食堂
作っていたスープが出来上がる頃になると、急に隣の食堂のほうが賑やかになってきた。どうやら、ここに住む子供達が何人か帰ってきているようだ。
華は少し緊張してきた。短い付き合いになるとはいえ、知らない子供達の中に入り込むのだ。
「声がするね。そろそろ時間みたいだ。」
少し前に、鐘が鳴っていた。それが、皆の仕事の終業時間の目安にされているようだ。部屋を見渡しても、ここには時計がない。食堂にも、時計はなかった。
「隣の部屋に鍋を持っていくから、そこのスプーンを持ってきてくれる?」
鍋つかみのミトンを両手にはめたアランは、大きな鍋をワゴンの上にのせた。彼は、皿と鍋をのせたワゴンを押して、食堂へと移動する。華は、スプーンの入った小さな籠を持って、彼の後についていった。
ところが食堂に入った途端、華は急に何か黒っぽくて冷たい固まりに顔面を襲われた。何かが飛んできて、いきなり華の目の前を覆うようにふさいだのだ。
「ギャー。」
得体の知れない物に覆い被された華は、目の前のものをとにかく払いのけようとして、思わず手に持っていた籠を振り回す。
「うわっ。」
籠の中身は勢いよく飛び出し、あちこちに飛んでいく。床にぶちまけられたスプーンは、ガチャガチャ派手な音を立てながら転がり、籠は華の手を離れ、アランにぶち当たった。
顔を覆うひんやりとしたかたまりを、とにかく両手でむしりとろうとするが、それは何度も何度も向かってくるので、華は目も開けていられない。
それは、キュイキュイ鳴きながら、華に向かって突進してくる。パタパタという羽ばたきの音と鳴き声から、何か羽根のはえた生き物らしいことはわかった。
「こらっ、やめろ、リリ!帰ってこい!」
誰かが慌てた声で叫んでいる。
華の髪は、その何だかわからないひんやりとした生き物のせいで、すでにボサボサだ。
「キュイキュイ、キュイキュイ!」
異様に興奮して向かってくる生き物をよけるため、華はやみくもに両手をふるって防ぐしかなかった。
「捕まえた!」
はらっても、はらっても突進してくるその生き物を捕まえたのは、アランだった。
ゼイゼイ言いながら華は、アランの両手の中におさまってもまだ暴れ続けるその生き物を見た。
「何…、これ。」
「これは、トビトカゲ。」
トビトカゲ?
それは、小さな手乗りドラゴンといった風情の生き物だ。なんとなく、ナーガラージャと形は似ている。けれど、形が似ているだけで大きさは全く違う。しかも、身体の表面はイルカみたいにつるんとしている。彼のような不思議な輝きは全くない。
はっきり言ってしまえば、生き物としての格が違う。ナーガラージャは大きさだけでなく、見るだけでこちらが圧倒される何かを持つ、別格の存在だった。
「小さいけど魔物の一種だよ。たまに呼び売りが籠に入れて売っているのを見かける。前は、孤児院でペットを飼うことは禁止されていたんだけど、先生が、生き物をむやみに捨てたり殺したりしてはいけないって、許してくれたみたい。孤児院に引き取られる時に連れて来たやつだったし。」
なるほど、ペットなのか。確かに手のひらにのってしまうこの大きさなら、虫籠サイズで子供が飼えそうだ。
「リリ、大丈夫か、リリ!」
小さな男の子が、アランの方へ飛んで来た。彼の手の中にあり、未だに華に向かって飛び出してきそうなままのトビトカゲに、男の子は勢いよく手を伸ばす。
「トム、何か言うべきことがあるんじゃないか?」
トビトカゲしか目に入っていない男の子。彼が伸ばしてきた手を避け、アランは厳しい声で言った。
男の子は何だか不服そうだ。
「そいつが何かしたんだ。リリが嫌がることをしたから、それでリリは。」
トビトカゲはキュイキュイ鳴くだけで、男の子の方を見てはいない。
「どうしたんだい?騒がしいみたいだけれど。」
「先生!」
男の子は、モリスの方へ駆け寄る。彼は、先手必勝とばかりに華の方を指さし、こう訴えた。
