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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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捨てられる、捨てる

 その後、華の服は男子のそれになった。


 学校は制服だったので、普通だった。さすがの母親も、体裁だけは気にするようだった。だが、家にあったスカートの類は全て処分された。髪も男子みたいに短い。表向きは、ボーイッシュな女の子で通る姿だ。


 母親は、再び就職した。さすがに正社員ではなく、契約社員のようなものだったが、そのおかげで無茶苦茶だった生活も、平穏を取り戻したかに見えた。


 だが、その一方で華に男子の格好をさせ、気味がわるいくらい、べたべたとまとわりつくようになった。まるで恋人のように腕を組み、華の顔を見ながら延々、あの男との思い出話を繰り返す。


 そして、何度も何度も同じ話を繰り返す。苦痛でしかない。華にはその話が呪いの呪文のように聞こえる。


 様子がおかしいので、華は当然、なるべく母親と顔をあわせたくない。家に帰るのがいやになる。


 けれども、まだ小学生でお金も持っていない華に、他に落ち着ける場所は少ない。学校か、近くにある図書館くらい。それも、時間は限られている。


 母親は、いやというほど、華にまとわりつく。理由はわかっている。あの男の身代わりなのだ。中身はどうでもいい。顔が似ているだけの張りぼて。ただのお人形でいることを華は強いられている。


 華は、何も考えたくなくて、逃げるように本を読み、母親の呪いを浄化させようと、むさぼるように活字を追う。


 けれども、どんなにその物語の中にのめりこみ、色々なものから逃れようとしても、結局、華には他に行くところがなく、母親のいる部屋へ戻らざるを得ない。


 中学に入り、その生活からもう逃れられないのだ、と華がすっかり諦めていた頃になって、突然、母親の執着はとけた。


 華に、生理がきたのだ。


 その事実が、どうやら母親を打ちのめしたらしい。つまり、どれだけ男の格好をさせ、髪を短く切り、女であることを否定しても、華が女であるという事実は変えようがないのだと、やっと理解したのだろう。


 その代わり、華はこれでもかとなじられた。


 嘘つき、偽物、まがい物、そんな言葉の数々で。


 母親は多分、まだ夢を見ていたかったのだ。


 あの美しい、生物学的には父親であるところの、あの男そっくりの華の顔に、母親は騙されたと散々こぼした。そのあげく、突然、興味を失ったといわんばかりの態度になった。


 母親は契約社員をやめ、夜の仕事に鞍替えした。


 家事の一切は、華の仕事になった。そして、二人は顔を合わせることが少なくなっていった。華には学校があり、母親には夜の仕事がある。華が家に帰る頃には、母親は出かける時間、母親が帰る頃には、華は睡眠中。お互い、一緒に家にいる時間はあっても、声をかけたり顔を合わせることがなくなっていく。


 おまけに、華はなるべく家に帰る時間を遅くしようと心がけていた。いつまた母親が、あんなおかしな状態になるかわからない、という恐怖が常にあった。だから、部活の終了時刻まで図書館で本を読んだり勉強し、そのあと、スーパーに寄って買い物をする。そうやって、ある程度時間をつぶしてから帰れば、母親はもう家を出て出勤している。


 休みの日は、近くの図書館に一日中出かける。お茶をつめた水筒と、おにぎりを一つ持って。そうして、むさぼるように本を読み、ひたりこみ、勉強していた。おかげで華の成績は中学でトップだ。


 だが、家のドアの鍵を開ける度、華は毎回身構えた。そして、家に誰の気配もないと、安心した。


 会話はほとんどなく、必要なことはメモに書いて置いておく。学校のプリントも、おつかいも、生活費も、居間の机の上にメモと共にやりとりされる。母親からのメモに並ぶのは、単語のみ。


 表面上は何事もない。そんな日々が続いた。


 ところが、もうすぐ華が中学を卒業する、という頃、夜の仕事を休んだらしい母親が、どういうわけか居間で一人座っていた。その上、めずらしく自分から直接華に話しかけてきた。


「お前、もうすぐ中学を卒業ね。」


 華は、なぜ今さらそんなことを言うのだろう、と身体を固くした。


「何か、欲しいものはある?」


「欲しいもの?」


 どうして急にそんなことを聞くのだろう?今まで一度だって、そんなことを聞かれたことはなかったのに。華はそんな疑問でいっぱいで、質問に答えられない。


「何もないの?言うだけでも言ってみなさいよ。」


 母親は、どういうわけか、にやにや笑っている。何がそんなにおかしいのだろう?


