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その大きくて古めかしい装丁の本は、最初から華の手の中にあったみたいだった。
「本当に、来た…。」
華は、その場にへなへなと崩れ落ちる。そして、百科事典のように厚い本を手に持ち、しばらくの間、馬鹿みたいに固まっていた。
古色蒼然たる黄金色の表紙。アストロラーべを思わせる模様。はめ込まれた宝石。
信じられなかった。
自分でその本を呼んだはずなのに、それがちゃんと、華の声に答えて動いたことが…。
ブックは、意思のある生き物みたいに、すうっと下に降りて来た。ちっとも迷うことなく、まっすぐ華の元に。さっきまで、宙に浮いていたことが嘘みたいに、しっかりとした重さを伴って、手の中にある。
さわることができた…。
自分で証明してしまった。こんな形で、はっきりと。
華の呼びかけに対してブックが応じたということは、自分が魔境王であること示す、何よりの証拠だ。
「本当に、私が王…。」
口に出してみても、まだ信じられない。ずっと、半信半疑だった。こんな自分が、なぜ選ばれのか、全くわからない。
でも、『はじまりの王』のブックが、自分の手の中にある。それが事実だ。
確定した。
華は、百一代目の魔境王なのだ。
浄化以外に、何をさせたかったのかは知らない。けれど、王という地位は、決して軽いものではない。好き勝手に過ごしていいわけないし、高い地位には義務が伴うものだ。できればそんな面倒なもの、やりたくない。そんなものを押し付けられても、とまどいしかない。
「はは…。」
乾いた笑いが力なくもれる。
華はこれから起こることに恐れを抱き、軽く身震いした。こんなことは、華の未来設計図には全くなかったことなのだ。
別に、特に何か夢があったわけじゃない。ただ、何かはっきりと、自分の力だけでできることがしたいと、漠然と思っていただけで。自分を捨てた親のようにはなりたくなかったし、黙って誰かの言いなりになるのもいやだった。
だから、半ばやけくそみたいに学歴にしがみつこうとしていたのかもしれない。それだけは、自分の努力だけで何とかなるものだったから。それなのに、それすら不可抗力で取り上げられた。
王のこと、魔法のこと。考えれば考えるほど、この両手に持つ本の重みが増す。喜ぶべきか、悲しむべきか。
あんな風に無理やり連れて来たくせに、ちっとも歓迎されたわけでもなく、当たり前のように契約しろと言われた。彼らにできないことを、王として呼ばれた者だけが行うことができるという、ただそれだけで…。
誰しもが、社会の中で、大なり小なり役割を分担しながら生きているのはわかっている。一人一人、小さな歯車となっているから、より大きな力を産むことができるのだ。でも、この世界の強制力によって、華に与えられた役割は、重すぎる。
魔法が使えることができれば、大きな力をふるえるようになる。子供みたいに、魔法使いになれることを喜べれば、どんなによかっただろう。使い方を間違えれば、それは人を傷つけるものにもなる。華の脳裏に、血まみれのヴィルの姿が浮かぶ。心しなくてはならない。
ナーガラージャと契約して、彼の魔力が華の中を通っているということは知っていた。身からあふれんばかりに魔力をまとっている、そう指摘されて初めてそうなのかと思うぐらい、実感はない。お守りのネックレスが、その魔力のおかげで働くのだと、やっと理解できた。
自分では意識していないのに、身体の中を魔力が通り、いつでも魔法が使える状態になっているという事実。ナーガラージャが華に向かって、収納するところを魔法で作れ、と言ったことも、魔力が通っている状態なら、決して無理難題ではなかったのだと、やっと理解した。
この本を使えば、もっと簡単に魔法が使える。アランやモリスのように。
『その真ん中の石の上に手をのせ、魔力を通せ。それで登録できる。』
ぼんやりとした表情でブックを見ている華に、クリシュナが教えた。
「ちょっと待って。魔力を登録するってどうやるの?」
『魔力を流せばいいだけだ。簡単であろう?』
なんてこともないかのように言ってくれる。それがよくわからないから、聞いているのに。
『こう、手を出して、ドバッと。』
どうやらクリシュナであっても、そういったことになると説明できないらしい。魔法のこととなると、皆、考えるな、感じろ、となってしまうのか。
太陽系の天体図のように並ぶ宝石の中で、一番目立つ大きな魔石。華は、少し震える手を伸ばし、恐る恐る太陽のような石に触れた。
すると石は、突然カーッと燃え上がるように赤々と輝きはじめ、周囲を昼間のように照らす。
華はびっくりして、思わず手を引っ込めた。
ブックは、華が何もしていないにもかかわらず、目の前で少しばかり浮き上がり、その金色の表紙を開いた。
開かれたページの上に、文字が浮き上がる。
「えっ?」
パラパラとページが勝手にめくり上がりはじめた。何が起こっているのかわからぬまま、ただ呆然とみつめることしかできない華。ブックは、とあるページで動きを止めた。
動きを止めたページの上で、蛍のように青白く光るものが螺旋を描く。淡い光跡。そのあとに、何か不思議なものが構築されていく。
ぐるぐると回る光。それはまるで、3Dプリンターが何かを作り出しているように見えた。柱のようなものが、姿を現した。立体的な、何か、建築物のような?
しかし、出来上がったものは建物ではなかった。それはなんと、その本の2ページ分の大きさの舞台だった。しかも、紙芝居の枠のようなものだ。ご丁寧に、表に幕が降りている。まるでドールハウス用に作られた舞台のようだった。
それも、実際に模型のような実物があるわけではない。実物がブックのページの上にのっているわけではなく、白黒フィルムを映写されているような感じだ。実体はなく、立体感のある3Dホログラムのようなものを見せられているようだ、と華は思った。
声もなく、じっと見ていると、舞台の幕がススッと左右に引かれていった。
まるで影絵のような白黒の世界。
舞台の下部に、一本のリボンのようなものが現れた。そのリボンの上に、文字が現れる。文字は二段になっていて、上段は全くわからない文字であったが、どういうわけか下段は日本語になった。華は驚きを隠せない。
何これ?字幕?
言葉が翻訳されているように感じる。音はなく、映像だけ。無声映画のように、何かを見せられている。
それは、物語が始まるように、はじまった。
最初の一文はこうだ。
『はじめに、混沌ありき。』




