一人の部屋
「それで、明日、お兄さんのところへ行くって言ってたけど、いつ行くの?」
アランの呼び売りについての話が終わり、三人は階段のところまで一緒に来ていた。
「そうだな。朝食を食べたら、行こうかな。」
「ん、ローレル兄のとこ、行くのか。」
「ああ、ちょっと話があってな。追いかけられていたところを助けたって、話しただろ?」
「あ、そっか。それがあるか。確かに、妙な話だもんな。薬がどうとかって。」
「そうなんだ。だから、連れて行って話してもらおうと思ったんだ。じゃあ、俺たちは三階には行けないからここまでだけど、何かわからないことがあったら、誰かつかまえて聞いてくれ。二階まで下りてきて、大きな声で俺達を呼んでくれてもいいし。」
「俺の部屋は、すぐそこだよ。アランは、その隣。」
ジャックが指さして教えてくれたので、華にも部屋の位置が確認できた。
「わかった。じゃ、明日。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
二人と階段のところで別れ、華は一人、三階への階段を上った。
建物の外壁は石でできているようだったが、建物内は木製だ。皆が同じところを登り降りするせいか、階段のステップは一部だけが妙に黒光りし、つるんとしていた。華が一段上がるたび、ミシ、ミシときしむ音をさせる。
古い木造校舎みたいだな…。
まるで小さな子の靴についている、ピコピコ鳴る笛のように階段のステップを鳴らしながら、華は三階へとのぼった。
明かりがついているのは、階段のところだけだ。さすがに階段を踏み外すと危ないので、夜はつけてあるのだろう。
廊下のほうに、灯りはついていない。もしかしたら、どこかにスイッチがあるのかもしれないが、勝手のわからない華には、その場所がわからなかった。
賑やかに音を鳴らすのは、階段だけではなかった。廊下もまた、木の床らしい音をさせる。廊下にそって、いくつかドアがあり、ドアの下のわずかな隙間から、灯りがわずかにもれているのがわかる。
それでも、華が迷いなく歩くことができたのは、廊下側の窓から、いつの間にか空にのぼっていた月の、冴え冴えとした蒼みを帯びた明かりがさしこんでいたせいだった。華は、ドアからわずかにもれる明かりと、月の光とを手掛かりに、廊下を歩いた。
「ええと、左の一番奥。」
ケイトに言われた部屋は一番奥なので、一番の暗がりにあると言っていい。階段から離れているし、出入りも不自由そうだ。
しかし、その部屋のドアの隙間からも、灯りはもれていた。一人で寝ろと言われていたのだが、部屋の中に誰かいるのだろうか?
華は、ドアをノックしてみた。だが、返事はない。
そこでそのまま突っ立っているわけにもいかないので、そっとドアを開き、中をのぞきこんでみた。
中には、誰もいなかった。
ガラン、とした殺風景な部屋の中に、ベッドと空の棚が並んでいるだけの部屋だ。ベッドは壁際に二台、廊下側に二台。棚も同じ数だけあり、ベッドとセットになっているようだ。だだっ広い上に装飾の類が一切ない部屋は、寒々しい。
窓際の一台のベッドの横に小さな棚があり、その上にランタンのような明かりが置かれていた。ドアの隙間からもれていた光は、どうやらこのランタンの明かりだったようだ。
そのベッドの上だけ、上掛けが半分よけられ、畳まれた寝巻が置いてあった。多分、ケイトが用意しておいてくれたのだろう。
「ここで寝ろっていうことだよね、これ。」
あんな突き放すような言い方をしていたにもかかわらず、ケイトは案外、世話好きなのかもしれない。
華は、することもないので、とりあえず用意された寝巻を着ることにした。寝巻は、何の飾りもない上、何人もの手をへて華のところにやってきたのか、生地がすっかり薄くなっているようだ。ところどころ、穴があき、擦り切れたらしいところに当て布がされ、直しが入っている。おかげでごろごろして、着心地はお世辞にもよいとはいいがたい。
脱いだものをたたんで棚にのせる。アランと一緒に衣装箱から選んできた服や下着は、すでにその棚に置いてあった。ケイトは、アランに頼まれ、やるべきことはちゃんとしておいてくれたようだ。
ケイトには、嫌われちゃったかな…。
そう思ったが、仕方ない。どちらにせよ、明日にはここを出て行こうと思っている身だ。悩んでもしょうがないだろう。
