落下
翼のない華は、飛ぶことなんかできない。高い山の上から、暗くて見えない地面目指して、ただ、落ちて行くだけだ。
耳を切るような冷たい風、無意味な焦燥感に押され、華は落下しながら声をあげる。
叫び声、悲鳴、言葉にならないもの、どんなに自分を騙し、言いくるめようとしても押し込めることのできなかったものが、ぽんぽん、はじけ飛んでいく。ずっと、お腹の底でグツグツボコボコと泡を噴いていたドロッとしたものが、それに飽き足らず、ここぞとばかりに噴き出ていく。
見て見ないふりをしていたものが、衝動と共に一気に爆発する。落下しながら、腹の底に目いっぱい力をこめ、怒鳴り散らすように叫ぶ。意味のないおたけび、聞き取れない言葉、華にもよくわからない音の羅列。
落ちて、落ちて、落ちて…。
そして、山の中腹の切り立った崖にはじかれ、方向を変えた。
落下の勢いがついたぶんだけ、高くはねあげられていく身体は、ロケットのように空高くのぼっていく。手を伸ばせば、空に浮かぶ、あのうさんくさい三日月にも手が届きそうだ。両手で頭を抱え、大声をあげながら、バウンドする身体。
『おおいなるもの』の成り立ちを知った時、宇宙のはじまりを表現する、よくある物語だと思っていた。だから、ここも宇宙の塵が寄せ集まってできた星なのだと、勝手に解釈していた。
けれどここは、一つのアクアリウムのようなところだ。箱の中に、『おおいなるもの』が水草や石を配置し、作ったのだ。
生き物をいれて飼うために。
まるで、小学生の夏休みの研究。透明の入れ物に砂をいれ、蟻の巣でも観察するみたい。
逃れられない運命?これがそんな簡単なもの?
ここで生まれて、ここで死ぬものには無い感覚が、華にはある。ここで生まれ育った人には、これが当り前なのだ。比較する対象を知らない人達は、ここがどういう世界なのか自覚もないだろう。
まだ耳の奥に、音が残っている。音が、匂いが、感覚が…。
触ろうとしても触ることのできない、隔てられた先にあったはずの世界を探して、華の手が泳いでいる。この、指先の震え。この、ほんの少しの隙間さえ、もう世界は開かない。
きっともう、忘れられている。自分のことを覚えてくれているものなんていない。ある日突然、大学に来なくなった学生など、誰も気にはとめない。連絡がないのも、バイトに来ないのも、よくある話。都会に住む、一人の学生が消えたことを、いったい誰が気にする?学校に通っている時だって、声をかけるものもいなかったのに。
誰もあの世界で、呼ぶものはいない、華の名前。誰も。
いっそのこと全て壊してしまおうか。今の自分なら、その力がある。今なら、ナーガラージャから融通されている魔力で、魔法を放てるのだ。厚い雲海さえ切り裂く、レーザーのような魔力を叩きつける。見通しの悪い場所に、風穴でも開けるみたいに気軽に。
魔法の勉強?浄化?王の責務?
一方的にこの世界が華を巻き込んだのだ。ちょっと暴れて憂さ晴らしをするように、プラーガ城を破壊し、華を追いかけ回した男達を逆に追い掛け回し、跡形も無く葬ることだってできる。力に身を任せて、嫌な連中を根こそぎ始末する。せっかく集めたにもかかわらず、集めた片端から壊そうとしていた『おおいなるもの』みたいに。
そして……。
そして、人殺しになる?
全くコントロールできない、大きすぎる力を振り回し、この世界ごと破壊してしまうのか。助けてくれたアラン達も否応なく巻き込んで、誰も彼も区別無く、何もなかったかのように、どこもかしこも真っ平らな平地にしてしまう?目ざわりで、気にいらなくて、思い通りにならないことだらけだから。だから、最初から、何もなかったように壊し続け、自分から奪われたものの埋め草がわりに?
なんて盛大な八つ当たりだ。関係ない者を道連れにして、無理心中でもするつもり?あの孤児院にいたヴィルのように、相手が血を流そうがおかまいなしに、自分の欲得だけをぶつける?『おおいなるもの』が狂ったように、自分も血に狂ってしまえばいいって?
