ダンスのお相手は
それからルシアは二日置きに二回来た。
初回に聞いた通り、二回目のレッスンは複雑なステップを教えてくれた。
二回目と三回目のレッスンもとにかく必死で、あっという間に終わってしまった。
レッスンのない日も練習したのだがひとりではうまくいかず、とにかく覚えるだけで精一杯であまり上達したという実感はなかった。
ただ三回目のレッスンの最後にルシアと踊ったのだが、それは気持ちよく踊れて自分がすごく上達したように感じた。
ルシアが上手いからだというのは初心者のセシリアでもわかったが、それでも楽しかった。
「ありがとうございます。すごく楽しかったです」
「それはよかったわ。とにかく練習して、頭で考えなくても動けるようになってね。次はちゃんとパートナーを用意しておくから」
「はい」
最後にそんなやり取りをして終わった。
はじめはこんな歳から始めて、ちゃんとできるようになるのか不安だったが、なんとかなりそうなことも、ダンスが思いの外楽しいことも、セシリアは嬉しかった。
セシリアは広間の前まで来ると、聞き慣れない音がして、立ち止まって耳を澄ませた。扉の向こうからかすかにピアノの音が聞こえる。
誰かいるようだとそっと扉を叩くと、「どうぞ」とルシアの声が帰ってきた。
セシリアが中に入ると、ピアノを調律している見知らぬ男性とその側に立っているルシアが見えた。
「すいません、遅くなってしまって」
「大丈夫よ。折角だから伴奏があったほうがいいと思って。でもその前にピアノの調律がしたくて早く来ただけだから」
「そうだったんですか」遅れたわけではないとわかってほっとする。
「こちら楽士のエドワード。信頼できる人だから大丈夫よ」
「はじめまして、王太子妃殿下。今日はよろしくお願いいたします」エドワードが調律の手を止めてセシリアに挨拶する。
「こちらこそよろしくお願いいたします」セシリアもお辞儀を返す。
「調律をしているあいだに、少し復習しましょうか」ルシアはそう言うとセシリアの方に向き直った。「まずは基本のステップを」
ルシアの言葉の途中で扉が再び叩かれた。
「はい」ルシアが答えたあと、扉から入ってきたのはアレクだった。
「え」少し考えればルシアが依頼するパートナーはアレクであることは想像できただろうに、セシリアは自分でも意外なほどに驚いてしまった。
「そんなに驚くな」
「公務はよろしいんですか」
「大分落ち着いてきたからな、大丈夫だ」アレクはルシアの方を向くと頭を下げた。「義母上、今日はよろしくお願いします。エドワードもよろしく頼む」
アレクと面識があるらしいエドワードは笑ってうなずいた。調律が終わったらしくピアノの前に座る。
「さあ、早速はじめましょうか」
ルシアが言うと、アレクは腰から体を折り曲げ、右手をセシリアに差し出した。
「踊っていただけますか」
いつもと違いアレクに下から見上げられて、セシリアは戸惑う。ルシアを見るとただにこにこと笑っている。
セシリアは戸惑った末に、差し出された手に自分の手を重ねた。アレクはセシリアの手を握り直すと、セシリアの体を引き寄せた。
今から踊るだけだ、とわかっていても距離が近くて心臓が跳ね上がる。腰に添えられたアレクの手にどうしても意識が行ってしまう。息を大きく吸ってセシリアも左手をアレクの肩に置いた。
ピアノが流れ、ゆっくりと動き出す。
こんな落ち着かない気持ちのままうまく踊れるだろうか、と思ったのも束の間とにかく音楽に合わせて動くので精一杯だった。
途中でルシアが「足元を見ないで、アレクサンドルの顔を見て」とか「アレクサンドルにまかせて」などと言っていたが、とても聞ける状態ではなかった。
一曲終わり、一旦止まる。
「どうだった」ルシアがセシリアに聞く。
「すいません、練習はしたんですけどまだ覚えられていなくて」
「そうね、頭で考えなくても動けるようにはなって欲しいけれど、それより今日はアレクサンドルを信じてアレクサンドルのリードに身を任せてほしいの」
セシリアはルシアが言っていることが飲み込めず、ルシアをじっと見た。
「そうね、私と踊ったときはうまく踊れたでしょう。それは私がうまいからなんだけど」ルシアは笑って続けた。「パートナーを信じて身を任せることもうまく踊るコツなの。アレクは取り立ててうまいわけじゃないけどきちんとリードしてくれるから任せてみて」
「……はい」
「アレクより下手な殿方ももちろんたくさんいるわ。アレクとうまく踊れればある程度どんな殿方とも上手に踊れると思うわ」ルシアの目線がアレクに向く。「アレクサンドルにももう少し練習して欲しいけれど」
「はい、義母上」アレクが苦笑しながら答える。
「ではもう一曲」
ルシアがエドワードに合図を出すと、先程とは違う曲が流れ出す。
アレクがセシリアに手を差し出す。セシリアがアレクの手を取るとぐっと抱き寄せられた。さっきと同じことなのだがやはり鼓動が早くなる。
しかもアレクに任せろと言われてもどうすればいいのか。セシリアは下を向いたままアレクの肩に手を添える。
「セシリア」アレクに呼ばれてセシリアは顔を上げる。灰青の瞳と目が合う。「まだ信頼されていないのはわかってはいるが、どうか今だけは俺に任せてほしい」
信じられないわけではない。でも心がざわざわする。これはただのダンスの練習だ、セシリアがうなずくとアレクがふっと笑って、セシリアの手をとった。
とにかく何も考えないでアレクに任せよう。そう思いセシリアはステップを踏み出した。
一曲目は次にどう動くのか常に考えていてそれがより慌てる原因だったのだが、アレクに任せてみるとさりげなく誘導されていて次にどちらに動くのかがわかった。
ずっと考えていなくていいとなれば余裕も生まれる。周りを見る余裕ができたセシリアは、ルシアに言われた通りアレクを見た。
「ようやくこっちを見たな」アレクが嬉しそうに言う。
それがなんだかおかしくてセシリアも笑う。曲が終わり二人が止まると、ルシアが駆け寄ってきた。
「一曲目よりずっとよかったわ。なによりふたりが楽しそうでよかったわ」ふたりを抱きしめながらルシアが言う。「時間までどんどん踊りましょう」
ルシアの言葉で、アレクは再びセシリアの手を取った。