君と歩きたい町
翌日、藍子は会社のメールサーバーを何度も確認するが清彦からのメールは届かなかった。なんだ私に対する気持ちはその程度か。藍子は落胆する。しかし旧友として再会を喜ぶメールを送るのは当然の礼儀だ、それに七年前に誘いをすっぽかすと言う無礼を働いたのは自分なんだし、と自分に都合の良い言訳を並べて、藍子は自分から清彦にメールをしてしまう。
「星野清彦様
先日はありがとうございます。
マリイが表舞台で活躍出来るようになり、友人として喜びがひとしおです。
星野様におかれましても責任ある役職に就任なさったとの事、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
機会がございましたら近況など詳しく教えて頂けましたら幸いでございます。
鵜飼 藍子」
藍子は旧姓でメールを送った。藍子は帰宅途中の電車の中で返事を受け取った。
「鵜飼藍子さん
メールありがとうございます。私の方からメールを差し上げようと思っていた所でした。明後日には私は名古屋に帰ります。その前に一度お話をさせて頂けたら嬉しいです。急なのですが明日の夜などはご都合いかがでしょうか?このメールは携帯電話から差し上げています。携帯電話にメールを頂けたら連絡が取りやすいかと思います。
星野清彦」
お話をさせて頂けたら。清彦が私と会いたがっているという事か。藍子はどきりとする。しかし自分は既婚である。夫の知芳の顔が浮かぶ。
藍子は返信をせずに帰宅する。知芳はまだ帰っておらず、藍子は先に入浴を済ませた。湯船に浸かりながら高価なパックで肌を整える。
夕飯の支度が済んだ頃、知芳が帰宅した。
「大学時代の友達が上京しているんだよねー。明日みんなで会ってきていいかなぁ」
藍子は知芳の顔を見ずに言う。明日は排卵日直前で夫婦生活を持つには最適の日である。明日は家にいなよ、そう知芳が言ったら藍子は清彦と会わないつもりだった。
しかし知芳は
「行っておいで。俺も明日は遅くなる」
と言うのだった。もう清彦の誘いを断る理由はない。就寝間際、藍子はベッドの中で、
「明日は大丈夫です」
と返信を打った。清彦からのメールはしばらく来なかったので藍子はベッドサイドに携帯電話を置いて眠った。たかだか同級生からのメールなど寝ずに待つものかと思いながら。
翌朝、藍子はまず体温計を咥えた。寝起きの体温で排卵日が推定出来るのだ。藍子は体温を測定しつつ、腕だけを伸ばしてサイドテーブルを探り携帯電話を取った。
清彦からのメールは届いていた。
「ご返信ありがとうございます。藍子さんは何時に会社を出れますか?何処で待ち合わせをしたらご都合がいいでしょうか?」
知芳はシャワーを浴びていた。藍子は夫がまだ浴室から出て来ない事を確認してから、
「退社時間は六時です。会社からは新宿でも銀座でも行けますよ」
と返した。藍子はベッドから出て朝食の用意をする。普段は食パンを焼いておしまいだが知芳への疚しさもあり、コーヒーを淹れて目玉焼きまで用意した。
会社に向かう電車の中で藍子は携帯を開く。
「じゃあ新宿は如何でしょうか」
と清彦。
「新宿で大丈夫です」
と藍子は返信を送った。しかし藍子は通い慣れた高円寺を清彦と歩いてみたくなる。
「実は高円寺が気になって」
と追加でメールをした。返信はすぐに来た。
「僕も同じ事を考えていました。マリイのライブで卒業以来初めて高円寺に行き、バンドをやっていた頃に時間が巻き戻ったように感じました。高円寺でご飯でも食べませんか」