「スマホ…、とか?」


 華の答えは疑問形だ。欲しいものを急に聞かれても、よくわからない。欲しいものを得られないことに慣れているせいなのか、欲しいと考えること自体を放棄している。だから、クラスの皆が持っていて、自分が持っていないものをあげることにした。それくらいしか、思いつかなかったのだ。


「へえぇ。スマホだって。」


 それを聞いて、母親は上機嫌でクスクス笑っている。そんなに華の答えは面白かったのだろうか。


 会話は、そこで打ち切られた。母親はその後、どこかへ外出してしまった。


 華は、くすぶる疑問と共に部屋へ一人残され、妙な心地のまま、家事を始めた。


 それからすぐに卒業式があり、華は卒業証書を持って、まっすぐ家に帰った。その時間母親は、いつもまだ寝ているはずだ。だから、家に荷物を置いて、図書館にでも行くつもりだった。


 ところが、玄関ドアを開けた華は、とんでもないことになっていることに気づく。家の中は、がらんどうだった。


 母親の姿はなく、家財道具一切もなくなっていた。華の荷物もだ。


 ただ一つ、部屋の中央に、小さな箱がぽつん、と置いてあった。それは、スマートフォンの入った箱だった。


 それを見た華は、状況を把握した。


 捨てられたのだ。


 生物学上の父だけでなく、戸籍上の産みの母親にも捨てられたのだ、と。


 あの時、欲しいものを聞いてきたのは、華に一つだけ、餞別を贈ろうとしていたからなのだろう。義務教育が終わったのだから、親としての義務は果たした。だからもう、ここでいいでしょう?きっぱり縁を切ってしまえ。


 華はいらない子。偽物は必要ない。そういうことなのだ。


 華は、まわらない頭の回転をなんとかまわし、のろのろとした足取りで、さっき卒業式を終え、出て来たばかりの学校へと、道を引き返して行くしかなかった。他に、どうすればいいのかわからなかったのだ。


 生徒もまばらになり、静かになった学校の中に、一人だけ逆行するように入り込み、職員室を訪れ、不思議そうな顔をしている先生に、母親の話をした。


 成績優秀で、いつも本ばかり読んでいる大人しい生徒が突如持ちこんだ爆弾に、先生方は騒然となった。


 なにしろ卒業式の次の日は、高校の合格発表日が控えていた。華が行く予定だったのは、このあたりで最難関の進学校だった。君が行かないで誰が行く?と先生に太鼓判を押された中学トップの華が、もちろん不合格になるはずはない。だが、入学金、授業料、住む所、生活費、様々な問題がここで一気に噴き出した。


 罰、これは、罰なんだ。


 華にはわかった。母親の声が、聴こえてきそうだった。私の一生をお前が台無しにしたのだから、お前も苦しめばいい。そんな風に。


 母親は、役に立たない華に思い知らせたかったのだ。自分がどれだけ身の程知らずなのかを。学校で一番の成績でも、なんの力もない、ただの子供にすぎないことを。


 結局のところ、色々な人の尽力のおかげで、華は施設で暮らすことになり、無事高校にも進学することができた。華の美しい見てくれと、親に捨てられた哀れな娘というレッテルは、皆の同情を買った。成績もよく、普段から品行方正だったこともプラスに働いた。そこで進路を急に変更して、就職してしまうのは惜しいと思われたのも大きい。


 施設暮らしの環境は、あまりいいとはいえなかった。様々な事情を抱えた子供同士のせめぎ合いは、気持ちを疲弊させるものだった。早く自立して、一人暮らしを始めたかった。


 街を歩くと、華に声をかけるものもいた。モデルやタレント目指さないか、としつこく誘われることもあった。だが、華は全部きっぱり断った。


 あの男にそっくりな顔、母親に散々偽物扱いされた顔を世間にさらして、どうしろというのだろう?


 見て!私を見て!


 そんな風に、媚を売って愛を乞えと?愛されなかった娘の精いっぱいで、偽物の顔に偽りの笑顔を貼りつけて?


 冗談じゃない。


 華は、高校に入る時に決心したのだった。


 自分は捨てられたのではない、こちらから捨てたのだ。誰の言いなりにもならない。自分のことは自分でなんとかする。自分自身のために生きる。


 それは、華なりの虚勢だった。そうでも思わないと、つぶれてしまいそうだったのだ。けれど、その空元気は、華が動く確かな原動力になった。それなしで、華は前には進めなかっただろう。


 そんな風にして、華はあの安アパートで一人暮らしをはじめ、大学へ通うようになった。お金はなく、何よりバイトと学業で忙しく、余計なことは何も考える暇もない生活。


 それでも、華はそれなりに満足していた。それは全て、自分の一生懸命の結果、得たものだったから…。

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