中庭の魔法
華は、わざわざ断ってから何かを言うなんて、いったいこの人はどうしたのだろう、と思った。
「昨日も言ったけど、最後まで気を抜かず、フードをきちんとかぶって、顔を見せないようにしてちょうだい。あなたの顔立ちは、こちらではめずらしいから、とても目立つ。それから、騒ぐのもやめてほしい。」
「私、騒いだ覚えはないけど。」
「あなたの言葉は、私以外、ここでは誰にも通じない。今のところ、私が代弁するほかない。それを忘れないで。」
華は、やんわり抗議したのだが、あっさり無視された。
「私たちはこれから、総主教様のところへ行く。あなたも連れて行くけど、そこで私はあなたを総主教様に引き取ってもらうつもりよ。
だって、私にはあなたの希望通りあなたを元の場所に帰すことはできないのだしね。総主教様があなたをどうするかは、私にはわからない。
総主教様のお考えを知ることなど、私にはできないから。でもね、あなたが私の言うとおりにしてくれるなら、あなたのことを頼んであげてもいいわ。
昨日も言った通り、私が行った召喚手順には、一つの間違いもないの。だから、あなたがこちらに来てしまったことが、魔道具のせいだと相手にはすぐにわかってもらえると思う。
あとは再召喚のための魔石と魔道具をもらえればいいだけ。私にとってあなたの問題は、おまけなの。私がうまく伝えられるかどうかは、あなたの態度によるってこと。」
「私がここにいるのは、あなたのせいだと思うのだけど。」
「そう、そういう態度を総主教様の前でしてほしくないから、あらかじめ注意しているのよ。」
他人に迷惑をかけているとか、そういう気持ちは全く無いのだろう。ここまで自分本位だと、いっそ、すがすがしいくらいだと華は思ってしまう。要するに、自分達に話が有利になるように、お前はおとなしく協力しろ、ということか。
「言うとおりにって、何をしろっていうの?」
「あなたに魔法をかけるわ。沈黙の魔法を。」
「沈黙の魔法?」
「そう。簡単な魔法よ。人前で口をきけないだけ。」
クラーラはなんでもないことのようにいう。
「王の召喚は、国中の注目を集めている。皆、どんな王が来るか、噂をしながら待っているの。それなのに、魔道具が壊れているせいで、あなたが来てしまった。
言葉も通じず、男でもないあなたが召喚されたと皆に知られたら、それはドラクール公ゾルタンの失敗として、彼の汚点となってしまう。
たとえ再召喚で新しい王が来ても、最初の失敗のことで、彼は悪く言われる。それなのにボリスは…。」
「ボリス?」
華が聞き返すと、クラーラはあからさまに華を睨みつけた。
「ゾルタンの父親よ。とにかく、誰かに顔を見られたり、口を聞いてほしくないのよ。わかるでしょ?」
いや、それって全部そっちの都合でしょ。華は口にはしないが、心の中でつぶやいた。
でもまあ、こういうことなのだろう。これから自分達は不良品の華を連れて行って、新品のものと交換してもらう。正規の品をきちんともらうために、不良品の華を持ちこむわけだ。不良品の華を、店が元の製造元に送り返すかどうかは店側次第。店の心証をよくしたいから、不良品の華は黙って店に持ち込まれるだけにしろ。騒ぎを起こして心証を悪くしたら、華は廃棄されかねない。口封じの魔法を受け入れるのなら、廃棄されず製造元にきちんと送り返されるよう、説得してやる。
「魔法なんてかけなくても、口を閉じていればすむことだと思うけれど。」
「いいえ、何があるかわからないもの。それに、あなたがおとなしくしていてくれるとは限らない。咄嗟に何かを叫んだりするかもしれない。
あそこには、いろんな人がいる。それに、総主教様はとても厳しい方なの。間違っても機嫌を損ねたりして、全てを台無しにしたくない。私は、保証がほしいの。」
クラーラは、何を恐れているのだろう?華は、疑問に思った。事は、召喚のことだけではないのだろうか?こちらの事を何も知らない華には、推測したり判断するための材料になるものが足りなさすぎる。
とてつもなく不利だ。が、仕方ない。ここは、アウェイなのだ。門外漢の華には、他に頼れる人もいない。クラーラ以外に、華の言葉を理解でき、通訳できる人はいないのだ。一緒に行くゾルタンとは、意思の疎通もできそうにない。最初から華には選択肢なんてないのだ。
「私を元の場所へもどすよう、きちんと頼んでくれるのね。」
