走る
さてと、どっちに向かって行けばいいんだろう?
なんとなく、空の上から街を見渡した時、あの広場を中心とした作りになっていると感じた。そういう街の作り方は、多分、どこでも同じだ。たいていの場合、政治や宗教で中心的働きをする建物が中心にあり、その周囲に広がるように街は広がる。
少なくともここは、中心のほうではないなぁ、と華は思った。
昼間のわりに、どういうわけか人通りがない。狭い通路だというのはわかるが、なんだか静かだ。人がいないわけではないと思うのだが、なぜなのだろう。
華は、とりあえず自分がいる小道とクロスしている十字路の、別の道のほうへ行ってみることにした。
建物の陰から、少しだけ顔をのぞかせ、左右を見る。道は、ほんの少し広くなってはいるが、やはりせせこましく、来た道と大差ない。建物の作りもあまり変わらず、なんとなくさびれた通りだ。
住所を示すような文字や看板らしきものも見えない。どうやらこのあたりには、店もないみたいだ。もう少し、大きな通りに出ないと、そういったものはないのかもしれない。
そのうち、ずっと向こうのほうから、杖をついた老人が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
ちょうどいい、あのおじさんに聞いてみよう。華は老人に近づいて行くことにした。
通りにそって、ゴミ箱がいくつもおかれているせいなのか、それともこの小道自体が不潔なのか、辺りはすえた匂いが充満していた。さっきまでは、なんとか地面に無事降りられたことを喜ぶだけで気がつかなかったが、今さらながら、このあたりはうらぶれた雰囲気が全体に漂っているな、と感じる。
相手の姿が近づき、よく見えるようになると、杖をついた老人の格好は、お世辞にもよいとは言えないことに気付いた。穴のあいた皮靴をはき、破れて縫い目がほどけたようなコートをはおっている。白髪まじりの髪はぼうぼうで、垢じみたシャツは黒っぽく変色していた。
彼は、通りに置かれているゴミ箱の蓋を、一つ一つ開けてみては中身をあさっているようだった。
華は立ち止り、躊躇した。
見た目で人のことを判断するのはよくないことだ。今の華の格好だって、泥まみれで老人と大差ない。この見た目で相手に眉をひそめられたら、自分だって嫌な気分になるだろう。
だが、華は裕福ではないにしろ、ゴミ箱をあさるようなことを経験したことはない。ましてやここは、治安のよい日本ではなく、異世界だ。相手は老人とはいえ、杖を持っている。怖さのほうが先に立つ。
華はあとずさりした。振り返ると、反対側から、今度は二人組の男が何やら会話をしながらやって来る。そちらの二人は、割と普通の格好に見えた。老人と違って、ゴミ箱には見向きもしない。このあたりの住人だろうか。
ためらいながら、華はそちらの二人組のほうに向かって歩くことにした。
その二人は、華の姿に気づくと急に声をひそめた。どういうわけか、こちらをちらちら見ながら相手に耳打ちしている。
どうしたのだろう?やはり、自分の格好のせいだろうか。泥だらけの寝巻姿、しかも裸足。どう見ても頭が変か、何か事件にまきこまれたと思われてもおかしくない。
だが、なんとなく目つきがおかしい。どう見ても、こちらを不審そうに見ているというより、何か面白いものを見つけた、という表情だ。
華は、立ち止った。
すると、二人組のうち、背の高いほうの男がこちらに声をかけてきた。
「嬢ちゃん、その格好、どうしたんだい?」
言葉は親切そうだが、言葉とは裏腹に、気の毒そうな顔はしていない。華は、答えなかった。
「おやおや、だんまりかい。口がきけないのかね。」
「兄貴、ちょっといかれてるんじゃないすかぁ。あれって、寝巻ですよ。まさか、どっかから逃げてきたとか。」
「ふん、まあ、どうでもいいさね。」
華は、近づいてくる男を警戒し、背を向けて反対側に走り出した。
「あ、逃げた。」
「おう、爺さん。そいつ、捕まえろ!10ギニーやるぞ。」
男の声に、向こう側にいた老人が反応した。あっさりとゴミ箱からはなれ、こちらに構えるように杖を向け、待ち受けている。
マズイ!
捕まえたら10ギニーやるぞ、っていったい何なのよ!絶対あの二人、ろくなもんじゃない。捕まえたら、何をされるかわからない。
華は、すぐ目の前でわかれていた狭い小道に入りこんだ。
「おい、お前はあちら側に回りこめ。逃がすな。」
「わかった。」
華は走った。寝巻が足にまとわりついて邪魔だ。手でスカート部分を持ちあげ、後ろも見ずに走る。
靴音が後ろから響いてくる。相手は大人だ。走る早さが違う。大人の身体であっても、無理だ。何か格闘技ができるわけでもない。どちらかというと、運動は苦手だ。
どうしよう、すぐに追いつかれる。華は、小道に並ぶゴミ箱を何個か倒した。
「ちっ。」
舌打ちが聞こえた。だが、それだけだ。身体の大きさでまさる相手は、そんなものなどたいした障害にならなかったようだ。関係なく飛び越え、すぐさま華の背後に足音は迫ってきた。
「無駄だよ、嬢ちゃん。追っかけっこはもう終わり。」
振り返った華に、男の手が伸ばされた。
ああ、もうだめだ。捕まる。あとほんのちょっとで捕まる。華がそう思った時だった。
パーン!
