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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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名前

 華はその日、何度も溜息をつきながら布団の中でごろごろしていた。


 果物が食べられるようになってから何日か過ぎたのだが、だるくて一向に布団から起きられない。熱はちっとも下がる気配がなく、一方的に華の体力を削り取っていく。


 毎日、同じ医者がやってきて、脈診をしてから、あのブレスレットを手首にはめて華の様子を観察する。相変わらず果物以外は食べる気になれないので、薬も飲んでいない。医者とクラーラは何やら、声をひそめて話をしている。


 果物くらいじゃ、良くならないのかな…。


 布団で眠っているだけとはいえ、口にできるものが少ない華は、さらに痩せた気がする。さすがに自分でも、これはまずい、と思っている。


 何か食べられるもの、食べられそうなもの…。


 あ、そういえば!


 華は、リュックの中にチョコレートがあるのを急に思い出した。あのリュックは、いつも自分の傍に置いている。


 一度、華が寝ている間にメイドがリュックをどこかへ移動させようとしたことがあった。その時ばかりは素早く反応し、リュックを抱き締めて抵抗した。メイドはそれ以上、リュックに触れようとはしなかった。単に、眠る邪魔にならないよう、移動させようとしただけだったのだと後でわかり、華は少しほっとした。


 華は起き上がり、リュックを開け、中から板チョコを取り出した。これは、華にとってもしもの時の非常食であり、ごほうびでもあった。いつも必ず、リュックにいれて持ち歩くものの一つだ。


 食べ物だから、食べてしまえば消えてなくなってしまう。それを考えると、華の気は重くなる。二度と手に入らないものなのだ。もしかしたら、似たようなものがこちらにもあるかもしれない。けれど、それは似て非なるものでしかない。最近食べるようになった、こちらの果物と一緒だ。


 ううむ。


 板チョコを前に、華は腕組みをした。


 食べたらなくなる…、でも…。


 華は意を決し、チョコレート色した紙の包み紙を取り、銀紙を破った。頭の中を刺激する、独特の香り。パキッ、と一列ぶんを折り、さらに小さな四角い一欠片にして、口の中に放り込む。


 ああ、チョコレートだ…。


 甘い匂いが口いっぱいに広がり、華の頬は思わずゆるんだ。うれしい味がする。ゆっくりとその一欠片を転がし、まったりと溶けていく感触を味わう。華の中で広がった甘い苦み。舌を、喉を魅了しつつ、体中に行き渡り、たまった澱のようなものをそっとほぐしていく心地がする。


 チョコレートをもう一欠片、華は口の中に放り込んだ。それを、歯で噛まないように、舌の上でじわじわと熱で溶かしながら、華はクラーラの話を思い返していた。


『あの子はね、かわいそうな子なの。』


 その言葉の違和感。言った本人は、それに全く気付いていないようで、平気で口にしていた。いったい彼女は誰に向かって、かわいそう、と形容しているのかわかっているのだろうか?


 ゾルタンがかわいそうだから、協力してやってくれ。彼女の長話を要約すると、そういうことだ。クラーラの話で、彼の置かれている現状の一端は理解できた。でも、彼はどう見ても、華より年上だ。華には彼が小さな子供にはちっとも見えない。


 母親がいないからかわいそう。家族に受け入れられないからかわいそう。皆が協力してくれないからかわいそう。


 かわいそう、かわいそう、かわいそう…。


 まるで呪いみたいだ。そんな言葉一つでいい大人を縛っているのだと思うと、げんなりする。誰だって一つや二つ、かわいそうといわれるものを抱えている。他人から見たら、ほんのささいなことでも。


 親がいないというなら、華だってそうだ。家族もいない。誰も華を助けてはくれなかった。


 華は高校の頃、散々陰でかわいそう、と言われた。きれいな顔で不幸を売り物にして同情を買っている、とも言われた。


 だが、一度だって自分から、クラスの者に生い立ちや親のことを話したことはない。華が中学の職員室で担任の先生に母親のことを話した時、そこにいた教師が家に帰ってその日あったことを家庭で話したようだ。その話を聞いた娘が、たまたま華と同じ学校の生徒だった。彼女が学校でその話をしたため、華の噂は広まった。


 彼らは口々に言う。かわいそうに、と。


 かわいそうだからと言われても、助けてくれるわけでもないことを華は知っている。華は、自分で自分を助けるしかなかった。だから、意地になって勉強した。そうすることで、自分の未来を切り開こうと努力した。それ以外に、何をすればよかったのだろう?華には思いつかなかったのだ。


 では、彼は?


 ゾルタンは、どうしたのだろう?どうしたいのだろう?


