アレクの生い立ち
セシリアは寝支度を整えて寝台へと潜り込んだ。今日は護身術は休みだったし、昼寝もしたのでまだ眠くはない。
アレクを待つあいだに読もうと持ち込んだグザヴィエ憲章を開く。しばらく読んでいるうちに眠気が襲ってくる。
少しでも勉強しておこうと、グザヴィエ憲章にしたのがよくなかった。もっと面白い本にしていたら眠くならなかったのに、と思ったがもう遅かった。
半醒半睡の状態で気持ちよく横たわっているとアレクが寝室に入ってきた。
アレクは手に持っていた燭台をサイドテーブルに置くと、開きっぱなしのグザヴィエ憲章を閉じ枕元に置いた。
布団を直すとアレクの手がセシリアの髪を優しく撫でる。心地よくそのまま眠りたくなる気持ちを抑えて声を出した。
「アレク」アレクの手がびくりと震える。
「セシリア、起きていたのか」
「半分寝ていました。すみません」
「いや、俺が遅かったから」
「お話、聞かせてください」
セシリアは起き上がり寝台の縁に座った。ひとつため息を吐いてアレクも、寝台の縁に腰かけた。
「共和制にしたい理由だったか。俺は嫡嗣継承は問題の多い制度だと思っている。内訌や傀儡の危険性も高い。嫡嗣継承を改めるなら、いっそのこと共和制にしたほうがいい。俺なりに色々と考えて出した結論だ」
「はい」
王制を共和制にしたい、という途方もない考えのはずだが、アレクの説明は淡白なものだった。
二人の間に沈黙が流れる。気まずい沈黙で、セシリアがもっと詳しく聞こうと思った矢先、アレクが口を開いた。
「もう一つ、俺の母の話を聞いてくれるか。俺の母は俺が二歳ころに亡くなっている、弟を出産するときに。弟もその時に死んだ」アレクの実の母が亡くなっていることはセシリアも知っていたが、実際にアレクの口から聞くと背筋が伸びる。
「その後、二番目の妻は他国から嫁いできて半年持たずに離縁した。式で会った王妃は三番目の妻だ。見てわかる通り俺と十も変わらない。若いのによく父に付き合っていると思う。忍耐強い女性だ」アレクは振り向きセシリアを見て力なく笑った。
アレクより年若く、政治に関わらない女性であるセシリアは自国のこととはいえ王室に詳しくはなかった。今の王妃と王の間に、アレクと年の離れたエフレム王子がいるということくらいしか知らなかった。
アレクがどんな気持ちで話しているのかはわからないが、進んで話したいということもないだろう。
アレクは寝台の縁に腰かけていて、寝台の真ん中に座っているセシリアからは顔が見えなかった。
もっとそばで、できれば顔を見て話を聞きたいとセシリアはアレクの隣に腰かけた。肩と肩が微かに触れる距離でセシリアはアレクを見上げる。
アレクは若干戸惑った様子を見せたが、セシリアの方は見ず視線を落として話を続けた。
「俺の上には姉が五人いた。二人は幼くして亡くなって、存命しているのは三人だ。皆他国に嫁いでいる。母は都合七人の子を産んで死んだ。それほど体が丈夫ではなかった母の命は子に吸い尽くされたようなものだ」
「そんな……」
「この国の王位は嫡嗣継承と決まっている。国を継ぐのは、正当な王妃の第一王子でなければいけない。もちろん嫡嗣がなければ、側妾の子を養子にして嫡嗣とするという方法もとられてきたが、父に側妾はおらず、母しかいなかった。今だってそうだ。あの人は愛なのか執着なのか、ひとりの女性に固執する」
アレクはそこで言葉を切った。しばし沈黙が流れる。アレクは思い口を開き続けた。
「男子を産むまで子を産まされ、母は一体何を思っていたんだろうか。この王室では血は重い意味を持つ。俺はただこの血を捨ててしまいたいだけなのかもしれない」
セシリアは何か言おうと思ったが、なにを言っていいのかわからずアレクの袖口をそっと握った。
「お前のことを巻き込んですまなかったと思っている。父のことを誹りながら、俺自身、自分の大願も好きな女もどちらも諦められなかった。血は争えんな」
「それは……」
「嫌だと思ったら、いつでも出ていってもらってかまわない」
貧乏ではあるし、ちょっとどうかと思うところもあるが家族には恵まれているセシリアにはアレクの気持ちは本当の意味ではわからない。でもセシリアは、共和制という考えがたとえアレクの私怨から出たものだとしても、きちんと自分で考えたかった。
「アレクが王制を廃止したい理由は大体わかりました。でもまだ協力するとは言い切れません。不遜な言い方で申し訳ないのですが、あなたが信に足る人間か確かめさせてください」
「かまわない。お前の将来を決める決断だ。慎重すぎるくらいで丁度いい」
「ありがとうございます」
「もう遅い。今日は休もう」
立ち上がり寝台に戻ろうとしたセシリアだったが、寝間着の裾を踏んでしまいバランスを崩してしまった。ぐらりと揺れるセシリアの体をアレクが受け止める。
「今日だけは許してくれ」
アレクの言葉が耳を掠める。セシリアが答える前に、アレクに抱きしめられていた。耳には自分のものかアレクのものか、ドクドクと早い鼓動だけが聞こえる。
長いのか短いのかわからない時間が過ぎ、アレクの唇がセシリアの頭頂部に押し当てられる。ふっとセシリアの体を包んでいた力が抜ける。
「おやすみ、セシリア」アレクはそう言うと奥の間に消えた。
セシリアはひとり寝台の中でしばらく眠れなかった。
アレクのいる奥の間からは物音ひとつ聞こえなかった。