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いつかみる夢

作者: ほのぼの。

叶の笑顔が消えた日から、私の世界は色を失った。今までできていた当たり前が突然できなくなった。家を出ることが怖い。人混みにいると息が苦しくなる。失って初めて気づくとはよく言ったものだと思う。何度も目にし、聞いてきた。けれど、本当の意味では理解していなかったのだと今なら断言できる。やはり、失わなければ分からないものなのだろうか。初めて「死」を意識したのは、小学生のころ。正月に会いに行く親戚のおっちゃんが亡くなり、次の年にいつもの定位置がぽっかりと空いているのを見たとき、「亡くなる」ということの意味を知ったのだ。


仕事終わり、駅のベンチに腰掛け、スマホを開いた。ふと、通知欄を眺める。そこに「今日もだべろー」と書かれたメッセージは、もう二度と届かない。胸の奥が、ぎゅっと痛む。時間が経つほど、現実味を増す喪失感。けれど、記憶の中では今も彼女の声が響いている。「咲、聞いてや!マジで意味わからんことが起こったんやって!」──そうだった。あの場所で私たちは、忘れられない出来事をなんども共有した。東京遠征のたびに通っていたあの場所。一緒に観劇したあとは必ずそのお店に行って、金欠にも関わらず大好きだからって言い訳して1万くらい毎回散財していた。特に叶はあの店のビーフジャーキーが大好物だった。「そんなに!?」とけらけら笑い飛ばして、いつも見てきた公演の感想を語りあってきた。……そんな場所も、今はもうなくなってしまった。あぁどうして大切な場所はなくなってしまうのだろう。「ただ春の夜の夢のごとし」とはこういうことを言うのだろうか?そんなキラキラした思い出の欠片を残したまま、あのバーは静かに幕を下ろした。


そういえば、叶と最後に遊びに行ったのもあの場所だった。最後に撮った写真。もう一年も前になってしまった。画面に映るのは、バーを背に並んだ私たち。叶が肩を軽く叩いた感触を、まだ覚えている。もう、この場所も、叶の笑顔も、直接見ることはできない。けれど、ここに確かにあった。スマホの画面をそっと撫でる。記憶の中で、叶の声が響いた。「ほら、ちゃんと笑ってや」そう叶に言われた気がして思わず私は微笑んだ。あのバーはただお酒を楽しむ場所ではなく、演劇を体験できる特別な空間でもあった。そう、今思えばあれがきっかけだった。いなくなるかもしれないと思い始めたのは。


