王太子妃のサロン計画
セシリアは弓の稽古で久々にぐったりと疲れていた。
最近護身術では、ドレスで応用訓練を主にやっていたので体をしっかり使った訓練をするのは久しぶりだった。護身術で体力自体はついているはずだが、弓という初めてやることで気疲れもしていた。
イブニングドレスに腕を通したが、何もしていないのにかすかに震えている。
厨房には事前に、食べやすいように料理を切り分けておいてほしいと頼んであった。本当はあまり行儀の良いことではないが、自分でお茶を取りに行ったりするセシリアは厨房とそれなりの信頼関係ができていたので、今回は甘えることにした。
重い体でなんとか食堂へとたどり着き、前室の一人掛けの椅子へと腰かけた。姿勢を保っていられずに、椅子に体をうずめるような格好になる。
「随分疲れているな」
アレクに声をかけられ慌てて体を起こす。気を抜いていてアレクが入ってきたのに気付かなかった。
「すみません」
「いや、そのままでいい」アレクはそういうと、セシリアの斜向かいの椅子に座った。
「どうした、今日はお茶会ではなかったのか」
「そうなんですが、いろいろあって弓を練習することになって」
「ほう」アレクが楽しそうに言う。
「この間お話したと思いますけれど、ヴェンツェル家のブリギッテが初めてお茶会に来たんです」
「ああ」
「ブリギッテはお兄様がたと一緒に狩りに行ってみたいらしいんですけど、連れて行ってもらえないらしくて」
「だろうな」
「ご存知なんですか」
「ヴェンツェル兄弟はどちらも軍人だからな、知っている。妹に対して随分過保護だと聞いている。あいつらはただ妹が可愛いだけなのだろうがな。あんな兄が二人もいたら大変だろう」
「ブリギッテはお兄様がたとは仲はよさそうでした。ただブリギッテ自身も過保護だと感じているようではありましたが」
「そうか」
「それで先に狩りに必要な技能を身に着けてお兄様がたにお願いしてはどうかと思って、とりあえず弓を練習することにしたのです。ヒルダとマルティナも楽器のレッスンをしているのでブリギッテも好きなことをしたらいいと思って」
「それがどうしてセシリアまで弓の稽古をすることになったんだ」
「すぐに弓を教えてくれそうな人がオリガしか思いつかなくて、オリガに頼んだらそのまま捕まってしまって……」
「大変だったな」アレクはそう言うとセシリアに手を差し伸べた。
セシリアがアレクの手を取ると、アレクはセシリアを抱えるようにして椅子から起こした。
いつものエスコートと違って、近い。ほとんど抱きしめられるような形だ。
「あの、疲れてはいますがちゃんと歩けるので大丈夫です」
「そうか」
アレクは残念そうな声色の割に、あっさりと身を引いた。そしていつも通りのエスコートでセシリアを食堂の席へと案内した。
前菜から順に料理が運ばれてくる。どの皿の料理ももセシリアの頼み通り、ナイフを使う必要がない大きさに切り分けられていた。
「気が回るのはお前の良いところだが、もう少し頼ってくれてもいいんだぞ」
「では、ひとつお願いがあります。私のというよりヒルダの提案なのですが」
「なんだ」
「お茶会にもっと人を呼びたいと。気軽に集まれる場所が欲しいようです」
「気軽に集まれる場所か。セシリアが嫌ではなければ別にいいんじゃないか」
「私は別に嫌ではないです。今だってお茶会はやってはいますけど、各々好きなことをしているほうが主ですし、私は特別なことをしているわけでもないので」
セシリアの言葉を聞いたアレクはしばらく考えてから口を開いた。
「いっそのこと、来てもらったご婦人方に、家族に禁止されていたり、ご婦人がやるにはあまりいい顔はされないがやってみたいことをやってもらったらどうだろうか。お茶会というよりサロンのほうに近い感じか。セシリアに頑張ってもらわないとできないことではあるがどうだろうか。ご婦人方も王太子妃主催のお茶会ならば出てきやすいだろう」
「すごく素敵な考えだと思います。やってみたい、とは思いますが、私にできるでしょうか」
何もできないと思っていた自分が、いろんなことをやらせてもらって――やらされたこともあるけれど、大変でもあったが楽しくもあった。他の女性がやりたいことをやる手助けができるのならばやりたいが、学校を出て無為に過ごしていたセシリアには自信がなかった。
「講師は、こちらで探すことができるが、皆の様子を見て気を配ったり取りまとめる人間が必要になるだろう。セシリアはその役目をやればいい。大丈夫だ。今あの三人とうまくやっているのならば誰が来ても大丈夫だろう」
「そう、でしょうか」
「ああ、それにセシリア主催のサロンだ。セシリアの好きにやればいい。それにヒルデガルトや他の皆も力になってくれるだろう。ヒルデガルトとて親に秘密でピアノが習える貴重な場だ。潰されたくはないはずだ」
「わかりました。至らないところはあるかと思いますが、頑張りたいと思います。でも、よろしいんですか」
「なにがだ」
「もしも、来ている方のご家族に知られたら大変なことになるのでは」
「まあいい顔はされないだろうな。しかし本人達も知られたくない、そして春宮の使用人はお前も知っての通り、口が固い。漏れる可能性は低いと思う。問題は講師だが、これもきちんと選べば問題はないだろう。いざとなれば俺が責任をとる」
「それに、あの、随分寛大なようですけれど」
「寛大?」
「その、このようなことをしてもアレクに利がない、ように思うのですけれど」
セシリアは無礼なことを言っているという自覚があったので恐る恐る言ったが、アレクは笑いながら言った。
「俺は利のみで動く人間ではない、と言いたいところだが、利ならあるさ。一人でも多く味方が欲しい。言い方は悪いが餌で釣っているだけだ」
「そうですか」
「ただ支持を得たいというだけではなく、ゆくゆくは彼女たちの中から国務に携わる者が出てくればいいと思っている。手始めにサロンに来る人間にはセシリアに受けてもらったようなこの国に関する講義を受けてもらいたい。ただで好きなことができると思ったら大間違いだ」
「そのあたりはヒルダにも相談したいのですが、どこまで話したらいいのか」
「そうだな、それについては」二人の前に皿が置かれる。カスタードクリームの上にメレンゲが浮いたデザートだ。
「あとで話をしよう。今はこの一皿を楽しまなければな」




