求婚
事前に王太子が見学すると伝えておいたため、サロンの参加者は皆、どこか緊張した面持ちでやってきた。
アレクは執務が片付き次第来るという話で、いつになるかはわからなかったが、アレクひとりで見てまわるよりも自分が一緒のほうが参加者も安心するだろうと思い、セシリアはアレクの到着を待っていた。
アレクは、皆がそれぞれに分かれてからほどなくして到着した。
まずは屋外の、射場、それから馬場を見学する。
射場も馬場も、アレクが現れたばかりのときは、緊張感が漂いざわついたが、屋外で開放的なせいかすぐに落ち着いていつも通りに戻った。
「皆、励んでいるな」春宮へと戻りながらアレクが嬉しそうに言う。
「はい、皆さん本当に楽しんでやっていらっしゃいます」
春宮内に移動し楽器を練習している応接室に来ると、部屋の外までヴァイオリンとピアノの音が漏れ聞こえてきた。
セシリアは邪魔をしたくなくて控えめに扉を叩く。
しばらくするとエドワードが扉を開けて迎え入れてくれた。
なるべく音をたてないように部屋に入り、アレクとふたり壁際に立つ。
ピアノの前にはヒルデガルト、その近くに二本のヴァイオリン――マルティナと比較的初めのほうから参加しているホーエンローエ子爵令嬢のルイーゼが音を奏でている。
弾いているのは簡単な練習曲をピアノとヴァイオリンで弾けるようにエドワードが編曲したものだ。まだまだ三人とも合わせるほどうまくはないのだが、お楽しみのためエドワードが作ってくれたらしい。
決してうまいというわけではないが、三人とも一生懸命、そして楽しんで弾いているのが伝わってくる。
短い練習曲が終わり、セシリアとアレクは三人に拍手を送った。三人は少し照れくさそうにお辞儀をした。そろそろレッスンも終わりということで、各々片付けはじめる。
ピアノのヒルデガルトが一番先に片付け終わり、おのずとセシリア、アレク、ヒルデガルトの三人で会話することになった。
「ヒルデガルト、随分セシリアの力になってくれているようだな、礼を言う」
「いえ、私はなにも。王太子妃殿下のご人徳のなせる業でございます」
儀礼的なものだとわかっているものの、こういうやりとりは落ち着かない。アレクはちらとセシリアに目をやって続けた。
「そんなにかしこまらなくてもいい。いつも通りに話せばいい」
「そういうわけにはいきませんでしょう」
「そうだな」
ふたりともセシリアと話すときと全く違うぴりりとした空気に、セシリアは少し大きな声で言った。
「そろそろ広間に移動しませんか。みなさんも戻ってくるころなので」
「お待ちください。王太子殿下にお聞きしたいことがあります」ヴァイオリンを片付けたマルティナがアレクに声をかけた。
「なんだ」
「殿下はどうしてセシリア様を王太子妃に選ばれたのですか。セシリア様に不満があるわけではありません。ただセシリア様は社交界に出ていらっしゃらなかったのでどういった経緯でお選びになったのかお聞きしたいのです」
「マルティナ」ヒルデガルトが諌めるように言う。
セシリアもアレクが怒るのではないかと危惧したが、アレクはあきれたように笑い言った。
「それはヒルデガルトのための質問か」
「いえ、私はただ……、セシリア様が選ばれた理由を知りたいと思っただけです」
「納得がいかない、といった顔だな。王太子妃は俺が決める。お前には関係のないことだ」アレクにピシャリと言われて、マルティナが息を呑む。
「確かに『王太子妃』であればヒルデガルトのほうが相応しいだろう。でも俺の『伴侶』としての王太子妃だと考えるとセシリア以外は考えられない」
アレクはそこで言葉を切り、少し間を開けて続けた。
「俺はセシリア・フォン・シーラッハを愛している。セシリア以外、王太子妃にするつもりはない。話は以上だ」
アレクはそれだけ言うと踵を返し、応接室を出て行った。
「マルティナ、あなたなんてことを」ヒルデガルトがマルティナを咎める。