——もし、自分と大切な誰かの二人しかいない世界で、相手が消えてしまうことになったとしたら?自分の命を差し出せば、大切な人の命が助かるとしたら?静寂の中、役者の声が響く。「命を救えるなら、自分の命を差し出す」その言葉には迷いがなかった。けれど、その表情はどこか悲しげで——。しかし、問いはそこで終わらなかった。「でも、救ってもらっても、君はもうこの世界にはいない。大切な気持ちだけを残して取り残されるのと、消えていくのと……どちらが幸せなんだろうか?」——この世に二人しか存在しない世界。自分が死ぬかわりに、愛する人が生きる。舞台上の登場人物たちが、静かに、けれど確実に問いを突きつけてくる。役者たちの声には感情が乗り、舞台の空気が張り詰めていく。暗がりの中で、一筋のスポットライトに照らされた役者の表情には迷いがなかった。「愛する人を生かすために死ぬか。」「愛する人を失って生き続けるか。」自分なら、どちらを選ぶだろう?劇中の言葉が、胸に響く。愛する人を失って、一人きりで孤独に苛まれるのは耐えられない。だけど、それ以上に、その孤独を愛する人に背負わせるなんて耐えられない。それならば、自分が引き受ける。叶の隣で、私はじっと舞台を見つめていた。けれど、視界が少しずつ滲んでいくのを感じていた。その滲みは、舞台上の悲しみや問いかけだけでなく、私自身の心に深く絡みついているものだった。涙をこらえるのがやっとで、ただ静かに息を呑みながら、私はその瞬間を受け入れていた。幕が下り、店内が闇に包まれる。──忘れてしまった「一番大切なもの」に向き合う。そんな話だった。私にとって、一番大切なものはなんだろう。失うことを恐れているものなら、すぐに思い浮かぶ。それは、家族。いつかは、先に旅立ってしまう。最近観る作品は、ことごとくそれを突きつけてくる。避けようとしても、問いかけられる。今まで目を背けてきた恐怖。心の奥に押し込めていた不安が、静かに溢れ出す。気づけば、涙が頬をつたっていた。私にとって、演劇は感情を解放してもいいと思える空間だ。だからこそ、これまで目を背けてきたものと向き合わされる。それは、他者の「死」を受け入れる覚悟。両親だけでなく、いずれは叶も先に旅立ってしまうのだろう。誰かを見送ることへの恐怖――「死」を突きつけられるたびに、胸が苦しくなる。でも、叶になら。この気持ちを打ち明けても、きっと受け止めてくれるはずだ。照明が少し落ち、次第に客席は日常へと戻っていく。閉店の時間が訪れ、名残惜しさを抱えながら店を後にする。次に来るときには、もうこの場所はない。そう思うと、胸がぎゅっと締めつけられた。せめて、この思い出を形に残したい。「お店をバックに一緒に写真撮ろう!」咲がそう声をかけると、叶は「せやな!」と即答する。ちょうど同じように店を後にする人がいたので、写真をお願いした。カメラを向けられた瞬間、視線はつい店の方へ向いてしまう。まだ、離れがたい。「ほら、ちゃんと笑ってや」叶が軽く肩を叩き、咲を促す。その声に背中を押されるように、咲は少しだけ口元を緩めた。シャッター音が静かな夜に響く。その一瞬が切り取られ、今も写真として残っている。自分たちの写真を撮るなんてめったにしない二人だった。今思えばこの時に二人一緒にうつろうとしたのも、なにかの暗示だったのかもしれないと写真をなでながら考える。公演終わりの夜は叶の家に泊まらせてもらった。彼女は関東、私は関西に住んでいるから私が東京遠征のたびに泊まるのはお決まりだったのだ。叶の家では、床にものが散らばっていることがなかった。勉強机の上には在宅ワーク用の大きなパソコンモニターが一台あるだけ。積み重なった本や、買ったまま手をつけていないグッズが雑然と並ぶ私の机とは大違いだ。とりあえず机の上に何でも置いてしまう私とは対照的に、叶は必要なものを厳選し、それ以外はきちんとしまっている。一度決めたらやり遂げる。そんな猪突猛進なところが、この部屋にも表れていた。お風呂にも入り、あとは寝るだけ。叶が前から自慢していた梅酒を用意してくれた。自分で作ったらしい。こういうマメなところが、叶にはあった。「カンパーイ! いやー今日はホンマに誘ってくれてありがとう!」二人でグラスを合わせると、カラン、と軽やかな音がする。甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。アルコールがほどよく回り、体がじんわりと温まる。「いやいや、こっちこそ毎度のことやけど、宿貸してくれてありがとう。今日の公演、無理してでもホンマに来てよかった……推しの性格まんまの役でさ。推しの生き様から想像すると、何も知らずにのうのうと生きるより、苦悩するとしても真実を知ることを選ぶやろなぁって」「推しの解像度高すぎやろ。さすがオタク!」叶もちょっと酔っていて、テンションが高めだ。「やろ? ただ、内容がきつかったな……見送る側として見てしまってさ」ふっと息をつく。「治療が終わったとはいえ、親癌やん?最近見る作品、覚悟決めとけよって誰かから言われてるみたいな感覚に陥るんよな」気の置けない間柄だからこそ、こういう本音が言える。叶は少し間を置いてから、グラスを傾けた。「……まぁ、いつかは避けられへんからな。ただ、私は見送られる側として見てたな」一瞬、時間が止まった気がした。思わず叶の顔を凝視すると、珍しくバチっと目が合う。