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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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発動

『仕事が終わって屋敷に帰るから、俺を探している。もうすぐここに来る。』


 クリシュナの言葉に、華はあわてた。まだ本の中身を全く見ていない。影絵のような創世神話を見せられただけだ。ゲームのオープニングを見て、本編どころかチュートリアルにも入っていない程度だ。


 もっと中をよく確かめたいのに!


 考え込んでいる間に、かなり時間がたってしまったようだ。でも、人が来るなら、これ以上ここにはいられない。元々ここに来たのだって、ナーガラージャのところにもどる為だったのだから。


 華は立ち上がった。


 それにつれ、ブックも華が見やすい、丁度よい高さに浮きあがった。重い本を持つ必要はない。ブックは華にあわせてくれる。そんな特別感が少しうれしい。


 自分のためのブック。王のための、ブック。


 華は、黄金色の表紙をそっと撫で、ささやいた。


「もっと中を読んで、あなたのことを知りたいけれど、今は時間がないみたい。本当は、このまま持っていってしまいたいのだけれど…。」


 一度手にしてしまうと、離れがたかった。本好きの華にとって、読んでない本くらい魅力的なものはない。


 だが、勝手に持っていくことはできない。神のいないこの世界で、人々の信仰を集めているものを持ち出すなど、今の自分にはできない。自分はこのブックに認められた、この世界の王である、と素直に受け止められる無邪気さは、華にはない。王であることは決まったようなものなのに、覚悟もできていない。これを持ち出すためには、自分が王であると、内外に宣言できるだけの気持ちがないといけないような気がするのだ。


 持ち出すには重たすぎる物に対しての、逃避。よくわからない世界で与えられた重すぎる役目に対する、逃げだ。ボリス・ヴァルツァーレクのことを、役目から逃げたと責めたい気持ちがあったが、そんな自分だって同じように現実から目をそらそうとしている。せめて、このブックのレプリカでも用意できて、代わりにここに浮かせられるようになれたらいいのに。


「今はとりあえず、ここで私を待っていて。また、必ず来るから。」


 華は、考えをめぐらせる。ここからナーガラージャのところに帰らねばならない。土地勘も地図もお金もない、ないないづくしの華が帰るために必要なのは、転移する魔法だ。


 さっきは、石に触れただけでブックが発動した。意識して魔力を流そうとしたわけではない。全くそんなことを考えなくても、発動した。


 呼べば、応えてくれた。だから、心配はいらない。


 多分、華の身体をめぐるナーガラージャの魔力は、自分でもわからないくらい多すぎて、無理に流そうと心がける必要などないのだ。


 若干の未練がましさを残しながら、華は元から決めていたことを実行に移すことにする。やれると思えば、出来る。そのことを今は知っている。


 杖もなく、詠唱もなく、華はブックに触れたまま目を閉じ、ただ、心に思い描く。


 行き先は、ナーガラージャのところ。あの大きな洞窟。ごちゃごちゃに積み上げられた、金ぴかの上。


 ナーガラージャの姿。表情のイマイチわからない、あの顔。背の高さ、髪、目、尻尾、鱗、黒く大きな身体。


 その様子を、クリシュナの青い目だけが見ている。


『お前、まさか…。』


「私、ナーガラージャのところにもどるね。そばにいてくれて、ありがとう。」


 華はそう言うと、クリシュナから手を離した。


 異変は突然だ。ブックが発動し、ページが開かれる。ページに記されたインクの文字が、天井を飾るパピルスのような模様に映る。蒼い光が急速に広がり、聖ゲオルギウス教会の大伽藍を輝きに染める。光は蒼から眩しい白に。華の身体は煙のように変化し、金色の粒になっていく。


 どこかでガタン、という音がした。


 華は振り向く。


 ひな壇そばにある扉が開き、男が一人、こちら側の眩しい光に驚いたのか腕で顔を覆っている。クリシュナが、もうすぐここに来ると言っていた総主教、ユリウスだろう。


 発動したブックのページは開かれたまま、華の前で浮いている。


 華の身体は、足元から金色の粒子に変化し、煙のように立ち上っていく。魔法の光をまとい、運ばれていく華の欠片たち。


 眩しい光に目をすがめながら、ユリウスが驚きに満ちた顔で華を見ている。だが、もう遅い。もう、変化は止められない。華は、自らを髪の毛一つ残さず魔法で金の粒子に変え、煙のようなものになって移動していく。最初はゆっくり。そして、段々とその速さを増して。


 最後の欠片がその場から消え去ると、同時に建物中に充満していた光と魔法の気配は消えた。


 残されたのは、華の目線の高さに浮かび上がっていた『はじまりの王』のブック。


 ページは開かれたままの状態。表紙にはめられた石は燃えるように赤く光を放ち、そこにこめられた魔力量の多さを語っている。昼間のように辺りを照らすブックの石。


 開いた扉のところで、ユリウスは一歩も動けぬまま、呆然としていた。


 クリシュナが、のそりのそりと近くに寄っていき、立ちつくすユリウスの手をペロリと舐める。


 子供が、なぜブックを?


 ユリウスの中で渦巻く疑問。


 あのブックは、ただでさえ、触れる者を厳しく選別する魔法がかけられている。彼は今まで、『はじまりの王』のブックを使って魔法を発動させたものを見たことがない。魔境王は、戴冠式の時以外、そのブックに触れることすらしない。だから、そういうものだと思っていた。あのブックは使用できるものだったのか……?


 その、触れることすらままならぬものを使って、子供が魔法を発動させたという事実…。


 あの珍しい顔立ち、黒目、黒髪…。


 そのような顔立ちのものを、最近見た。でもあれは…。


 ページは未だ開かれたまま。宙に浮き、転移魔法を発動し終えたにもかかわらず、輝き続けるブック。


 ユリウスは、ひな壇の上に駆け上がり、震える手で、開かれたままのブックを手に取る。そして、ある予感を胸に、ページをめくった。


 長い指が文字の上をせわしなく滑る。気持ちがせいて、うまくページをめくれない。もどかしさにいら立ちながら、彼は捜していた文字列を見つける。


 総主教ユリウス・クロイツェルは、そのアメジスト色の目を見開く。ユリウスが見ていたのは、歴代魔境王の名前一覧。その最後の一列に、今まで記されていなかったはずの名を見つける。


『ハナ・ヤマダ』


 記されていたのは、新たなる魔境王の名前だった。





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