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ふわりと。

 ふわり


 ふわりと。


 浮かぶもの。


 それは、


 それは?


 一体、


 一体?


 なんだったのだろう。





 誰かの為に生きることなんてそう簡単に成し遂げられることではないけれど、逆に、自分の為に生きることも大概に簡単な訳じゃない。つまるところ、上手にこの世界を生きている人なんてそうそう居ないと言うことだ。


 人間皆、常に不安定な所に立っている。安定なんて言葉は最早夢にさえ見ない甘美な響きで、それだから、人は自分より優位な立場にいる人間を、嫉妬と、羨望の眼で睨み続ける。そしてその人間は、自分より下位の立場に居る人間を、優越と、嘲笑の眼で見下し続ける。


 優越感と劣等感。


 どちらも下らない、けれど人間一度は感じた事のある負の感情。

 そして、それは――。



「……あの、先輩」



 とってもとっても――。



「先輩ってば」


 ……。

 後ろから話しかけられる。折角、素敵な素敵な精神論を繰り広げていたと言うのに。

 わたしは一瞬溜息を吐きかけて、止めた。

 そして、対象の情報を確認する。

 月野珠羅つきのしゅら。公立浜百合高校一年生。弱金髪と藍色の瞳という劣性遺伝子所有者。人の良さそうな声と、どうしようもない毒舌のギャップが特徴的。

 オーケイ。認識完了。


「……なんだい、月野くん」


 振り返らず、そのまま会話を開始すると。


「聞き苦しいんですけど」


 ……。

 わたしの精神論が、読んで字の如く木っ端微塵に粉砕された。

 全く……。


「……きみね、なんでこういう意味不明のタイミングで他人の思考回路に"介入"するかな。しかも、其れは随分と酷い言い草じゃないか」

「別に先輩の精神論を聞くために"介入"した訳じゃないですよ。たまには、先輩の頭の中を覗いてやろうと思って」

「すまない一遍死んでくれないか犯罪者。……全く、本当にその能力はどうかした方がいいと思うぞ? 将来のお前が心配だ」

「先輩に心配される程落ちぶれちゃいませんよ。普段は自制してます。というか、他人の頭の中なんて元々見たくもありませんよ」

「……わたしは何なんだ、わたしは」

「先輩は、特別です」


 ……それは、プラス的な意味ではなく、間違いなくマイナス的な意味なんだろう。


 月野珠羅は、生まれつき人間の常識を逸脱した能力を有していた。其れは先天的と言ってしまえばそうなんだろうし、違うと言ってしまえば異なってしまうような、まさに空前絶後、そして前代未聞のアヴィリティ。異様であり、異端であり、幸であり、不幸であった。

 他人の脳内に――つまり、思考――自分の聴覚の一部を介入させる。そうすることにより、他人の考えていることが、普段の生活雑音に紛れて聞こえるようになる。

 それが、月野珠羅の持つ能力……"介入"であった。


 そんな"介入者"を背後に立たせ、わたしは、一介の平凡な女子高校生であるわたしは、静かに嘆息した。


「……そう言えば、先輩。いつまで寝ているつもりですか?」


 ……寝てる?

 寝てる……って事は何か。ここは、わたしの夢の中なのか。


「そうですね。まあ色々言いたいことはあるでしょうけど、さっさと起きてください。ちょっぴし大変なことになってます」


 お前がわたしの夢の中に介入してる時点で、既に一般常識から考えて大変なことだけどな。


 と言う訳で。

 犯罪予備軍の月野くんを頭の中から追い出して、わたしは、目を覚ました。





   *





「でさぁ」

「はい」

「此処何処よ?」

「……さぁ?」


 眼を覚ましたわたしが見たのは、広大な草の海でした。

 さわさわと、心地よい風が吹く度に揺れる草々。鳥が気持よさげに空を謳っている。いや、何あの鳥。翼無い気がするんだけど。幻覚? 幻覚か。

 そんな異国情緒溢れる草原地帯のど真ん中に、わたしと、そして何故か月野くんの二人は、かなり戸惑いを隠せずに座っていた。


「とりあえず……ちょっと、落ち着こう。色々と整理しよう。まずわたしから。普段通り放課後の美術部の活動中、眠くなったので眠った。夢の中に月野くんに"介入"される。目を覚ましたら此処にいた。以上」

