契約
「ふむ、契約するのなら、本来の姿にならねばならぬな。」
彼はそう言うと、ひょい、と座っていた華の身体を軽く持ち上げ、壁際に連れて来た。獣も華の傍に移動する。
「そこにおれ。」
華がうなづくと、彼は金製品の山の上へと移動し、少し平らになった上の方に立つ。その姿が、ふっと陽炎のように薄れたな、と思った次の瞬間には、彼の姿は消えており、代わりに小高い山のような何かが現れた。
これは…。
華は絶句した。
それは、華が今までに目にしたことのない生き物だった。
その洞窟いっぱいに広げられた金の山の上に、どっしりとした生き物が座っている。それは、広々とした空間を狭いと感じてしまうほどの大きさを持っていた。
形はあるようにも、ないようにも見える。首が長く、大きな翼を持っている。
例えるなら、大昔に滅んだ恐竜。あるいは、龍。
そう、これは、龍なのかもしれない。でも、華の頭のなかでイメージとして浮かぶ一般的な龍とは大きく異なる。
その一番の違いは、身体だ。表皮と思われる部分は、闇のようでいて、内部にチカチカ瞬く星のようなものが見えた。それらは、並び、点滅し、時々は流れ、爆発し、消えていく。
まるで宇宙だった。宇宙の闇を内包しているみたいなのだ。際限なく繰り返し、先の先までどこまでも続いていく闇。果てのない無限を持つもの。彼はそんなものを持つ生き物だった。
いや、そもそもこれは本当に生き物?
想像で描いた宇宙を立体で表現し、生き物にすれば、こんな風になるのだろうか。ずっと目にしていると、その底のない闇に吸い込まれ、跡形も無く自分が消え失せてしまいそうだ。
「我は、無限龍。破壊と再生を繰り返すものなり。我と契約を結ばんとする者よ、我に名を与えよ。」
呆然としている華の頭の中に、突然、目の前にいる生き物の言葉が響いてきた。
無限龍?
彼は、そういう生き物なの?
華は、急に恐れを感じた。自分から望んだ契約だというのに、当の相手の正体が、予想をはるかに超越している存在だったことに。
それは、きっと本能的なものだ。相対しているだけでわかる、圧倒的な力。華が最弱だとすれば、彼はきっと最強の部類に属するものだ。
華は、ぱんっ、と両手で頬を叩き、両足を踏ん張った。ともすると、外側からあの闇を見ているだけで、意識をとられてしまいそうだ。
しっかりしなさい。
飲まれてはいけない。引きずられてはいけない。
無限龍は、静かに、だが、存在するだけで周囲を圧する迫力で、待っている。
ここでただ、圧倒されるだけのものになってしまったら、自分はあの闇の中の塵星のように散ってしまうだけのものになってしまう。
引きずられないように、闇に取り込まれないように、果てのない宇宙のような無限を持つものとはいえ、彼には実体があるのだ。
そう。人型から本来の姿に変身したとはいえ、彼のあの独特な光を持つエメラルド色の目は、同じだった。だから、見た目と大きさがあのように変わってしまっても、あれはやはり、彼なのだ。
ちょうど、自分が毒を飲んでしまったせいで、身体が子供になってしまったのと同じこと。身体は子供になってしまっても、中身は変わらない。
名前…。
そう、名前だ。彼にふさわしい名前を考えないと。
この世界の龍って、どんな役割を持っているのだろう?そもそも、身体に宇宙の闇みたいなものを持っている龍なんて知らない。
考えてもわからない。創造の上での龍だって、雨をもたらす恵みの神だったり、邪悪で退治されるものだったり、両極端の扱いだ。東洋と西洋では、龍に対するイメージは全く違う。それは、神と悪魔のよう。
破壊と再生を繰り返すもの。彼はそう言った。
極端な二面性。それは、不死鳥のような、つきることのない命を表しているのだろうか?永遠の生命を持っている?