「先生、あいつが悪い。あいつが何かしたんだ。だからリリは。」
先に訴えたまではよかったが、興奮しているせいなのか、彼がまだ幼いせいなのか、説明が説明になっていない。
モリスはアランのほうを見て、説明を促した。アランは、起こったことを話して聞かせた。すると、男の子の後ろに立っていた緑色の髪をした少年が、彼の話を裏付けるようにこう言った。
「アランの言う通りだよ。俺、見てたもん。そいつがアランの後ろから現れたら、急にリリは飛んで行ったんだ。」
「でも、それは、こいつがきっと何か、リリの嫌がることをしたから。」
「何かってなんだよ。」
「だって、だってリリは、今まで一度も知らないやつのとこに飛んで行ったりしなかった。そいつがおかしなことしたんだ。だから、あいつが悪いんだ。」
男の子は華を指さしたまま、一生懸命反論しようとするが、全く反論になっていない。
「でもそいつ、スプーンの入った籠持ってただけだぜ。チビには重いから、両手で運んでたのに、いったい何をしたっていうんだよ。」
トビトカゲは、その間もキュイキュイ鳴きながら暴れていた。
「あ、こら、待て。」
アランの手の中でずっと暴れていたトビトカゲは、彼の手から逃れると、すっと華の肩にとまった。そして、キュイキュイ鳴きながら、頭を何度も何度も華に向かって下げる。
トビトカゲの思わぬ行動に、皆の注目は華に向けられる。
「なんだか、嫌がらせをされて襲うために飛んでいったというより、リーナを慕って挨拶でもしているみたいだね。」
モリスが、のんびりとした口調でいった。
華も急に飛びかかってこられた時は、わけもわからないままだったのでびっくりしたが、こうやって落ち着いて見ると、トビトカゲはつぶらな目をしていてかわいい。鳴き声も、インコのようだ。
「でも、おかしいな。確かトビトカゲって、自分に餌をくれる主人にしか懐かないはずなんだけど。」
アランがそう言うので、華は聞いてみた。
「トビトカゲって、何が好物なの?」
「なんでも食べるよ。雑食みたい。いつもパンとか野菜屑とかやってる。だから、子供が飼いやすいペットとして人気なんだ。上手に仕込めば、手紙くらい運んでくれるし、小遣いも稼げる。でも、主人と離すと餌を食べなくなって弱ったり死んだりする。学校に連れていくやつは、先生に許可証をもらって、授業中は籠から出さないようにしないといけないんだ。」
さっきまで調理をしていたから、その匂いにつられて飛んで来たのかな?でも、それだと説明がつかない。調理をしていたのは、アランも一緒だからだ。
トビトカゲは、華に向かってキュイキュイ鳴きながら、ずっと頭を下げる動作を繰り返し、どういうわけか、本来の飼い主を一顧だにしない。
「なんか、どっちが飼い主だかわからないね。」
緑色の髪の少年にそう言われ、カッとなった男の子は華に掴みかかろうとしてきた。
「返せ!泥棒!」
だが、あっさりアランにはがいじめにされ、こう言われた。
「やめろよ。食堂にペットを持ち込むなって言われてただろ?人に迷惑をかけたのに謝らないだけでなく、今度は泥棒呼ばわりか。よく見ろ。お前がそのトカゲをここに連れて来たせいで、下手したらこいつは怪我をするところだった。せっかく洗ってキレイにしたスプーンも、床にぶちまけられた。全部お前のせいだ。」
でも、どうしてこのトビトカゲは自分のところに飛んできたのだろう?それに、お守りも反応しなかった。
華は、肩にとまったトビトカゲにそっと手を出した。すると、おとなしくトカゲは手に飛び乗る。利口そうだ。華は、もう片方の手で、トカゲの頭を撫でてやった。
『アルジサマ、ゴキゲンヨウ。』
小さな声が、華に聞こえた。
思わずキョロキョロあたりを見回したが、もう声は聞こえない。トビトカゲが、キュイキュイ鳴いているだけだ。もしかして…。
「返せよ!ブス!」
男の子が叫んだ。どうやら華の手でおとなしくしている様子が気に入らなかったのだろう。
