ヒルデガルトとのお茶会
それからのセシリアとアレクは、普通に会話はするものの、どこかしら上滑りしたものだった。セシリアは、わだかまりを抱えたまま過ごしていた。
そんな中、セシリアは考えた末、アンヴァルを春宮に引き取ることにした。
アンヴァルが春宮にやってくるころ、ヒルデガルトとのお茶会が催されることになった。
お茶会は午後からだというのにセシリアは朝から落ち着かず、何度も部屋の設えを確認したり厨房を覗いたりした。
アレクも落ち着かない様子でなかなか王宮に行こうとしないので、セシリアは厩まで一緒に行き出かけるのを見送った。
この調子だとお茶会の最中に戻ってきそうだと思ったが、そこまでセシリアは止められない。アレクとヒルデガルトが顔を合わせてしまったらどうなるかわからないが、そのときはそのときだ。
落ち着かない気持ちで昼食をとり、早々にお茶会がひらかれる部屋へと移動した。
日当たりのいい応接室で、どこもかしこも美しく整えられている。
茶葉は最高級のものだし、茶菓子も宮廷料理人の逸品が出てくる。準備は万端、あとはヒルデガルトとどう対峙するかだ。
召使いは全員下がらせてセシリアがひとり落ち着かないときを過ごしていると、楽士のエドワードがやってきた。
エドワードは挨拶をすると早速ピアノの調律に取り掛かった。
「手を止めないでいいから少し話ができるかしら」
「はい、失礼して調律を続けさせていただきます」
「エドワードはヒルデガルト嬢と面識があるかしら」
「はい、最近ご無沙汰しておりますがベルンシュトルフ家には何度もうかがいました。ヒルデガルト様は殊の外ピアノがお好きで、よくご希望の曲を弾かせていただきました」
「そうなの。それはよかったわ。ところでエドワードは王太子妃選びについては大体の事情は知っているのよね」
「はい。承知しております」
「では、今日はどんな曲を弾くかはお任せします。難しいかもしれないけれど、その……険悪にならなければいいのだけれど、そうなったときにうまくピアノで助けてほしいの」
「承知いたしました」
セシリアはふうっと息を吐いて椅子に腰かけた。ヒルデガルトもそろそろ来るころだ。セシリアはもうひとつ息を吐いた。
「そのように緊張なさらなくとも、ヒルデガルト様は悪い方ではありませんよ」エドワードが声をかける。
「そう、そうね」
「なにか弾きましょうか」
「お願いするわ」
エドワードがピアノの前に座り、鍵盤に指を落とす。ゆったりとした明るい調子の曲が流れ始める。
相変わらず緊張しているが、心が和らぐ気がする。しばらくピアノを聞いていると侍女がやって来て、ヒルデガルトの到着を告げる。エドワードはピアノを止め、そのままピアノの前に座っている。
セシリアは慌てて立ち上がり、立っているのはおかしいかもと思い再び腰を下ろした。そして、やっぱり出迎えようと思い再び立ち上がり扉へ向かった。
静かに扉が叩かれる。
「どうぞ」
扉が開かれる。なぜか案内しているオリガの後ろに小柄な人影が見えた。
あまり人の容姿に頓着しないセシリアですらため息が出るような美しさだった。
人形のように小作りな顔にアメジストの瞳、白金に近い金の髪は頭の左右に結い上げてある。小柄で華奢だが、豪華なドレスに負けない華やかさがある。
「ヒルデガルト・フォン・ベルンシュトルフでございます。今日はお招きありがとうございます」
「セシリア・フォン・シーラッハです。ご足労いただきありがとうございます」
お互いに顔を上げると、ヒルデガルトの視線はセシリアを素通りしてピアノの前に座っているエドワードに向いた。
そのままピアノのほうへ向かい、エドワードに話しかける。
「エドワード!久しぶりね。最近はあまり呼べなかったのだけれど、今日はエドワードのピアノが聴けるということよね」
「はい、ヒルデガルト様。なんでもお好きな曲を」
「そう、じゃあ……ああ、でも決められないわ。曲はエドワードに任せるわ」
「承知いたしました」
エドワードが座り直し、穏やかなピアノの音が流れ出す。ヒルデガルトはしばらく聴き入っていたが、くるりとセシリアに向き直った。
「ごめんあそばせ。エドワードに会ったのは久しぶりだったから」
