部屋
「あの人、この娘のことを少年だと思っているわ。女だと知ったら、どんな反応するのかしら。」
周囲を伺い、クラーラがこそこそと声をひそめながらゾルタンに話しかける。待ち受けていた彼ら三人をその場に残したまま、華達は城の中へと入った。二人にただ付いていくだけの華には、彼らがどこへ向かっているのかはわからない。ただ、華が宿泊した部屋の方向とは違うようだ。
「そうね。総主教様には丁重におもてなしして話し合いの場を設け、納得してもらった上で円満に契約の儀をすませるように、と言われたけど、こっちは簡単に気持ちを切り替えられないわよ。
それでなくても問題は山積みだっていうのに、どうしてこんなことになってしまったのか。総主教様も酷なことを言う。王を選ぶのは、はじまりの王が残した魔道具であって、あなた方ではない、ですって。
でもね、絶対誰かが言い出すに決まってる。それでなくたって、どうやってあなたをドラクール公から引きずり落とそうかと手ぐすねひいて待ってるっていうのに。
王として選ばれたのが女だったのは、公にその資格がなかったからだとか何とか、難癖つけてくるに決まってる。そういった連中に、今度のことは格好の口実を与えてしまうでしょうね。」
クラーラの態度は、どうやら外向きの時だけ華を王扱いする、に変わっただけみたいだ。現に今も、華のことなどそっちのけで、ゾルタンに向かって話をしている。
「とにかく色々なことが起こって疲れたわ。また明日、考えましょう。この娘は、私が例の部屋に連れて行くわ。」
クラーラがべらべらとまくしたてている間、ゾルタンは終始無言だった。彼は、廊下の突き当たりで立ち止ると、華に向かって軽く会釈をした後、そのまま立ち去っていった。
「お部屋はこちら。」
クラーラは華に向かって言い、再び歩き出した。
何、例の部屋って?
いったいどんな部屋に連れて行く気なのだろう。話し合いをして、円満に契約をしろ?説得という名の強要なんじゃ…。部屋って、普通じゃない、鉄格子のついた部屋とか…?でも、こっちの廊下のあたり、あっちと違って少し高級ホテルっぽいなぁ。あちこち壁に絵が飾ってあったりするし。
彼らのことを全く信用していなかった華は、そんなこともチラリと頭で考えたりしていたが、通された部屋は、別の意味で普通ではなかった。
なんだこの部屋は、ベルサイユ宮殿か!
華がそう思ったのも無理はない。広々としたその部屋の壁は、渋みのあるワインレッド。それも、普通の壁紙ではない。絹の織物を使った、贅沢な布クロスだ。同じ布が、ソファや椅子の座面等にもつかわれ、家具という家具の縁取りには、金箔が貼ってある。指し色には白を使い、絵の額縁やシャンデリアは金色、モザイク模様の床には、植物や動物の織りこまれた絨毯がひかれていた。
クラーラは、華を先導するようにさらにその奥の扉を開ける。そこは、前室とは打って変わって、色が逆転している。今度は白を基調に、ワインレッドが挿し色になっている。天蓋付きのベッドのカーテンや、クッションをはじめとするベッド周りのリネン類は全て白で統一され、壁も白い。傍に置かれたフットスツールなど、椅子の座面はワインレッド。家具は木の部分が白く塗られ、金の装飾がアクセントになっていた。壁際には大きな鏡が取り付けられ、ドレッサーが置かれている。他にも、専用の書斎、広いバスルーム、衣装がまだ入っていないクローゼット等々、とにかくゴージャス、の一言につきる。
「ここが、王のために用意されている部屋よ。まあ、この建物自体が全部王のための建物だから。もっとも、王のために用意されているのは、ここだけじゃない。王都にも専用の屋敷があるし、各領にも、選定公の用意した屋敷がある。
こちらの建物が、これからあなたの住む所になるわ。部屋が気に入らなければ、模様替えをしてもいいし、代々の王が残した美術品や飾り、宝石なども別のところで管理しているから、それを使ってもいい。召喚されるまでは、どのような王が来るかわからないから、一応、前のままになっているの。」
クラーラが、そう言いながら華を手招く。
「私はこれから、侍女や必要ものとか、とりあえずそういったものを用意させる。それらが整うまで、こちらで休んでいてちょうだい。」
彼女が部屋を出て行き、扉は閉められた。
華は一人になった途端、ぺたん、と床に座り込む。
眩しすぎる…。
人には、分相応というものがある。この豪華さ、華やかさは全く落ち着かない。ここで休んでいろと言われたが、休めるわけがない。部屋は前のままだと言っていた。ということは、先代の王は、こういった豪華な部屋が好みだったのだろう。
それにしたって、いったいどこに座ればいいの?
