万華鏡の間にて
見事な細工と光の魔術に見とれたのか、彼らの次の動作がかなり遅れたことに華は気付いた。
神殿に出入りできる魔物は限られていたようだから、ここの様子がどうなっているのか、人界には伝えられていないのかもしれない。あちらの神殿からは、転移陣を通して貢物は送られてはくるが、こちら側が何かを送ることはない。ここの内部のことは、今はいない『はじまりの王』の時代のものしか知らないのだろう。
総主教の隣には、案内役をまかせられたシンロク以外に、見たことのない人物が一人、立っていた。背が高くて髪が短く、真っ白な青年である。だが、一緒に来ていると聞いていた、白虎の姿がどこにも見えない。
「あれ、クリシュナは?」
華は声をひそめながら、後ろにいるジェイドに聞いた。
「あそこにおりますよ。」
華はもう一度、入ってきた人物をよく見る。
「もしかして、人型?」
「ええ。」
なんと、白髪の青年が人化したクリシュナだった。彼は、総主教の黒を基調とした、きっちりとした衣装とは対照的に、真っ白い上着を着ていた。金の縁取りのついた、マハラジャが着るような上着は、一つも前が留められずにはだけているため、立派な腹筋が丸見えだ。
ひぇっ。
華は、この間のことを思い出し、少し気まずくなって顔をふせた。まさかクリシュナが、あのように筋肉もりもりの、若いお兄さんだとは知らなかったのだ。もっとも、相手は魔物なので、本当の年はわからない。見かけ通りとは限らないのだ。教会で会った時は、真っ白な毛並みでもふもふな状態の白虎だったため、華は平気で抱きついたり、その毛並みをなでなでさせてもらったりしていたのだ。
ううむ。
知らなかったこととはいえ、あれは許されることだったのだろうか。さぞかしクリシュナも、華の行動に面喰ったことだろう。子供の姿だから、許してもらえるのかな?でも、クリシュナは華が本当は子供でないことを知っている。
華がそんなことに気を取られているうちに彼らの姿は近づいてきた。彼らは、華達の少し手前まで来ると歩みを止め、その場に跪いた。
「化け物!」
不意に近くから聞こえてきた声に驚き、華は俯いていた顔を上げた。思いもよらないものがそこにいた。
子供?
声は、幼い少女から発せられていた。こちらへ近づいてくるまで、ユリウスのマントの影に隠れていたようだ。顔を伏せていた華は、そんな小さな子供が二人の後について来ているとは思ってもみなかった。
子供は、跪いた二人の後ろに立っていた。つぎはぎだらけのワンピースの袖口が、ぼろぼろにほつれている。顔と手は、ここに来る前に洗われたのかきれいだったが、汚れた上にボロ雑巾のような服装から察するに、明らかに貧民の子供だ。あまり食料事情がよくないのか身体が痩せていて、目ばかりがギョロッと目立っている。
彼女は、どういうわけかユリウスのマントの裾を握りしめていた。怯えているのかと思ったが、そのわりにはどういうわけか勝ち誇ったような顔をして、華のほうを睨んでいる。何がしたいのだろう?
「何をする、やめなさい。君も跪き、頭を下げるんだ。すぐに無礼をお詫びして。」
子供がこのような行動をとるとは、彼も思っていなかったのだろう。ユリウスが背後にいた少女に手を伸ばし、身体を押さえつけようとしている。
華は、ここでそのような言葉を投げつけられるとは思ってもいなかった。ナーガラージャに庇護され、ジェイドに甘やかされ、どうやら気がゆるんでいたらしいと自分で少し反省した。
「化け物、化け物、化け物!」
「黙りなさい、わきまえるんだ。」
あまりのことに、ユリウスもクリシュナも困惑した顔をしている。だが、子供のほうはおかまいなしだ。どういうわけか、ユリウスの反応に力を得たように勢いづく。
「た、食べるなら、あたいのこと、早く食べればいいんだ!化け物なんて、怖くない。人の皮をかぶって、あたい達のことを騙そうったて、そうはいくか!化け物は、みんな死んじまえばいい。お前も、お前も、お前も!!化け物は、みんなみんな、死んじまえ!」
そう叫んだ子供は、何かを華に向かって投げつけてきた。
咄嗟のことに、華はびっくりして動けないでいる。華の背後にいたジェイドが素早い動きで華の前に移動し、いつのまに用意したのか、手に大きな丸い鏡を持ち、それを盾のように手前に突き出し、子供の投げつけたものを弾き返す。
「ギャッ。」
子供が蹲るように身体を小さくし、手で顔を抑えながらゴロゴロ転がる。
それまで人型だったクリシュナが、突然獣の姿になって動き出す。痛む顔を押さえ、ギャーギャー喚き散らす子供を太い前脚一本で制し、唸り声をあげながら子供の喉首向けて牙を剥く。
ジェイドは鏡をかまえたまま移動し、子供だけでなくユリウスまでも敵認定したかのように、油断なく彼らを睨み付ける。
叫び声をあげながら暴れていた子供は、目をむき、声を上げることを忘れてしまった。白虎姿のクリシュナが、目の前で今にも食いついてきそうな恐ろしい姿を目の当たりにしたせいだろう。声だけでなく、呼吸も忘れてしまいそうなほど、顔が引きつっている。
子供相手に大仰な、とも思ったが、この世界は魔物が人化したり、魔法が使えたりする世界だ。相手が子供であろうと、油断なく対処できなくては、護衛としての役割は果たせないだろう。華は自分の認識の甘さを再確認する。
