台所
そっとドアが開かれ、華は建物の中に入り込んだ。
いいのだろうか?
華は躊躇したが、どうせさっきのところに座り込んでいても、見つかるのは時間の問題だと思われた。そこで、女の誘いに乗ることにした。
「あの、ありがとうございます。」
華は一応、頭を下げた。
「いいのよ。そこ、座りな。」
女は椅子を指さした。
招き入れられた場所は、どうやら台所のようだった。ドアのすぐそばにゴミ箱が置かれていたのは、そのせいだろう。
壁際に、大きな箱型オーブンがあった。薪を焚いて直火で鍋を温める暖炉のすぐとなりに、真っ黒い扉を持つオーブンが並んでいる。水道やガスは設置されていないのか、それらしきものが見当たらない。
華は、不思議な感じがした。ヨーロッパの昔の家みたいだ。白く塗られていたらしい壁は、あちこちシミが浮いていて、汚れている。床や机の上に埃は見えない。
女は、食器棚からカップを一つ取ると、天井からぶら下げられていた鎖に引っかけられている水タンクの蛇口をひねり、水を入れた。
女の格好は、木綿の寝巻の上にガウンをはおったような格好で、だらしない。化粧っけのない顔にナイトキャップのようなものをかぶっている。どうも寝起きのようだ。もう充分日は高いと思うのだが、ずいぶんゆっくりだ。
建物の中は、とても静かだった。そのせいか、外の音もよく聞こえる。
「おい、いたか。」
「いや、こっちにはいない。」
男達の話声や、バタバタと走り回る足音が、建物の壁に反響する。
「全く、にぎやかだねぇ。あんた、何かやらかしたのかい?」
華は、首を横に振った。
「そう。」
女は水を口にしながら、華の胸元をじっと見つめ、目を細めた。その視線が少し怖い。
「そのネックレスのせいかねぇ。そんな高そうなものを子供が持っていたら、狙われるのは当り前さ。」
華は、はっきりと指摘され、今さらながら思い当たった。空の上にいきなり転移させられ、あちこち飛ばされたこともあって、どうやら自分の頭はろくすっぽ働いていなかったようだ。
ネックレスのことを、お守りとしてしか見ていなかった。ナーガラージャがお守りだと言って渡してくれたため、これが素晴らしい宝飾品だという印象が、頭の中からすっかり抜け落ちていた。
確かにそうだ。これはめずらしい宝石に違いない。多分、こんなものを持っているのは華くらいなものだ。
なにしろ、作ってくれたものからして、百年くらい寝こけているような規格外だ。しかも自制して、外部に出て行かないようにしている。そんな、滅多に人と接触もしない龍だ。
そんな生き物の鱗、しかも本人が自分で加工までしてくれた鱗だ。価値のわかる人から見れば、お宝だろう。それでなくても、鎖や飾りの部分は金で出来ている。小汚い子供が身につけるものではない。
そのことにやっと気付いた華は、遅いとは思ったが、ネックレスを寝巻の下に隠すように突っ込んだ。
「まあ、そのせいだけじゃないだろうけどね。」
「他にも何かあるのですか?」
「子供を売る気だったんだろう。」
女は、コップの水を飲みながら、事もなげに言った。
「子供を売る?売買するのですか?」
「そうだね。奴隷制度はずいぶん前に廃止されてはいるけれど、借金奴隷は別だからね。」
「借金奴隷…。」
つまり、非合法の奴隷は禁じられているけれど、借金のため、やむを得ない場合は、奴隷にして働かせるとか、そういうことなのだろうか。
「最近、子供がよくさらわれると聞いたよ。」
「子供が?何のために。」
「詳しくは知らないさ。なんだか、子供を集めている元締めみたいなのがいて、そいつが子供を使って薬を作ってるらしいよ。噂だけどね。」
薬?なんで薬を作るのに、子供を使うのだろう?大人が作ったほうが、効率よく作れそうなのに。
ぐーぎゅるぎゅるぎゅる。
「あ…。」
その音を耳にするや、女は笑いだした。華のお腹の虫が鳴ったのだ。
そういえば、何も食べていなかった。森に捨てられ、ナーガラージャと契約することで、身体はすっかり元通りになっていたが、食事をしている暇などなかった。おまけに、いきなり飛ばされ、走りまわされ、体力を使うはめになった。お腹が減るのは当り前だ。
「ちょうど私も食べようと思っていたんだ。昨日の残りのシチューとパンがある。そこで待ってな。」
女は、水をいれたコップを華に差し出し、暖炉に鍋をかけ、温め始めた。
「それにしてもあんたの黒い髪、まっすぐできれいだね。目も髪も黒なんだ。目の色が黒いってのは、はじめて見た。顔立ちもめずらしい。カーロン?ドーアー?うーん、どこの系統なんだい?」
そういえば、クラーラもめずらしいと言っていた。こちらには、アジア系の顔立ちはいないのだろうか。
華は、なんて答えればいいのか分からず、首をかしげてすっとぼけていた。
「わからないのかい。あちこち混ざっているのかねぇ。」
籠の中から布巾にくるまれた丸いパンを取り出し、女はナイフで切り始めた。
「そういえば、前に総主教様を一度お見かけしたことがあったけれど、あの銀の髪も本当にまっすぐできれいだったよねぇ。」
「総主教様?」
「そうさ。男にしとくのが惜しいくらいの美人さんだったよ。」
確かに。
「でも、そのせいでずいぶん苦労したみたいだけどね。」
華は、驚いた。あの綺麗な男が苦労した?なんでも持っていそうな人だと思ったのに。
「美人なのに、苦労したんですか?」
「そうさ。もとは孤児だったんだよ。たいそうな神童だったそうでね。それを前の総主教様が気に入って、養子にもらおうとしたのさ。子供がいなかったもんで、跡取りにするつもりだったんだ。でも、気位の高い奥方が難癖をつけてね、旦那のいない隙に、魔の山に追っ払ったのさ。」
「魔の山?」
「魔物だらけの山さ。そこへ行って、幻獣を捕ってこい。それができたら養子として認めてやるって。自分の手を汚さず、殺してしまうつもりだったのさ。いくら出来がいい、神童だ、とは言っても、所詮はただの子供。多少、剣の腕が立つ、魔法が使える程度では、魔物に食われるのがおちさ。」
魔物だらけの山?もしかして、そこって…。
「その山って、子供を捨てるところ?」
すると女は笑った。
「そうじゃないさ。あそこはね、人の領分じゃないところ。獣達の土地さ。山には主がいて、神殿の巫女さん達は毎年、山の主にお供え物をして祀るらしい。」
やっぱりそうだ。あの貢物の山、毎年お供えされているからあんなにあったのか。え、じゃあ、ナーガラージャの年齢って?
