ハサミ
華が小学六年生になったある日のこと、学校から帰った華は、玄関を入るなり、いきなり床に押し倒された。
母親は、馬乗りになってこう言った。
「全部、お前のせい。お前が悪い。あの人がいなくなったのは、お前が女だから!どうしてお前、男に生まれなかったの?
お前が男だったら、きっとあの人は私と結婚してくれた。だって、私はあれだけ彼につくしたのよ。
だから、出て行くなんて本当はあり得ない、あるわけないの!わかったのよ、私、彼が出て行ったのは、お前が女だからだったんだって。」
華の身体を押さえつけ、真上から見下ろす母親の、振り乱された髪。
「やっぱりお前のせいなんだ。お前が女だからいけないんだ。ねえ、どうして男に生まれなかったの?私とあの人の子なのに、どうして?
お前が男だったら、あの人はどこかに行ったりしなかった。だって私、あの人のために何だってした。何だって我慢した。
ねえ、だからやっぱり、お前のことが気に入らなかったせいなんでしょ。お前もそう思うでしょう?ねえ、ねえ!」
意味不明だ。小学生の華にもわかる言いがかり。
そんな風に言う根拠がどこにあるのか、華には全くわからない。華のいないところで、あの男に何か言われていたのかもしれない。でも、母親がそういった話をしたことはないので、よくわからない。
だが、腹の上にのしかかる、大人一人ぶんの体重の重み。両手でガッシリとつかまれた肩。ガクガクと壊れた人形の首のように、揺さぶられる頭。
あの柔らかな唇から紡がれた言葉だというのに、言葉は鋭く、尖った金属のようだ。それらは、雨あられと華の上に降り注ぐ。
華はまるで、針山だ。ただ、無数の針をつきたてられ、きりきりと銀色に光る尖ったものを、痛みに耐えながら、眺めていることしかできない。
両肩をつかんでいた手が、すべるようにして首へと移動する。
うまくいかなくなった原因は、華。
悪いのは華。間違っているのも華。
だから、その悪くて、一番間違っているところを取り除かなくてはならない。
華はこんなにも息苦しく、苦悶の表情をしているというのに、それをすぐ目の前で見ているはずの女の目には、全く映っていない。
女?
いったいこれは、誰なのだろう?
母親、だったはずなのに…。
彼女の眼は、華を見ていない。視線があっているようで、華を見ていないのだ。
首にかかった両手は、華の細い首をがっしりと捕えている。そして、そのままの状態で、華を力任せにガタガタと揺さぶる。
息が苦しい。
喉がつぶされ、上手く呼吸ができない。
声をあげたい。
けれど、なんて言えばいいのか、わからない。
知らぬ間に流された涙が、目尻を伝い、こぼれていく。
華の両手は、何もつかめないまま、床の上で力なく這うだけだった。ただただ、圧迫された腹部が、首が、苦しくて苦しくて…。まるで餌を求める魚の口のようだ。空気だけを求めて、ただ、ぱくぱくとしている。
「そうだ!」
突然パッ、と首にかかっていた手がゆるんだ。
華の喉が声にならない音を不気味にあげる。やっと再開された呼吸が、華から失われそうになった血色を呼びもどしていく。
母親は、華を押さえつけたまま、台所の流し台の上にあったキッチンバサミをつかんだ。
「最初から、こうすればよかったのよ。」
そう言うと、華の髪をむんずとつかんだ。そして、つかみとった束のまま、手当たりしだい、ジョキジョキと切り始めた。
「最初から、こうすればよかった。だって、こんなにそっくりなんだもの。どうして思いつかなかったのかしら。」
ニタニタ笑う女。その歪んだ笑顔に、華は身動き一つできない。まるで床の上にピンでとめつけられた、昆虫の採集標本みたいだった。
耳元でシャリシャリこすれる刃物の音。
床に投げ捨てられ、散らばっていく、黒髪。
「ほうら、ごらんなさい。あの人にそっくり。これまでが間違いだったの。お前は女じゃなく、男だった。そうでしょ?」
腹の上にかかる、大人一人分の体重。圧迫され、苦しい息。抵抗できるはずもない。
母親は、馬鹿みたいに笑い始めた。どうやらおかしくてたまらないらしい。
なぜそんなに笑っていられるのだろう?華には全くわからなかった。
ただ、ハサミの音と、女の笑い声だけが、閉じられた扉と扉の内側で、いびつに鳴り響くだけだった。