ユリウスは再び姿勢を元に戻し、頭を垂れ、跪いたまま動かない。怪我をした子供に手を差し伸べようとはしない。
それもそうだ。彼が連れて来た子供が、カーデュアルの主の前でこのような騒ぎを引き起こしたのだ。これでは彼の本来の目的とは全く違うことで、ここを追い出されてしまうかもしれない。
追い出されるだけならまだいいだろう。だが、ここで人の世界の理屈は通用しない。殺されても文句は言えない場所であることを承知の上で、彼はここに来ているはずなのだ。
子供が押さえているのは右目のあたりだ。手に、血がついている。その側に、小さな石が落ちていた。
「無礼者!我の神殿で乱暴を働くなど、たとえ幼子であっても許さぬ!」
雷の落ちるようなナーガラージャの声が広間に響きわたった。今まで華が聞いたことのないような、怒りと苛立ちを含んだ声だ。いつもの穏やかさをかなぐり捨てた威圧感に、驚き目を見開く華の前から、子供の姿が煙のように消え失せた。
「え?何?」
華がナーガラージャの方を振り向くと、彼は眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
「ナーガラージャ、子供をどこへやったの?」
彼は、ふん、と鼻を鳴らした。
「知らぬ。なんという不敬で不愉快なものだ。」
「確かに、人に向かって石を投げるとか、よくないけど、相手は子供だよ。」
「当然の報いだ。もう我の土地にはおらぬ。人の地に追いやった。我の土地に出入りする者をどうしようと、我の勝手だ。我はそれを許されている。追いやっただけで、殺してはおらぬ。」
「ナーガ…。ここがナーガの土地だというのはわかっている。魔物達の領域なのだから、それを侵すほうが悪いことも。でも、あれは小さな子供で、どう見てもきちんとした教育を受けていないような貧民だった。言っていいこと、悪いことの区別もつかず、周囲の雰囲気や勢いで、わけもわからず誰かに言われたことを真に受けてやったりする、考えなしのただの子供。」
「そなたは、怒らないのか。化け物などと言われたのだぞ。」
「すごくびっくりした。そんなこと言われたの、はじめてだったから。私って、化け物だったんだ。」
「む、何を言う。そなたが化け物のはず、ないではないか。あれは我ら魔物のことを指して。」
ああ、また心配させてしまった。これではいけない。華は無理矢理、笑顔を作る。
「化け物って、魔物のことを言っていたの?でも、そのくせ人と魔物の区別もついていなかったよ、あの子。要するに、その程度の認識なんだよ。それなのに、あんなにはっきりと指さして人を化け物呼ばわりした。そんな風に言っちゃう根拠って何なんだろうね。」
「そなた、悔しくはないのか、あのように言われて。」
「相手のことをよく知りもしないくせに、あれだけ相手をののしることができるってすごいな、と思ったよ。無知って怖いな、って。私、そういうところが少しおかしいのかな?だけどあの子も森の中に入って怖かったのかもしれない。怖くて恐ろしくて、どうしていいかわからなくなって、そんな怒りを誰かにぶつけたかったのかも。私は大丈夫。私より皆のほうが怒ってくれたから、かえって冷静になれた。魔物のことを化け物だって言うのなら、その魔物と契約して、そこに寄生してる私だって化け物の仲間だよ。恩恵を受けておきながら、私が無関係なわけない。化け物の上前をはねてるんだから、化け物の上をいく化け物、さらにおおいなる化け物だよ。そうでしょ?でも、それはそれとして、さっきの子供のことで気になる事もあるんだ。どうしてあの子供がここに入り込み、あんなことを言い出したのか、理由を知りたかった。」
「森の入り口にある村の辺りに追いやった。あとは知らぬ。」
そう言って、ナーガラージャは横を向いてしまった。
「そう、ありがとう。」
弾き返された石が当たった程度で死ぬようなことはないだろう。一応、人里に転移させているのなら、そこで面倒を見てもらえるか…。
華もさすがに、人に石を投げてくるような者に対して、優しくする気にはなれない。ただ、ここがどういうところかわからなければ、見るもの全てを恐ろしく感じても仕方がないと思うのだ。
華も森に捨てられた時、そうだった。今にも獣が自分に襲いかかってくるのではないかと恐ろしく思った。だから、あの子供がとても怖い目にあったのだろうという事だけは理解できた。
石を投げられたのは華なのに、彼の方がよほど怒っている。ジェイドもまた、ためらうことなく動き、守ってくれた。
「ナーガ、ジェイド、守ってくれてありがとう。」
華が声をかけると、ナーガラージャは照れくさいのか、横を向いてしまった。ジェイドは、構えていた鏡をどこかへしまい込み、その場で姿勢を正した。だが、警戒はとくつもりがないようで、そのままユリウス達の側に立っていた。
クリシュナは、白虎姿から再び人型になった。なんとなくだが、神殿内では獣型だとはばかられるような雰囲気でもあるのかな、と華は思った。
少し落ち着いたところで、華はユリウスに声をかけることにした。
「それで、あなた方がここへ入り込んだ理由は?まさか子供を使って嫌がらせに?」