「いえ、ピアノ、お好きなんですね」ヒルデガルトの自由な振る舞いにあっけにとられたままセシリアが言う。
「ええ、貴女もピアノがお好きなの」
「はい、聞くのは好きですがあまり詳しくはなくて、エドワードも王妃殿下にご紹介いただいたんです」
「エドワードは最高の楽士のひとりよ。私が、その……夢中になりすぎてお父様に呼ぶのを禁止されてしまったのだけれど」
「そうだったんですね。今日はどうぞ思う存分聴いていってください」
「ええ、そうさせていだたくわ」
セシリアとヒルデガルトは席に着いた。給仕によってお菓子が運ばれて、お茶がカップに注がれる。
しばらくは天候や家族のことや当たり障りのない話をして、お茶とお菓子もある程度食べたところで、ヒルデガルトが言った。
「ふたりでゆっくりお話ししたいのですけれど、いかがでしょうか。エドワードは別ですけれど」
応接室の中には、ヒルデガルトとその供の者、オリガ、給仕が二人とそれなりの人数がいる。人払いをしてまで話したいこととはなんだろうか。
「私は別に構いませんけれど」いぶかしく思いながらもセシリアは承知した。
ヒルデガルトの供の者と給仕はすんなりと退室したが、オリガは明らかに不服そうな顔をした。そしてしぶしぶ出ていくときにセシリアにこっそりと耳打ちした。
「私が見た限り、鍛錬している様子もありませんし、武器を隠し持っているということもないでしょう。それに相手はセシリア様より大分小柄です。セシリア様なら絶対に勝てます」
「大丈夫、そんなことにはならないわ」
オリガを扉から押し出すように外に出して部屋に戻ると、ヒルデガルトはピアノのそばに椅子を移動させてそこに座っていた。
ヒルデガルトは戻ってきたセシリアをちらりと見たが、何も言わずただピアノに聴き入っている。
「本当にお好きなんですね」
セシリアはそう言うと、ピアノのそばに椅子を移動させて座った。セシリアとヒルデガルトは言葉も交わさずただピアノだけが流れていく。
セシリアははじめ、ヒルデガルトや父親であるベルンシュトルフ公の真意をいろいろと考えていたが、ピアノの音に身をゆだねているうちに考えることをやめた。なにか話したいことがあるならそのうち話すだろう。
それに、ヒルデガルトがピアノが好きだということはよくわかった。父親に禁止されているようだし、とにかくピアノが聴きたいのだろう。
長い間ピアノを聞いているうちに、日が傾き部屋が陰ってきた。ヒルデガルトはいつまでもピアノを聴いていたそうだがあまり遅くなるのもよくないだろう。ちょうど曲が終わったタイミングでセシリアはヒルデガルトに声をかける。
「あの、そろそろお時間が。何もおかまいできなくて申し訳ありません」
「いえ、私こそ随分長居をしてしまいました」
ヒルデガルトは立ち上がり、お辞儀をした。セシリアもお辞儀を返しながら、ずっと考えていたことを思い切って口にした。
「よろしければまたピアノを聴きにいらっしゃいませんか」
「よろしいんですか」
ヒルデガルトは戸惑ったような口ぶりだったが、薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるくらい上気していた。
「ええ、エドワードもまたよろしく頼むわね」
「もちろんです。妃殿下」
「よかった。またご招待いたしますね」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
ヴィクトルは気位が高いと言っていたが、セシリアの誘いにはすんなりと乗ってきた。それだけピアノが好きなのだろう。好きなことを禁止されるというのは辛いだろう。
次回のお茶会の約束をするという妙な成り行きになってしまったが、この国で一番力を持っているベルンシュトルフ家の令嬢と親しくするのは悪いことではないだろう。それに夢中でピアノを聴いているヒルデガルトを見て、セシリアはもっと聴かせてあげたいと思ってしまった。
セシリアは、ベルンシュトルフ家の豪華な馬車を見送りながら、次のお茶会でエドワードのピアノ以外にもなにかできることはないかと考えていた。