「次ぼくですか? ぼくですか。えーと、普段通り放課後の美術部の活動中、怪しげな雑誌の中にあった"逆召喚術"とやらを行使。そのあと眠くなったから寝た。そして眼が覚めたら此処に居て、隣に先輩が寝ていたからなんとなく"介入"を行った。以上。 んー、分からないですね。なんでぼくら此処に居るんでしょう」

「ふざけんなよおまえ」


 呟きながら月野くん狙って回し蹴りを放つ。座りながら。

 其れを気鋭な後転――……。――で避け、月野くんはわたしを憮然とした面持ちで眺めた。


「何するんですか。危ないですよ」

「いや、何言ってんのかなきみ。明らかにお前が原因じゃねーか!?」

「ですね」

「開き直るなよ!?」


 ふっ、と鼻で笑い、月野くんは立ち上がった。そして、あたりをきょろきょろと見回した。……あれ、何でわたし笑われたんだ?

 わたしも立ち上がり、月野くんと同じようにする。そのまま、自然な感じで溜息を吐く。


「……とりあえず、その"逆召喚術"とやらで変な所に飛ばされたのはもう仕方ない。今は、どうにかして帰る方法を考えよう」

「それにはまず、何処かの街か何にでも辿り着く必要があると思いますね。あ、あそこになんかあります」


 月野くんが指指す先を見ると、成程確かに"何かある"。


「行くか」

「……躊躇わないんですね」


 そりゃぁ、早く帰りたいし。

 わたしと月野くんは同時にため息を吐き、そして、その"何かある"がある方向へと歩き始めた。


「ややこしいです」

「だから"介入"すんなっての!」





 "何かある"がある方向にあった物。それは、ルワラエと言う異世界よろしくファンタジー溢れる街だった。



「……黒ローブだ」

「……黒ローブですね」

「……」

「……」


 目の前の光景に、眼をしばたたかせるわたしたち。この街の住民さんたちは、揃いにそろって俗に言う黒ローブなるものを着用していた。

 小説でしか見た事のない衣服。俗に言う、着用者の魔力を増幅させる物……。

 と言うことは、あれか。此処は俗に言う魔法使いの街――?


「そんな事無いと思いますよ。あそこの人なんて剣携えてますし。結構達人っぽい。その隣の人は普通に黒ローブだけど……。あ、走り出した。うわぁ、早いなぁー……。 まあ、此処が異世界であることには変わりないでしょうね。何て言ったって逆召喚術ですし。 それと、『俗に言う』を使いすぎです」

「気にするな。……それにしても異世界、ねぇ。何処の言葉だよ、全く」


 はあ、と溜息を吐く。そんなわたしを見て、彼が、一言。


「日本じゃないですかね」

「さて、少し歩いてみるか」


 五月蠅い人には完全無視が一番効率的、と誰かが言ってたな。

 わざと月野くんを離すように歩き始めた。

 しかし、歩き始めても周りの人の目がやけに痛い。いやそりゃあこんな黒ローブだらけの中に、普通に異文化であるはずの制服を纏った二人組が歩いてるんだから、当然と言ってしまえばそれまでか。

 暫くして、月野くんが隣に並んだ。


「で、どうします? ぼくたちこっちの言葉はわかるようですけど、いかんせんお金がないです。帰る方法と言うか、まず食料的な問題が」

「うむ……どうしたものかね」


 まず、異文化語で書かれたルワラエと言う文字が、いとも簡単に解読できた時点でlanguage的な問題は大丈夫なのだろう。たぶん。

 しかし、そう。わたしたちにとって一番の問題は、食料の調達にある。こっちに来た時点で所有物は制服と月野くんの"介入"能力だけだったので、勿論のこと金がない。野兎を狩る? 無理だろ。そんなスキル無いし。あったとしても生肉をどうしろと。というかまず、こっちってまさか魔物とかいるんじゃないだろうな。

