総主教
その部屋の壁は、寄木細工で出来ていた。
様々な色合いの木片。それらが複雑なジグソーパズルのように組み合わされていて、だまし絵のように不思議な奥行きを持つものになっている。つるんとした壁のはずなのに、立体感を人間の視覚のほうで感じとってしまうのだ。それは、不思議な感覚だ。
壁は、書棚になっていた。本当の書棚ではない。木、それ自身の持つ濃淡だけで、書棚のように見える寄木細工。棚の下部分は、机になっている。そちらもまた、寄木細工でそこに机があるかのように表現されているだけだから、やはり使えるわけではない。使える家具のように見える、一種のだまし絵なのだ。
上の方は、扉の閉まっている部分と開いているように見える部分があって、小物が置かれていたり、地図が広げられていたりする。とても首が長くて大きな亀の甲の上に、地面がのせられている、古代の人が想像した世界図風の地図だ。本を持つ人物の絵もある。いわば、寄木で壁に飾られた絵までを表現しているのだから、驚く。
とても面白いと思う一方で、材料が木だけで製作されているせいか、不思議と落ち着く。どうもここは、公に誰かを招いて謁見する部屋というよりも、書斎か仕事部屋のようだ。こんな部屋を作った人は、いったいどのような人なのだろう?ここを使っている人が、作らせた本人とは限らないが、もし選んでこの部屋を使っているのなら、興味深いと華は思った。
部屋の奥には、三人の男が待っていた。中央の一人は大きな机に座っており、他の二人はその脇に立っている。三人とも黒い制服らしいものを着ていたが、立っている一人は帯剣していたので、護衛なのかもしれない。
ドラクール公であるゾルタンが来ても、中央に座る男は動かなかった。どうやら彼の方が立場が上みたいだ。そういえば、クラーラも総主教様、と様をつけて呼んでいたなぁ、と華は思い出す。
華達三人は、立ったままだ。一番前に立つゾルタンが、例の挨拶らしきもののあと、話を始める。クラーラは斜め後ろに控え、華は彼ら二人に隠れるようにして、後ろから様子を伺う。彼らの会話は全くわからないものなので、聞き取ろうとする努力を、華は最初から放棄している。クラーラが、華の代わりに帰らせてくれるよう頼んでくれる予定だったから、部屋の装飾を眺めながら、彼女が発言するのを待っていた。
「ゾルタン・ヴァルツァーレク!!」
バンッ、と机をたたく音とともに、名前が耳に飛び込んできた。その怒気をはらんだ声に、壁を眺めていた華も思わずビクリと反応してしまう。
な、今の、何?いったい何が起こっているの?
多分、名前のみだったから、言葉のわからない華にも理解できたのだと思う。ドラクール公のフルネームは、ゾルタン・ヴァルツァーレクだったのか。華はここにきて初めて、彼の姓名を知った。
机を叩いて怒気を現したのは、総主教様、と呼ばれている男のようだ。彼は立ち上がり、ゾルタンに向かって何かを言っている。その声音の激しさは、穏やかな交渉とは程遠い。どう見ても、ゾルタンが叱られているようにしか見えない。
いったい何が気に入らなかったのだろう?声を封じられ、顔を見せるなと言われていた華は、フードの下からそっと彼らを観察する。
クラーラは、華が交渉の邪魔をしないか警戒して魔法までかけていたのだが、結局のところ、総主教を怒らせているのは彼らのようだ。
まるで学校の先生に怒られている子供みたいだな。華はそう思った。でも、彼が何を咎めているのかまでは、わからない。
言われっ放しで黙っているゾルタンに痺れを切らしたのか、ここに来て初めて、クラーラが口を開いた。
「私が召喚の魔道具を使ったのは、ゾルタン、いえ、ドラクール公が浮遊城を操縦しつつ、様々なことに目を光らせていなくてはならなかったからです。
恥を忍んで申し上げますが、ドラクール領内はゴタゴタ続きで、とても一枚岩とはいえない状態です。ドラクール公になったばかりの彼はとても若く、本来なら彼を後見すべきヴァルツァーレク家もその責任を果たしておりません。
そのせいで、彼の味方は少ない。貴族達は反抗的ですし、少しばかりの協力も、しぶしぶ行う始末なのです。王の召喚時に何かが起これば、対処できるのは彼だけ。
我々をよく思わない連中は、召喚自体を邪魔しかねない状況だったのです。そこで、召喚そのものを秘密裏に行う必要がありました。それに総主教様、この娘は、元の場所へ戻りたがっております。戻らせてほしいと、自分から私共に願い出ているのです。
今まで召喚された王は、全て男性でした。ドラクール領は、強い王を欲しております。いやがる娘を無理にここに引き止める必要はどこにも。」
ん?ちょっと待って。
引き止める?誰が?なんで?
