コイン
それは、お金だった。
華はアランの顔を見る。受け取れない、と思った。彼は、大通りを行きかうからくり仕掛けの馬車に乗ろうとは言わなかった。それは多分、そんなにお金を持っていないからだ。
それでなくても華は、昨日、彼に助けられた。そのせいで、彼の呼び売りを邪魔している。確かに、売り上げはわずかなものかもしれない。けれど、お金さえ与えれば、簡単に子供をさらうのに加担する人がいることだって、華は身をもって知っている。
だから、頭をふった。アランが一生懸命働いて得たお金だ。
「駄目だよ、そんなの受け取れないよ。」
すると彼は、華の手をつかみ、無理矢理その手のひらにコインを握らせる。
「アラン……。」
「俺はね、君を助けてあげたつもりだった。でも、違った。俺が助けられていた。」
「え?でも。」
華は、あわてて否定しようとした。
「俺がどれだけ救われたか、君はわかってないよ。俺はね、実はちょっと諦めかけてたんだ。みんなに否定されたし、ちっともうまくいかなかった。意地になっていた。本当のところ、どうしようか迷っていたんだ。でも、君が俺の行き先に明かりを灯してくれた。君はね、俺がへこたれて、くじけそうになっていた気持ちを無くしてくれたんだ。もう一度、きちんと向き合って、最初からやり直してみようって、思わせてくれたんだよ。」
アランの言葉は、華の心にズシリと響いた。
それは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。
良きにつけ、悪しきにつけ、華の行ったことは、人の運命を変えてしまうことだ。えらそうに知ったかぶりの知識を披露して、焚きつけた。自分のしたことは、それだ。
「そんな顔、するなよ。俺は、すごく感謝してるんだから。できれば俺は、これからやろうとしていることを、君に手伝ってほしかったんだけど。」
そう言いながら、コインを握らせた華の手をギュッと握った。
「これは餞別がわりだよ。聖魔教会に入るには、香代か蝋燭代を払わないと。ほとんどの人が、そうする。俺達みたいな貧しい格好の人間は、何か悪さでもするんじゃないかって、警戒するやつもいるから、ちゃんと入口のところでお香か蝋燭を買って。それを持っているだけで、周囲は安心するもんだよ。」
華は、その言葉に唇をかむ。
「どうしてそんなによくしてくれるの?」
するとアランは、ちょっと鼻のところをこすりながら、照れくさそうに答えた。
「うーん、そうだな。妹がわり?でもないか。俺よりずっと、君の方がしっかりしてそうだし。まあ、少しだけ、俺に兄貴面させてくれよ。」
兄貴、か。
兄弟のいない華にとって、その言葉は面映ゆい。でも、華は見てくれは幼く見えても、中身は違う。そこで彼に聞いてみた。
「アランって、いくつなの?」
「ん、俺とジャックは二十二歳だよ。君は?」
は?なんですと?今、聞き捨てならないことを聞いたよ。まさかの年上?
「ジュウキュウサイです…。」
「そっか。」
なんだろう、この敗北感。年齢の数え方が違う?寿命が長いとか?なんだか納得がいかない。
「あの、つかぬことをお伺いしますが、成人は何歳で?」
「三十歳だけど?」
ううむ、そうか。やはり、育ち方とか年のとり方が違うのだ。成長速度が違うのかもしれない。そうなると、華の現在の身体のサイズは、こちらでは多少小さめで幼く見えるものの、それほどおかしなものでもないのだろう。
「ねえ、学校にはどうして行ってないの?」
それを正直に説明するのは、難しい。そこで華は誤魔化すように微笑み、自分のことは答えなかった。
「あのね、アラン。私、お兄さんの前では言わなかったけど、あなたは上級魔法を学んで、上の学校に行ったほうがいいと思うよ。」
「でも俺は。」
華は、アランに全部を言わせないまま、言葉を続けた。
「あなたが必要ないと思っているのは知ってる。でも、大変でも面倒でも、行くべきだと思う。立場や環境が変われば、自ずと見えてくるものが変わる。物事を下から見るのか、上から眺めるのか。そういった経験は、必ず将来、あなたの役に立つ日が来る。あなたが将来やろうとしていることにも必要だよ。あなたがやりたい呼び売りは、店の広告じゃなくて、事件や人の興味をひくようなことを記事にして書きたいのでしょう?だったら学べる時に、学んだほうがいい。幸いなことに、あなたのお兄さんはそれを援助してくれるのだから。」
アランは、ばつの悪そうな顔をしている。
「なんか、君に言われると、俺、聞かなきゃいけなくなるのは、なぜなんだろう。俺は、兄貴にいつまでも世話になりたくはないんだけど。」
「向こうは世話したがってるのだから、いいじゃない。お兄さんは、それで気がすむのだから、お兄さんも喜ぶ。そうやって時間をかせいで、自分の力を蓄えるの。そうすれば、文句もつけられなくなると思うよ。できればジャックも誘って、一緒に上の学校に行きなさいよ。」
「ジャックも?」
「そう。」
「確かにジャックは、金さえあれば勉強したいって言ってたけどさぁ。」
アランはこぼす。二人とも、上の学校に全く興味がないというわけではなさそうだ。
「餞別、ありがとうね。うまくいって、いろいろ落ち着いたら、必ずお礼に行く。ちょっと時間がかかるかもしれないけれど、必ず会いに行く。」
それを聞いたアランは、華の目をじっと見つめた。
「本当だな?」
「うん。約束する。」
「ああもう、雨は降るし、俺、先生になんて説明しよう…。」
「私がどこへ行くかは言わないで。ただ、途中で行くところができたから別れたとだけ、伝えて。それと、雨はやむから、大丈夫。」
「わかったよ、もう…。俺は詮索しないし、ついても行かない。その代わり、何かあったら必ず俺のところに来て。俺でなくて、兄貴のところでもいい。困ったことがあったら、必ず知らせること。いい?」
「ありがとう。」
その言葉と共に、不思議と雨が上がった。
二人は空を見上げる。
銀鼠色の雲が少しだけ割れ、その隙間から光が差していた。
空の色は、青かった。




