました」


 


 しん、と音が消える。


 次の瞬間、ざわめきが波のように押し寄せた。


 


「クレイア、おまえ、何を……」


「殿下。驚かれるのも無理はありませんわ」


 わたしは肩をすくめる。


 


「本来なら、殿下の方からわたくしを断罪し、婚約破棄を宣言する予定でしたものね」


 


 殿下の顔色が見る見るうちに青ざめていく。


 彼の頭上に、淡い金色の文字が浮かんだ。


 


 【予定シナリオを事前に言語化され困惑中】


 


 リリアナが殿下の腕を掴む。


「クレイア様、いったいどういう……」


「リリアナ様」


 わたしは彼女に微笑みかけた。


 リリアナは驚いたように目を見開く。


 


「あなたを責める気はありません。殿下と出会い、惹かれ合ったこと自体は、誰にも否定できない感情でしょうから」


「で、ですが……わたし、その……」


 


 彼女の頭上に、小さな文字がひとつだけ浮かぶ。


 


 【混乱 罪悪感 好意】


 


 リリアナは、バグではない。


 彼女はただ、巻き込まれたヒロイン候補に過ぎない。


 わたしの相手をするべき人は、別にいる。


 


「問題なのは、殿下です」


 わたしはジークハルト殿下をまっすぐに見据えた。


「殿下は、自分の気持ちに気づいていながら、婚約者であるわたくしに、何ひとつ相談なさいませんでした」


「そ、それは……クレイアを傷つけたくなかったからだ」


「傷つけたくなかったと仰いながら、今日この場で公開処刑のような断罪劇を用意されていましたよね」


「な……」


 殿下の周囲に、金色の文字があふれ出す。


 


 【図星】

 【図星】

 【図星】


 


 バグログが楽しそうにページを震わせた。


 少し黙りなさいと言いたくなるくらいだ。


 


「殿下。わたくしは悪役令嬢で構いません」


「……どういう意味だ」


「誰かが悪役にならなければ、本当の問題はいつまでも見えないままですから」


 わたしはゆっくりと周囲を見渡した。


 


「この数か月、わたくしがリリアナ様にきつく当たっている、という噂が流れていたことはご存じでしょう」


 貴族たちが顔を見合わせる。


 否定する者はいない。


 


「リリアナ様の立場が危うくなるような噂が流れた時、殿下はどうなさいましたか」


「それは……誤解だと皆に言った」


「そうですね。殿下はいつも、リリアナ様を庇われました」


 わたしはふっと笑む。


 


「では、わたくしが殿下の婚約者であるにもかかわらず、殿下とリリアナ様が親密にしている、という噂が流れた時は?」


 


 沈黙が降りた。


 殿下の頭上に、容赦のない文字が浮かぶ。


 


 【現実逃避中】


 


「殿下は、何もなさいませんでした」


 静かに告げる。


「わたくしがどれだけ噂にさらされても、殿下は一度たりとも否定してくださらなかった」


「それは、クレイアなら耐えられると思って……」


「そう、それです」


 わたしは小さく頷いた。


 


「殿下は、ご自分の弱さを隠すために、わたくしを強い役に押し込めたのです」


「……」


「強いから平気だろう。悪役令嬢だから、非難されるのが似合うだろう。そうやって、殿下はご自分の罪悪感を軽くしてきた」


 


 バグログのページが、ぴしりと音を立てた気がした。


 わたしはそれを抱きしめるように手を握る。


 


「殿下。わたくしは、あなたにとって都合のいい背景ではありません」


「クレイア……」


「だからこそ、本日をもって、わたくしから婚約を破棄いたします」


 はっきりと、繰り返す。


 


「この婚約はもはや形式だけのもの。このまま続けることは、わたくしの心を殺し、リリアナ様の心をも傷つける未来しか見えません」


 


 リリアナが息を呑んだ。


「クレイア様……」


「リリアナ様。あなたは殿下をお好きなのでしょう」


 彼女の目が揺れる。


 


「……はい。殿下は、わたしを救ってくださった方ですから」


「であれば、あなたはあなたの気持ちに正直に生きてください」


 わたしは微笑んだ。


 


「ただし、殿下の未熟さまで許し続ける義務はありません。それは殿下ご自身が背負うべき課題です」


 


 リリアナの頭上に、小さな文字が浮かんだ。


 


 【自立フラグ 点灯】


 


 よし。ヒロインのルート修正は一歩前進だ。


 


