浮遊城
城?あれが?
それは、華の思う城のイメージとは全くかけはなれていた。城といわれると、どうしてもヨーロッパや日本の城を思い浮かべてしまうせいだろう。だが、空に浮かんでいる物体は、華にはどう見ても船、もしくは飛行船に見えた。それも、ジュール・ヴェルヌの初版本の挿絵にでてきそうな…。
あんなもの、今まで見たことがない。仮にも城というからには、いざという時に戦闘ができる機能がついているということなのだろうか?確かに、クラーラが五角形の金属板を空にかざさなければ、そこに存在していることに全く気付けなかった。ステルス機能のついた拠点になるのは間違いない。
クラーラが浮遊城と呼んだ飛行船は、二人の上空付近に急に出現すると、全体を覆っていたガラス質の膜のようなものを、シャッターでもたたむようにしまいこみ、地上に少しずつ接近してきた。
全体の姿は、船に似ている。ただ、先頭の部分は、上のところが丸いドーム型になっていて、全体は前方後円墳のような形だ。素材に何が使われているのかはわからないが、全体的に重厚感がある。それでいて、アーチ型の窓が連なるドーム部分などは装飾も凝っていて、優美な感じもする。そのあたりは、城と言われて違和感はない。
だが、どういう仕組みでこの城が飛んだり浮いたりしているのか、華には全く想像がつかなかった。
それというのも、飛行船の上部分には、たくさんのプロペラが、雨後の筍のごとく建っており、左右と下部分にはジャンク船に見られるような帆が、これもまた、たくさん張られている。おまけに、ブラス色の大小様々な歯車が互いに噛みあうように、むき出しの状態で、ごてごてととめつけられている。
そのごっちゃり感が、華を困惑させる。普段見慣れている、船や飛行機などにみられる、機能美を追及した、すっきりとした機体と比べてしまうからだ。ヘリコプターのようにプロペラを回すだけでなく、帆を使って風に乗るのだろうか?それにしては、無駄に部品の数が多いような気がしてならない。
次から次に、今まで見たことも経験したこともないようなことが、目の前で繰り広げられる。目がまわりそうだ。華は、アパートにもどるためにそこを離れたい。けれど、その考えに集中できない。
クラーラの話は、冗談でも嘘でもなく、本気だったのかもしれない。そんな考えに傾きつつある。事ここに至っては、信じたくないが、認めなくてはいけないのだろうか。出来る限り面倒事を回避したいはずなのに、起こった出来事は、どれもこれも華の手に余る。とんでもなさすぎるのだ。
そんな風に、困ったことになった、と思う一方で、華はわくわくを止められない。好奇心は、大いに刺激されていた。見たことのない道具の数々、不思議な魔法のような出来事、宙に浮かぶ本、金色の粒、遺跡、乗り物…。見るもの全てが華の目を引き付ける。
それらは昔、華が本で読んだものによく似ていた。そんなものが実際に目の前に存在している。まるで夢みたいだ。わくわくする。楽しいと思う。
けれどもそれは、大きな不安と裏表に貼り合わされた楽しさでもあった。物語の挿絵の中にいるような気分。同時に浮かぶ、自分はまだ、夢の中にいるのでは、という否定できない考え。
帰りたい、帰れない。出席できそうにない授業。圏外のスマホ。連絡すらできそうのないアルバイト先。振り込まなきゃいけないお金のこと、提出しなくちゃいけないレポート。背中に背負っている借り物のパソコン。鍵をかけないまま出てきたアパートの窓。
落差の激しいジェットコースターのように上下が入れ替わる気持ち。楽しさと不安と、極端なアップダウンの繰り返し。否応なく振り回され、ぐじゃぐじゃにかき乱される。
どうすればいいのだろう?華は、これら全てを引き連れてきた原因、クラーラを見つめる。
クラーラはまだ、五角形の金属板を船に向けたままだった。華には目もくれない。
今、華が黙ってここを立ち去ったら、彼女はどうするだろう?追いかけてくるだろうか?それとも、知らん顔でいる?
でも…。でも、いったいどこへ?自分がどこにいるかもわからないのに。
金属板は、認識票か通行証のようなものらしい。ああやってかざすことで、自分のいる位置を確認させているのだろう。
船は一定の距離まで近づくと、突然船底を開き、そこから背の高い箱状のものを二人の前にするすると降ろしてきた。
箱はかなり大きい。正面に引き戸がついている。クラーラは、無言のまま取っ手をつかんで戸を引いた。どうやら、自動ドアではなさそうだ。進んでいるのか遅れているのか、よくわからない技術だな、と華は思った。
「これからドラクール公のところへ連れて行くから、静かについてきてちょうだい。」
引き戸を引くと、さらに内側に、トレリスのような折りたたみ式の戸があった。これもまた、自分で開閉しなくてはならないようだ。クラーラは、戸を開き終わると、華の腕を強くつかみ、グイッと箱の中に押し込んだ。
まるで捕えられた捕虜みたい。華はそう思ったが、多少の逡巡を飲み込んで、おとなしくしていた。混乱していて、どう反応したらいいのか、もう、わからなくなっていた。
ここがどこだかはっきりしない以上、とりあえず付いていくしかないのかも…。
華は、内心溜息をつきながらもそう思い、付いていくことにした。彼女がだめでも、他の人がもどり方を教えてくれるかもしれない、そう思うしかなかった。
二人が乗り込んだ箱は、昔のエレベーターを思い起こさせた。それもかなり古い、大正時代くらいのエレベーターだ。
華に続いて、クラーラも乗り込み、ガシャガシャといういかつい音と共に扉は閉められた。扉の横に、ハンドルが一つと、ボタンがたくさんついた板がはまっている。板には、五角形の窪みがついていて、クラーラはその板に、自分が持っている五角形の札を押し当てながらボタンを何度か押し、ハンドルを回した。
すると、箱が動き始めた。箱全体は、金属のようなもので出来ていて、古ぼけた真鍮みたいな色をしている。二人の乗った箱は、網目状の金属でできているので、外が丸見えだ。つまり、床も、前後左右も、天井も、外がよく見える。高いところがちょっと苦手な華は、次第に高くなる視線に、心臓をきゅっとさせられた。
それでも、乗っていたのはごく短い時間だった。あっというまに箱は浮遊城の内部に吸い込まれ、底扉の閉じる音が聞こえた。
箱を降り、誰もいない廊下を、クラーラに連れて行かれる。その間もクラーラは、華の腕を離さないままだ。こちらは今さら逃げようもないのだが、華のことを信用していないからだろう。
華は、とりあえず黙っていた。話の通じない相手に対して、こちらの言い分を通すことは、ひどく難しい。状況を見極めなくてはならなかった。早くもどりたいという気持ちはあったが、もうすでに、あせってどうにかなる段階ではないということも、華はちゃんと理解していた。
しばらく廊下を歩き、一番奥まったところにある大きな二枚扉の前で、クラーラは立ち止まった。そこに至るまで、華は人影を全く目にすることがなかった。大きな船なのに、働いている人も、すれ違う人も見当たらない。
クラーラは扉を軽くノックした。すると、中からすぐ、男性の声が返ってきた。
「中へ入って。」
クラーラは腕をつかんだまま、先に華を部屋に入らせた。