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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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フロート

 月に戻れぬ月詠。


 華の視線のずっと先に、三日月がささる。


 この悲しみ、苦しみ、じくじくとした痛み、全て自分のもの。


 誰にもわかるまい。わかりあえるわけもない。誰かに与えるべくもない。


 わかってもらおうなどとは、思わない。同情も慰めもいらない。これは自分のもの。誰が教えてやるもんか!華は半ばヤケクソ気味に水面を拳で叩き、ボチャン、と無意味に水しぶきをあげる。


 きっとこの先、何度も思い出すことになるだろう。この空の先には、自分の産まれた星は無く、帰るべき国も、待つ人もおらず、名前すらわすれられていることを。ちょっとした何かの拍子に、耳の奥で不意に、さざ波のように打ち寄せる遠い遠い所の音、普通に暮らす生活音の幻聴を聞くだろう。その度に、どうしてここにいるのだろうと、自分に問いかけるのだろう。


 何度も、何度も、何度も、繰り返し。


 大丈夫、私はまだやれる。大丈夫、大丈夫。


 こんなことで、潰れたりしない。今までだって、やってこれた。だから、だから、だから。


 決して誰にも埋めることのできない飢え、飢餓感。これをいったい何で埋めればいい?


「本が読みたいな…。」


 ぽつり、と一言あふれた。


 子供のころから、逃げていた。本の中に。


 本を読めば、少なくとも読んでいる間だけは、幸せでいられた。見たくない現実から目をそむけ、一時の夢、気の迷い、そんなものでも、夢の国の住人でいられるから。だから、耽溺し、悪徳のように読みふけたのだ。


 けれど、どれだけこの世界の本を集め、バベルの塔のごとく積み上げようと、この世界の字が読めない華には、今、本を読むことができない。


 本を読むためには、字を覚えるところからはじめなくてはならないからだ。今の華にとって、この世界の本は、意味をなさない記号の羅列にしか見えない。


 暗号のように隠された物語を読みたければ、幼児が積み木を積むように、最初の一文字から積み上げなくてはいけない。


 華は、クツクツと笑いだした。


 夜の静寂、どこかで囁くように鳴く獣の悲しげな響き。風が水辺を渡り、空にささった三日月が光をこぼす中、その景色に不似合いなほど歪な笑い声をあげていた。


 実に子供の身体にふさわしい、お仕事だ。今の華の身体は、どう見ても義務教育まっただ中の子供だ。


 アランも言っていたではないか、学校に行ってないの?と。この世界で学校へ行くことが義務かどうかは知らないが、当然のように質問してきたのだから、子供は学校に行くものなのだろう。ということは、この世界は識字率も、それなりに高いのかもしれない。ジャックは古本屋で店番をしていると言っていたし、本はそれなりにあるのだと期待できる。


 字が覚えたければ、どうしたらいい?ここには本が無い。魔物は本を読まない、というより、ナーガラージャが外界に出て行けず、興味を持たなかったか、存在を知らなかったせいだろう。彼はむしろ、華の話すこと、自分にとって目新しいことに興味深々だ。


 そんなナーガラージャが、ブック以外の本には興味を持たなかったのだろうか?あれ?山の上の神殿に一冊も本がないのは、むしろ不自然?


 様々な発動条件付けをするような魔法使いであるゲオルギウスのことだ、そこにも何か理由があったりして…。


 ゲオルギウスは、ブックに魔法陣を描いて魔法を発動させるような世界を作った人だ。そういう人が、神殿に本を持ち込まなかっただろうか?メモの一枚、本の一冊も残っていないというのが、ここにきてかえって華の頭にひっかかる。


 もしかして、意図的に見せないようにしていた?人の情報を与えないために?


 ナーガラージャの魔力は莫大だ。底なしといってもよい。一方、ゲオルギウスは『おおいなるもの』から魔力を融通されていた。『おおいなるもの』とナーガラージャ、どちらのほうが魔力が多かったのだろう?


 ゲオルギウスにとって魔物は、ある意味、脅威になりえるものだっただろう。華が知っているだけでも、身体能力、魔法、どれも高い。だが、どの魔物もそうかといえば、違うか。人に能力の差や得意不得意があるように、魔物もそうだ。


 ゲオルギウスは魔物を脅威に感じてカーデュエルに押し込めたのか、それともナーガラージャの優しさを思い、守るために人から遠ざけたのか…。


 わからない。


 人は矛盾する生き物だ。黒か白かで判断のできないことだってある。ゲオルギウス自身、どうしてよいかわからず、そうしてしまったのかもしれない。他人には禁じておきながら、自分だけは好きにカーデュエルに出入りしていたようだ。どうしていいかわからず、悩んでいたのかもしれない。


 しかし今、ゲオルギウスの時代は過ぎ去り、人間がカーデュエルに入り込もうとしている。子供を使って薬草採取だけですんでいるのは、まだ序の口なのかもしれない。放っておいたら、欲の皮の突っ張った連中は、さらなる儲けのために何をしはじめるかわからない。そうなれば必ず、魔物と人間はぶつかることになる。


 人間側は、魔物の実態を知っているようでいて、実は知らないのではないだろうか。人は世界を支配しているような気分でいるだろうし、魔法と文明が進んでいるという自信も持っているだろう。だが、そういった思い上がりは過信につながりがちだ。


 誰かが、このカーデュエルの資源に目をつけ、魔物を搾取する対象にすべきだと思えば、利益のために集団が動く。薬草採取は、その手始めだ。利益は人の考えすら変えさせる。その動きを止めるには、どうすればいいか…。


 ナーガラージャ自身もまた、変わろうとしている。華と共に、カーデュエルの外の世界に目を向けようとしている。約定通り、本体は山に置き、小さなトビトカゲの姿で世界を見てまわろうとしている。


 きっと今は、節目なのだ。華と出会ったことが、ナーガラージャにスイッチを押した。偶然なのか、必然なのか、華が契約した相手はこの世界のキーマンといえるものだった。


 ゲオルギウスが意図的にナーガラージャに情報を与えないよう、本などを持ち込まなかったかどうかは、わからない。結果的にナーガラージャはカーデュエルに閉じ込められ、人の出入りも制限された。


 しかし、今、時の流れがカーデュエルに変化をもたらしている。このまま放っておいたら、何かが起こってもおかしくない。


 不思議だ。そう考えていくと、華は自分がここにいることが当然だという気になってくる。これは多分、ゲオルギウスの思惑とは全く違う方向なのだろう。だが、それは仕方ない。華とゲオルギウスでは、生まれた時代、育った背景が違う。きっと、同じものを見ても同じ感想は持たない。見ているものが同じだからといって、同じ考えを持つとは限らない。


 期せずして、深く問題にかかわりそうだ。やっかいだが、大切なものを守るものだと思えばつらくない。このカーデュエルを守ることが、王都で華を追いかけまわしていた連中をぎゃふんと言わせることにもつながるのだと思えば、それはそれで相手が嫌がる一番の意趣返しになりそうだ。


 くふふ。


 思わず華は、悪者のような笑みを浮かべた。



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