「クレイア!」


 殿下の怒鳴り声が響いた。


「おまえは、自分が何を言っているのかわかっているのか」


「もちろんですわ。殿下が用意されていた台詞よりは、ずいぶんと誠実だと自負しています」


「わたしは、おまえを断罪しようなどと……」


「では、殿下の背後に控えている近衛騎士たちは、なんのためでしょう」


 


 視線が一斉に扉の方に向いた。


 そこには、既に数名の近衛騎士が待機している。


 その中の1人が、わたしと目を合わせた。


 


 漆黒の髪に、鋭い琥珀色の瞳。


 近衛第二隊隊長、ロウ・フェルグレイン。


 わたしにとって、もう1人の重要人物だ。


 


 【ロウ シナリオ上の役割 モブ寄り騎士】

 【実際の評価 この世界でいちばんのバグ観察対象】


 


「ロウ隊長。殿下から、何か命じられていましたか」


 わたしが問うと、ざわめきが会場を走る。


 ロウは沈黙し、ゆっくりと前に出た。


 


「……陛下には、まだ報告しておりません」


「わたしは殿下の命令内容を聞きたいのです」


 ロウの眉がかすかに動く。


 けれど、彼は逃げなかった。


 


「本日の夜会において、ノルティシア侯爵令嬢が聖属性持ちを侮辱し、ひいては王家をも軽んじる発言をした場合、その場で拘束し、王宮地下牢へ連行せよ」


 会場が静まり返った。


 ジークハルト殿下は蒼白になり、リリアナは震えている。


 


「そ、そんな命令を……」


「うるさい、ロウ!」


 殿下が叫ぶ。


「忠誠を誓ったのはわたしだろう。勝手なことを……」


「勝手なことをしているのは、どちらでしょうね」


 わたしは静かに告げた。


 


「殿下。わたくしは、今日のこの場で黙って断罪されるつもりはありません」


「だからと言って、おまえにそんな権利が……」


「ありますよ」


 バグログが震え、眩い光を放つ。


 わたしはその魔力を、そっと指先に集めた。


 


「この世界のバグを見てきた者として、わたくしは、物語の齟齬を正す権利がある」


 


 空中に、金色の文字が一気にあふれ出した。


 それは、わたし以外の人々にも見えているらしい。


 会場中から驚きの声が上がる。


 


 【記録 ジークハルト・エルネスト 1】

 【婚約者への配慮より自らの満足を優先した回数 24】

 【噂を利用し婚約者の評価を下げた行為 7】

 【婚約者の命を危険に晒す命令を出した件数 1】


 


「や、やめろ……」


 殿下の声がかすれる。


 けれど、バグログは止まらない。


 


 【自己正当化のため 悪役令嬢という役を便利に利用】

 【結果 王家への信頼度 全体で減少中】


 


 貴族たちがざわめき、冷たい視線が殿下に向かう。


 皆、感じていたのだろう。


 どこかおかしいと。


 それを言語化できなかっただけだ。


 バグログが、その違和感を可視化している。


 


「殿下。これはわたくし個人の怒りだけの問題ではありません」


 わたしはゆっくりと告げた。


「このまま殿下が王位を継げば、王家そのものが脆くなります」


「貴様、王家を侮辱する気か!」


「いいえ。王家を守るために、あなたを矯正しようとしているのです」


 


 会場の空気が変わった。


 それまで、噂好きの観客として状況を見ていた貴族たちが、一気に現実を直視する空気になる。


 視線の重みが変わる。


 


「クレイア・ノルティシア」


 そこで、ロウが口を開いた。


 彼はゆっくりとわたしの前まで歩んでくる。


 バグログが、彼の周りだけ静かにしているのが不思議な感じだ。


 彼は、いつもバグに鈍感なようでいて、核心には絶対に踏み込んでくる。


 だから、わたしはずっと彼を「観察対象」にしてきた。


 


「本当に、婚約破棄でいいのか」


「ええ」


 迷いなく頷く。


「そもそも、もう婚約は名ばかりでしたから」


「そうか」


 


 ロウの頭上に、小さな文字が浮かぶ。


 


 【ロウ 感情値 冷静 92% 焦り 8%】


 


 わずかな焦りが、くすぐったくて、わたしは目を細めた。


 バグログが、彼の感情を読み切れないでいるのがわかる。


 本当に、扱いづらい人だ。


 


「その代わり」


 ロウがわたしの方に一歩近づく。


 周囲の視線が集まる中、彼はまるで当然のように膝をつき、片手を差し出した。


 


「ノルティシア侯爵令嬢クレイア。王太子の婚約者ではなくなったなら、今度は誰の隣に立つ」


 


