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記憶

 目覚める度に、何もかも忘れられたらいいのにと、いつも思う。

 だが今日は違う。今日は……忌々しい何もかもを捨てて行くんだ。


 この家を出る。


 ここ数年、呪うように…念じるように何度も繰り返してきたその言葉。今日はそれを現実とする日だ。




 錠之内 晃(じょうのうち ひかる)。それが僕の名前。

 平々凡々な家庭に産まれられたならどんなに良かったか。

 錠之内家は、酒造と貿易で財を成した宮本財閥の分家筋に当たる。今の当主は大層なやり手で、元々旧家として名を残していた宮本財閥を日本のトップ企業にまで成長させた。

 そして本家の当主争いでボコボコに蹴落とされたのが僕の父。その父が婿入りしたのがこの錠之内家である。


 腹一杯を超えて吐きそうなくらい設定が山盛りだが、ややこしい話は続く。

 というのもこの錠之内家も分家とはいえ由緒正しい筋柄で、具体的には代々に渡り神職を務め宮本財閥においても長らく高い地位を築いてきている。

 酒造において重要な水を生む山地、それを管理し山の神を祀っているのがウチの宮本神社。下手をすれば本家よりも歴史が古い。

 そんな分家に当主の弟が婿入りしてくれば、田舎の悪い側面を存分に吸収した若い娘が派手な勘違いをこじらせるのも道理というか。

 その勘違いした娘が僕の母でなければ。母の過剰な教育を僕が拒否していれば。宮本財閥の御曹司が失踪していなければ。両親の頭が狂ってなければ。

 僕は――――――。



 深夜。月のない夜だった。

 耳を澄ませて物音を探ると、襖越しに寝息が聞こえる。母の寝息が。激情が湧き上がってくるのを抑えて僕は布団を抜け出した。

 密かに契約した新しい携帯と僅かな荷物を持ち、隠してあった靴を履いて、庭に面した窓を開ける。油を差しておいたから音もしない。

 窓を閉じて。足音を出すな。駆け出すな。ここから離れろ。気づかれるな。

 庭を横切り草むらを掻き分けて進めば、すぐに山の入り口へと差し掛かる。振り向いた。

 そして、暗闇の中――――母の部屋に明かりが灯る瞬間を、見てしまった。


「~~~~~~~ッッッ!!!」


 理性は消し飛ぶ。僕は走り出した。

 夜の内に山へ身を隠し、山奥の管理小屋に用意したバイクで逃走する計画だった。國學院に通っている間に必死でバイトして資金も貯めてある。ネットの掲示板で情報収集も入念に済ませた。

 なのに、なのに。なのに、これか!!?

 遠くで女の金切り声がする。脳みそが泥になったような感覚。気が狂いそうだ。

 屋敷中の騒めきすらも聞き取れるような気がした。父の高笑いが聞こえたような気がした。


 走る。走る。走る。

 何度も何度も歩かされた。ここを将来お前が治めるのだと言われ何度も山中を引きずり回された。夜だろうが道から外れていようが、楽勝で走れる。糞くらえだ。

 例え山狩りをされようと僕より早くこの山を抜けられるはずがない。予定通りに管理小屋まで行って、バイクで山向こうまで行ってしまえば逃げられる。

 逃げられる。逃げられる。逃げられる。絶対。



 水が流れる音が聞こえる。もう渓流沿いまで走ってきたらしい。もうすぐ着く。

 木々の切れ間から麓を見下ろせば、いくつもの小さな明かりが虫のように暗闇を這っているのが見えた。追手だ。僕は息が切れるのも構わずにまた走った。

 山道沿いのガードレールが顔を覗かせる。その向こうが目指す場所だ。


 その目指す場所に。光が見えた。煌々と光る車のヘッドライト。

 絶望の光。


「………あ、」


 男2人の話し声が聞こえる。聞き慣れた声だ。聞き慣れてるってことはつまり、つまり。

 よろよろと後ずさる。バイクはもう見つかってしまっただろう。逃走用の荷物も。今持ってるのは山歩きに必要な最低限の装備のみだ。あれが無ければ、僕は。

 熱かった息が、身体が、どんどん冷たくなっていく。ただただ光から遠ざかろうと脚が勝手に動いて。

 それは一瞬だった。


 ジャリ、と荒い土くれを踏んだ踵が音を立てて。

 懐中電灯の光が木々の影を切り裂いて。

 逃げようと動いた足が、宙を踏んだ。

 もはや何の力も入らずに――――僕は落ちていった。


 ああ。こうなるのか。そうか。


 精一杯やってきた。あれをやれ、これをやれと幼い頃から多くの努力を要求されて。

 喜んで欲しくて、褒めてもらいたくて、認めて欲しくてそれら全部を素直に頑張り続けた。

 どれだけやっても満足されず。より完璧になるように、より良くなれるように。それがお前の為になるからと言われ納得してきた。

 そうやってあの女の意向に従って生きて。示された目標地点が「財閥の頂点」だとかいう下らないものと知った時に、今まで持ってきた希望やら欲求やら努力やら、何もかもが忌むべきものへと変わって。

 父からはっきりと「お前のやらされてることは無意味だ」と告げられてからは、この地獄から抜け出すことだけを考えてきた。

 僕を取り巻く何もかもが醜く見えて、そこから抜け出したくて足掻いてきた。

 手の平の上で踊っている振りをしながら自分にとっての希望を探した。

 僕を優秀な人間に仕立てようとする狂気を逆手に取って進学への道をもぎ取った。進学してからは金を稼ぎ、友人を得て、絶縁する方法を調べ、入念に計画を練って。

 そして()が居なくなって。連れ戻した僕を本家に売り込みに行く狂った女の背中を見ながら、やはりここから逃げなければと決意した。

 今日、僕の人生が僕のものになるはずだったんだ。


 それが、こうなるのか。

 長い長い走馬灯を終えて目に映ったのは、綺麗すぎるほどの星空。

 落ちてるなぁ。

 この下は渓流の岩場だったはずだ。高さも結構ある。確実に死ぬ。


 ていうか、死なせてくれ。


 それが僕にとっての救いだから。



 汗にまみれた身体へ、風が吹きつける。

 水の音がもう……すぐ真下で鳴っていた。

 鈍い衝突音と共に硬い岩場へ打ち付けられる。


 そうして、僕の人生は終わった。


応援よろしくお願いいたします。

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