クラーラは、ニッコリ笑う。
「ええ。あなたがおとなしくしていてくれるのなら、ちゃんと総主教様に頼んであげる。約束するわ。」
華は了承するほかなかった。
クラーラは、昨日と同じように帯に下がる銀の鎖に手をかける。鎖の先から、するりと杖が離れ、クラーラの手の中に納まる。
「ブック。」
杖の先に触れた本が宙に浮き、その大きさを変化させる。
「開け。」
銀の鍵が、カチリと小さな音をさせ、隠していた秘密を開く。
「検索、音声。」
本が開き、パラパラとページがめくられていった。描かれている記号図を覗き込み、クラーラは軽く頷く。
「声の消去。」
クラーラの杖が、華に向けられる。杖の先から、雲気のようにとりとめもなく、つかみどころのないもやもやとしたものが、ほのかに灰色を帯びた靄となって放たれ、それらは華の首元にとりついた。靄は、あっというまに色をなくす。そして、どこかに吸い込まれてしまったかのようにすぐに消えて見えなくなった。
それを確認したクラーラは、本と杖を元の位置にもどす。本は大きさを変え、杖と共に鎖につながれる。
華は口を開き、あー、と声をだそうとしてみた。しかし、全く声は発せられない。聞こえてくるのは、喉から発せられる息の音だけ。本当に魔法が効いているようだ。
「ちゃんとかかっているみたいね。これで大丈夫。安心して、約束は守るから。」
当り前だ。守ってもらわなくては困る。華は元の場所に帰りたいのだ。
丁度そこへ、ゾルタンが反対側からやって来た。昨日と同じ黒いフロックコート姿の彼は、華の前に来ると胸に片手をあてて頭を下げ、軽く会釈をした。彼のほうはクラーラと違い、全く華と会話ができなくても、最低限の儀礼を行おうという気持ちがあるようだ。それを無視するほど華は子供ではない。だが、こちらのあいさつの仕方を知らない。そこで、日本式のお辞儀を彼に返した。
「それじゃあ、行きましょうか。」
クラーラはゾルタンを促し、三人は通路から踏み石伝いに、池の中にある例の石舞台へと足を踏み入れた。
丸い石舞台の上には、たくさんの記号が彫られている。記号は、石舞台だけでなく、三柱の内側にも彫られていた。
ゾルタンが、フロックコートの内側から杖を右手で取り出す。彼の杖は、クラーラのものと違い、全体が黒っぽい。持ち手のほうには、細かい金の象嵌模様が入っている。おまけに、杖の持ち手側の端に、オニキスのように黒い石がついている。
左手でベストにかけてある鎖をたぐり、昨日も取りだして見せた懐中時計のようなものを出す。蓋を開けると、ゾルタンは軽く杖で触れ、何かを呟いた。
スケルトンの金属パーツの中で、鼓動するぜんまい心臓に見える、トゥールビヨンに似た何か。それが、小さな青い稲光の光と共に浮き上がり、そこから黒い本が飛び出て来た。本は大きさを変化させ、宙に浮く。
本の表紙には、金色に踊る細かなアラベスク模様と共に、小さな宝石がいくつかはまっており、金色の頑丈そうな鍵がついている。
ゾルタンの呟きと共に、鍵が開く。
空中でめくられていくページ。その一枚一枚のページは、クラーラのものとは全く違い、彩色されている。その色合いは、アイルランドのケルズの書に似ている。
美しい…。
華の呟きは、かけられた魔法のせいで音にならない。相変わらず、彼の言葉は一言だって聞き取れない。
たくさんの記号や文字のようなものが書かれた本を、ゾルタンは杖で軽くはじくように触れる。彼の言葉と共に、ページに描かれた記号達は、ぼうっと青く輝きはじめた。そうして、するすると一列に行儀よく並んで浮き上がり、本の上でぐるぐると回り始める。
すると、同時に石舞台の上や、三本の柱に彫られた文字からも、同じように青く光を放つ文字たちが、本の上と同じような動きで石舞台の柱をめぐるようにぐるぐると回り始める。
周囲の景色は失われ、三人は青色に包まれていく。ぐるぐると回る青を目で追いかけていた華は、目がまわりそうだ。
身体の線が曖昧になり、金色の粒子がもわもわと足元から立ち上り始める。先行きのわからぬ不安、焦燥、そんなものと共に、華は金色の欠片、分解されうる、一番小さなものに変化していく。人の目には捉えにくいものとなり、あやふやな存在となったものは、陽炎のように立ち上り、消えていく。
そうやって、華は再び、目的地がどこかもわからないまま、金色のもやとなって転移させられることとなったのだった。