 幸いまだそんな腹は減っていない。しかし、そんな一握の不安はぬぐい切れない。あぁ、もうどうしようか。


「とりあえずまあ、このまま街を一周……って、なんですかねあれ」

「うん……?」


 月野くんが言う方向をみると、此処から見た通りの向こう側に、何だか何だか人だかりが出来ていた。あー、ベタな展開だな、本当。

 行くか行かざるかの判断に迷っていると、不意に、月野くんじゃない誰かに話しかけられた。


「あの……貴方たち何処の方ですか……? 全然見た事無い服着てますね……」

「あぁ、いえ。別にどうってことない平凡な場所からぼくたち来たんですよ。まあ、あっちの事はおそらくこっちには知られてないんだろうけど……。ちなみに、この服は"制服"と言います」


 話しかけてきたのは、わたしたちとそこまで歳が変わらなそうな少女であった。服はやっぱり黒ローブ。ちなみに余談ですが、何故月野くんはこんな柔軟な対応ができるのでしょうか。……まさか。


「馬鹿な想像はやめてください。ぼくは地球人です」

 

 はい。


 と、黒ローブ少女がわたしと月野くんを交互に見て、言った。


「"清福"? もしかして神職者の方々ですか?」

「え? 神職者?」


 月野くんと同時に声を上げる。なんですかそれ。


「神職者なんですね!? うわぁっ、こんなところに居るなんて……! ちょ、ちょっと来てくださいっ!」

「あう? あうあー?」


 一人興奮する黒ローブ少女。抗議の声も聞かれず、わたしたちは手を取られて少女に引っ張られていった。

 なんだ、これ。





   *





 連れて行かれた先は、何処にでもありそうな平凡な――……と言うと酷いかもしれないが――家屋の下。わたしと月野くんを家の中に入れ、黒ローブ少女はにこにこしながら後ろ手で家の扉を閉めた。一体何をされるんでしょうかね。

 黒ローブ少女が、ニコニコしている。

 ……いや、全く。


「すまない、ちょっときみ」

「はい? なんでしょう?」


 声をかけると、そのニコニコの笑みをこちらに向けて、黒ローブ少女は反応してきた。

 ……。

 だめだ。

 わたし、この子苦手。


「ちょっとばかり意味が分からないのだが……、まず神職者とか分からないし。それよりも、こんなところに連れ込んで何をしようって言うんだ?」

「先輩、その発言少しエロいです」

「黙ってろ」


 いちいち五月蠅い月野くんを黙らせ、私は黒ローブ少女の反応を待った。

 すると。


「いえ……実は、貴方たち神職者の方にお願いがあるんです」

「……お願い?」


 だから神職者じゃないって、という言葉が喉元まで出掛けた所を抑え、わたしはなんとかそれだけ言った。

 お願い……か。その、神職者とやらじゃなきゃできない事って、一体。というか、だから神職者って一体全体なんなんだって。

 と、今までニコニコしてた黒ローブ少女が、いきなり真面目な顔になった。

 黒ローブ少女の反応を待っていたわたしは、余りの急な変化ぶりを見て、少しだけ驚いた。


「その……まず私の家の事から説明しますね。……私の家は元々、一人娘である私を含めて、お父さんお母さんの三人家族だったんです。三人で、貧しくはあったけどそれなりに幸せだったんです。……けど、数週間前、この街の長である、サヴェノタールが私たちの家にきて……それで、私の両親をさらって行ったんです。 それで最後に、両親を返して欲しくば、二ヶ月の間に三十万リアレを用意しろって……!」

