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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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 鐘の音が聞こえる。


 その深く空気を振動させる音が、華の沈みこんだ記憶の夢の深みにまで届き、華をそこから呼び起こした。


 華にとって馴染みのない、聞きなれない音。街中に時を告げる、時計代わりの鐘の音。それが、今華がいる現在位置というものを嫌でも教えてくれた。


 瞼を開いた華は、その枕元のすぐそばにあった椅子に、誰かが腰掛けていることに気付いた。見覚えのない少女だ。白い襟がついた黒っぽいワンピースにエプロンを着ていて、頭の上に犬の耳に似たものがついている。


 メイドさん…?


 彼女は、細い毛糸と棒針で、編み物をしているようだった。使い込まれた茶色い棒針の先が、時々ぶつかりあい、かすっ、かすっという音がする。道具はあちらと変わらない形をしているようだ。手毬のように丸く巻かれた毛糸だまが籠の中から引っ張られ、中でコロコロ転がる。一心不乱に手を動かす、少女のかすかな呼吸音。


 縮れた毛糸は、何かをほどいて毛糸だまに巻き直されたものなのだろう。カラフルな合成色を見なれた目には、毛糸本来の自然で素朴な色が優しい。つい、つい、とリズミカルに動く棒針の先が生み出す糸の絡み合いが、形に、模様になっていく様が面白い。


 とても静かだった。あまりの静けさに、それを壊してはいけないような気分になり、華は息をひそめ、身じろぎ一つできないでいた。


 ふと視線を動かし、壁際にある鏡へと目を向けた。そこにあったはずのスツールは、なくなっていた。汚れてしまったので、誰かが片づけたのか。華はぼんやりとそう思った。


「#$%&’=~*。」


 編み物をしていた少女が、頬を紅潮させながら何か言っている。言葉がわからないのは相変わらずで、華はただ、彼女の方を見ただけだった。どうやら華が目を覚ましたことに気付いたのだろう。彼女は編み物の道具を籠の中にしまうと、勢いよくお辞儀をして、そそくさとそれらを持って部屋を出て行ってしまった。


 いつのまにか華は、シャツやジーンズどころか下着まで、着ているものを全て脱がされていて、スワトウ刺繍のように、白地に白い糸で細かな刺繍をほどこされた寝巻のようなものを着せられていた。身体はどこもかしこも清められたようで、汚れてはいない。


 誰だか知らないけれど、すっかり面倒をかけてしまったようだ、と華は思った。きっと、さっきそこにいたようなメイドさん達の手で後片付けがされたり、華の着替えが行なわれたりしたのだろう。痛みでかなりジタバタしていたし、かなりあちこち汚してしまった記憶がある。それを華が寝込んでいるうちにすっかり片づけてもらってしまったのだから、申し訳ない気分になった。


 ずっと寝ていたせいなのか、あの水を飲んだせいなのかわからないが、身体がひどくだるくて起きようという気にならない。まだ少し、熱もあるようだ。華は手を布団から出して、明るい光をさえぎるように目を覆った。


 そうやって軽く目を閉じただけのはずだったのに、華はまたすぐに眠ってしまったようだ。次に華が目を覚ました時、枕元にはなぜか、クラーラがいた。彼女は腕組みをして、じっと華のほうを眺めていた。


「目が覚めたのね。」


 いつもと少しばかり違う、静かな口調だった。


「お医者様を呼んで、あなたを見ていただいたわ。あなたが飲んだ水差しの水に薬が入っていた、と報告があった。


その犯人は、まだ捕まっていない。多分、私達の留守中にここへ忍びこんで、薬を仕込んだのでしょうね。」


 クラーラは、目覚めたばかりでぼんやりとしている華に、事実を淡々と述べる。同情も、詫びの言葉もなかった。勝手にお前が水差しの水を飲んだせいだ、とも言われなかった。あちこちそのせいで汚したことについても、何も言わなかった。ただでさえ、まだ学校に通っているような小娘だと思われていたのに、さらに小さな子供の姿になってしまったことについても…。


「あなたは、その薬のせいで身体がどういうわけか若返り、子供になってしまったみたい。本来その薬は、魔力を溶かして消しさる、魔法封じのための毒。


一時的に身体の中にある魔力を消してしまう、嫌がらせみたいな薬よ。でもね、あなたは別の世界から来た人だから、私達とは身体の作りがちょっと違う。あなたには、魔力を蓄える場所がないの。


だから、その薬が本来消すはずのものを消さず、別のものを消してしまったのではないかって、お医者様にはそう言われた。でも、本当のことはわからないらしいわ。なにしろ、魔境王は別世界の人間なのだから。」


 別世界…。


 やっぱりここは、別世界なんだ。華のいた世界とは全く違う世界。魔法が使え、獣の耳がついた人がいて、大きな白い虎がいて…。


「あなた、身体がそんなふうになってしまったわりには、ずいぶん落ち着いているのね。」


 それは違う、と華は思う。


 ただ、別のことを考えているだけだ。泣いて嘆いて騒いでどうにかなるものなら、とっくにそうしている。


 でも、華は経験から知っているのだ。そんなことをしても何にもならないってことを。何より、泣いて騒いで当たり散らして抵抗したのに、ちっとも自分の思い通りにならなかった人物が身近にいたのだから。


 そのせいで、華が淡々としているように見えるなら、それは皮肉というものでしかない。他人から見たら、それは抵抗をあきらめて意気消沈しているかのように見えるだろう。だが、そうではない。


