12月24日
「ねえねえ相希〜どうしたらいいと思う?」
我が物顔でボクに尋ねる翡翠。
どん、と手を机に置きながらボクの肩をゆらゆらと揺らす。
この学校の図書室は、どうやら県の中で一番広いらしい。他の所が良く判らないんで何も言えないが、端から端まで歩いて1分はかかるくらい。
「え~そんな事聞かれたって分かんないよ。経験ある人に聞いた方がいいんじゃないの?」
「聞いたさ! でもあいつらなんて言ったと思う? 『まぁ、会いたいって言えば?』だってさ! 人の苦労も知らないで」
少しだけ腹を立てる翡翠。
まぁ、そう言われるのも無理は無い。
実際、ボクだって言葉が出ないのだ。
なんでも、明日、12月25日───クリスマスの日。好きな男の子をデートに誘いたいらしい。だがしかしなんと誘っていいかも分からないという訳だ。
そんなこんなでボクに尋ねて来たのだ。
困った───
自分で言っていて悲しくもなるが、生まれて18年。ボクに恋人など出来たことが無い。
「あ、そうだ! あれは? ギター関連で相談があるって呼び出して、ついでだからって言って遊ぶの!」
翡翠は軽音楽部に所属している。
その縁もあり、彼女の想い人も同業者。
───詰まるところ、彼女は業務連絡をとりつけて、流れでデートに持ち込もうとしている算段らしい。
成程───、
「翡翠さあ、もうそんな事言い出したらキリが無いよ。素直に会いたいでいいんじゃないの? 別に、それで断わられそうでも無いんでしょ? クリスマスの予定の理由なんて、それ以外ないよ」
「───そういうもん?」
「───そういうもの」
実際、彼女とその想い人との仲は悪くない。いや、むしろ良好と言うべきなのだ。
話を聞く限り、休みの度会って、平日も電話をするという。
もし───彼女がこのまま誘えないままクリスマスを終えるというのならそれは、──もう既に勝利が確定しているような試合を棄権すると言っているようなものだ。
「そうだ、ミラちゃんはめぼしい人とか居ないの?」
気持ちを切り替えるべく笑顔をつくり、問いかける翡翠。
かけた先は、
「私!? 私は、居ないよ──そんなの」
「そんな事言って、本当はいるんじゃない? ミラ」
突然話を振られたもんだから、これみよがしにボクに助けを求めるべく視線を移すミラ。
だがそれも虚しく、ボクは翡翠に乗っかった。
「そんな事言って、そう言うあんたはどうなのよ? あんた、それなりにモテてんだかんね?」
────失敗した
普通に、ミラを庇っておけば良かったかもしれない。
「ボク? ボクはそう言うの無いかな」
「本当か〜?」
……
ミラが転校してきてから、数日の月日が経った。
本当に短い時間で、思えば一瞬で日々は過ぎ去って行った。
時にして2週間と少し。
その月日の中で、彼女は少しずつこのクラスに馴染んで来ている。
とてもじゃないけれど。彼女の友人の数は多いとは言えない。それでも彼女は着々と友人を作っていっている。
もう既にボクと翡翠達のグループとは打ち解けたようだし、それなりに話す機会も増えてきている。
───やはりまだ人を拒絶している節があると思う事はある。
それでも以前よりは減ってきているし、きっとこれは前向きな変化なのだろう。
……
「所でだ、諸君。そろそろ真面目に課題に取り掛かるべきではなかろうか」
ゴホンッ───と。
気合いを入れ直し、自らの頬を叩く翡翠。
それを見るや否や、薄らぴくっと震えるミラ。
「珍しいね。ボクはね翡翠。君の事だから、もう少し話が脱線すると思ってたよ」
「あ、の、ねぇ? いくらなんでも私を舐めすぎじゃない? 私だって、やる気さえあればどうとでもなるんです!」
現在時刻は17時20分。
何も、今日は学校は休み。だなんて訳でもあるまい。
では何故今図書室にいるのか───
まぁ、そんなに勿体ぶることでもない。
単純に、冬休みの課題が面倒だから、放課後に残ってやっていってしまおう、と、翡翠が提案したのだ。
此処に取り出したるは1枚の紙。
