おおいなるもの
『はじめに、混沌ありき。
形を持たぬ、塵芥の類。
自らの意思を持たぬものども。
近くから、遠くから、旅路の果て。
川の流れの如く漂流する、純粋たる魔素あり。
魔境のはじめ、集うことを覚え、混り合う。
善でもなく、悪でもなし。
足ることを知らず、呑み込み、ただ膨張す。
おおいなるもの形作る。
時を経て、神なき世界に一柱となるも、神たりえず。
意思持て手足を伸ばす。
奪い、壊し、欠片を得る。
欠片ども、番いて増え、地に満ちる。
されど長き腕、淀み、腐臭を放つ。
はじまりの王、呼ばれる……。』
日本語の字幕らしきものがついているというのに、文章だけでは何がなんだかわからない。けれども、ホログラムのような舞台上で、影絵のようなものが映しだされているので、なんとなく意味は通じる。
これは、この世界の創世神話だ、と華は思った。
物語仕立てになっていて、音は無い。まるでロールプレイングゲームのオープニングムービーみたいだ。
影絵のように映しだされたものたちは語る。
何もない空間に、小さな塵の類が流れ着き、それらが互いに集まったり壊れたりしながら、次第に何かを形作っていく。
そうやって世界が生まれ、その中に、最初の純粋な魔素の素ともいうべきものがはいりこみ、次第にそれが意思を持つようになる。
意思をもったものは、様々なものを呑み込み、膨らみ、『おおいなるもの』と呼ばれるものになった。それは、神のいない世界で神のような存在となり、手足を伸ばし、色々なものを集めるようになる。集めて来たものによって地上は豊かになり、生き物が増える。
その一方で、増えたものによって『おおいなるもの』はどういうわけか淀んでいく。淀みに暴れ狂い、地に満ちたものを殺戮するようになる。正常と狂気の間で『おおいなるもの』は揺れ動くことになる。
淀みの原因は魔力を使うことにあった。魔素を取りこみ、魔力にし、それを元に生き物は魔法を使う。ところが、そうやって魔法として使うことで、魔素は少しずつ汚れをまとうようになる。放出された魔法は、また魔素として循環するため、塵も積もれば山となるように、淀むものになっていったのだ。
魔素が淀むため、生き物達への影響も大きい。しかも、『おおいなるもの』は元々、魔素そのものだ。それが淀み狂うことは、この世界が壊れていくことと同じだった。
知恵のある生き物は集い、皆で力を合わせて『おおいなるもの』になんとか対抗しようとするが、力の差は歴然としていて全く歯が立たない。沢山の生き物があちこちからかき集められ、増殖したというのに、生き物は激減してしまう。
淀みのせいで正常と狂気の間を行ったり来たりしながらも、『おおいなるもの』の動きは尚も止まらない。無意識のように手足を伸ばし、収集を続ける。
しかし、その一方で殺戮も止まらないため、このまま『おおいなるもの』はその世界と共に淀みの中に沈み、滅ぶかに見えた。
ところが、そこで『はじまりの王』が登場する。
『はじまりの王』は、魔素のない世界から連れてこられたため、元々の理が違う。地上に満ちた生き物と違い、その生き物は魔力を持たない弱い存在だった。あまりに弱かったのでこの世界に適応できず、すぐに儚くなりかけた。
登場してすぐに死にかけているものを目にし、『おおいなるもの』は大いにとまどった。確かにそれまでたくさんのものを殺してきた。しかし、自分が手にかけるよりも先に、勝手に死にかけているものは初めてだったのだ。
そこで、『おおいなるもの』は迷うことを知る。初めて生き物を殺すことをためらったのだ。迷いが生まれたことで、相手が全く魔力を持たない世界の生き物であることにも気付かされた。『おおいなるもの』の意識が比較的まともな時に、王が来たことも幸いしたのだろう。
『はじまりの王』は、相手の迷いにつけこみ、言葉で『おおいなるもの』を惑わせる。もっとも、華と同じく身体が石みたいに重くなり、死にかけていたのだから、その場から逃げることもできなかったのだろう。彼は知恵を巡らせ、『おおいなるもの』から力をわけさせることに成功する。それが、この世界の最初の契約だ。