「へぇ。……大変だね」


 リアレってのは、多分こっちの世界の通貨だろう。世界共通かどうかは分からないけど。

 と、わたしの隣でまたひどく冷静な面持ちで話を聞いていた月野くんが、静かな声で、つぶやいた。


「……なんというか、そう、街の他の人には助けを求めなかったんですか?」

「……はい。サヴェノタールはこの街の長……いえ、実質上の支配者なんです。誰も逆らえません。それを良いことに、サヴェノタールは街民の両親をさらって、どんどん金を巻き上げて行ってるんです。数か月前、私と同じくらいの女の子がいたんですけど、彼女も両親をさらわれて……それで、金を貯めるため、街を出て行って……それで、帰ってきませんでした……」

「……。いや……おかしいでしょう、そんなの。街の人たちが力を合わせれば、そんな奴すぐ殺せるはず……!」

「殺せるとか言わない、月野くん」

「……失礼しました。……少なくとも、街から追放くらいできるはずです」


 月野くんの言葉に、黒ローブ少女は哀しそうに頭を振った。


「いえ……駄目なんです。サヴェノタールの屋敷には何人ものガードが付いていて……しかも、用心棒として"剣豪"がいるらしいんです。いままで何人もの人がサヴェノタールの家を襲撃したんですけど、皆、剣豪にやられて死んでいったと……」

「なるほど……」


 用心棒……剣豪……。

 ったく……。


「……それで? わたしらに何をしてほしいんだ?」


 言うと、黒ローブ少女は真面目にしていた顔をさらに引き締め、言った。


「……お願いします。貴方たち神職者の方なら、神職者の権力で、サヴェノタールをどうにかできるはず。だから、私の両親を助けてください! 助けてくれたら、何でもします! 体だって!」

「……うん……だいぶ分かった。いや、最後の一言は聞き捨てならないけど」


 神職者の権力って……なんだろう、そんな凄いのか。いやけどそうだったら、わたしたちはどうすればいいんだ。


「あの……お願いします……」

「んー、とりあえずちょっと考えさせ……」

「わかりました。助けに行きます」

「おいこら何言ってんだ後輩」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 わたしの声は、黒ローブ少女の声によって無残にもかき消された。いや……ちょっと待ってくれよ。

 わたしは頭の中で考える。


 おい、どうするつもりだ"介入者"。


 すると案の定、テレパシーみたいな感じで、月野くんから返事が返ってきた。


 どうするも何も、こんな可哀そうな人助けるしかないでしょう。


 なんでこんなときだけそんなに正義感溢れてるんだきみは……。話だとガードとか剣豪とかいるんだろう? 絶対死ぬから。


 いや。大丈夫です。


 ……何が根拠に。


 "ぼくにはこの能力がある"


