異世界、ファンタジー世界での暦、時間や長さの単位について
昨日、某サイトで”異世界の話を作っていて、いつも「時間の単位」で引っかかる”という記事を見かけました。
その方は既に結論に至ったようですので、私からメッセージを送るようなことはせず、私ならどう考えるか、どのような設定にすれば良いと思うかを、ここにまとめてみました。
これが、同じような疑問を持った事のある誰かの、何かの参考になれば幸いです。
ファンタジー世界、異世界の暦を論じる前に、そもそも私たちが現在使っている、キリスト教の暦はかなりおかしい。
1月1日の位置がおかしい。
一ヶ月の長さがおかしい。
一週間とか言う、そもそも暦とは関係のない、宗教的なものが重要視されている。
……と言ったところで、ほとんど方にとっては「へぇ……?」ってなものでしょう。
取り敢えずは、今自分たちが使っている暦も”正確な物”では無いとだけ心に留めて、そうであるならば、暦とは本来どうであるべきか、という話を書いて参ります。
☆”一年”と”一ヶ月”
どんな世界であれ、必ず存在する時間の単位があります。
それが”一年”と”一日”。
公転周期の一巡りが一年であり、自転周期の一巡りが一日であるという基本単位は、ほとんどの異世界小説でも変わりません。
恐らく、問題となるのは”一ヶ月”という単位だと思います。
勿論、全く気にせず一ヶ月と言う単位を使っている作品も多い。寧ろほとんどがそうでしょう。
ただ、それを疑問に思う方もいらっしゃるようです。
日本において「月」と言う言葉が使われている為、誤解される事が多いですが、太陽暦において”一ヶ月”を必ずしも月に連動させる必要はありません。
和風、もしくは中華風ファンタジーで、太陰暦、つまり「月の満ち欠けの周期で”一ヶ月”を定め、十二ヶ月で一年とする」と設定されているなら、それはそれで良いと思います。
では、本来の”一ヶ月”と言う時間の長さは、一体何でしょうか?
簡単に言えば、”一年”を十二分割した物、です。
「なんでやねん」とか言わないでいただきたい。
ちゃんと説明致します。
※”一年”の始まり
それには先ず、”一年”に関しての説明をさせていただきます。
キリスト歴は”1月1日”の位置がおかしいと最初に書きましたが、そもそも、1月1日がいつかなど、自由に決めても良いのでは無いかと思われるかも知れません。
ですが、ほとんどの場合、三つのパターンに絞られます。
春夏秋冬、季節の変化がある世界ならば、我々の地球と同じように、公転軸に対して地軸が傾いているはずで、登場人物たちがいる半球が恒星の方に傾いているのならば昼の時間が長い夏に、逆方向ならば夜の時間が長い冬になります。
よく解らないという方は、取り敢えず地球と同じと考えてください。
ここでポイントとなるのは、昼の長さ、夜の長さです。
公転軸に対する地軸の傾きは一定であり、その傾きが真っ直ぐ公転軸に向かうのは年に二回、昼が一番長い日と、夜が一番長い日。
日本でいうと夏至と冬至です。
恒星の周りを回る惑星の公転軌道にある夏至点、冬至点は地軸がぶれない限り一定で、恒星の中心を挟んで真反対になります。
そして、夏至点と冬至点の真ん中に、昼と夜の長さが丁度同じになる春分点、秋分点があります。
一般的に、一年の始まり、”1月1日”を何処に定めるかといえば、この内の冬至か春分が最適であると考えられます。
農耕民族にとっても、狩猟民族にとっても、冬から春、夏に向かって行く季節の方が始まりのイメージが強いからですね。
有名なところでは、ギリシャ暦が春分(牡羊座)から始まってます。
そして残るもう一つが、冬至と春分の中間点、日本でいうところの立春です。
日本では長らく太陰太陽暦と併用で太陽暦が使用されており、その基準となる日が立春でした。