つい先程、担任の男からホームルーム内で配られたものだ。
内容はシンプルなもの。
身近な人への想いを1500文字で書き綴るといったもの。
ものとしてはシンプルではあるものの、シンプルが故に、それだけの文字数は少し苦痛に感じる者も少なからずいるだろう。
なんだったら、目の前に───、
「ああ〜! なにこれ多すぎでしょ! 1500文字書けだあ!?」
「ほら翡翠。そんな事言ってないで、早くやっちゃおうよ。それに、書き始めれば、意外と直ぐに終わるって」
目の前で課題に嘆き、なんだったら頭を掻きむしりだす少女をなだめ、ミラの様子を探る。
「身近な───人……」
「う~ん……身近な人。かあ……。改めてそう言われると、難しいよね~」
「う~ん……無難に。親、とかでいいんじゃない?」
親、確かに、身近と言われて真っ先に出てくるのは保護者だろう。
「ボクも親で書こうかな」
「私も~」
親をテーマに書くと決めたものの、困るのはどちらを書くかだ。──いや、別に両親に向けて、でも良いのか。
だがまぁ、ややこしくなりそうなので片方に絞るとするか。
「ボクはお母さんにしておこうかな。ミラはどっちを書くの? ───お母さん?」
───────────。
───────────。
───────────。
話の流れ。
特に何か、重たい感情など込めなかった。意味など無かった。ただ単に、口が、言の葉が流れただけ。
─────悟る。
静まり返る室内。
放課後で誰も使う事の無い図書室はボク達しかいない。
静まる。静まる。静まる。
───静まり返る。
ボクが目前にする少女の瞳は一瞬して曇った。それも真っ黒。雷雲。──眼に映るのは闇ばかりで、何一つ伺えない。
持ち直さないと。
持ち直さないと。
───何となく、漠然と。
翡翠は察したのか、機転をきかせる。
「───そうだ! じゃあミラ、私達で書いたら?
別に、身近な人としか書いてないし、身内じゃなくなたっていいっしょ!」
確かに、友人というのは、身近というものの限度以内だと充分言えるだろう。
「───2人の事──書いてもいいの?」
「あたぼうよ!」
愛想良く笑いかける翡翠に合わせ、ボクも負けじとミラに笑いかける。
◇
学校帰りの夜道。
寂しい暗がりを一人歩く。
なんだかんだ。という言葉は便利だと思う。
ある一定の対象内、起こった事象全てを言いくるめる。本当に様々な事柄が起きたとしても、『なんだかんだあって』だけで済ませてしまう事に、人間は躊躇いがない。
───つまりだ。
あれからなんだかんだあって、今に至るという訳なのだ。
結局の所、ボクは両親を対象に、翡翠は例の男の子、そしてミラは、ボクと翡翠の事を書き綴った───。
正直、翡翠に助けられた。
翡翠の気の利いた言葉が無ければ、ボクは明日から、今日と同じようにミラと接する事が出来ただろうか。
ボクらの事を書いていた時の彼女は、何処か嬉しそうだった。ボクの勝手な思い込み、淡い憶測なのかもしれない。──それでも、そう思わずには居られなかった。
辺りを見回すと、ちらほらとカップルが耳たぶをくっつけて歩行している。
まぁ、別にこれが妬ましいって訳でもない。だが同時に、羨ましくないという訳でも無いのが苦痛。
正直に、恋人くらい欲しいと思ってしまうものである。
それだと言うのに。
ボクは、イブの夜に何をしているのだろうか。
街ゆくカップルにとっては、明るい太陽のように見えるだろうその街灯すら、ボクにとっては儚げな灯りでしか無かった。
いや、街灯よりいいものがあるじゃないか。
───月明かり。
空から発せられる自然の灯りこそ、暖かみを感じるというもの。
是を見ていれば、何もかも忘れてしまえそうだな。
───なんだ。
もう、ここまで来ると、宙を泳ぐハエでさえも、ボクを愚弄しているように思えてくる。
─────あぁ。
───────いやぁ……。
今日も月が綺麗だ───。
「あだっ!」
瞬間、ボクの身体は後ろへと後退する。同時、尻もちをつく。
何かに当たった・・・?