クラーラの発言に対し、総主教が何か答えている。口調は静かなのに部屋の空気は重い。
たくさん交わされる会話の中で、唯一理解できるクラーラの言葉に、華は神経を集中させる。総主教の声の調子は、とても彼女の発言を是としているようには聞こえない。
しかし、クラーラは尚も食い下がろうと、口を開くことをやめない。この粘り強さは、こういう時にはありがたい、と華は思う。
「言葉が私以外通じないのが、公と契約していないせいだということは理解できました。でも、本人が、いえ、王自らが元の場所へ帰りたいと、そう望んでいるのです。かなえるべきです。
だいたい、ドラクール公領でこのような子供が王になっても、誰も喜びません。あり得ないことです。貴族を始め、領民誰もが歓迎しないに決まっています。よって我々は再召喚を。」
そこで、彼女の言葉は総主教の激しい声によって無理やり遮られた。
???王?
彼らは何を言っているの?
華はクラーラの言葉で、なんとなく話の切れ端を掴む。つまり、ゾルタンとクラーラの主張は却下されたのだ。それどころか、クラーラが召喚を行ったことも問題にされている?魔道具の不具合じゃなかったってこと?召喚は間違いではなかったの?言葉が通じないのは、契約していないせい?
華は、両手を握りしめる。なんなの、いったい。それって、元の場所へもどしてもらえないってこと?クラーラが、誰も喜ぶ人はいないって言ってるじゃない。なんで、どうして?!
その時、不意に華の膝裏あたりに、温かい何かの塊がトン、と軽くぶつかってきた。思いもかけない接触に、華の膝はカクッとなり、思わず力が抜ける。
なんだろう?
そっと振り向いた華の目に映ったのは、大きくて真っ白な毛皮の塊。
『ひぃっ。』
声にならない悲鳴をあげ、ドサッと倒れこむように尻餅をつく。華を隠すように包んでいたマントが大きくめくれ、被っていたフードが半分脱げる。大きな物音がたち、部屋中の視線が何事かと集まる。会話は途切れ、静寂が広がった。
そこにいたのは、虎。白くて大きな虎。
華は、あまりのことに腰が抜け、身体が上手く動かない。かろうじて少しばかり動く手足で、這いずるようにジリッと後ずさりするのがやっと。
虎!なんでこんなところに虎が!
食われる…。無理、大きすぎる、逃げられない…、頭から、バリバリと…。
白虎は、華の足元に大きな顔を寄せて匂いを嗅ぎ、宝石みたいに澄んだ青い目で、華を不思議そうにジッと眺めている。華は、その目に捕らわれてしまったかのように、全く目をそらすことができない。
「クリシュナ。」
静けさを破り、男の声がする。コツコツと木の床に響く足音が、華の背後に近づいてくる。
足音の主は、床にへたり込んだままま、怖くて動けなくなっている華の傍にしゃがみ込み、片膝をつく。
「クリシュナ。」
男の声に、白虎の視線が華を離れ、そちらにむかう。男は腕を伸ばした。その手が、白虎の頭の上に置かれる。
え?
