Don't save children.
それは取り立てて何もない時代。その時代に起こった出来事に端を発していた。何もない、といういい方は変かもしれない。もちろん、それなりに大きな事故や事件があったりしたが、しかし歴史の流れの中で見れば、それらは些細な出来事に過ぎなかった。
ただ、この時代の中で特筆すべきことがひとつある。それは、あるアニメ映画の大ヒットである。もっともこの大ヒット自体も、それだけとってみれば、歴史の流れの中の小さな出来事に過ぎない。しかし、この大ヒットが、実は後に大変な事態を引き起こすことになる。その映画の名前は「あちらのオトト」といった。この映画は子供の純粋さをテーマにしたものであった。これは空前のブームを巻き起こし、久しく不況だった日本映画界に活気をもたらした。さらには「純粋」という言葉が流行語になり、ひとつのブームになるまでにいたった。人々は口々にこの言葉を発し、または弄び、良かれ悪しかれ「純粋」という言葉は日本中を席巻していった。
このような状況の中で生まれてきたのが「コドモ推進委員会」であった。この委員会の会長に就任したのは「草薙一郎」という人物であった。この委員会は純粋ブームを背景にし、この純粋さを組織的に尊んでいこうとしたものであった。この組織のスローガンは「子供の純粋さを尊ぶ」。しかし、このようなスローガンを掲げたからといって人々がついてきたかというと、決してそうではなかった。つまり、結局ほとんどの人はブームを楽しんでいただけで真剣に子供の純粋さを尊んでいたわけではなかったのだ。真剣に考えていたのはただコドモ推進委員会に属するひとたちのみであった。
そんな時代。日本に大異変が起きる。突然発生した原因不明のウイルスによって多くの大人たちが次々と「子供がえり」を起こしてしまったのだ。この「子供がえり」とは文字どおり肉体的にも、精神的にも、そして記憶の上においても子供に戻ってしまうというものであった。このウイルスが発生した原因についてはコドモ推進委員会が疑われたこともあった。何せ、あのような思想を持っているのだから疑われて当然といえば当然なのだが、委員会にはそこまでの科学力はなかった。このウイルスの発生は本当にまったく偶然に起こったことだった。
この現象に多くの人々はおののいた。自分の身内が子供に戻ってしまう。姿、形がまったく変わってしまうことに人々は驚いた。立派な大人たちがまったく幼く、頼りない存在になってしまったのだ。それに、何よりも自分と共有してきたこれまでの記憶をすべて失ってしまったのだ。あの楽しかった思い出、つらかった記憶などを語りかけても全然通じなくなってしまったのだ。困ったことはそれだけではない。多くの大人が子供に戻ってしまったことで、国を治める人がいなくなってしまったのだ。残った大人たちでは国を治めるなどとても不可能であった。
だから人々は必死になってこの病を治療しようとした。民間の医者や学者がこれを研究したのはもちろん、厚生省の中にも研究班が設置され、精力的な研究がなされた。しかし結果は絶望的であった。誰もこのウイルスに対するワクチンや、「子供がえり」の治療法を発見することはできなかった。人々は悲嘆にくれるしかなかった。
そんな時である。あのコドモ推進委員会が大きく台頭してきたのである。委員会は言う、なぜ大人に戻らなければいけないのか、子供こそ純粋な存在であり、人間のあるべき姿であるのだから、これはむしろ喜ぶべき事態ではないか。委員会のこの思想はまったく逆の形で人々を勇気づけることになってしまった。そうだ、子供に戻ってしまっていいんだ、いやむしろ子供こそが純粋な存在でありそれがあるべき姿なのだ、人々の間にそういう考えが浸透していった、というよりも治療することがほとんど絶望的なのでそう考えて自らを慰めるしかない、というのが本当のところなのだろう。それにこのウイルス自体子供に戻ってしまうということ以外にはこれといった害悪はなかった。何か他の病気を併発するとか、しまいには死に至ってしまう、というようなことは全然なかったのだ。そういう意味では比較的安心できたのだった。このような状況のもとで、ついにウイルスの研究も行われなくなってしまった。もう誰も「子供がえり」を治療しようとは思わなくなってしまったのだ。
