マリアム参着
セシリアは自室で着替えると、フリードマンの授業を受ける部屋へと向かった。
昨日の続きの、国の歴史について授業を受ける。フリードマンの話は面白く、あっという間に時間が過ぎた。
食堂で昼食をとり自室に戻るとマリアムが待っていた。
「マリアム!」
駆け寄りたいところだが、体が痛くてできないのでマリアムにゆっくりと近付く。
「どうなさったんですか」マリアムの顔色が変わる。
「王太子殿下はそんなに非道い方だったんですか」
「まだわからないけれど殿下はそう悪い方ではなさそうよ」
「でもセシリア様は初めてなのにこんな扱いはひどすぎます」
「……ん?」
微妙に話が噛み合わない。眉根を寄せたマリアムの顔を見て、セシリアはようやくマリアムが何を心配しているか思い当たった。顔に血が上るのが自分でもわかった。
「いや、違うの。マリアムが心配しているようなことは何もないの。動きがぎこちないのは昨日体を動かしすぎて」
「体を動かしすぎて……」
「違うの、違うの。昨日、護身術を習ってね、オリガに」
セシリアは、斜め後ろに立っていたオリガの腕を引っ張り、自分の前に押し出した。
オリガは面食らいながらもマリアムに頭を下げた。
「セシリア様付きの侍女、オリガです。私は侍女の仕事が苦手なので来てくださって助かりました」
オリガの矛盾した自己紹介にマリアムが目を丸くしている。
「オリガは侍女というより護衛として付いてもらっているの。それで昨日オリガに護身術を習ってちょっと頑張りすぎてしまっただけなの」
「本当ですか」
「本当よ、ねえ、オリガ」
「はい」
「わかりました」マリアムは安心して息を吐くとオリガに自己紹介した。
「シーラッハ家から参りましたマリアムです。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」オリガは小さな声で言うと、部屋の隅に下がった。
「オリガは侍女の仕事に慣れていなくて、でもいい子だから。私付きの侍女はあなた達ふたりだけだからよろしく頼むわね」
「もちろんです。セシリア様」マリアムは笑って続けた。
「他にどんな方がいらしゃるかと思っていたので、その点に関しては安心しました。その、セシリア様は大公家の令嬢と言われて想像する感じと少し違うので」
「そうね。その点では、オリガでよかったと思うわ。でも、オリガは侍女の仕事にはあまり興味がないみたいだからマリアムが頼りなのよ」
「承知いたしました」
「そもそも春宮内は人が少ないのよね。移動していてもほとんど人と会わないし」
「あの、それは王太子殿下が召使いの数を減らしていらっしゃるのです。できることは自分でやるとおっしゃって」部屋の隅からオリガがおずおずと言う。
「あら、そうなの。どうりで全然人に合わないと思った」
「下働きの者はそれなりにいますが、従僕や侍女は数えるほどしかいません。執務も基本的には王宮でとられますので官吏がいることもほとんどないです」
「私にとっては大勢が出入りするところより過ごしやすくていいわ。オリガも用がないときには下がってもらってかまわないのだけれど」
「私は護衛ですのでそういうわけにはまいりません」ダメもとで聞いてみたのだけれど、予想通りの答えが返ってきた。
「そうよね。マリアムも下がってもらってかまわないわ」
「オリガさんがいるのなら私もいます」こちらも予想通りの答えだ。
「いたければいてもらってもかまわないわ。私は少し休むから、あなた達も楽にしていてね」
「はい、ここでレースを編ませていただきたいのですがよろしいですか」
「もちろんよ。うちにいるときにはやることがいっぱいあったものね。ここでは私の世話だけでいいから、マリアムも少しは楽になると思うのだけれど」
「ありがとうございます」マリアムは微笑んでセシリアに礼を言うと、オリガに向き直った。「オリガさんも一緒にどうですか」
「レース……編んだことないです」
「教えるから一緒に編みましょう」
「でも、私……」
「何かほかにやることでも?」
「それは、ないですが」
「じゃあ一緒にやりましょう。道具をとってきますね」そう言うとマリアムは部屋を出て行った。
ふたりだけになるとオリガが何か言いたげな顔でこちらを見てくる。
「いい機会だからレース編みをやってみたらどうかしら。意外と楽しいかも」
「でも手芸の類はやったことがありません」
「やってみてつまらなければやめればいいわ」
「……」
「急には無理だと思うけれど、侍女の仕事も楽しんでやってもらえないか、と思うの。アレクも護衛は保険みたいなものと言っていたし」
「護衛以外、やったことがないので」
「今から新しいことを始めてもいいんじゃないの。私も国の歴史に護身術にダンス、はじめてのことをいっぱいやっているの。オリガも一緒にはじめてのことをやってみない」
「う……」
「少し考えてみて」
オリガが押し黙ってしまい、沈黙が流れる。やがて、マリアムが戻ってきた。マリアムは、レース編みの道具をテーブルに広げる。オリガを座らせてマリアムはレース編みの説明を始めた。
オリガは戸惑いながらもマリアムの説明を聞いている。なにはともあれ、やる気にはなってくれたようだ。
何もしない状態で部屋にいられるのは落ち着かなかったので、少しは過ごしやすくなるといいと思いながら、セシリアはソファに置いてあるクッションにもたれかかった。