手は、迷いなく白虎の頭をガシガシとなでていく。白虎もまた、その触れ合いが気持ち良いのか、目を細めている。まるで、大きな猫だ。甘えるように顔を擦り寄せている。
もしかして、この白虎ってペット?
華以外に、白虎に驚いて慌てているような人はいないようだ。誰もその場を動いていない。ここでは、怖い動物ではないのだろうか?それにしたって、こんな大きな虎を部屋で放し飼いして、どうして皆平気でいるのだろう?だいたいこの虎、部屋に入った時には見えなかったけど、いったいどこからやって来たの…??
確かに、とても美しい虎だ。一点の汚れもない白い毛は、雪のよう。だがどうだろう、このサイズ感。大きすぎる。これでは、食べられる、と華が思いこんでも仕方がない。
男が手を引っ込めると、白虎は行儀よく腰を下ろし、床にちょこんと座った。どうやらよく躾けられていて、こちらに害意はないみたいだ。大人しくじっと座っている。
華は、ほうっ、と息を吐いた。身体の緊張がゆるむ。驚きに、せわしなく動いていた心臓も、危険はないのだとわかったせいか、少し落ち着いてきた。
そんな華の目の前に、手が差し出された。
華は、手の持ち主のほうを向く。持ち主の顔は、思いがけないほど近くにあり、華は身を固くする。
片目にモノクルをかけた、紫水晶のように深い色をした目が、強張った華の目をしっかりと捉えている。その視線はどこか、相手を見透かすような、探るような色を帯びている。長くてまっすぐな髪は白銀の絹糸のように流れ、黒い服に眩しく映える。カソックのようにも、パキスタンの民俗衣装のようにも見える衣装には、今日見た制服の中で一番華やかな刺繍が施されており、色とりどりの小さな宝石が、ビーズのように縫いとめられていた。宝石箱をあやまって布の上にひっくり返したようでありながら、全体に調和のとれた輝きで、着ているものをまばゆく引き立てる。
なんて綺麗な男。
華は、素直にそう思った。綺麗、という言葉は、こういう人のためにあるのだろう。それほどに、男の美貌は別格だった。静かな佇まいでありながら、人の目を自然に引き付けてしまう華やかさがある。
「#@¥-〆〜/;」
男は片手を胸に置き、ゾルタンが華に向かってしてみせたようなお辞儀を、床に膝まづいたまました。それから、少しばかりニコッと微笑んでみせ、片手を華に向かって差し出す。
これは、つかまれ、と言っているのだろうか?
「総主教様、選定公とまだ契約をされていない王と接触するのは、総主教様といえど規則に反します。」
その様子を見ていたクラーラが口をはさみ、華は相手の男が総主教であることを理解した。クラーラに対し反論をしているのか、アメジストのような目が、咎めるようにクラーラに向けられている。
「それは…、それは、王だと知らなかったからです。女だったので、これは、てっきり間違いだと思い込んで…。
ええ、もちろん領に帰り次第、着替えは至急こちらで用意いたします。総主教様が、そのようなお気遣いをされる必要はありません。
ゾルタン、いえ、ドラクール公が、後見としてのお役目を、責任を持って行うことでしょう。ええ、そうですとも。」
クラーラは不機嫌を隠さず、半ばやけくそ気味で答えている。
どうやら総主教の目には、華の格好がみすぼらしく映ったようだ。着古したシャツや、脛に穴が開いたジーンズが、お気に召さなかったのだろう。
華は、差し出されたままの彼の手を無視し、自力で立ち上がる。倒れた拍子にずり下がったリュックを背負い直し、フードをかぶり直した。
最悪だ。
華は心の中で呟いた。クラーラは約束通り、華の話をしてくれたが、問題は何一つ解決していない。大きな声で叫び出してしまいたいが、心の醒めた部分が、魔法がかけられているから、声は出ないんだよ、と皮肉気に教えてくれる。
全くのお手上げ状態だった。世の中は、つくづく何もかもが華の思い通りにはならない。そう思い知らされただけだった。