「こら、なんて事言うんだい。アランの言う通り、君は規則を守らなかった。人に迷惑をかけた。考えてもごらん、彼女が怪我をしていたら、君はどうするつもりだった?最初に言ったはずだよね。人に迷惑をかけたり、きちんと世話ができないようなら、ここでは飼うことはできないと。君はその時、どう返事をしたか、忘れてしまったのか?」
モリスにそう言われ、男の子は悔しそうに唇をかんだ。
華は、自分の思いつきを確かめため、目の前のトビトカゲの頭を再び撫でてみた。
『トム、ワルイコ?アルジサマ、オコル?』
ああ、やっぱりそうか…。
トビトカゲは、こちらを伺うように首をかしげている。華は首を横にふり、怒ってないことを示してやった。
男の子は、子供だ。ある意味、とても子供らしい。彼の目には、自分とペットしか入っていない。そんな子供の言うことに、いちいち目くじらを立てるつもりはない。
「大丈夫。怒ってないよ。」
華は、トビトカゲに向かって話しかけた。
『アルジサマ、カンダイ。』
トビトカゲは、魔物だと言っていた。だとしたら、トカゲのアルジサマとは、多分ナーガラージャのことだ。でも、何で自分と彼を間違えているのだろう?姿形は、全く違うのだから、目で見たもので判断したわけではないのだろう。
思い当たるとしたら、ナーガラージャのお守りと契約だ。契約によって、華はナーガラージャの魔力を融通されている。トビトカゲはそういったものから、何かを感じているに違いない。トビトカゲは単に、ナーガラージャに挨拶をしたかったのだろう。だから、お守りも反応しなかったのか。
「君には反省が必要だね。リーナ、そのトビトカゲをこちらに渡してくれないか。」
モリスが華に向かって言った。男の子はアランの手から逃れようと暴れる。
「な、ダメだ。返せ、リリは俺の、返せよ!」
華は、トカゲに向かって語りかけた。
「あちらに行ってくれる?」
トビトカゲは、一度華に向かって頭を下げると、言われた通りモリスの肩の上に飛び移った。だが、視線は華のほうに向いている。
「すごい、ちゃんと言うとうりにしてる。もしかして、飼い主交代?」
緑色の髪の少年は、口笛を吹きながらからかうようにそう言い、とうとう泣きだした男の子からギロリと睨まれていた。
モリスは肩にトビトカゲをのせたまま、男の子に向き合った。
「君はまず、リーナにあやまらなくてはならない。さっきから彼女は君にひどいことを言われているのに、一度も君を非難することもなかったよね。彼女は一番の被害者なのに、とても冷静に対処していた。このトビトカゲのことだって、いきなり飛びかかられて、怖かっただろうに。」
男の子は、涙を流しながらモリスを恨みがましく見ている。
「君は約束を破った。規則を守りペットの世話をすること、他の子に迷惑をかけないということ。君がここにペットを連れて来た時に、この約束をしたはずだ。今回、幸いなことに、リーナが怪我をすることはなかった。でも、彼女が持っていたのがスープの鍋だったら?スプーンでなく、ナイフやフォークの入った籠だったら?誰かがヤケドをしたり、怪我をしたかもしれないよ。それは、他の子かもしれないし、君のペットのほうだったかもしれない。確かに君が言うとおり、君のペットはおとなしく、利口かもしれない。でも、だからといって君が規則を破っていい理由にはならない。それはわかるかい?」
モリスに諭され、ほんの少し、男の子のほうもしてはいけない理由がわかってきたのかもしれない。反論はしなかった。
だが、すぐにあやまろうという気にはならないのだろう。彼は自分のペットが自分よりも他人の言うことを聞き、懐いてさえいることに、ひどく傷ついているようだ。
「アラン、ジャック、あとのことを頼んでいいかな?私はちょっとトムと話合わなくてはならない。トムの今晩の夕食は抜きだ。」
「わかりました。」