どこもかしこも、絹布を貼った椅子だらけだ。ベッドルームは真っ白で、横になろうにも汚してしまったらどうしよう、という心配のほうが先に立つ。金ぴかだらけの家具は、うっかり傷でもつけてしまいそうで怖い。天蓋付きのベッドなんて、言葉では知っていたけれど、生まれて初めて目にした。
全く落ち着かない。昨日泊まった部屋で充分なのに…。
だいたい、今まであのボロい安アパートに住んでいたのだ。こんなところ、気が休まるはずがない。ここに、いつまでいればいいのだろう?部屋、変えてもらえないかな。メイドさんと同じような部屋でいいのに…。華は早くも逃げ腰だ。
そういえばここって、城だった。昨日泊まったところが、なんとなくビジネスホテルみたいなところだったから、そういうものだと思っていた。けれど、あちらはどうやら城の中でも身分の下の人達のための部屋だったのだろう。飛行機なら、すし詰めのエコノミーから、ビジネスクラスを飛び越え、ファーストクラスのVIP待遇へとクラスチェンジされたようなもの。そのあまりの落差の激しさに、華はついていけない。
確かに、少し生活が楽になればいいと望んだことはある。お金の心配がなくなり、ちょっとお洒落を楽しんだり、買い物したりできる余裕があればって。でも、だからといってこれはあんまりだ。こんなピカピカだらけでやたら金のかかった部屋は、華の好みではない。この見返りに何をさせられるのかも怖い。
はぁ…。
華は大きく溜息をつく。
お茶でも飲むか…。
安らぎとは程遠い居心地の悪さに、華はいつも通りのお茶を求めた。クラーラに着せられていたマントを脱ぎ、背負っていたリュックを床に下ろす。角が擦れて黒くなり、ちょっと綻びもあるナイロン製のリュックが、惨めなくらい場違いに見える。
水筒を取り出し、ボタンを押した。ほんの少し香る、お茶の匂いが、昨日までの華のいつも通りを思い出させる。ふわっと漂う日常の残り香に、胸が痛くなる。口をつけたが、ほんのしずくが垂れてきただけで、お茶が出てこない。水筒は、すでに空っぽだった。
うう…、もう、無い。
華は、あきらめきれず水筒の上蓋をひねってはずし、中を覗き込む。だが、結果は変わらない。
ホテルだったら、お茶が飲めるようにポットやカップが置いてあるけど、ここはどうかな。バスルームから出る水って、飲めるのだろうか?でも、外国では飲む水は買うものとされていたりする。バスルームの蛇口から出る水も、煮沸しないと飲めないのかもしれない。
ふと、壁際に配置されたサイドテーブルの上に、水差しとガラスのゴブレットが用意されているのが目に入った。華は近づき、蓋を開けてみる。思った通り、水が入っている。隣にゴブレットも一緒に置かれているのだから、多分、これは飲み水なのだろう。けれども、これはいつ用意されたものなのだろう。ずっと置きっぱなしになっていて、中身が腐っていることだって、あるかもしれない。
華は鼻を近づけ、水差しの上からクンクンと匂いを嗅ぐ。変な匂いはしない。手の平に少しこぼして、さらに鼻に近付けてみた。が、やっぱり腐っているようには思えない。
大丈夫かな?これって、飲み水だよね。変な匂いもないし、平気、かな…。
華は首をひねりながら水差しの水をゴブレットにつぐ。光に透かしてみたが、泥や埃も入っていない。透明だ。
平気みたい。でも、お腹を壊すといけないから、一口ぶんだけにしておこう。
華はゴブレットを持ちあげ、口に運び、水を一口ぶんだけ飲む。それがこの先、どのような結果を引き起こすかも知らないまま。