立春からの三ヶ月が春で、その翌日が立夏、そこから三ヶ月が夏で……という風に続いていきます。
ファンタジー世界において、1月1日をいつに定めるかは自由だと思いますが、概ねこの三つ、冬至、立春、春分のどれかにしておいた方が良いと、個人的には考えます。
※”一年”は”十二ヶ月”であるべきか
一般的に、一年が十二ヶ月なのは、当然月の満ち欠けの周期が関係しています。
「最初に言うた事と違うじゃないか」とか思われるかも知れませんが、これは飽く迄切っ掛け。一年が十二ヶ月になった理由の一つです。
と言うのも、そもそも月の満ち欠けの周期は惑星の公転とは全く関係が無く、地球での太陰暦の一年は約354日で、太陽暦に対して約11日少なくなっています。
月の満ち欠けをそのま一ヶ月とするには不都合がありました。
ちなみに日本の太陰太陽暦では閏月が設けられ、十三ヶ月の年もあります。
個人的には太陰太陽暦はなかなか難しい暦なので、小説の異世界に導入するのは止めた方が良いと思われます。
話を戻して。
ファンタジー世界、異世界において、一年が十二ヶ月である必要は本来ありませんが、幾つかの点でそうした方が良いと考えられます。
先ず第一に、読者が判り易い。
これが本当に、第一番です。
次に、十二と言う数字の特殊性。
二で割れ、三で割れ、四で割れ、六で割れる。
これが地味に重要で、春夏秋冬の四季を三ヶ月ごとに割り振れます。
先に述べた一年の基準、冬至、夏至、春分、秋分を起点に分割するか、立春、立夏、立秋、立冬を起点にするかによって僅かな違いはありますが、一年を四分割出来るのは、暦の上では重要です。
一年を十ヶ月と定義すると、そうはいきません。
ちなみに、春分起点の場合、春分からが春で、立春起点の場合、立春からが春になります。
春分起点の方が気温を基準とした現代の四季と感覚が近く、立春起点の場合は日照時間、太陽の運行と関係が深くて、農業を考えるとこちらが合います。
どちらの歴を採用するにしても、春分の日にはお祭りがあるべきかと、個人的には考えています。
何にしろ、時間の経過を表現する上で、暦を四季に添わせた方が良いかと思います。
あ、二十四分割という手もありますが、月が多すぎるのと、やはり読者に合わないと思いますので、お勧め出来ません。
十二ヶ月で、二十四節気を配置するのはアリかと思います。
※”月”の名前
これはオマケ程度に。
公転周期を十二分割して”一ヶ月”を定めたとして、単に一月二月としても良いのですが、たまに”○○の月”なんて異名が付いたりしていますね。
代表的なのが、ギリシャ暦の十二星座。
これは見かけ上の太陽の通り道、”黄道”を十二分割して、十二の座を定めた物で、その”月”に太陽が居る座の代表的な星座を”月”の名前にしています。
単純に、春分から一ヶ月の間、太陽は牡羊座の方に居て、故にその”月”は”牡羊座の月”と成り、その次は”牡牛座””双子座”と続きます。
あと、物語の舞台となる土地の気候から名付けても良いですね。
水無月とか、無の字が入ってますがこれは連体助詞の「な」で、現代の言い方では”水の月”になります。
あと、某出雲の陰謀で誤解が蔓延していますが、神無月も”神の月”と言う意味で、神を祭る月、秋祭りの月です。
※”一年”の長さ”一ヶ月”の長さ
ファンタジー世界において、一年が365日である必要はありません。
それは現実の地球の公転周期に因るもので、変に拘りのある人だと逆に地球と同じなのはおかしいと感じてしまうでしょう。
同様に、一年を十二分割した”一ヶ月”の長さも、自由に変えて良い物と考えます。
だがしかし。
やはり、読者に馴染みやすいと言う理由で、”一ヶ月”は三十日前後が宜しいかと思います。