 ……。仕方ないなぁ。


 テレパシー会話を終了し、わたしは、黒ローブ少女に告げる。


「んじゃ、今から助けに行ってくるよ。だから……えーと、君名前は?」


 座っていた立ち上がり、制服の乱れを整える。黒ローブ少女は、あろう事か眼尻に涙の粒を溜めながら言った。


「わたしの名前はリリルと言います。リリル・スエラノです」

「それじゃ、リリル。リリルはここで待っててね」

「ああ、何と言ったらいいか……! とにかく頑張ってください! お願いします!」

「はいはい。……それじゃ、いくか」


 溜息を吐いて。

 わたしたちは、背中にリリルの声援を受け、サヴェノタールとやらの屋敷を目指した。……なんだか、声援ってのも色々と可笑しい気がするけどな……。

 それにしても。


「……全く。元はと言えば、君が彼女に"制服"なんて事を言ったからこんな事になったんだぞ」

「誰もこんな超展開想像してませんよ! というか、別にいいじゃないですか。人助けは素晴らしいものです」


 眼をキラキラさせる月野くん。あほか。


「そんな事言うんだったら、本当に君は神職者になっちゃえばいいじゃないか……」

「いや、けど実際に神職者って何なんですかね?」

「さあ」

「……サヴェノタールの屋敷って何処にあるんですかね?」

「……さあ?」


 前途多難だった。




 はてさてそれから数分後。

 親切な人に道をおしえてもらい、どうにかわたしたちは、サヴェノタールの屋敷の前に居た。人だかりの前に居た。

 隣で月野くんがため息を吐く。


「……さっきの人だかりって、サヴェノタールの屋敷の前でやってたんですね……」

「のようだな……なんでも、私たちよりも先に、剣を携えた男と、黒ローブの二人組が屋敷の中に入って行って、まだ帰ってきてないらしい」

「はぁ……って、はい? 何でそんなこと知ってるんですか?」

「色々あって」

「……まあ、いいですけど」


 勘だった。


「まあ、なんだ。そろそろ行こうか」

「ですね」


 うむ、と頷いて、わたしたちは、サヴェノタールの屋敷へと再び歩き出した。

 がやがや言う人々を押し退け、わたしたちは屋敷の入り口へたどりつく。


「んー? 貴方たち何者? さっき中に、剣を携えた男と、黒ローブの女の子が入って行っちゃってまだ帰ってきてないんだよー!」

「わかってます。ぼくたちは――」


 ご親切にどうも。本当だったんですか。


「ぼくたちは、神職者です」


 ……ん? 何言ってんの、月野くん?





   *





 そんなわけで、只今サヴェノタールの屋敷内。入ると早速、所々にガードらしき人たちの死体が転がってて、なんともいえない感覚に襲われた。


「いや……また派手にやったなー」

「なんだか凄い惨状ですね。まあ、もう慣れていますけど」

「慣れてるって……。何、きみってそっち関連の人だったの?」

「色々ありますんで。さ、行きましょう」


 月野くんに催促され、わたしたちは駆け足で進む。

 とりあえず、なんだ。わたしたちは、何をすればいいんだろう。


「……それ、ナチュラルに言ってるんですか……?」

「いや当たり前だろう!? 神職者云々、助けてくださいサヴェノタール云々、リリルちゃんは言ってたけど、具体的にわたしらはどうしろと!? いや、もしかしてきみ分かってたりするの!? ていうか、わたしは何も言ってないし」


 いちいち人の思考に"介入"してくる月野くんはもうどうだって良くなってきたけど、実際、これはなかなかどうして死活問題だ。

 とりあえずは……そう、サヴェノタールの所を目指せばよいのだろうか。


「まあはっきり言ってぼくらは神職者でも何でもないので、ちゃっちゃとリリルさんの両親を助け出して帰ってもいいと思いますけどね」

「いや、そうしたらサヴェノタールは長のままだから……、私たちがこの街を去った後に、また攫われちゃうんじゃないか?」

「別に知ったこっちゃないんですけどね」

「まあぶっちゃけそうなんだが。というか、いや、駄目。道徳の授業でそんな風になるなと散々習った。お父さんお母さんにも言われた。 と、言う訳でサヴェノタールさんとこに行くぞ」

「……了解です」



 サヴェノタールの屋敷は案の定と言うか想定外と言うか随分と広かった。自分が今どこに居るかも分からない。このままじゃガードにやられて「バッドエンド」みたいな事にも成りかねないが、只、幸か不幸かまだガードさん方とは一度も遭遇していないのであった。


 赤い絨毯の上に更に被せられた「紅」を注意深く避けながら、しばらくわたしたちは屋敷の中を彷徨った。こんなにもガードさんと思しき方々の死体が転がっていると、もしかしてもしかすると既に先客の二人組とやらが全ガードを撃破してしまったんじゃないかと思い始めている今日この頃です。少し拍子抜け……なんて言ってらんないな。