反省すべきだろう。
上ばかり(現実逃避による単独の月見)見すぎていたせいで、人にぶつかってしまった。
「あ、ごめんね、大丈夫?」
女性の声。
「あ、はい。ボクの方こそ、ごめんなさい」
言われ、返事をする。
「立てる?」
言って、彼女は座りこむボクへと手を差し伸べる。
愛想良く微笑みつつ、その手を掴み立ち上がる。
「久しぶりだね」
「───え?」
瞬時に脳をフルスロットルで稼働させる。
以前に会っただろうか。
この人は誰だっただろうか。
一瞬悩んだが、それも直ぐに終わる。
編み出される結論。
「あ。この前酔いつぶれてた」
2週間程前だっただろうか。
無性にボクが気になった相手。
「いくらなんでも女の子相手にその覚え方はちょっと傷つく……」
にしてもだ。
良くもまぁボクの事を覚えているものだ。
会った時、彼女は恐らく酔っ払っていた。だとすると尚更だ。
単に記憶がいいだけなのか?
「良く覚えていましたね、ボクの事」
「まぁねぇ……こう見えてお姉さん、記憶力だけは確かだから」
「今日は酔っていないんですね?」
「あ、失敬だよ? 流石に毎回呑んだくれてる訳じゃないさ」
妙に落ち着いた声色は、不思議とボクの冷めきった心を暖める。
やはり───どうしてなのだろうか。
彼女と話していると、無性に彼女が気になって仕方が無い。
気になる。
気になって仕方が無い。
とは言っても、単に女性としての魅力に惹かれた訳では無い。あくまでも、人間としての彼女を。
───仕草が気になる。
───声色が気になる。
───表情が気になる。
「それにしても珍しいね。人間、歩いていれば下を向いていて人にぶつかる事はあっても、上を見上げていてぶつかるってのは、そうそう無いよ」
「ごめんなさい。今夜は1層月が綺麗でして〜」
「おっとお? 告白かあ?」
「違いますよ、言葉通りの意味合いです」
「いや、からかっただけじゃん。マジになんないでよ? マジレス乙」
「─────」
何となくだが、この人の人間性を知れた気がする。
「そうだ名前。名前教えてよ」
うむ。
どうしたものか。
言うべきだろうか。はたまた言っていいのだろうか。否だろう。完全なる不審者だ。
「ボクは、高橋 リカです」
偽名である。
流石に名前を名乗るのは気が引ける。
「そっか。お姉さんの名前は───そうだね。シトラスとでも呼んでくれよ。宜しくね、柚貴」
シトラス……?
外国の人なのか?
それともそっちも偽名なのだろうか。
まあいい。
とりあえず合わせて返事を───、
「ああ、はい。宜し、え? 今、なん、、、、で──いやいや! 名前、、なんで、知って────」
刹那の間。
背筋が凍る。
まるで冷たい布でも押し当てられたかのような不安感を感じる。背中の内側に手を這いずられ軽く撫でられるような心地悪さ。
「なんで名前を知ってるかって? それはね。──秘密だよ」
───走る。
───奔る。
走らざるを得なかった。
あの一瞬の内に募った恐怖が押寄せる。
なんだ───?
なんでだ?
誰なんだ……?
どうしてボクの名を知っているどこでその情報を手にした……?
一体、、、彼女は───。