子供でいいんだ、という開き直りの思想が人々の間に蔓延していくにつれて、コドモ推進委員会も当然勢力を伸ばしていくことになった。そしてこの委員会は人々の希望となり、人々を引っ張っていく存在となった。そしてその規模が全国レベルにまで達したとき、ついにコドモ推進委員会が、これまでのほとんど統治力を失った政府に変わって、国を治めることになってしまったのだ。もちろん、多くの民衆の支持のもとに。委員会会長であった草薙もウイルスに感染して子供に戻っていた。にもかかわらず依然として会長の座にいた、というより委員会の思想からいくとこの方が適切なのだろう。そのようなわけでここにとうとう純粋な子供が統治する国家が誕生してしまったのだ。
コドモ
~最も恐るべきもの~
それは、異常なまでに子供が尊重されるようになった時代の出来事であった。謎のコドモウイルスによって多くの大人が肉体的にも、精神的にも、そして記憶の上でも子供に戻ってしまった。このウイルスに対する特効薬を作ることができず、人々は絶望の淵に追いやられていた。この人々に希望の光を投げかけたのはコドモ推進委員会であった。委員会は子供の純粋さを大切にすることを説き、民衆の圧倒的支持を集め、ついに政治をつかさどるようになっていた。
ヌース
今、澄香の目の前のテレビでは、コドモ推進委員会会長草薙一郎の、国家最高指導官就任の演説が行われていた。といっても草薙自身もまた子供であったので、まともな演説などできるはずもなかった。そこで演説のほとんどが会長補佐である秋浜とうじ統治が行っていた。秋浜は言う、「子供の純粋さを大切にし、子供を尊び、子供による、子供のための社会を作っていこう」と。秋浜の演説は多くのものに感動を与えた。しかし、すべての人が委員会を歓迎していたわけではない。委員会に反発しているグループの代表にヌースというもがある。一条澄香はこのグループのメンバーの一人であった。ヌースのメンバーにはテロやゲリラ活動といった過激なやり方で委員会をつぶそうと考えているものもいた。竜崎激がその代表である。彼らは「子供がえり」の治療薬の存在に懐疑的で、武力行使によってしか事態は解決しないし、もとの社会を取り戻すこともできないと信じている。しかし、澄香はこのやり方には反対であった。武力に訴えても根本的な解決にはならないだろう。それよりもウイルスに対する特効薬を見つけ出す方が先ではないのか。治療薬の研究は委員会によって事実上禁止されてしまった。しかし、それでもなお研究を続けている人がいるといううわさもある。その人を見つけ出して治療薬を手に入れることの方が先ではないのか、澄香はそう考えていたのだ。確かに治療薬は実際に研究されているのかどうかわからない。しかし、望みがある以上、そこにかけてみるべきではないか。ヌースのリーダー朝木も澄香と同じ考えだった。よって、ヌース自体としては、まだ武力行使をしようという雰囲気にはなっていなかった。
治療薬を求めて
そんなときに大変なニュースが飛び込んできた。澄香の相棒、開がついに治療薬を研究している木原という人物の所在を突き止めたのだ。そして木原も是非澄香と会いたい、という。澄香は早速会う約束を取り付けた。一方、木原の存在は草薙の耳にも入った。このような者の存在を許しておくわけにはいかない。草薙は木原を拉致しようとする。
澄香は案内されてやっと秘密の研究所についた。しかし、そこで澄香が見たものは、ただ激しく散らかされた部屋の光景だけであった。人影も全然見当たらない。そのような中で澄香は一枚の紙切れを見出す。それは、草薙からの手紙であった。手紙には遅れてきた澄香をあざ笑う内容がかかれてあった。まったく人を馬鹿にしている、澄香もそう思ったし、後で手紙を見たヌースのメンバーもそう思った。メンバーの中には我慢できずに武力行使を主張するものもあったがもちろん澄香は反対であった。そのようなことをして根本的な解決になるのか、委員会は人々の心の支えになっている、その委員会を叩いてしまったら人々は心の支えを失ってしまうではないか。叩いた後で我々に一体何ができるというのだ、そう澄香は思っていたのだ。
木原奪回
そのころ草薙の方では、秋浜の進言で拉致した木原をみせしめに処刑することを考えていた。委員会に刃向かうとどうゆうことになるか、思い知らせてやろうというのである。そして委員会によって公開処刑の行われることが公表された。これを聞いて澄香も黙っているわけにはいかない。仲間と一緒に処刑場に乗り込んで刑の執行を食い止めようと決意する。