「……居ません、ね」


 三階、大広間。異形の怪物を象った石像に背を預けながら、月野くんが呼吸を整えている。しばらく走りっぱなしだったから、息を切らすのも当たり前だろう。

 かくいうわたしも、先程から肩が呼吸したいと願っているから自由にさせてあげているのだが。

 奥にある随分と豪華な扉を見据えながら、わたしは口を開いた。


「……全くだ。ここまで死体ばかり転がっていると、まるでお化け屋敷の中に来たような気分になるな。……しかしまあ、あれ、なんだ?」

「……? ああ、あの壮重さ加減からして、多分あそこにサヴェノタールが居るんじゃないですかね」

「珍しく同意見だな」

「ちょっとトイレです」

「言ってくれるじゃないか。お前さえよければあの扉の中にアサルトさせてやったっていいんだぞ」

「遠慮します」

「んじゃ、いくぞ」


 いつも通り、本当に何処から何処までもいつも通りの会話を終えて。

 わたしたちは、歩き始めた。


「ちなみもしその剣豪とやらと対決することになったらどうします?」

「きみが"ぼくにはこの能力がある"などと抜かしたんだろうが」

「まあ、そうですけど。けど剣豪って言ったらあれですよ。精神統一なんかしちゃってさ、ぼくの"介入"が効かないかもしれません」

「いくら悟りきった人でも、直接思考に"介入"してくるんだからそんなの防げないと思うがな……。というか、"介入"したとしても、どうやって倒すつもりなんだ?」

「ああ、あれです。相手はぼくの能力を知りませんからね。さっきやったみたいにテレパシー的に声を送りつけて錯乱させたのち、大声を出すなりで気絶させる」


 随分と地味な撃退方法だった。


「何か頼りないなぁ……。まあ、仕方ない、か」


 なんだかんだいって、わたしには何の攻撃方法も無いからな。

 やがて辿り着いた、豪華絢爛な装飾が施された扉。隣で月野くんが若干緊張した面持ちで扉を眺めていて、なんだかどうにもため息が出てくる。

 まあ、なんだ。こんなところで、止まっててもいけないんだけどね。


「……開けるぞ」


 ふう、と息をついて、わたしは、重厚な扉を押し開いた。




 扉の中は、想像していた通りサヴェノタールの部屋らしかった。いや、応接間と言うべきだろうか。部屋の中心には茶色のソファが置かれ、その向こうには、社長室にでも置いてありそうな横長の机。

 そしてそこに、サヴェノタールと思しき人物がうつ伏せに倒れていた。


「……」

「んー、やっぱりね」


 なんとなく想像は出来ていた。先に入った二人組が何が目的かは分からないが、まさか強盗でもないだろう。そうなると、自然と目的はサヴェノタールか、リリル以外にさらわれていた両親くらいで。

 月野くんが言葉を失っている。いや、さっきまで死体見ても平気だったじゃないか。何で今更。まさか、サヴェノタールはきみの父親だったとか……。


「……そんな訳ないでしょう……」


 月野くんが静かにつぶやき、ため息を吐く。

 じゃあ、何だったのさ。


「いえ、ちょっとサヴェノタールの思考に"介入"してたんで。死んでたり、気を失ってる人に"介入"するのは結構大変なんですよ。だから、少し黙ってました」

「死体にも"介入"出来るんだな……」

「まあ、思考と言うか、残留思念を読み取るみたいな感じですね。只聞くだけで、普通にテレパシーで会話はできません」


 淡々と言う月野くん。やっぱり、便利だな、"介入"。


「そうでもないですよ。ぼくがメリットな所だけ映してるだけです」

「そうだろうけどね。……で、その残留思念にはなんて?」


 溜息を吐いて、月野くんの回答を待つ。

 ……はて、今何時だろうか。こっちの世界に来てから時計というものを見ていないので、ついた時間すら分からない。

 須らく、朝ってことはないだろうけど……腹も減っていないし……ああ、体内時計が狂ってる……。


「考えてた通り、ぼくらより先に入った二人組にやられたようです。なんでも、両親を返してほしかったんだそうです。二人いた方の、黒ローブ姿の少女の。……でも、その子の両親が攫われたのはもう数ヶ月も前の話で、既にその両親は死んでしまった……。そこまでサヴェノタールが言ったところで、思念が所々途絶えてます。逃げてたのか……? それじゃあ、その会話はここで行われたんじゃないのか……」