くだらない。なんてくだらない欲求だ。
そんなこと、望んでいない。そんなことがしたいわけじゃない。じゃあ、いったい何がやりたかった?どうしてこんなことになった?
わかってる。元の世界にいた時だったって、決して幸福だったわけじゃないし、一人きりだった。だって、どうすればよかったの?実の親にさえ捨てられたのに、誰が助けてくれると?もう、元の世界はとっくに自分のことなど忘れている。最初から、自分なんかいなかったようにあちらの世界は華を締め出し、扉を閉じて、日常を続けている…。
ドボーン!!!!!
盛大な水しぶきがあがった。あっちこっち、どこともわからぬ夜の闇の中ではね上げられ、上下左右わからぬまま、バウンドを繰り返し、狂ったように大声で叫び続けた華の声が途切れる頃。どこをどう移動したのか説明することもできぬまま、華は気付けば一人、水の上にいた。
そして、全身ずぶ濡れになり、間抜けにも、ぷかぷかと浮き玉のように仰向けに浮遊している。それでも、水中に沈むことなく浮かんでいられるのは、ナーガラージャのネックレスのおかげなのだろう。
水は、凍りそうなほど冷たい。
それもそうだ。昼前まで辺り一帯は、ナーガラージャの魔法によって、雪が降り続けていたのだから。
おかげで、頭も冷えた。
吐き出せるだけの声量で叫び続けた華の絶叫は、暗い夜の闇に吸い込まれていき、消えていった。聞こえるのは鼓動、聞こえるのは呼吸、聞こえるのは水音…。
本当に無茶苦茶。
自分でも、どうにかしてるって思う。なぜ今になって、こんな衝動的なことを。
ああ、でも、耐えられなかったんだ。優しくされることに、耐えられなかった。その優しさに甘える自分、心配させる自分。
自暴自棄に見えて、山からダイブしたって死なないであろうってわかっている、今の自分の身体。それを、心のどこか、冷静なところでわかっていて、飛び出していったんだ。自分の力でも何でもない、他人の力に寄生し、寄りかかり、かわいそうな自分に酔いながら…。
そんなことをしている自分のあさましさ、醜さ。
今さら悲劇のヒロインぶってどうする?今度は、自分が魔物の仲間になったつもり?どんなにそう思っても、このネックレスがなければ死んでいただろうに。
歪な自分、歪な世界。中途半端な自分、中途半端な世界。
ある意味、お似合いだ。何ておあつらえ向きな世界。ここが私のいる世界。私がふさわしいと選ばれたのなら、そうかもしれない。なんたって、抽選で選ばれたのだから。途切れ、ぶつ切りに切り離された世界。その王に選ばれ、連れてこられたのだから。
もう、迷子のふりはしない。そんな弱い自分はいらない。ここに神はいない。どんなに願っても救いはない。神のごとく崇拝されている『はじまりの王』はただ、自分と同じ境遇に陥る人間をどこからか自動的に連れて来るシステムを作り上げ、この地のどこかで朽ちているだけだ。
救われたければ、自らで救わねばならない。ここは断絶された世界で、別世界から王を迎え入れることで、なんとか滅びの淵から免れているだけなのだ。
世界を取りあげられ、世界を与えられる。
なじみ深い世界のかわりに、与えられた歪な世界。
歪な世界の歪な王。
ならばここを自分の世界に作り変えてやる。ここに君臨しろというのなら、もらってあげる。でも、私は私のためにここを自分の世界にしてやる。気に入らないものは蹴散らす。妥協なんてしてやらない。苛烈でもいい。この歪さにふさわしい自分になってやる。誰の思惑も踏み潰してやる。『はじまりの王』も、ゾルタン・ヴァルツァーレクの願いも知ったことじゃない。
王でも神でもいい。どうせ自分は、八百万の神が住まう国の出身だ。あの国は、祟り神すら祭り上げ、一柱にする国。
華はここでは、決して帰れない宇宙人なのだ。