『おおいなるもの』が力を分け与えたことで、『はじまりの王』は身体に魔力が循環するようになる。つまり、魔法が使えるようになった。
王は、その力をこの世界のものに分け与え、『おおいなるもの』の狂気に対抗することにした。そこで、最初に仲間になったものと契約を行う。
ところがここで、王は自分の特殊性に気づく。相手と契約をし、力を分け与えているはずなのに、自らの力は減らないのだ。普通、契約した相手は、分け与えたぶんしか使えないはずだ。だから、王が最初に『おおいなるもの』と契約し、与えられたものはそのままの状態で減らない。
一方の『おおいなるもの』は、最初に王に分けたぶんだけ減っている。王が他のものに分けても変化はない。
王の特殊性は、それだけではなかった。淀みを少しずつ解消する、浄化作用を持っていたのだ。
そこで王は契約を行い、自らの持つ力を分け与え、『おおいなるもの』を封じ込め、浄化を行うことにした。『おおいなるもの』は、元々が純然たる魔素だったため、滅ぼしてしまったらこの世界の理自体が狂ってしまうことになる。そこで、封じることにしたのだった。
『おおいなるもの』は現在、『ヨハネスの湖』の水底深くに封じ込められている。瘴気漂う真っ黒な水の湖。生き物はそばにおらず、飛ぶ鳥も落ちるような場所だ。
暗い水の底には巨大な青銅色の門があり、いくつもの頑丈な鎖と錠前がかけられ、そこに『おおいなるもの』が封じ込められている。
時々、その扉に隙間ができ、ゴボゴボという音がする。淀みが深まり、瘴気が吹き出される。『おおいなるもの』は封じられ、眠りについているようだが、淀みが増すと瘴気は大いに吹き出され、封印が破られる危険がある……。
物語のように繰り広げられたものは、それで全部だった。
影絵のようなホログラムはそこで動きを止め、幕がおりた。小さな劇場の舞台みたいなものも、すうっと影のように姿を消した。
食事前に感謝を捧げる言葉の中で、どうしてはじまりの王の名が、おおいなる者よりも先に呼ばれ、尊ばれるのかを華はようやく理解した。『おおいなるもの』は世界を作ったが壊しかけ、『はじまりの王』はその世界を救ったからだ。
魔境の王が、どうしてよその世界から連れてこられるのかは、だいたい華の予想通りだった。この世界のものに、魔素をきれいにできるものがいないからだ。だからこそ、王は招かれ、王として祭り上げられる。
ということは、ナーガラージャもどこからか連れてこられた?彼は自分の存在を、この世界に一つきりのものだと言っていた。『おおいなるもの』は、色々な生き物を集めて来たようだけれど、そこにノアの方舟の乗員を選ぶような法則はなかったのかもしれない。一種類の生き物につき、一つがいずつとか、そんな集め方はしなかったのだろう。
そんなことを考えながら、この世界についてそこまで理解したところで、あることに気がついた。
そう。気付いて、なんとも言えない気分になった。当り前といえば当り前なのだが。
この世界に、神はいないーーー。
教会があるのに、神は祀られていない。人々は祈りを捧げにくるようだが、すがるための神はおらず、王のブックがご神体のように空中に浮いている。
神のいない、寄せ集めの世界。その歪な世界は、放っておけば淀むばかりで自浄作用を持たず、よそから召喚した王でないと魔素をきれいにできない。
つまり王は、この世界の生殺与奪権を持っているということだ。呼ばれた王が浄化を行わなければ、世界は不浄に沈んでしまう。だからここの人は『はじまりの王』に祈るのか……。
人々は祈る。何のために?『おおいなるもの』が復活しないため?それとも、王に淀みを浄化してもらうため?
では、王は?
王は、誰に祈ればいい?誰が救うの?
華がブックを前に考え込んでいると、それまでずっと静かにそばで見守っていたクリシュナが、急に耳をそばだて、すっくと立ち上がった。
『ユリウスが来る。』