ご都合主義かも知れませんが、”一ヶ月”を30日に、”一年”を360日に定めるのが、一番簡単で理解が得やすいでしょう。
単純明快、これが一番。
☆”一日”と”一時間”
”一日”と言う時間はどんな異世界にも存在する、はず、ですよね。
では、その他の時間の単位はどうするべきであろうか、というお話です。
※二十四時間と十二時間
これまた、ファンタジー世界において、一日が二十四時間である必要は無く、”一日”を十分割すれば一日十時間になるし、三十五分割すれば一日三十五時間にもなります。
ただ、そうするメリットは多分ありません。
だけど、現実世界と同じ、一日二十四時間なのは何かおかしいという、これまた変な拘りのある方もいらっしゃる事でしょう。
単純に、一日を二十四分割した理由が、その世界に存在しなければ「そうである」のはおかしい。
そういう事だと思います。
そもそも、当たり前の様に二十四時間などと言われていますが、日本では一日十二時間でした。
勿論、その当時の一時間は現在の二時間分の時間が割り振られています。
ちょっと、ややこしいですね。
日本では十二支を年、月、日、時にそれぞれ割り振っており、一年を十二分割したのと同じように、一日も十二分割して干支で表していました。
午前零時が子の刻で、午後の零時が午の刻。
現在でも、午後零時を正午、その前を午前、後を午後と言いますね。
皆大好き丑の刻参りも、この十二支を利用した十二時間表記から来ています。
時間の表し方で、十二時間制をとる利点は、”月”と同じです。
即ち、二で割れ、三で割れ、四で割れ、六で割れる。
”一日”は”一年”よりも分割して使用される事が多くあります。
昼と夜の二分割は元より、それを更に午前と午後に分けたり、二時間ごとに分けたりです。
少なくとも、五と二でしか割れない十を”一日”の時間にするべきでは無いと断言出来ます。
では、十二時間と二十四時間ではどうなのか、ですが。
二十四時間の起源は古代エジプトに在り、昼と夜をそれぞれ十二分割した事が始まりです。
……って、ここでも十二分割か。
結論、十二分割、最高。
二十四分割の利点は、八と十二でも割れる事、ぐらいかな?
日中を十二分割できる事が、一番重要かも知れません。
ただ、これを言っては台無しなのですが、やはり読者に馴染みやすくする為には、”一日”は二十四時間の方が良い様に思われます。
特に、作中で語られる「一時間」と言う言葉が表す時間は、読者が感じる一時間と同等で無ければ意味は無いと思うのです。
もし、「何故、異世界なのに一日が二十四時間なんだ」と誰かに問われたら、「この世界の賢者(もしくは神)が二で割れ、三で割れ、四で割れ、六で割れ、八でも十二でも割れるこの数字を、一日という時間を扱う上で適していると判断したからだ」とでも答えては如何でしょう。
※”分”と”秒”
小説を書く上で、是非とも使いたい単位が実は”分”と”秒”。
ですが、これも、異世界では有り得ないでしょうね。
時計でも存在しない限り、一時間を六十分割して”分”に、”分”を六十分割して”秒”にするなど不可能だと思います。
また、時計が存在する世界だとして、六十分割である理由が無ければ道理が通らない。
例によって「この世界の賢者(神)が……」と言っても良いでしょうけど、それよりも、”分”や”秒”頼らない表現を考えた方が無難かも知れません。
少なくとも近代に至り時計が普及するまで、一般人が一分一秒を認識して生活していた訳では無いでしょうから。
ちなみに、私の作品の”分”は一時(現代日本の二時間)の百分の一で七十二秒設定です。
”秒”は更に百分の一で0.72秒。
この設定が今後活かされるかどうかは微妙。作中に出てくるかすらも微妙。
そんなもんです。
※”一日”の始まり
普段は気にしないでしょうが、一日の始まりはいつでしょうか?
