洞窟
「ん…。」
身体の下に、何かごつごつとしたものがある。それも一つではない。たくさん。それらがあるせいで、あちこちが痛い。なんだろう、これは。やたらと固くて、でこぼこしていて…。
華は、目を開けた。
え?
開いた目に見えたものは、天井、ではなく、どこか鍾乳洞のような場所であった。
といっても、本当の鍾乳洞のように水が滴り落ちてくるようなところではない。ただ、とても高い天井が羽衣の襞のように波打つ模様になっていて、点々と柔らかな光を放っている。それらが、大変ゆっくりと、ついたり、消えたり、蛍のような点滅を繰り返していて、淡い光を周囲にまき散らしているのだ。
「ふむ、目が覚めたようだな。」
すぐ近くで男の声がした。
華が声のしたほうを向くと、そこには、まっすぐな黒髪にサークレットをつけた男が、肘をついて横たわっていた。男はなぜか、華の片手を握っている。
華は驚き、手を振りほどいて半身を起こそうとした。いつになく身体に力が入り、ちゃんと起き上がることができた。だが、男から手を離すことはできなかった。
「…だ…れ…。」
かすれた息の先に、切れ切れに音がのった。
「声……出る…。なん…で、まだ、生きて…。」
華は、自分がまだ生きていること、声が戻ったことに驚いていた。身体はまだ熱っぽいが、前よりずっと呼吸が楽になったような気がする。自力で起き上がれるほどの力があり、今までの不自由さが嘘みたいだ。
身体を起こしたことで、華は自分がどこに寝かされていたのか、やっとわかった。
華はなんと、黄金色に輝く金製品の山の上に寝かされていたのだ。
つまり、金のネックレス、ゴブレット、冠、壺、燭台、宝石箱、金貨、剣、甲冑、盾…。
それはもう、海賊の宝箱をあたり一面にぶちまけたような有様だ。一つ一つの値打ちはわからない。だが、あまりにもたくさんの金製品が無頓着に積み上げられているせいで、ガラクタのゴミ捨て場のようになっている。どうりで背中が痛くなるわけだ。
洞窟の壁には、一定の間隔で明かりが灯っている。その光を受けた金ぴかの山が、ぼうっと金独特の輝きを放つ。
華は、ぽかん、とした表情であたりを見回した。そこは、とても広い洞窟のような場所で、地面が見えないほどお宝で覆い尽くされているのだが、数が多すぎるのとゴミの山のように何もかもが無造作に積まれているせいで、ありがたみも何も感じられない。
だが、華が金の山以上に驚いたのは、目の前にいた相手だった。
彼は、人型をしていた。人型をしてはいたが、全く違うものを持っていた。エメラルド色した目の真ん中に、爬虫類のような縦線が入っている。それだけではない。頭に、魚のヒレのような耳がついていた。金色の刺繍糸で飾られた豪奢な長いチュニックの背中からは、畳まれた黒い翼が、お尻のあたりからは、尻尾がはえている。
明らかに人ではない。それなのに、どうしてか言葉が通じている。確かに森にも人型に変身する木がいた。でも、言葉は全くわからなかった。彼はいったい、何者なのだろう?