 バグログが暴れるみたいに震えた。


 


 【予測不能イベント発生】

 【シナリオ外行動】

 【優先解析中】


 


「ロウ……?」


「おまえは世界の裏側を見ているのだろう」


 彼の琥珀色の瞳が、まっすぐにわたしを見つめる。


「ならば、俺の心くらい、少しは読めるはずだ」


「そんなに便利なものではないわよ、これは」


「そうか」


 ロウは小さく笑う。


 


「便利なものではないなら、俺の口から言うしかないな」


 


 バグログのページから、文字がこぼれ落ちる。


 


 【告白フラグ 点灯】


 


「ちょ、ちょっと待って。それは今、ここでしなくても……」


「クレイア」


 彼は静かに、けれどはっきりとわたしの名前を呼んだ。


 王太子でもなく、侯爵令嬢でもなく、ただのわたしを呼ぶ声で。


 


「俺は、おまえがバグだらけの世界でひとり戦っていることを知っている」


 


 心臓が跳ねる。


 バグログの文字列が一瞬かすれた。


 この人、やっぱり危険だ。


 


「噂で悪役令嬢と呼ばれながら、誰も見ていないところで、怪我をした子どもに薬を配っていたことも」


「それは……通りがかっただけよ」


「王太子殿下とリリアナ嬢の接近を、わざと見逃し、自分が悪役になることで、王家と聖女候補の間に他の思惑が入り込まないようにしていたことも」


「……バグログより観察が細かいのやめてほしいのだけれど」


「最後に、自分が断罪される未来を知りながら、それでも笑っていたことも」


 


 わたしは何も言えなくなった。


 ロウの頭上に、淡い文字が浮かぶ。


 


 【ロウ 嘘 0】


 


 バグログが、完全に黙っている。


 初めて見る反応だ。


 


「クレイア。世界のバグを修正する役を、おまえひとりに背負わせるつもりはない」


「……」


「王太子の婚約者という枠から解放されたなら、今度は俺の隣に来い」


 


 わたしは、思わず笑ってしまった。


 この状況で、なにを言っているのだろう。


 婚約破棄の場で、新しい求婚とは。


 バグログが慌ててページをめくる音が聞こえる。


 


 【新規シナリオ分岐】

 【名称 悪役令嬢×変則騎士ルート】

 【評価 前例なし】


 


「ロウ」


「何だ」


「あなた、ずるいわ」


「そうか」


「わたしがずっと1人で戦っていることに気づいていたなら、もっと早く声をかけてくれてもよかったのに」


「早く声をかけたら、おまえは王太子の婚約者のまま、俺の側に来てしまうだろう」


 


 その可能性を想像し、わたしはほんの少しだけ苦笑した。


 たしかに、それはそれで面倒なバグになっていたかもしれない。


 


「ジークハルト殿下」


 わたしはロウの背越しに、殿下を見た。


「わたくしは、あなたに謝罪を求めるつもりはありません」


「……何も、言うなというのか」


「言葉だけの謝罪なら、いずれまた同じことを繰り返すでしょうから」


 殿下の頭上に、小さな文字が浮かぶ。


 


 【反省値 まだ足りない】


 


「殿下がこの先どう生きるかは、殿下ご自身が決めることです」


 わたしは静かに告げた。


「王としてふさわしい人間になるのか、それとも別の道を選ぶのか。わたしはもう、そこに干渉するつもりはありません」


「クレイア……本当に、もう戻れないのか」


 


 その問いに、胸の奥がわずかに痛んだ。


 幼い頃、彼はたしかに優しい少年だった。


 約束もした。


 わたしを守ると、笑って言ってくれた。


 けれど、それを守るために努力したのは、わたしの方だけだった。


 


「ええ。戻りません」


 はっきりと言う。


「わたしはわたしの物語を、自分で選びます」


 


 バグログが、ぱん、と音を立てた。


 


 【死亡エンド完全回避】

 【クレイアルート 正常進行へ修正】


 


「……ロウ」


「何だ」


「あなたの手を取ったら、わたしはきっと、これまで以上に面倒な人生を歩むことになるわ」


「そうだな」


「世界のバグを一緒に見て、一緒に直して、一緒に頭を抱えることになる」


「間違いない」


「それでもいいの」


「それがいい」


 


 即答だった。


 バグログのページに、小さな文字が現れる。


 


 【ロウ 好感度 上限突破】


 


 わたしは、笑いながら涙が出そうになった。


 