現代社会においては、一応深夜零時が、日付の境目となっています。
ですが、普通に生活する人々にとっては、朝日が昇れば一日が始まり、日が暮れれば終わる。
”夜”全体が、一日の境目なんですね。
と言っても、そんな漫然とした物ではいけない、と言う方もいらっしゃるでしょう。
そこで一案。
先の、一年の始まりと、一日の始まりを同期させるのは如何でしょうか。
冬至を一年の始まりと設定した場合、日没と日の出の中間点、深夜零時に当たる時間。
立春を一年の始まりと設定した場合は、深夜と日の出の中間点、寅の初刻、午前三時。
春分を一年の始まりと設定した場合は、日の出。
真ん中の、立春の場合は日本と同じ十二時間制が合います。
ただ、この十二支を使った時間表記は、午後十一時から午前一時までが子の刻になるので、現代人には馴染みにくいかも知れません。
午後十一時が子の初刻、午前零時が子の正刻、午前一時は丑の初刻、午前二時は丑の正刻、そして午前三時が寅の初刻……と言う風に続きます。
これも、和風、中華風なら、と言う所でしょうか。
☆年月日時、まとめ
個人的には、先にも書いた通り、一年、十二ヶ月、360日、二十四時間の設定が、一番馴染みやすいと思います。
一年の始まりは冬至に、一日の始まりは深夜零時に、それが、最も読者が混乱しない世界設定ではないでしょうか。
あ、言い忘れていましたが、現在使われているキリスト暦は、1月1日が冬至から十日ほどズレています。
なんでやねん。
☆単位、その他。
これも、オマケ程度に。
※長さの単位
長さの単位に関して、異世界にメートルと言う単位が存在するのはおかしいと、……これは私もそう思いますねぇ。
簡単に説明すると、一メートルとは地球の北極点から赤道までの長さの一千万分の一です。
異世界でこれは無いわ。
個人的お勧めする長さの単位は、やはり身体尺。つまり、体の一部を使って長さを測る方法で、一尋なんかが良いかと思われます。
単純に、成人男性が両手を広げた指先から指先までで、概ね身長と同じくらいの長さになります。
名前はお好みで、その世界観に合う名前を付ければ良いかと。
そこから、十分の一、百分の一、または百倍、千倍の単位を考えておけば、色々表現出来るのでは無いでしょうか。
定義としては、ある時代の王、もしくは大陸を制圧した初代皇帝の身長とか言っても良いでしょうし。
もう一つ、現実でもある有名な”足の長さ”、一フィートと呼ばれる物です。
日本の一尺とも近く、約三十センチ。
これも、十分の一にすれば一寸(約三センチ)、十二分の一にすれば一インチ(約二センチ五ミリ)になります。
ついでに言えば、一ヤードは三フィート(約九十センチ)。
一間は六尺(百八十センチ)。
基準となる人間の身長が百八十センチで、足の長さが三十センチ、右手人差し指の第一関節から爪先までが三センチだったりすると、話は早そうです。
単位の名前は適当に付けても、実際にある物を流用しても良いと思います。
ただ、メートルは無い(二度目)。
余談ですが、私は移動距離に関しては、成人男性が一時間で歩く距離(約四キロメートル)を単位として利用しています。
長さの単位と、距離の単位は分けた方が扱いやすいと思っています。
一般男性の平均的な一歩(もしくは半歩)で設定しても良いかもしれません。
※重さの単位
現実にはその地域で主食となる穀物の、一日に食べる量などが基準になっていたりします。
ポンドなんかがそれです。
同じ系統で、平均的な麦の重さ、米の重さを最小単位にするか、あるいは百粒の重さを基準にするか。
あとは、先の流用で、皇帝の体重とかでも良いんじゃ無いでしょうか。
身長百八十センチメートルなら、大体七十キログラムぐらいですね。
他には、ある宝物、例えば宝剣や王笏、王冠などの重さが基準だと定義すれば、自由自在です。
これも、世界観に合う適当な名前を付けて運用すれば宜しいかと思われます。
※お金の価値と単位
ほとんどのファンタジー世界では金貨、銀貨、銅貨が使われています。
基本的に金属を利用した硬貨は、その材料費と鋳造コストを合わせた価値を持ちます。
単純に、金貨を溶かしてただの金として扱うと、少し損する事になりますね。