「む、我が誰、と問うか。うむ、その問いをされたのは、二度目だ。」
相手は起き上がり、尻尾をビタン、と上下に振った。その尻尾の先に、金のコップが引っかかったのか、コップはガラガラという派手な音を立てて落ちていった。ここでは、金製品の価値は石ころ程度なのだろうか?相手は全く気にしていないようだった。
「そなたは、カーデュエルの森の入口に捨てられておったそうだ。ほれ、そこにおるそやつが拾ってきて、我に助力を求めた。そのしつこいこと、うるさいこと、うっとうしいこと。」
男は、忌々しそうに顔をしかめた。よほどうるさくされたのだろう。華が彼の見つめた先をたどると、そこには一匹の麒麟みたいな獣が前足をそろえ、行儀よく座っていた。森で見たあの獣だ。
灯りに照らされた翡翠色した美しい毛並み。ユニコーンのような角、ふさふさとした狐のような尻尾。光を受け、呼吸するたびゆるやかに上下する毛並みを見て、怖いと感じるよりも先に、美しいと思ってしまう獣だ。
あれ?もう背中に木が生えていない。あの丸い鏡と木は、どうしたのだろう?出し入れ自由なのだろうか?森の木といい、この獣といい、不思議すぎる。
「む、そやつが、我に金貨を献上してきおった。その、小さな金貨一つでそなたを助けろというのだ。おかげで我の平穏なまどろみは破られた。」
翡翠色の獣の前に、一枚の古びたコインが落ちていた。コインはいびつな丸型で、誰かの横顔が刻まれている。
「どう…して…。」
「哀れな幼子を愛しく思ったのだろう。」
幼子?
「森で死にかけているそなたを哀れみ、ここまで連れてきた。あやつの力では治せなかったからだ。」
「私…。」
そうだった。わけもわからずこの世界に連れてこられ、声を奪われ、毒を飲むよう罠を仕掛けられた。あれ以来、子供の姿になり、気分も悪くなって、起きることさえ億劫になっていって…。
「む、そなたは、身体が固まりつつあった。おまけに、妙な魔法がかかっておった。わずかな魔力でかけられたものだが、壊れておった。そやつには治せぬ。まあ、我なら大丈夫だがな。」
そんな風に話す男は、少し得意そうだ。
「だが、我がここで手を離せば、そなたはすぐ、また元の状態にもどってしまうであろう。」
なるほど、それで華の手はこの男に握られていたわけか。さきほどからずっと、身体の中を何か温かいものが巡る気配がしていた。そのおかげで、華の身体の具合はよくなったらしい。
でも、手を離せばすぐまた元通りになってしまうと言っている。ということは、これは一時的な処置ということか。華はやはり、よその世界の生き物なのだ。この世界に生きるものが持っているはずのものを持っていない。おかげで、自力ではこの世界に適応できない。
「うむ、そなたは選ばねばならない。ここでこのまま朽ち果てるか、あのものと契約し、長い時を生きるか。」
そう言って、男はちら、とあちらに控える翡翠色の獣の姿を見た。
「契約?どうして、契約。」
また、契約の話だ。それも、今度の相手は人間でなくて獣。クラーラにはドラクール公と契約するように言われたけれど、これって相手は誰でもいいってことなのだろうか?
「そなたは、前に我が一度会ったことのあるものと、同じ種類の生き物だ。『はじまりの王』だった、ゲオルギウス。違う世界から連れてこられた、魔力を全く持たない、魔法を使えない生き物。身体はもろく、短い時しか生きられない、この世界で最弱のもの。」
「ゲオルギウス?」
『はじまりの王』の名は、ゲオルギウスというのか。ドラゴンを退治したとされる、キリスト教の聖人と同じ名前だなぁ、と華は思った。
魔力、魔法、という概念はあちらの世界にもあった。けれど、それは空想の産物だった。夢の世界のお話だ。
でも、ここでは違う。ここでは、魔力があるのは当り前。そして、こちらの世界、魔法を使えるこの世界において、華は最弱。そのせいで、抵抗する間もなく声を奪われ、ゴミのように森に捨てられた。すでに充分、思い知らされている。
「むう、『はじまりの王』といい、そなたといい、全くもって不思議な生き物だ。王となるものは最弱のくせに、どういうわけか強くなる。あやつもそうだった。もっともあやつが契約したのは、我ではなかったが。全く、なんでこんなことになったのだか。」
忌々しそうにそこにいる獣を睨むと、獣はぷい、と横を向いてしまった。
「む、そやつは我をだましたのだ。我に、愛しい幼子を助けよ、代わりにその小さな金貨を我に献上する、と話を持ちかけてきおった。山の主たる我に、とりあう義理はない。が、そやつはしつこくわめきたてた。おかげで百年の眠りが破られた。」
百年?