吸い込まれるような感覚。それは数秒にも、数分にも思えた。言われた言葉を、頭の中でゆっくりとかみ砕いていく。その意味を理解したとき、身がすくんだ。さっきまでぽかぽかしていた体が、じわじわと冷えていくのを感じる。想像していたよりも、叶の病は深刻なのかもしれない。「この前入院したときに、三途の川わたりかけてたって言われてさ。お母さんにも、『もうあんたと話されへんかと思った』って言われたんよ。」思わず絶句する。そこまでだったのかと。でもこれは私を信頼したからこそ、打ち明けてくれたことだ。私が一番弱い部分をさらけだしたから、叶も言ってくれたんだろう。どう返すのがいいのだろうか。でも、叶に取り繕っても、どうしようもない。どうせこの子は私の本心を見通してしまうはずだ。だったら思ったことを、そのまま言うしかない。そうやって自分を落ち着かせる。「あぁ、そうなんかぁ。見送られる側か。その視点で見ることは思いつきもしてへんかったわ。でも、叶の生命力半端ないから、倒れても這い上がって来るやろ?」実際、何度も手術したり入院したりしているが、ちゃんとこうやって元気になって戻ってくるからだ。それでも、気づいてしまった。どうなるか分からない未来に。「まぁな! そりゃ、親よりは長生きしなあかんと思ってるよ」その言葉の重みは、私には計り知れない。この言葉にどれだけの想いが込められているのだろう。同情されることは何よりも嫌なはず。私だって同じ立場だとしたら、そんなこと親友に思ってほしくない。私にできることはただ話を聞くことだけだ。そして、本心を話すこと。「そうよなぁ。そこは頑張らなあかんよな……。いや、マジで叶とはさ。歳とって互いにパートナーおらんかったら、一緒に住みたい。結婚するなら叶やと本気で思ってるもん。恋愛感情は一切ないけど!(笑)」「それは同じく! お互い結婚してへんかったら、結婚しようや。もうすでに家族やとは思ってるよ。私になんかあったら一番最初に連絡いくの咲やから。ホンマにいてくれて感謝してんねん」「それはこっちのセリフやで。いつもホンマにありがとう。周りに叶のこと話すとさ、毎回聞かれんねん。『え、彼氏?』って。たぶんモーニングコールしてもらってることとか、ビデオ通話しながら一緒にご飯食べてる話とかしてるからかもしれへんけどさ。職場の先輩に『食べてるとき、いつも幸せそうな顔してんな』って叶から言われた話したらさ、先輩に『それ恋人が言うことやで』って突っ込まれてん。『いやいや、同性の親友です』って毎回否定してるわ。うちら傍から見たら恋人なんやろな(笑)どうする?うちらこのままやと彼氏できひんで」叶に目を向けると、お腹を抱えてのけぞりながら大爆笑している。笑いすぎて目から涙がこぼれ、顔もくしゃくしゃだ。それを見ていたら、私もふきださずにはいられない。笑い声が、静かな夜に響く。『いつかはやってくるかもしれないけど、それまではこうして馬鹿笑いしていたい』そう心の底から思っていた。けれど、その願いも虚しくその日はやってきた。叶のお母さんからの電話があったのだ。私は仕事を休み、震える手でスマホを握りしめながら病院へ向かった。恐ろしくて、心が凍りつきそうだった。電車の窓に映る自分の顔は、ひどく歪んで見えた。涙が止まらない。どうにか平常心を保とうと、イヤホンを耳に押し込む。再生ボタンを押した瞬間、流れ出したのは、いつもと変わらないメロディ。だけど、耳にする歌詞はすべて、叶との記憶につながってしまう。笑い合った日々。何気ない会話。交わした約束。湧き上がってくるのは、「なぜあの子が選ばれてしまったのか」という怒りと、「どうか連れて行かないで」という願い。そんな想いが胸の奥からあふれ、気づけば肩が震えていた。呻くように息を吸い込んでも、涙は止まらなかった。──あの子の前では、絶対に泣かない。そう覚悟を決め、病室の扉を開ける。叶の姿を見た瞬間、きっと以前と同じようには話せないのだと悟った。それでも、私はいつもと同じように、くだらない推しの話をたくさんした。でも、きっと叶にはバレていたんだと思う。閉じた瞳から、静かに涙が流れていくのを私は見逃さなかった。それでも叶は、楽しそうに聞いていた。時折、力強くツッコミを入れることもあった。たとえ意識が鮮明でなくても、自己主張はしっかりする。そんなところは、いつもと変わらない。少しでも伝わるように、手を握りながら話しかける。握る手は、こんなにも暖かく、力強い。何か言いたいことがある時は、痛いくらい強く握りしめてくる。──たとえ以前のように話せなくても、生きてくれるだけでいい。それだけで救われるのに。「叶を信じるしかない」そう思い続けた一か月だった。だけど、現実は残酷だ。どれだけ祈ったところで、どうしようもないことがある。病院から実家に帰った夜。──叶は、眠るように旅立ったらしい。それからの私は、ただ生きるだけで精いっぱいの日々を過ごしている。ぽっかりと穴があいたような感覚。もう二度と開くことのない、叶とのトーク画面。共有画面を開くと、一番上にあった叶のアカウントも、いつの間にか表示されなくなっていた。楽しいことも、悲しいことも、全部話したいのに、もういない。そんな小さな気づきの積み重ねが、胸に小さな棘を刺していく。どうしても会いたい。夢でもいいからでてきてほしい。そう願いながら眠りについた日のことだった。