「本当に……ずるい人ね」


「ようやく褒められた気がする」


「褒めてはいないわ」


 


 そう言いながら、わたしはロウの差し出した手を取った。


 その瞬間、金色の光が会場いっぱいに広がった。


 人々の頭上から、無数の文字が剝がれ落ちる。


 「こうあるべき」だと誰かが勝手に決めた役割や、押しつけられたシナリオ。


 それらが、一枚一枚、音を立てて剝がれていく。


 


 【世界バグ修正 進行率 30%】


 


 まだ、全部ではない。


 それでも、確かな変化が起きている。


 リリアナが殿下の腕からそっと離れ、一歩下がった。


 


「殿下」


 彼女は震える声で言った。


「わたしは、殿下の優しさに救われました。でも、殿下の弱さまで抱え込むことはできません」


「リリアナ、君まで……」


「殿下が本当に王になるのなら、まず、ご自分の弱さと向き合ってください」


 彼女の頭上に、穏やかな文字が浮かぶ。


 


 【ヒロインルート 自立エンドに変更】


 


 いい選択だ、と心の中で呟いた。


 


「クレイア」


 ロウが隣で囁く。


「これで、おまえの役目は少し楽になるか」


「世界のバグを修正する仕事が減るとは思えないわ」


「そうか」


「でも」


 わたしは彼を見上げて、笑った。


 


「孤独じゃなくなるだけで、ずいぶんと違う気がする」


 


 バグログが、ページを閉じるように静かになった。


 代わりに、胸の奥が温かくなる。


 


 世界のバグは、まだたくさん残っている。


 王宮の権力争いも、貴族社会の硬直も、街の貧困も。


 けれど、わたしはもう、悪役令嬢としてひとりで舞台の端に立っているわけではない。


 


「ロウ」


「何だ」


「これから忙しくなるわよ」


「覚悟はできている」


「徹夜でバグログを読み込んで、朝方に頭が痛くなっても知らないからね」


「その時は、俺が肩を貸す」


「それから、わたしが落ち込みそうになったら?」


「隣で笑っていろと叱る」


「逆にあなたが落ち込みそうになったら?」


「その時は、叱ってくれ」


 


 バグログの端に、ひときわ眩しい文字が刻まれる。


 


 【新規ルート名 デバッグ同盟】

 【評価 世界修正に最適】


 


「クレイア」


「なに」


「おまえの好きな物語は、どんな結末なんだ」


 


 前世を思い出す。


 たくさん読んできた物語たち。


 婚約破棄も、ざまぁも、悪役令嬢の溺愛エンドも。


 そのどれもが、ページを閉じる時に、少し胸の奥が温かくなる物語だった。


 


「読者が、読み終わってからも何度か思い出して、そのたびにちょっとだけ笑える結末が好き」


「なら、この物語もそうなるといいな」


「なるわよ。わたしがそう書き換えるもの」


 


 わたしはバグログを開いた。


 最後のページに、細い羽ペンで一行だけ記す。


 


 【悪役令嬢は婚約破棄され、ざまぁを食らわせた元婚約者を見送り、変則騎士に溺愛されながら、世界のバグを一緒に直していくことを選んだ】


 


 ペン先が止まる。


 バグログが、満足そうに光った気がした。


 


「ねえ、ロウ」


「何だ」


「これは、まだ序章よ」


「ああ、わかっている」


「ここから先は、わたしたちが書く番」


「そうだな」


 


 婚約破棄の夜会は、きっと後世にはこう語られるだろう。


 悪役令嬢が笑いながら王太子を手放し、世界の裏側を暴いた夜として。


 そして、わたしにとっては。


 ひとりで戦っていたページから、ふたりで物語を書き始めた、大切な夜として。


 


 バグログの角を指でなぞりながら、わたしは心の中でそっと呟いた。


 


 これは、誰かが決めたシナリオではない。


 わたしが選んだ、わたしの物語だ。


 そして、その隣には必ず、ロウ・フェルグレインがいる。


 


 世界のバグを笑い飛ばしながら、一緒に進んでいく。


 そんな未来を思い描きながら、わたしはもう一度、彼の手を握り直した。


読了ありがとうございました!

「決められた役割を壊して、自分で選び直す」物語を楽しんでいただけていたら嬉しいです。

ブクマ・評価・一言感想が次のバグ修正の燃料になります、ぽちっと応援してもらえると泣いて喜びます。

気に入ってくださった方は、同じ世界線で少しだけ未来を描く連載版【デバッグ同盟、王宮改革中】も覗いてみてください!


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