アレクの気持ちはわかっていたが、他の人間がいる前で言葉にして聞いたのははじめてだった。セシリアは、じわりと顔が熱くなってくるのを感じた。
「セシリア様、王太子殿下を追いかけなくてもよろしんですか」イヴリンが言う。
「ええ、なんで」
「この場でああおっしゃるのは相当勇気がおいりになったと思いますよ。褒めてさしあげればよろしいじゃないですか」
「え」
「それにここにいらっしゃるのはセシリア様も気まずいでしょう。さあさあ」
イヴリンに押し出されるようにして応接室を出る。既に小さくなったアレクの背中が見える。追いかけるかどうか迷ったが、イヴリンの言う通りこのままお茶会に出るのも気まずいので追いかけることにした。
早足で歩いているアレクに追いつくため、全速力で走る。足音のせいか、ただならぬ雰囲気を感じたのかアレクがかなり早い段階で振り返った。
「なんで追いかけてくるんだ」ぎょっとしてアレクが言う。
セシリアはアレクに追いつき、荒い行きの合間に切れ切れに言った。
「追いかけ、ろ、と、言われたもので」
「それで追いかけてきたのか」
「それに、あのままあの部屋にいろと言うんですか」
「いや、居づらいのはわかるが俺についてくる必要はないだろう。気まずいのであれば自室にでも戻ればいい」
「部屋にはエッケハルディン子爵夫人がいらっしゃいます」
「なんでお前の部屋にエッケハルディン子爵夫人がいるのだ」
「マリアムと一緒にご夫君の服を仕立ててらっしゃいます。内緒で服をプレゼントしたいのだとか」
「お前の部屋でやる必要はないだろう」
「私の部屋にはマリアムの裁縫道具が色々と置いてあるので、都合がいいのです。マリアムの部屋はあまり広くないので」
「それはそうかもしれないが……セシリアがよければいい。セシリアらしいと言えば非常にセシリアらしい」アレクはため息をついてセシリアの手を取った。
「ちょうどいい、今から結婚の証書に署名してもらおう。かまわないか」
セシリアはうなずいた。言い合っていたときはなんともなかったが、こうして手を取られるとさっきのことが思い出される。
セシリアはアレクに執務室へと連れてこられた。
アレクは鍵のかかった抽斗から羊皮紙を取り出すと、セシリアの前の執務机に広げた。見てすぐに結婚の証書だとわかった。
「細部まで読んでくれ」
「はい」
セシリアは羊皮紙に書かれていることを読んだ。確かに以前アレクが言ったとおり、離婚するのは不可能ではないが大変そうだ。
「問題がなければ署名を」
「はい」
セシリアは躊躇することなく机の上の鵞ペンをとり、インクをつけて証書へと署名した。
「あとで証人にも署名してもらうが、そうすればセシリアは晴れて王太子妃だ。後悔は、ないな」
「はい」
アレクは笑みをこぼすと、セシリアが署名した羊皮紙を再び鍵のかかる抽斗にしまった。
「もうひとつ、セシリアに伝えたいことがある」
アレクがセシリアの近くに寄る。アレクはセシリアの左手を取ると片膝をついた。
「伏して請おう。どうか俺の妻になってくれないだろうか」
セシリアはひどく驚いた。はっきりと口に出して求婚されるとは思っていなかった。
セシリアは自分もしゃがむとアレクと目線を合わせた。考えるより先に体が動いていた。
「お前はどうしてそういうことを……」
「謹んでお受けいたします」
「いま何と」
「お受けします、と」
次の瞬間、セシリアはアレクに抱きしめられていた。セシリアはその勢いでしりもちをついた。
「悪い」立ち上がったアレクがセシリアを引き起こした。
「どうも締まらないな」
アレクの言葉にセシリアが笑う。繋いだ手が引き寄せられ、セシリアはアレクの腕の中にいた。アレクの唇がセシリアの頬をかすめる。
「好きだ。セシリア」
アレクの吐息がセシリアの耳朶を打つ。耳の奥で血潮が騒ぐ。
アレクが一旦離れ、再び顔が近付いてくる。セシリアは吐息とともに目を閉じた。




