王妃のダンスレッスン
王妃にダンスを教えてもらう日はすぐにやってきた。
ヴィクトルのときもそうだったが、はじめての人に会うのは緊張する。
婚約式で会ったときは挨拶しか交わさなかったので、人となりは全然わからない。アレクの口ぶりだとセシリアに興味を持ってくれているようだったが、大丈夫だろうか。王妃が興味を持つような優れた人間ではないのだが。
セシリアは護身術でも使っている広間で王妃を待つ。
ドレスも持っている中で一番華やかなものを着てきたのだが、これでいいのだろうか。
カタリナのために誂えられ、マリアムが直してくれたドレスは体にはしっくりと馴染んでいるが、どこか落ち着かない。自分では選ばない濃桃色だということもセシリアを落ち着かない気持ちにさせる。
時間がないがやっぱり着替えてこようか、そう思っていると扉を叩く音がした。
「はいっ」慌てて返事をした声が上ずる。
扉がゆっくりと開き王妃が入ってくる。お付きの者もなくひとりだ。
「ごきげんよう、セシリア」
「ごきげんよう、王妃殿下」
王妃が先にお辞儀をしたので、セシリアも慌てて返す。セシリアのお辞儀も褒められることがあるが、王妃には比べるべくもない。
「今日はよろしくお願いいたします」
「そんなに緊張しないで」
王妃がセシリアの肩にそっと触れる。
「あと王妃殿下はやめて頂戴。アレクサンドルのことはアレクと呼んでいるのでしょう」
セシリアはうなずいた。呼んでいるのではなくて呼ばされているのです、とは言えなかった。
「私もルシアか、義理とはいえ母親になったのだからお義母さまとか、アレクサンドルは義母上と呼んでいるけれど」
王妃であるルシア妃は呼び捨てか、母と呼ぶことを提案してきた。
「ルシア様、ではだめですか」しばらく考えてセシリアは言った。
名前に敬称という形が、セシリアは一番呼びやすいと思った。
呼び捨てはもってのほかだし、ほぼ初対面で若くて美しい女性を母、と呼ぶのはセシリアには抵抗があった。
「そうねえ……まあいいわ。まだ会ったばかりだものね」ルシアはにっこりと笑って言った。
そして、ぱちんと手を叩くと「さあ、はじめましょう」とセシリアの手を取った。
はじめに基本のステップを教えてもらい、そのあとはひたすらその反復練習だった。
ルシアは意外と厳しく、ちょっと気が散って背筋が丸まると「背筋」と声が飛んだ。
護身術で以前より体力はついていたが、ヒールを履いて動き回るダンスはまた違う筋肉を使うらしく、終わったときにはすっかり膝が笑っていた。
「今日はここまでにしておきましょう。できれば練習しておいてね」
「……はい」セシリアがあがった息で答える。
「あとはもう少し複雑なステップをいくつか練習して、実際にパートナーと組んで練習しましょう。大丈夫、セシリアは筋がいいからすぐに踊れるようになるわ」
「はい」
「お疲れさまでした」
最後にセシリアはルシアに抱きしめられた。ふわりと花のようないい香りがする。
「ありがとうございました」セシリアは抱きしめられたまま言う。
はじめこそ緊張していたが、体を動かしているうちに緊張が解け、自然に受け答えができるようになった。ルシアはセシリアから離れると言った。
「今度お茶をしましょう。エフラムがあなたに会いたがっているのよ」
「エフラム王子ですか」ルシアの息子、アレクの異母弟のエフラム王子のことだろう。
「ええ、エフラムは成人していなくて、婚約式に参加できなかったの。すごく残念がっていたわ。義姉上にも早く会いたいと。春宮の生活に慣れるまでと待っていたけれどもういいわよね」
「はい、ぜひ」
「王宮に来てもらってもいいけれど、あそこは人が多いからこちらに来てもいいかしら」
「もちろんです」
「ありがとう。ではエフラムも連れて近々遊びに来るわね」
「はい、楽しみにお待ちしております」
「やっぱりかわいいわ」ルシアはもう一度セシリアを抱きしめた。「アレクサンドルのことをよろしく頼むわね。あの子は本当にあなたのことが大好きなのよ」
「……はい」セシリアは何と答えていいかわからず、ただ肯定した。将来はまだわかりませんとはとても言えなかった。
「まあ、初々しい。やっぱりかわいいわ」ルシアはセシリアを抱きしめる腕に力を込めたあとに離れた。「次のレッスンまでごきげんよう」
ルシアはそう言うと優婉と退出した。
すっかりルシアのペースだったが嫌ではなかった。受け入れられている、と感じたのも嬉しかった。
自分を王太子妃にしたのはアレクだけの思惑だったのではないかと思っていたのだが、少なくとも王妃であるルシアには認められているということはわかった。
なんとなく安堵したセシリアは壁に寄りかかりふうっと息を吐いた。