プロローグ
ボクって、なんだろう。
ずっとあったモヤモヤした何か。
あたたかくて狭くて安心するところから、広いところへ出てきたとき。ボクは何だかこわい気持ちになっていっぱい泣いたのを覚えている。
周りにいた人たちも、涙を零しながら笑っていた。中でもキラキラつやつやの髪をした男の人と、頭に変なものを付けた女の人の2人はいっぱいいっぱい笑って、泣いていた。
ボクはその2人に抱き締められて、身体がはち切れそうなほどの感情に溺れて、やっぱり泣いた。
上手く身体が動かなくてモゾモゾしてる間、何度も2人はやってきて何かをボクに話しかけてくる。
いつも2人は嬉しそうで、ニコニコしていて、ボクはそんな2人を見る度にいっぱいになって。泣いてばかりいたけれど2人は困ったようにしながらも、幸せそうにしていた。
フワフワした意識の中で、これが「お父さん」と「お母さん」というものだと理解していく。
あっという間に起き上がれるようになって、動きまわれるようになって。だんだん意識もハッキリしてくる。
「メイド」のルシーシャはたくさんボクに話しかけてくれた。分かる言葉と分からない言葉があったけど、周りの様子と合わせて色々考えて、ボクが何なのかが分かってきた。
どうやら父様は偉い人らしい。「ランダリア」の王様なんだとか。そして母様は、「3番目の妃さま」。ボクは4番目の王子様で、末っ子だって。
ボクが王子様なのだと分かった時、なぜかすごく悲しくなった。相変わらずワンワンと泣くボクの声を母様は猫のお耳で聞きつけて、優しくあやしてくれる。
長い尻尾をフリフリさせて笑わそうとしてくる母様が、ボクを抱き締めて跳んだりはねたりする母様が、なんだかとても心に沁みて。
やっぱりボクは切なくて泣いていた。
モヤモヤした何かが、苦しい苦しいと叫んでいる。
立って歩けるようになり、少しずつ言葉も話せるようになってきてやっとボクの泣き虫は収まった。
メイドのルシーシャは付きっ切りでボクのお世話をしてくれて、本を読み聞かせてくれたり色んなことを教えてくれる。
例えば、ボクが生まれたのは「ランダリア王国」で「運命神ディストリア」さまの国なんだ、とか。
この世界には沢山の神様が居て、運命神さまは一番新しい神様だとか。
ランダリア王国は「普人族」が長いあいだ求めていた拠り所で、普人族が一番多く暮らしている国なんだ……とか。
ボクは周りのことを知りたくて堪らなかったので、滝のように知識を流し込んでくれるルシーシャをとても有難く思っている。
あれは何、それはどういうこと、と質問ばかりのボクへ懇切丁寧に答えを教えてくれるルシーシャ。
どんどん知識を吸い上げ、年齢不相応に賢くなっていくボク。ルシーシャはいつも楽しそうというか、満たされたような顔をしていた。母様と同じくらいの歳だろうに、子供っぽいその表情が何だか愛らしい。
お仕事が忙しい父様は、ボクとルシーシャが仲良くしているのを遠目に見て悔し涙を流したという。
2歳になった頃、ボクはそれまで出してもらえなかった離宮から初めて出ることになった。
お城の大きな部屋に連れて来られて、たくさんの人に出迎えられる。
「みんな、お前の家族なんだぞ」と言われて凄く驚いた。人の多さにでは無い。「家族」という言葉にだ。
家族。かぞく。みんな笑っていて、ボクに興味津々の目を向けていて、嬉しそうで楽しそうで。
ボクもその一員なのだ、という。
それが……たまらなくなって、ボクはやっぱり、泣いてしまった。
「お、おいアルフ!アドルファーガス、泣き虫は治ったんじゃなかったか? 参ったなぁ…」
アドルファーガス。愛称が、アルフ。ボクの名前。
何度も何度も優しく、名前を呼んで頭を撫でてくれる父様と母様。
なんでボクは泣いてしまうんだろう。どうしてこんなにも切なく、悲しく、堪らなくなってしまうのだろう。
この世界のことを教えてもらい、思考もはっきりしてきて、自我も出てきたのにやっぱり分からない。
ボクは一体、なんなんだろう。
それからボクは、ルシーシャと本を読んだり兄弟で遊んだりして、毎日をやり過ごしていった。
自分について考えると胸が苦しくなって頭が痛くなってくるから、やめた。
ボクの中のモヤモヤを忘れてしまえば、悲しい気持ちにもならない。
立派な王子様になるために頑張って、家族と楽しく暮らして、幸せな日々を過ごしていけばいい。
そうやってモヤモヤを奥の方へ押し込むようになって―――4歳の誕生日も通り越した、ある日。
唐突に、遠くの方へ遊びに行くことになった。
場所は王都の隣にある侯爵家。ボクにとっては知らない親戚のおうちだけど、良いところだって。
なんだか変な感じがした。イヤな感じ。行っちゃいけない気がしてくる。
でも、父様も母様も怖い顔をしていて……ルシーシャも一緒だ、って言われて。
ボクは仕方なくこっくりと頷いた。
ゴロゴロゴトゴト、車輪の音。
馬車はボクとルシーシャを乗せて進んでいく。
周りには騎士様が何十人も着いている。だいじょうぶ。なにも怖くない。
どんなに自分に言い聞かせても、何故だか身体が震えてきて、どんどんイヤな感じが大きくなってくる。
ボクの中のモヤモヤが頭の内側で呟く。気をつけろ。気をつけろ――――。
馬車の揺れが大きくなってきた。カーテンに細かい影が躍る。木の影だ。
森?ちがう、座席が傾いてる。山に入ったんだ。
ゴロゴロゴトゴト。ガタゴトゴロゴロ。
水の流れる音が、下側のずっと遠いところから聞こえる。川の音だ。
急に背中がザワザワした。
外が騒がしくなる。
「嘘だろッ!? さっきまで何も…警戒! 警戒態勢!! 何かが…獣だ! 獣が複数!! 馬車を…なッ!!?」
「ヘルハウンドだとっ!! なぜこんな所に…!!」
「命の神よ! 死の気配を払い、迫りくる大鎌を退け、がァアッ!!」
横殴りの衝撃が、馬車を襲った。一度、二度、三度。大きく揺れ、ガクンと急に傾き。そして。
「アルフさまッ、掴まって!! ……風の、風の神フロウツィーネさま!! 守りをッ、助けて! お救いくださいッッ!!」
「………!」
ルシーシャに抱えられる。身体が、フワリと浮くのを感じた。
世界が傾いている。落ちている。
高いところから落ちている。落ちたら、どうなる?
ボクは、ぼくは、あぁ――――――――……!!
僕は…それを知っている。