「なぁ。どうする?ちょっとしか時間ないやん?まだ見てないアニメの最新話見るか、行けてなかったところに行くか、どれがいい?」「んー、そこはやっぱり確実にできるアニメでは?」と雑誌を見ながら答える叶。どうってことない会話なのに、幸せで、でも切なくて、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。 けれど、話し合いの途中でふっと目が覚めた。起きた瞬間、いない現実を突きつけられて、視界が涙で滲んでいく。続きを見たくて再び目を閉じても、もう夢の扉は閉ざされていた。それでも、夢でもこうして会いに来てくれることが、どれだけ私を救ってくれるか。現実ではもう会えないけれど、心の中であなたを呼ぶと応えてくれる——そのことに心から感謝している。きっとまた会える。そう信じられるのなら、このどうしようもない悲しみとも一緒に生きていける気がする。何気なく眺めていたSNSで、ふと目に留まった投稿があった。


死んだ親友と夢で話してたら、『あ、これ夢だよね?』って気づいて言ったんだ。そしたら親友が『夢でしか会えないの!しかも来るのめっちゃ難しいんだから、もっとちゃんと寝てよ!行ける時には行くから!』って笑いながら言うから、私も爆笑した。でも、目が覚めたら笑顔のまま泣いてたよ……。それでも、なんだか救われた気がした。


その投稿を読み終えた瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられるようだった。まるで、あなたが私に伝えたいことなんじゃないかと思えたから。笑いながら泣けるって、こういうことを言うんだなと、少しだけ心が温かくなった。夢の中で会えたこと、そこで笑い合えたこと——それがどれほど特別で、救いになるかに気づかされた。あなたもどこかで同じように笑ってくれているだろうか。夢の中でもいいから、また会いに来てほしい。くだらないことで笑い合う、そんなひとときをもう一度一緒に過ごしたい。最後に一緒に撮った写真を見返えしていると「ほら、ちゃんと笑ってや」という叶の声が聞こえてくる気がする。でも、まだ一人ではこの頃のようには笑えそうにない。そんなことを考えながら眺めていたとき、スマホに通知が届いた。叶にいつも話していた推しの公演情報だった。私が大好きな脚本家と推しがタッグを組んだ作品が上演されるらしい。──唐突に、強い風が吹く。髪がなびく。「泣いてばっかりおらんと、いい加減動け! 絶対に行け!」そんな叶の声が、心の奥で響いた気がした。