 ただ、見ているのだ。現実を。


「とにかく、薬の影響もあって、身体に反動がきているみたいだから、今は休んだほうがいいわ。また後で来るから。」


 そう言って、クラーラは部屋を出て行った。


 誰もいなくなって、部屋は再び静かになった。前に泊まった部屋と違い、この部屋の周辺には誰もいないのかもしれない。あちらでは聞こえたかすかな話声も、動きまわる人の足音も、全く聞こえない。


 天蓋付きのベッドのカーテンは開かれていて、真っ白い壁ばかりが目に付く。華が寝かされているベッド自体も、相当大きい。こちらの規格がどうなっているのかはわからないが、キングサイズより大きいことは確かだ。


 この部屋は嫌いだ…。


 華は身体を起こし、溜息をついた。それから、天蓋ベッドの四隅に立つ柱にかけてあったタッセルを外し、カーテンを引っ張ってベッドの周囲ぐるり全部を囲ってしまった。こうすれば、落ち着かない上にやたらと広くて金ぴかの目立つ部屋の内装を見なくてすむ。


 そうやってカーテンをひいてしまい、ベッドの上だけが自分のテリトリーになってしまって、やっとなんとなく華は落ち着いた。貧乏性なのだろう。狭いほうが落ち着く。そうはいってもそこだって、人が何人寝られるのだろうかと思うほど広々としたベッドだったのだが。


 一人になって、華は思った。なんであんな夢を見たのだろう、と。


 あんなこと、すっかり忘れていたはずだった。記憶の底の底に重しをして沈めこみ、しっかり蓋をしていたつもりだったのに、華の脳はきっちり録画されたテレビ映像のように、昔の記憶を再生してくれた。


 身体が小さくなってしまったからだろうか。身体に心がひきずられてしまっている?身体があの当時の華と同じようになってしまったので、勝手に脳みそが、身体の大きさと結びついている記憶を夢として再生したのかもしれない。


 小さな手足、細い身体。どこからどう見ても、小学生くらいにしか見えない。

 

 これでは、たとえ元の場所に帰れたとしても、今までのような生活はできないだろう。華の中身はとにかく、見かけが違いすぎる。


 ただでさえ、困難な状況に陥っていると思っていたのに、それだけではすまなかったことに、華は暗澹たる気持ちになる。ただ帰れないだけでなく、こんな身体になってしまうなんて…。


 さっきの話で、ここの人達が魔法を使えるのは、魔力をたくわえる場所が身体にあるせいだということがわかった。華にはそれがない。ということは、華には魔法が使えないということなのだろう。


 つまり、ここの人達は、見かけは華と似ていても、全く違う種類の人ということだ。だから、動物の耳が頭についていたりする、そういうことだ。


 今更ながら華は、ここが違う世界なのだと思い知る。それも身をもってだ。

 

 それまで華は、ここがなんとなく違う世界であることを感じていても、ある意味、どこかテレビか映画でも見ているような、絵空事の世界みたいに思っている部分があった。珍しいものや、見たことのないものを見ても、普段からゲームやアニメで散々おかしなものは見慣れているのだ。そのため、どこかリアリティを感じられないところがあったのかもしれない。


 どうしてこんなことになったのだろう?


 ただ、水を口にしただけのはずだった。それなのに、それがあろうことか毒入りだった。


 クラーラは、ここは王のための部屋だと言っていた。この建物自体が王のためのものだと。ならば、ここの人達は皆、ここに王が出入りすることを知っているはずだ。


 水差しに薬を仕込んだのは誰なのだろう?


 前に泊まった部屋にいた時、なんとなく考えていたことを思い出す。城の中にうまく潜り込むことさえできれば、どこにでも入り込めそうなところだな、という物騒な考えだ。ここの制服を着れば、誰にも疑われないかもしれない。ここのセキュリティがどのようなものなのか、華は知らない。全くのザルというわけではないと思う。けれど、こんなことになった。


 あの水は、いつからあそこにあったのだろう…?水の匂いを嗅いだ時、全くおかしいとは思わなかった。簡単に腐るものではないかもしれないが、それにしても前の王がいた時からずっとそこにあったとは華には思えない。


 水に仕込んであった薬は、一時的に魔力を消し、魔法が使えなくなるようにする、魔法封じのための薬。飲んだのが、華以外の人だったら、それだけですむ嫌がらせみたいな薬。でも、別世界から召喚された華のようなものにとっては、医者にもそれがどのような影響を及ぼすのかわからない。そういう、薬。


 明確な狙いを持っている確信犯なのか、それとも、いつでもお前なんかどうにでもきるぞ、という脅しなのか、ひっかかったら面白いなぁ、という思考の愉快犯なのか、はっきりしない。この世界についての知識が無い華には、背景を想像できないのだ。


 誰にでもここが王の部屋であるとわかっているのなら、部屋へ入ってきて水を飲みそうな相手がターゲットだと考えるのが普通だ。この部屋を担当する使用人を貶める目的の場合も考えられるけれど、クラーラは華が来てからメイドを選ぶようなことを言っていたから、それは考えにくい。


 だとしたら、相手は王、もしくはその周囲の人間。でも、この部屋で好き勝手できるものは限られている。となると、やはり狙いは王?


 でも、王は召喚されて別世界から連れてこられる人間だ。魔力を持っていない。なのに、どうしてそんなものを飲ませたがるのだろう?


 王は、歓迎されていない?本当に殺してしまいたいなら、もっと確実に死んでしまいそうな薬を混入したはずだ。いったい何が目的なのだろう?


 いくら考えても、華にはどうしてもわからなかった。


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