 自分はかわいそうな子だから、協力をしてくれ、と彼が言ったわけではない。彼の言葉や気持ちは、華にはわからない。言葉は通じないし、だいたい、接した時間も短すぎる。


 だが少なくとも彼は、彼を養育してくれる伯母がいた。庇護してくれるものがいたわけだ。それに、お金に困っていたわけでもないだろう。いじめられていたとはいっても、自分の魔力量が多いことを知っていただろうし、それによって将来を自分で切り開くこともできたはずだ。


 恵まれた身分、財力、地位、それだけで人が幸せになれるわけではないことは、もちろん華にもわかっている。けれど、彼がかわいそうなのかといえば、やはりそれは違うと華は思う。自分だったら、そんな風に哀れまれたくない、ごめんだ、と思う。


 彼を勝手にかわいそうな子にしているのは、クラーラだ。


 彼女が、彼をかわいそうな子にしたいだけなのだ。確かに口数も少ないし、おとなしい人に思える。だからといって、乳母や母親が必要な年でもない。そうやって、彼を子供枠におしこめて、いつまでもまとわりついている。彼を盾にして、好き勝手している。華にはそんなふうに見える。


 だいたい、彼がかわいそうだっていうのなら、華はいったい何なのだろう?なにもかもを犠牲にして、ただ踏みつけられておけばいいってこと?


 彼は、もう大人なのだから、クラーラから離れるべきだった。もともと彼女は、この領とは関係のない人のはずだ。いくら味方が少ないとはいっても、子供の養育と領の運営とは別の話だ。公私は使い分けるべきだ。


 彼はそれに、気づいているのだろうか?それとも、気づきながら何もしていない?争い事がいやだから?だから、何もしない?


 彼のすべきことは、頭を下げてでも周囲に協力を求めることであって、王という権力で周囲をねじ伏せてまわることではない。華は、王の権力がどの程度のものか知らない。何をさせられるのかもわからない。でも、クラーラのいうようなやり方には賛同できない。それだけは、はっきり思う。


 華は、彼等に協力する気もないし、するべきでもないと思った。彼等の敵を、進んで自分の敵にしたくはないし、権威の象徴として都合よく使われるのもごめんだ。言葉がクラーラとしか通じず、他の人の意見や考えも聞けない。物事の見方は、その人によって違う。彼女の話だけを鵜呑みにすることは、してはいけないと華は思う。


 口の中でとけたチョコレートの余韻に浸りながら、華はそう考えを決めると、残りのチョコレートを銀紙でくるみ、包み紙を丁寧にもどした。


 チョコレートのおかげで、華の考えはすんなり決まっように思えた。もっと早く、チョコレートのことを思い出せばよかった。華は、そう思った。


 考え事をしている華の耳に、誰かの足音が聞こえてきた。華は、持っていたチョコレートをあわてて寝巻きのポケットに突っ込んだ。別に悪いことをしているわけではないのだけれど、なんだか見せたくなかったのだ。リュックの中身といい、チョコレートといい、華の数少ない持ち物だ。それを興味本位で見られたりするのが、いやだった。


 部屋へ入って来たのは、クラーラとゾルタンだった。久しぶりに彼の顔を見る気がする。さっきまで、彼のことについて考えていたので、なんだか妙な心地がした。


「今日は契約の儀式をするわ。最初は、あなたの身体の調子がよくなってからするつもりだったのだけれど、お医者様が先に契約をしたほうがいいと教えてくれたの。


前にも言ったけど、あなたの身体は私達と違って魔力を蓄える場所がない。そのせいで、身体の中に取り込まれた魔素が循環しないの。


私達は、呼吸したり、食事をすることで魔素を取り込み、魔力に変換し、それを使って魔法を使う。そうやって自然に取りこんだものを排出する。


でも、あなたはそれができないので、身体の中にとりこんだ魔素が排出されずに溜まる一方になってしまい、固まってしまう。そのせいで熱が出て、身体の動きが鈍いのだそうよ。


でも、契約をしたら、取りこまれた魔素はきちんと循環して排出されるようになるから、それで食べれるようになれば、すぐによくなるって言っていたわ。」


 そう言って、クラーラはベッド脇にあるサイドテーブルの上に、持ってきたものを置いた。小さな赤い宝石がはめられた、金属製のゴブレットと、何か特別な記号や文字の書かれた羊皮紙だ。


「契約の仕方だけど、簡単よ。血をほんの数滴、このゴブレットにたらしてから、互いの名前と共に契約する誓いをたてて、お互いの血を飲む。飲むといっても、ほんの少し舐める程度でいい。


あとは、こちらの誓約書にサインをしてくれれば、それで終わる。簡単でしょ?契約が終われば、あなたの身体はずいぶん楽になるだろうし、ゾルタンの魔力があなたに通るようになるから、練習すれば魔法も使えるようになる。」


 契約者の魔力を使って、魔法が使えるようになる?


