表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第壱話



 盆休みを利用して久しぶりに帰って来た地元には、相変わらずゆっくりとした時間が流れているように感じた。


 蝉たちによる合唱、小川のせせらぎと風の囁き。

 どこまでも続くような青い空を白い入道雲が泳ぎ、懐かしい気持ちが溢れてくる。



 二度と帰らないつもりだった故郷。こんな田舎の町で過ごした記憶など忘れてしまおうと思っていた。

 そのつもりが、この景色に懐かしさを覚えるようになったという事は、それだけの年月が経過したという事、そしてあの忌まわしい記憶を少しは乗り越えられたという事だろうか。


 ――しかし、僅かながら未だに鈍い痛みを感じる。

 胸に刺さった棘は抜けても、傷跡は残り続けているようだ。



   ◇ ◇ ◇



「もしかして……たっくん?」


 呼びかけられて、ピタリと足を止めた。

 振り返ると、そこにはベビーカーを押す一人の女性が呆然と立ち尽くしている姿があった。



「え……? 本当にたっくん? 帰って、来た……の?」


 帰って来ちゃ悪いのか――と、上京する前の俺ならば怒号を上げていただろう。しかし、今はどこか”あの事”すら当たり前のように受け止めている自分がいて、思っていた以上に冷静でいられた。


「うん。まぁ、偶には実家に顔出そうかな……と」


「そうなんだ。久しぶり……だね」


 

 ぎこちなくも紡がれたその言葉に「そうだな」と短く応えた後は、お互いに無言だった。

 夏の日差しが降り注ぐ中、しばし見つめ合った俺たちを生温い風がそっと撫でる。どこか現実味のない妙な感覚だった。


「……じゃあ俺、もう行くから」


「ま、待って!」


 踵を返した俺を引き留める大きな声が夏空に木霊した。

 僅かな静寂の後、その声に驚いた赤子が泣き出した。女性は慌ててベビーカーから赤子を抱き上げると「ごめんね」と謝罪を述べてあやし始める。


 赤子をあやしながらも女性は俺を繋ぎ止めるように視線を注ぎ、やがて決意を固めたように口を開いた。


「今日の19時に、喫茶店“森の隠れ家”へ来てほしい」



   ◇ ◇ ◇



 ベビーカーを押していた女性の名は【千夏】という。

 俺と千夏は所謂、幼馴染という間柄であり、幼稚園から高校まで同じところへ通っていた。

 

 実家のある故郷の町は結構な田舎で、過疎化している分、学校の数も極端に少ない。

 小学校までは3km、中学校までは5kmの道程を徒歩や自転車で登校しなければならず、家が近所の俺と千夏は、ずっと登下校を共にしていた。

 家の徒歩圏内に住んでいる同年代の子供が千夏しかいなかったのだから、これは必然と言えた。



 物心付く前から一緒だった事もあり、千夏は俺を“たっくん”と、俺は千夏を“ちーちゃん”と愛称で呼び合っていた。

 その呼び方は中学に入るまで続いたが、ある日、中学の友人に揶揄われた事が切欠で、俺はちーちゃん呼びを止め、千夏と呼ぶようになった。

 今思えば、この些細な出来事が分水嶺だったのかもしれない。



 俺たちが中学の卒業を控えた頃、千夏から唐突に相談を持ち掛けられた。


「私、和也くんから告白されちゃった……」


 その言葉は恐ろしく俺に焦燥感を抱かせた。和也は俺の友人であり、以前“ちーちゃん”呼びを揶揄ってきた男友達だ。

 和也は悪い奴ではないが、少々軽薄なところもある。以前「DTを卒業してくるぜ!」と女性目的で都会へ行った事もあった。結局は「服装がダサい」と門前払いを受けたらしいが。

 

 その後は「俺の恋人はサッカーボールだけだ」と公言してサッカーへ夢中になっていたはずだが、その和也が千夏に告白したと言う。


 この時、俺は初めて自分の慢心に気が付いた。

 千夏と一番親しい距離にいた俺だが、その立ち位置がいつまでも続くとは限らない。そんな当たり前の事にすら気が付かなかった俺は、初めて千夏と疎遠になる未来を想像したのだ。


 その未来を思い浮かべると、とても憂鬱な気分になった。


 急な雨に降られ、雨宿りしながら話した思い出。野良犬に追いかけられ、二人で泣きながら帰った思い出。いたずらして怒られた時も、楽しかった時も、いつも隣には千夏がいた。

 もし千夏が俺の隣から去ってしまったら……そう考えると、胸が張り裂けそうになった。



「千夏……。和也とじゃなくて、俺と付き合ってくれないか?」


 気が付けば俺は千夏を肩に手を置き、そう訴えかけていた。

 千夏は瞳を揺らして逡巡した後、ゆっくりと頷き、一言「うん、そうする」と呟いた。


 俺はこの時、千夏に告白した理由が彼女への恋心によるものなのか、それともただの独占欲だったのか、それすら正しく理解できていないほどに子供だった。

 俺の告白に頷いた千夏の本心はどうだったのだろうか……。




 その後、付き合い始める事になった俺たちだが、長年沁みついた幼馴染としての関係性は高校生になってからも変わる事はなかった。

 家から駅までの道程を二人で歩き、学校に着いてからは別々に過ごすものの、帰りの電車はやっぱり一緒で、今日あった出来事を語り合いながら二人で家に帰った。



 ずっと続くと思っていた千夏との関係。

 少しずつ幼馴染から恋人へ、そしていずれは結婚して家庭を持って……そんな漠然とした考えを抱きながら、何一つ行動を起こさなかった報いなのだろうか。




 ――千夏が和也の子を妊娠した。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] > 胸に刺さった棘は抜けても、傷跡は残り続けている。 この表現、しびれます(^^) 棘が抜けているからこそ冷静に対応できてるけど、傷跡は治りきっていないんですよね。 [一言] 新作ありが…
[一言] ベビーカーではなく乳母車?
[一言] 暇つぶしというか、私の中ではこだわりシンドロームさんの作品を読むのは、もはや義務と化しています(笑) 文章が綺麗で読みやすいし、内容も引き込まれる面白さがあって、安心して楽しめるんです。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