劇場の入口は、地下へと続く階段の先にあった。扉を開けると、スタッフの方がメッセージカードを手渡してくれた。メッセージカードが日替わりであることは事前に知っていた。だからこそ、「今日はどんな言葉に出会えるのだろう?」と、ほんの少しだけ胸が高鳴る。そこに書かれていたのは——「絶望の報酬は信じる力」その瞬間、息が止まった。思わずカードを握りしめる。胸が、熱くなる。言葉が心の奥深くに落ちていく感覚がした。——どうして、今の私に、こんなにも響くのだろう。「失ったものは、あまりにも大きい。だけど——それでも、私は、愛をもらっていた」そう思えたとき、喉の奥がきゅっと締めつけられた。叶が私にくれたものは、たしかにここにある。劇場の奥へと進み、客席に腰を下ろす。暗闇のなかで、じんわりと涙がにじんだ。照明が落ち、劇場全体が静寂に包まれる。やがて、幕が上がった。——時代は、まだ空を飛ぶことが夢物語だった頃。兄弟は、ただひたすらに空を目指した。宗教的な問題も絡み、世間の風当たりは厳しかった。それでも彼らは何度も挑戦を続ける。飛行実験は命がけだった。積み上げた努力が崩れ落ち、絶望に打ちひしがれる夜もあった。それでも彼らは、「絶望の報酬は信じる力」だと、力強く歌う。小さな子どものように目を輝かせながら、何度でも、何度でも、空を目指し続けた。そして——ついに、その日はやってきた。「ファーストフライデー」これまでも、飛行実験のシーンは何度もあった。けれど——この日は違う。暗闇だった劇場の空間。その奥がふいに開かれた瞬間、視界が一変する。一面に広がる、眩しいほどの青空。思わず、息をのんだ。地下にいるはずなのに、目の前には、果てしなく広がる空。その美しさに、胸が震えた。そこへ、飛行機が現れる。俳優が乗り込み、再び命がけの挑戦が始まる。劇場全体が、張り詰めた空気に包まれる。言葉はない。けれど、俳優たちの表情がすべてを語っていた。恐れと期待が入り混じった顔。そして——風に——乗った。ずっと、ずっと、恋い焦がれていた空。誰もが「不可能だ」と言った空を、彼らは飛んだ。兄弟はまるで、世界のすべてを焼きつけるように、空を見つめていた。1人は、ただ真っ青な空を。もう1人は、空を飛ぶ相棒を。その姿を見たとき——私は、彼らと一緒に空を飛んでいた。心の底から震えた。——あぁ、「感動する」とは、こういう心の動きを言語化したものなのか。涙が止まらなかった。それはただの感動の涙ではなく——叶の愛が、胸の奥で形を変えてあふれだした涙だった。「しっかりしろよ。前を向け。」そんな声が聞こえた気がした。ずっと、叶に甘えてばかりだった。叶がいなくなって、前を向けなくなった。笑えなくなった。でも、叶はいつだって私に「生きろ」と言ってくれていた。あの時も、この言葉も——「私のことを書いて。そしたら永遠になるから。」——いつか、一緒に行こうと話していたミュージカルのセリフ。やがて薄れてしまうかもしれないこの記憶。それでも、言葉にすることで、きっと何かが残る。大切な人そのものではないけれど、形にして、この世界に残したい。この愛おしさも、痛みも、苦しみも——伝えることで、誰かの救いになるかもしれない。


だから私は——書く。


この手で、叶の存在を、この世界に刻む。ペンを取る手が震えても、涙で視界が滲んでも、それでも、書く。


「きっと書くことで、叶は永遠になる。」


そして、叶が私にくれた愛もまた、私を支えてくれる。「『前向け!笑え!』って叶だったら言うやろ?」真っ青な空に向かって投げかける。もう叶と直接話すことはできないけれど、私の中で生き続ける叶と共に前を向いて、生きていく。

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