当然、本物の金で偽造すると、同じくコストが掛かるので利益は出ません。
ここで問題となるのは、各硬貨に使われている材料の価値です。
金属の価値は、舞台となる世界、地域によって変化します。
ですが、一ゴールド、十シルバー、百カッパーを等価で扱うと、たぶん金貨が米粒みたいになりそうに思います。
そうかといって、一ゴールドを百シルバー、一万カッパーだとすると逆に行きすぎた感じになります。
それが分かりよいと思われるなら、それはそれで良いでしょう。「この世界においては金は銀の百倍の価値があるので、同じ大きさのコインに百倍に価値差が生じているのです」と言ってしまえばそれまでです。
ただ、個人的にはコインの大きさに差を設けるとか、大体五十倍程度の価値差でまとめた方が、それらしくなると思います。
古代ローマ、特に紀元元年頃の、平均的な一般人の日給はデナリウス銀貨1枚だったそうです。
当時の交換レートでは、アウレウス金貨1枚が、デナリウス銀貨25枚、アス銅貨400枚に相当したそうです。
アウレウス金貨は純金、デナリウス銀貨は純銀製で、基本的には同じ大きさでした。
サイズは、一円玉を少し小さくしたぐらい、でしょうか。
つまり、その当時は”金は銀の25倍の価値であった”という事になります。
もちろん、硬貨はこの三種類以外にも多数存在してます。
感覚的に、デナリウス銀貨が今の1万円札のような扱いだとしたら、五千円札や千円札、そして五円玉、一円玉に相当する硬貨が、やはり必要なのです。
ついでに言えば、皇帝が変わる度、金貨がごく僅かに小さくなったり、純度が下がったりしていたので、同じ「アウレウス金貨」と名付けられていても、アウグストゥス帝の物とネロ帝の物とで価値が違います。
先の交換レート1:25:400はアウグストゥス帝の時代の話ですね。
金貨・銀貨・銅貨の別ではないですが、後の時代にはお金の単位として、二・三種類が同時に使われるようになります。
日本で言う、円と銭、アメリカで言う、ドルとセントの様なものです。
ご存じの通り、これらは単純に1:100です。
中世、カール大帝が定めたお金の単位にリーヴル、スー、ドゥニエがあります。
スーがソリドゥス金貨、ドゥニエがデナリウス銀貨に相当し、リーヴルは本来重さの単位で、1リーヴルの銀が240ドゥニエの銀貨に相当しました。
単純に、1リーヴルが20スー、240ドゥニエになります。
これを各国が採用し、同じ比率でお金の単位が定められました。
以下にまとめますと、
(古代ローマ リーブラ:ソリドゥス:デナリウス)
フランス リーヴル:スー:ドゥニエ
イングランド ポンド:シリング:ペンス
ドイツ プフント:シリング:プフェニヒ
イタリア リラ:ソルド:デナロ
古代ローマ以外は1:20:240です。
ポンドは現在でも残っていますが、1971年以降は1ポンドが100ペンスに変更されました。
これはあくまでお金の単位で、各国で三種類の硬貨が使われていたという訳ではありません。
時代に合わせて、様々な硬貨が作られ、当然、その素材も、素材の価値も時代によって変わります。
オマケ的に。
以下、参考には成らないかも知れませんが、私の作品(和風ファンタジー)でのレートです。
単純比較として、日本円ならこれくらいという価値評価も入れておきました。
ご覧の通り、銀、銅貨は一匁(五円玉の重さ)ですが小判はかなり重くなっています。これは、単純に金が重いからで、小判が銀貨の五倍近い大きさがあるという訳ではありません。
銅貨は、正確には青銅貨です。
世界観の都合上、銀は貨幣では無く単純に重さです。
金貨(小判)の単位は両、銀の単位は匁(重さの単位)、銅貨(銭)の単位は文
ナマコ銀は銀を棒状にまとめたインゴットのような物。
金一両=(十二万円)=銀五〇匁=銅四〇〇〇文
銀一匁=(二四〇〇円)=銅八〇文
銅一文=(三〇円)
小判一枚の重さは4.8匁=18グラム
銀一匁、銅銭一文の重さは一匁、3.75グラム、五円玉と同じ重さ
ナマコ銀=四〇匁=一五〇グラム=九万六千円
言い回しなど、一部修正。
お金の話に書き足しを行いました。