百年って言ったよ、この人。いったい何者?
「幼子が病気にかかっているが、自分の魔力では治せないのだろうと思ったのだ。治癒の力を持っていても、自分の魔力以上のものは治せない。幼子が親より魔力が多く、それゆえに困っているのだと。
あまりにうるさかった故、さっさと治して早く追い払おうと思っていたのだ。ところがどうだ。連れてきたのは、そやつの子供ではなかった。
そやつは、そなたの困難な状態を見抜き、最初からここに連れてこず、どこぞに隠しておったのだ。我が連れてこい、と言って初めて連れてきおった。
むう、なんと狡賢いやつか。我にすぐにすむ用事だと思わせたのだ。おかげで我の昼寝は邪魔されたのだ。我は大変迷惑を被っている。」
なるほど。華の治療は結構面倒だったようだ。金貨一枚分では、割に合わなかったのだろう。百年の昼寝を邪魔されたようだし。
だが、騙されたと言いながらも、こうして律儀に約束を守ろうとするところを見ると、彼は悪者ではないのだろう。文句を言いながらも、こうして治療をしてくれたのだから。
「そなたはよそから来たもののため、この地に生まれたものには必ず備わっているはずの大切な器官がない。それは、魔素を魔力に変換させる器官だ。
そなたの身体は今、大量の魔素を取り込むだけで、それを魔力に変換することも、循環して排出することもできない状態に陥っておるのだ。取り込まれた魔素は圧縮され、身体の中で石のようになっていく。放っておけば、体中がそうなってしまう。」
どんどん身体が重くなっていく実感はあった。まさか本当に石になってしまいそうだったとは。どうりで重いはずだ。あのまま放っておかれていたら、石のオブジェになっていたのか。華はちょっと想像してみて、渋い顔になった。
「むう、そなた、身体と中身があってないような、妙な気配だった。我は、そなたの記憶を見た。それで何があったのか知った。」
その言葉に、華は顔を歪めた。
「勝手に覗き見たの?」
「む、仕方あるまい。我はそなたに我の魔力を巡らせた。そうやって、塊をほどいたのだ。こうして直接触れて巡らせておるゆえ、見たくなくてもどうしても流れてきてしまうのだ。我のせいではない。」
不可抗力だと言われてしまったら、華にはそれ以上、咎めることはできない。そもそも、彼は自分を助けようとしてくれていたからそうなってしまったのだ。
「わかった。それはもういい。それより、どうもありがとう。私を助けてくれて。私、本当に死にかけていたのね。」
「ああ。」
「そちらの麒麟さん?ええと、何って呼べばいいのかしら。あなたも、助けてくれてどうもありがとう。ここがどこかわからないけど、わざわざ連れてきてくれて、治療も受けさせてくれたのよね。本当にありがとう。」
華は、獣と目の前の男に向かって深々と頭を下げた。相手が人でなかろうが、獣だろうが、関係ない。華を助けてくれたのは、彼らだ。
「うむ、別にもうよい。助かったのは、そなたに生きたいという気持ちがあったからだ。それに、そなたがどのような酷い目にあったかもわかった。
それよりもそなた、このままではいかんぞ。契約して、常に魔力を循環できるようにしておかないと、また元の状態になってしまう。故に、そこにいる奴と契約するがよいだろう。」
「契約…。」
あの時も、そう言われた。契約をしないと、華の身体は固まって、死んでしまうのだと。
「ふむ、ところで、ずっと気になっておったのだが、そなた、何やら甘い匂いをさせておるのだが、そこに何を入れておる?」
「甘い匂い?」
彼の視線の先は、華のお腹のあたりにあった。
なんだろう?自分で自分のお腹を見て、華は思い出した。寝巻のポケットに、食べかけのチョコレートを入れっぱなしにしたままだったのだ。ポケットに入れたあと、契約のこととかで色々あったものだから、そのことをすっかり忘れていた。
「もしかして、チョコレートのこと?」
「む、ちょこれーと?なんだ、それは。」