ドサッ!
「ウギャァッ!」
男の身体は急に跳ね飛ばされ、倒れたゴミ箱の上にもろに落ちた。
あれ…。
男は背中をしたたか打ったようで、のたうちまわっている。
何?いったい何が起こったの?
華は立ち止り、呆然とした。
男と華は、接触すらしていない。確かに、かなり近くまで接近していた。あとほんの少しで、寝巻の襟首に手がかかろうとしていた。
手がネックレスに触れる。首からかけているのに、黒い鱗はひんやりとしている。
もしかして、お守り?これもまた、ナーガラージャのお守りのせい?
「兄貴、どうしたっ!」
道の反対側から、今度はもう一人の声がする。
前から来る男、後ろで倒れている男。どちらかに向かって行かないと、華は逃げることもできない。
どうする?
決まっている。正面からまともにぶつかって、身体も力も大きな男に勝てるわけがない。武器も何も持っていないのだ。こちらは逃げることしかできない。
さっきは、お守りが働いてくれたのか、男は吹き飛ばされた。だが、お守りの発動条件がわからない。何に反応して働いてくれるのか、華は知らないのだ。
それに、いつもこちらに都合よく、上手くいくとは思えない。このお守りに気づいて警戒されたら、相手は別のやり方をしてくるに違いない。
華は、また向きを変えた。戦うことはできない。この小さな身体で、多少暴れたとしても、相手にダメージを与えられるとは思えない。だから、とにかく逃げるしかない。
「ガッ、グハッ!」
道をふさぐような格好で、仰向けに倒れている男の頭と急所を狙い、華は思い切り踏みつけていく。
子供の体重では、たいした攻撃にもならないだろうが、わずかばかりの意趣返しだ。
「このやろう、兄貴に何をした!」
華は、激昂する男に向かって、思い切り舌を出して挑発してやった。
「待て、このクソガキ!」
そのクソガキを追いかけまわしているお前は何様だよ、と思ったが華はとりあえず逃げる。挑発は余計だったかもしれない。だが、さっきあの男は自分のことを頭がおかしい子供みたいに言っていたので、少しむかついていた。
相手が何のために自分を追いかけまわしているのかは知らない。だが、これだけ熱心だと、ろくでもない理由であることには違いない。
さっきの老人だって、簡単にお金で子供を捕まえることに同意していた。明らかに子供を保護する目的じゃない。
パーン!
「ギャッ!」
相手は足が早かったらしい。すぐに華に追いつき、そして、見事お守りによって壁に叩きつけられていた。
これって、攻撃とみなされるものに対しては反応するものなのかな?
華はそう思いながら走り続け、さらに前方に、杖を構えた老人を見つけた。
しまった。まだ、いた。
「爺ィ、そいつ、絶対に逃がすな!20だ。20ギニーだしてやる。」
最初に吹き飛ばされた男が、倒れたまま叫んでいる。
華は立ち止った。
どうしよう。相手は老人とはいえ、杖を持っている。お守りは、人の攻撃にはきくようだ。だが、物に対してはどうだろう?
華は、すぐそばにあったゴミ箱をつかんだ。蓋を開けると、中身は入っていない。
よし、これだ。
非力ながらもゴミ箱を持ちあげ、それを持って突進した。杖でなぐりかかられても、これで防げばいい。そう思ったのだ。
老人は、その見た目よりもずっと丈夫で元気そうだ。杖を振り上げ、思った通り、こちらにふりかざしてくる。
「うりゃぁぁぁ。」
掛け声だけは勇ましく、華はゴミ箱を掲げて走った。
ペキッ!
バシッ!
え、嘘…。
ゴミ箱に当たって、杖は簡単に折れた。
折れたのは、杖だけではなかった。老人の腕自体があらぬ方向に折れており、その上、身体は壁に叩きつけられている。
ええと、ゴミ箱、のせい…、だよね。うん。
向かってきた三人は、うんうん唸って道に転がっている。華はゴミ箱を放り投げ、とりあえずその場を逃げることにした。
道を曲がり、さらに道を曲がり、周囲をうかがってからゴミ箱の陰に座り込んだ。
もうだめ…。走れない。
荒い呼吸を落ち着かせるため、華は胸を押さえる。全身、汗まみれだ。こんなに走り回ったのは、いつ以来だろう。しばらく静かにして、息を整える。
「おい、ジャック!手下を集めてこい!その辺にガキが一匹隠れているらしい。黒髪のガキだ。探せ。」
少し離れた所から、声がした。
どうやら倒れていた男には、他にも仲間がいたらしい。大勢で子供一人を追っかけまわすとか、どうかしている。街のチンピラとか、マフィアみたいなものなのだろうか。まともに働いている人達なら、昼間に子供を追いかけまわす暇などないだろう。
「ちょいと、あんた。」
ふいに、すぐ近くから女の声が聞こえて来た。華はドキッとしてきょろきょろあたりを見回す。
「こっちだよ、こっち。あんたの頭の上。」
ちょうど華が隠れていたところの後ろに、窓があった。
「あんた、あいつらに追われているのかい?」
「え、ええと、まあ、成り行きで。」
「おいで、そっちのドアの鍵を開けてやるから。」
女は右のほうを指さした。