刑の執行当日、澄香たちは一気に処刑場に突入し、刑の執行を阻止し、木原を助け、さらに秋浜を拉致することに成功する。澄香は自分のアジトで秋浜と会談する。澄香としては、秋浜は実は洗脳されているだけで、本当はちゃんとした良識をもっている、と思っていた。だから秋浜を説得することで何とか委員会を変えていくことができるかもしれない、そう考えていた。しかし、努力は無駄に終わった。澄香がいくら現代の憂慮すべき状況を訴えても、秋浜は全然聞こうとしなかった。完全に委員会の思想で染まってしまっていたのだ。子供の純粋さを信じていれば社会はよくなっていく、そう信じて疑わなかったのだ。
反攻
草薙は自分の片腕である秋浜を拉致されてひどく憤慨していた。なんとしても連れ戻さねばならない。草薙は先鋭のコドモ部隊を送り込んで秋浜を奪還しようとする。部隊は澄香たちがそろそろ眠りにつこうか、というときにやってきた。突然の奇襲にたじろいで皆まともな応酬ができない。いや、それよりも相手が子供であるということで皆まともに応戦することができなかったのだ。アジトはめちゃくちゃにされ、秋浜も奪回されてしまった。皆はただ呆然とするばかりであった。子供を大事にするといいながら、その子供に武器を持って戦わせるというのか。皆は理不尽さを感じずに入られなかった。
カタストロフ
委員会は処刑をめちゃくちゃにされ、秋浜を拉致された。このような失態は草薙にも秋浜にも我慢できるものではなかった。草薙は、秋浜の進言によって委員会に刃向かうものの掃討を開始する。この掃討によって委員会に反発していたものが、何人も犠牲になっていった。その中には澄香の知り合いいた。この惨劇を見てヌースのメンバーも、もう我慢することができなかった。武装蜂起をして一気に委員会を叩いてしまおうという気運が盛り上がっていった。そして、ついにリーダーによる決断が下された。リーダーも、もはやこれ以上我慢するわけにはいかない、という判断に達していたのだ。もはや澄香にはどうすることもできなかった。いよいよ本格的な武力行使が始まる。
最後の希望
ヌースは他の同志も集めて一気に委員会の本拠地に突入する。激しい銃撃戦の末、内部に侵入することに成功する。澄香はその先頭を切って突入していった。誰よりも早く秋浜の元に行き、もう一度話し合ってみたかったからだ。今、委員会が態度を改めればもっと穏やかにことを済ますことができるかもしれない。澄香は最後の望みを秋浜に託していた。ついに澄香は秋浜を見つけ出した。秋浜は草薙と同じ部屋にいた。澄香は必死に秋浜を説得するが、やはり全然聞く耳を持とうとしない。そんなときに突入部隊が草薙のいる部屋のすぐそばまで来ている、という情報がはいる。草薙は急いでこの場から逃げようとした。しかし、他の部屋には大勢の子供たちが収容されている。それは一体どうするのか、秋浜は草薙に問うた。「そんなもの知るか」、それが草薙の答えだった。コドモ推進委員会は、本来子供を大切にする委員会である。その委員会が子供を見捨てることは明らかに自らの理念に反する。ところがその理念に反することを、この目の前にいる委員会の委員長が言ったのだ。一体自分の信じていたものは何だったのだ、結局委員長は子供の純粋さなどどうでもよく、自分さえよければよかったのだ。これが自分の信じていたものだったのか。秋浜の中で何かが一気に音を立てて崩れ落ちていった。裏切られた、そういう思いが憎しみとなってふつふつと湧き上がっていった。その瞬間、秋浜は草薙を刺していた。秋浜はやっとすべての過ちに気づいたのだ。しかし時はすでに遅かった。その瞬間にヌースのメンバーが突入し、澄香の制止の叫びも聞かずに秋浜を撃ち殺してしまう。
終焉、そして回帰
別の所ではコドモ部隊とヌースがぶつかっていた。しかし今度は子供だからといって遠慮はなかった。某大国から密輸された武器によって一掃されてしまう。「何が子供の純粋さだ!」「そんなものにだまされないぞ!」そのような叫びが響く中、次々と子供が殺されていく。ヌースはついに何も武器を持たない子供が収容されている部屋にも侵入してしまう。そして澄香の制止の声も聞かずに無抵抗な子供を無残にも殺していってしまう。委員会は崩壊した。子供の支配する時代は終わった。これからは大人の支配する社会になるのだ。
しかし本当にこれでいいのか、本当にこれで皆が幸せになることができるのか。澄香にはとても皆が幸せになれるようには思えなかった。むしろ新たな不幸の始まりとしか思えなかった。澄香は旅に出ることにした。大人が支配するのでもなく、ましてや子供が支配するのでもない、子供と大人が共存できる場所を探して。