部屋のカーテンは全部閉めてあったが、薄っぺらいせいか、その布越しに月明かりが入る。
ここは三階の角部屋だ。おまけに自分以外、誰もいない。華はカーテンを全部開け放してみた。
一番奥の窓のカーテンを開けると、すぐ近くに高い塔が建っていた。
鐘楼……。
そういえばここに来る時、塀の向こう側は教会だと、アランが言っていた。この孤児院自体、そこの附属なのだから、すぐ隣に鐘楼があることはおかしくない。
だが、その鐘楼を見た華は、嫌なことに気づいてしまった。建物があることが、いやなのではない。
問題は、その距離だ。
さすがにこの距離で鐘が鳴る音を聞かされるのは、ごめんだなぁ、と華は思ってしまったのだ。この部屋が空室だったのは、そのせいもあるのだろう。毎日この距離で鐘の音を聞くのは、さすがに心臓に悪い気がする。
月は、その鐘楼の屋根の下あたりに、ちょうど位置していた。
「大きな月…。」
しばらく華は、ぼんやりとその月を見ていた。
すると、どこからかカチ、という音が聞こえた、と思ったら、それがどうやら何かの合図だったのか、スイッチの入る音だったのか、急に鐘楼の鐘が鳴り響きはじめた。
思った通りの展開だ。腹に響き渡る重低音の鐘の音は、同時に薄いガラス窓を思い切りよくビリビリと震わせ、建物の壁にも反響している。
「うわぁ…。」
これが毎日だったら、騒音で頭がおかしくなりそうだ。別に華が、鐘の音を聞くのが嫌なわけではない。ただ、あまりにも鐘が近すぎるのが問題なだけだった。
これ、あと何回ここで聞くのだろう…。
起きている時はいいが、寝ている時は勘弁してほしいなぁ。まあ、すぐに出て行くから我慢するけど。
そう思っているうちに、やがて鐘の音はやんだ。
「あれ、なんで?」
気付いたのは、偶然だ。鐘の音と共に、月の位置が大きく変わった。
さっきまで、鐘楼の屋根の下あたりだったのに、月は急に位置を変え、屋根の上に移動していた。まるで鐘の音にはじかれ、ボールのようにポン、とはねたような変化だった。
あれは、月のように見えて、月でないのだろうか?
華は、これまでの自分の経験から月だと思ったが、違うのかもしれない。明るい日の光を反射する、何か月に似たものかもしれないが、今の動きは華の予想を越えていた。
ここは、華がいた世界とは違う世界なのだ。何があっても、おかしくはない。似ていると思っても、違うものだと思った方がいいのかもしれない。
それでも、月に似た何か、星に似た何か、は輝いている。華からすると、変則的な動きをするヘンテコなものだけれど、こちらの人にとっては、これが至極当り前なのだろう。
鐘の音と共に位置を変えるなど、何だかどこか歯車で固定されたカラクリ仕掛けのようだ。星のようなものも、空に似た天井から吊るされたモビールだったりして。そう、まるで誰かが作った箱庭のような…。
華は一人、ベッドの上に座り、急に位置を変える星と月を眺めながら、考えていた。
今日一日だけで、いろいろなことがあった。ありすぎたといってもいい。
身体は疲れているから、すぐに寝てしまえると思っていたのだが、いろいろありすぎたせいなのか、ざわざわとする心はいまだおさまらない。思ったよりもずっと、興奮しているようだ。おかげでちっとも眠くならない。
そういえば、この世界に来てはじめて、まともに夜空を見るような気がする。わけもわからず、この世界に連れてこられ、毒に倒れたり身体が弱ったりで、時間だけは経過していったのに、ほとんど華はベッドの上にいたのだ。
こんな風に空を見上げていられるのも、ナーガラージャのおかげだなぁ。わけもわからぬまま、王都に飛ばされたけれど、それでも無事なのは彼のおかげだ。華はしみじみ感じていた。
どれだけの時間がたったのだろう。
建物はシンとして、静まりかえっている。
誰も彼も活動を止め、眠りの淵にいるのか。真夜中をくぐり抜けた先に、華は一人、未だ月の光を受けていた。
その月光の下におり、蒼く身を染めながら。
その時、コト、というかすかな音と共に華のいる部屋のドアが開き、中に滑り込む黒い影が見えた。
そんな気はしていた。
だから、ざわつく心を抱え、自分は起きて待っていたのかもしれない。
華が起きていることに気づき、相手は少しだけ顔色を変えたようだった。が、それだけだった。
「ここは女子部屋だと思っていたんだけど、違ったのかしら。」