女は華に背を向けたまま話を続け、鍋の中身をかき混ぜる。
「時々、命知らずの冒険者たちが、魔の森から山を目指して入っていく。だが、ほとんどの者は帰ってはこない。そういったもの達の中から、ほんの時たまだが、魔物を従えて帰ってくる者がいる。」
「魔物と契約を?」
「だろうね。総主教様は、山へ出かける前に、奥方に一筆誓約書を書かせた。魔の山から幻獣を連れて帰ったら、養子として認める、と。そして見事、白虎を連れて戻ったというわけさ。まだ少年といってよい年だってのに、そんなものを連れて戻ったんだ。都は大騒ぎさ。奥方は、子供に無理難題を押し付けたことで、白い目で見られてね、とうとう別居されちまった。」
「魔物と幻獣って、違うもの?」
「獣としての格が違うんじゃないの?知らないけど。」
女は食器棚と鍋の間をせわしなく行き来し、机の上にシチューの入った皿とパンを並べた。
「さあ、腹が減ってるんだろ。おあがり。」
女は華と向かい合わせに座った。二人の前に並べられたものは、多少、量が加減されてはいたが、同じ内容だった。水の入ったコップ、シチュー、パン。
湯気のたつシチューは、芋のようなものが入っていた。よく煮込まれているのか、原形がわからない。パンは、胚芽のような粒々が見える。
女はパンをちぎって口に頬張り、スプーンでシチューを飲む。その様子を、華はじっと見ていた。
「どうしたんだい?食べないのかい?」
「あの、ええと、ちょっと熱そうだったから。」
華は、遠慮がちにそう言った。
「ああ、熱いよ。そうだね、子供にはちょっと熱いかもしれない。じゃあ、先にパンを食べな。」
「はい、あの、ありがとうございます。いただきます。」
確かにお腹はすいていた。だが、同時にためらってもいた。華は以前、毒入りの水を飲んでしまったことがある。だから、食べ物には警戒していたのだ。
女は親切そうに見えた。そして、華のネックレスを見る目つきが、少し変だった。
だが、水もパンもシチューも、同じものだ。水は、水タンクからいれただけ。パンも切り分けただけ。シチューも、鍋で温めたものをよそっただけのように見えた。
華は、パンを少しちぎって口に入れた。黒っぽいパンだった。少し、すっぱい気がする。独特の酸味がある。でも、まずくはない。
水は、あまり飲みたくなかった。どう見ても、どこからか汲んで来たものみたいだったからだ。井戸か、共同の水道場からか、水売りからかはわからない。だが、飲みつけないものを飲むのはよくない。
パンを食べてしまうと、今度はスプーンを手に取った。少し、すくってみる。
この世界の野菜なのだろう。そういったものがごった煮にされている感があって、味の想像ができない。
そこで、どろっとしたスープだけをすくい、少し口にいれてみる。まずくはないが、おいしくもない。どろどろした何かが、舌の上に残る感じがして、少し苦手だ。
「おいしくないかい?」
「いえ、そういうわけでは。」
わざわざ食事をふるまってくれている相手に向かって、まずいとは言えない。
「ちゃんと食べないと、大きくなれないよ。」
そう言われて、華は言葉を飲み込んだ。いや、一度はちゃんと成長して大きくなったんだけど、どういうわけか、小さくなってしまったんだよ。
二口、三口、華はゆっくりとスープをすくっては、口に運んだ。やっぱり、好きになれない味だ。一度、いやだと感じてしまうと、もう、口に運ぶことも億劫になってしまう。
外では、まだ華を探しまわっているのか、走る男の声が聞こえてくる。
「馬鹿な男どもだ。」
女はそう言って、ニヤ、と笑った。
華の手が、机の上から滑り落ち、スプーンが床に転がった。
「ねえ、そう、思うだろう?」
女が華に同意を求めるように問いかけた。