確かに、均衡はとれている。古い世界を壊さなくては、新しい世界は開けない。居心地のよい卵の中に育った雛も、殻を壊さなくては外に出られない。卵は世界だ。
ふと、啓示のように言葉が降りて来た。
ナーガ。そう、ナーガラージャがいい。
「命名、ナーガラージャ。」
名前をつけた途端、ふるふると、彼の頭の天辺から尻尾の先までをゆるやかに何かが駆け抜けて行った。
「そなたの名は。」
「華。」
「ハナ。」
華が答えると、ナーガラージャが名前を繰り返した。
すると華もまた、頭の天辺からつま先までを、ぞわぞわと何かが通り抜けていく。
そこで、唐突に理解した。自分の中にある何かが、書きかえられている感覚がある。文字通り、契約が身体に刻まれているのだ。紙にサインすることで約束される契約とは違い、身体の細胞に刻み込まれている命の重みがある。
そのことに華は身震いした。この契約は、神聖なものだ。それこそ、相手に自分の命を預ける覚悟がなくてはいけない。そう感じた。
「契約はなった。我はハナと共に。」
「華は、ナーガラージャと共に。」
その言葉が終わると、彼はすぐに身体を人型に戻し、華の傍に来た。洞窟中を圧していた無限龍の迫力は、もはやどこにもない。
そこで華は、彼がわざと人型をとってくれていたことに気付いた。あの姿は、あまりにも圧倒的すぎた。子供の姿をしている華を怖がらせないように、彼はわざわざ人型に変身してくれていたのだろう。とはいっても、尻尾があったり、目が違ったり、いろいろと違和感のある変身なのだが。
身体にはすでに、先程までの不快の残滓はない。熱もひいた。身体中のありとあらゆる場所が一新された気分だ。不思議と力が湧いてくる。契約することで、こんなに状態が変わるのかと、華は感動していた。
「ふむ、どうやらうまく契約できたようだな。さすが我。」
「ナーガ、ありがとう。」
華は、ナーガラージャに向かって頭を下げた。
「む、我の名前はナーガラージャであろう?」
「そうよ。でも、愛称があってもいいでしょ?」
「愛称?それは、なんだ。」
「えーと、仲のよい人同士で呼ぶ時の名前、かな。」
「仲の良いもの同士?」
「そう。ええと、なかよしの印?友達同士とかの。」
「なかよし、友達…。」
なぜかナーガラージャが絶句している。あれ、気に入らなかったのかな。契約って、もしかして対等なものじゃなかったとか?ご主人様、とか呼ばなきゃいけなかったやつなのかな?なにしろ、こちらは最弱の生き物なのだし。
「ふむ、我とハナはなかよしで友達なのか。」
「え?えーと、あれ、そう、なのかな?」
すると、ナーガラージャはなぜか照れた顔になった。
「そうか。ふむ、友達か。うむ。」
なんだろう、この人は。とても尊大な感じの物言いをしていたり、百年寝こけていたり…。
「我は契約も友達も、はじめてだ。」
どうやら満更でもなかったようだ。もしかして、ずっとここでぼっち生活をしていたのだろうか?金ぴかの山の上でずっと寝ていたのも、そのせい?
「ハナのことは、何と呼べばいいのだ?」
「華はハナでいいと思う。それ以上、短くしようもないから。」
「そうなのか?だが、なかよしの友達は、愛称というものが必要なのだろう?」
「別になくても大丈夫だよ。ナーガラージャのことをナーガと呼んでも、ナーガラージャと呼んでも一緒だよ。」
「む、だが、それではズルイではないか。ハナだけが我を愛称で呼ぶのだぞ。」
「そんなことないよ。華もハナも、ナーガの中で愛称を兼ねているんだよ。名前を読んでくれるっていうのは、それだけでうれしいことだよ。仲のよい友達でなかったら、名前でなくて姓のほうで呼んだりするでしょ?」
「むう、そうなのか。わかった。」
華はそこで、改めて頭を下げた。
「二人とも、助けてくれてありがとう。あなた達がいなかったら、私は死んでいたと思う。本当にありがとう。」
すると、獣が華に答えるように、くう、と小さく鳴いた。