 華は今はじめてそれを耳にした。


「魔境王は、契約者の魔力を使って、この魔境の魔素を浄化することが仕事なの。」


 魔素の浄化?


 それが、魔境王の仕事?


 そこへ、ゾルタンがクラーラに向かって何かを耳打ちしてきた。


「ああ、そういえばそうだったわね。どうして気付かなかったのかしら。ねえ、あなた。名前は何て言うの?」


 そんな風に言われて、華は突然気がついた。


 この人、本当に忘れているんだ。自分が何をしたのか。


 凄いな、と華は思った。もしこれがわざとなら、この人はたいした女優だ。華は冷静に頭の隅でそう思う。


 自分でしたことを忘れているだけではない。これまでずっと、名前一つ聞いてこなかったんだよなぁ、と今更ながら思う。人を人とも思っていない。だから、平気なんだ。


 そこで華は返事を返さず、ただ、にっこりと作り笑いをしてやった。


 そして、サイドテーブルに置かれたゴブレットを手に取ると、それを思い切り投げつけた。


 金属製のゴブレットは、床に叩きつけられ、ゴン、という音をたてると、壁に向かってカラカラと転がっていった。


 ゾルタンはびっくりしたのか、目を見開いている。こんな展開は予想もしていなかったのだろう。


「な、いったいどうしたの?ちょっと、ねえ、何が気に入らないの?」


 自ら召喚し、何日も顔を会わせていたというのに、相手の名前を知らなくてもなんとも思わない女。名前一つ聞きもしないで、いったいこの人は誰を相手にしていたつもりだったのだろう?そんなに相手の言いなりになる者と契約したいのならば、人形とでもすればよかったのだ。


「契約すれば、すぐに身体もよくなるのよ。魔法も使えるようになる。欲しいものはなんでも手に入るし、誰もあなたに逆らう人はいない。楽しく遊んで、贅沢して暮らせるようになる。


いいこと、よくお聞きなさい。このまま放っておけば、あなたの熱はさらにあがるだけ。弱った身体はさらに弱り、ついには身体が耐えられなくなってしまう。身体にたまりつつある魔素は、だんだん行き場を失い、塊になって、石みたいになってしまうの。


身体が重くて動きにくいのは、そのせいなのだから。考えなさい。あなたはもう、元のところへは戻れない。帰れる方法もないの。」


 華は、笑いだした。


 いや、正確には、笑っているように見えるというべきか。華は自分では笑っているつもりなのだが、喉はただ、空気をかすかすと鳴らすだけだ。


 おかしくて、おかしくて、肩をふるわせながら笑っているのだが、声は出ない。


 当り前だ。


 声は、目の前にいるこの女が魔法で奪ったのだから。


 名前だって!


 笑っちゃう。教えろって言われても、教えられるわけないじゃないの。


 声が出ないのだから!!


 華にはもう、相手に対して不信感しかない。いきなり別世界に連れてこられ、声を奪われ、毒を飲まされ、よく知らない人のために契約をしろと言われた。


 確かに、このまま放っておけば、熱はさらにあがり、ついには身体が耐えられなくなり、死んでしまうだろう。でも、だからといって、それで脅すような相手の言いなりになる気はさらさらない。


 華は、親に捨てられた時、人のいいなりにはならない、自分の為に生きる、そう決めたのだ。だからこそ、努力した。自分一人で、誰にも頼らず生きていけるように。誰にも利用されることなく、自分自身の人生を歩めるように。


 けれども華は、いとも簡単に、自分が努力して築き上げてきた世界から切り離されてしまった。華の努力を何も知らぬ者、華を世界から切り離したその張本人が、さも当然のように言うのだ。


 契約すれば楽になる。


 なんの努力もしなくていい。


 遊んで暮らせる。


 それがどれだけ華を侮辱する言葉だったのか、クラーラには絶対に理解できないだろう。


 これまでずっと、クラーラは華が落ち着いていると思っていたのかもしれない。だが、それはとんだ思い違いだ。華はずっと、静かに腹の中を煮えたぎらせていただけだ。それを表に出さなかっただけだ。


 華は意地になっていた。熱のせいで、まともな判断ができなくなっていたのかもしれない。だが、答えはとてもシンプルだ。


 彼女のいいなりにはならない。これだけは絶対。


 それだけは、死んでも拒絶する!


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