「……それじゃあ、何か。その二人組は既にここにいないってことか。それに、噂の剣豪とやらもいないし……」

「……そうなりますね。……とりあえず、急ぎましょう。リリルさんの両親が」


 そうだな、と頷いて、私たちは踵を返した。


「その両親がいるところはわかるのか?」

「正確にはわかりませんが……、その黒ローブ姿の少女の両親が"既に死んだ"ってことは、雑用等で使われてはいないと思います。だから……」

「牢屋、か……?」

「わかりません……とりあえず、そこらへんのガードの残留思念に"介入"してみます!」

「分かった。それじゃ、わたしは屋敷の中を捜索してみるから」

「了解です。 牢屋の場所が分かり次第、"介入"しますね」


 二階の廊下で二手に分かれる。

 はっきり言うとそこまで急ぐ程の用でもない気はするが、善は急げ。リリルちゃんの両親が、どうなっているかは分からない。


「牢屋と言ったら……地下だよな……」


 走りながら、そう呟く。

 急いで階段を降り、一階を目指す。

 エントランスに戻ると、大きく開け放たれた玄関の扉から、まだ外で騒いでいるのが見えた。ふむ。おもったんだが、何で誰も入ってこないんだ?

 別に、危険があるわけでも――

 ……いや、十分あるか。


 と、不意に人の声がした。外? ……いや、違う。月野くんでもない。

 だとしたら――。


「きみは、何者だ?」

「!?」


 背後から声がかかる。

 少し間合いを取りながら、急いで振り返る。

 果たしてそこに居たのは、四人の男女だった。

 腰に剣を携え、黒ローブとは違う服を着た二十歳ほどの男。その隣に居るのが、黒ローブで頭にターバンのようなものを付けた前髪だけ長く、片目を覆っている金髪の少女。手には、何かを包んで巻いた布の袋。

 おそらくこの二人が、例の二人組なのだろう。

 ……まだ、ここを出てっていなかったのか。

 しかし、わたしの意識を奪ったのは、その二人の後ろに居る初老の男女だった。

 わたしたちより先に侵入したのは、二人組。つまり、この男女は――。


「うん……見た事のない服を着ている。ここのガードじゃなさそうだな。一人で来たのか?」

「……いや、もう一人年下の男の子が居る。……それで、つかぬことをお聞きするが、そこのお二人がた」

「……はい?」


 わたしが声をかけると、弱った声で女性が返事をした。前に居た二人も振り返った。


「……もしかすると、リリルちゃんのご両親ですか?」


 そう言うなり、二人の眼が、大きく見開かれた。

 どうやら、正解のようだった。

 

「リリル……!? そうです、まぎれもなく私たちはリリルの親です! 何故その名前を!?」

「いや……先程、偶然リリルちゃんと出会いまして。それで、ここにとらわれているご両親を助けてほしいとお願いされたんで」

「そんな……! 彼女は、大丈夫ですか? 病気とかになってないですか?」

「ええ。至って元気でしたよ」

「良かった……! ああ、貴女にも、クラムさんたちにもどれほど感謝したらいいか……」

「クラムさんたち?」

「ああ、俺たちだよ」


 眼に涙を溜めているリリルちゃんのご両親さんに代わって、前に居た男の人が答える。


「俺がクラム・エンディト。それでこいつが、エシュト・ファノリア。まあ、俺らにも俺らで別の用事があったんだがな……ここで話す必要もないだろう」


 ふむ、と頷くと同時に、不意に月野くんからテレパシーが入った。


 先輩、今何処に居ますか?


 エントランス。とりあえず来てくれないか。牢屋に行く必要はないから。


 え? なんでですか?


 説明してる暇はない。悪いけど、急いでくれ。


 ……わかりました。


「……ふぅ」


 会話を終了して、わたしは息を吐いた。

 やっぱり彼はいい少年だ。


「今から、わたしの連れがこっちに来るから。そしたら、ここを出よう」

「ん、そうか。あの様子だとここからは出れそうにないな……、裏門に行くか」

「……いや、その必要はないと思うぞ?」

「何故だ?」

「何か……一応、わたしたち神職者ってことになってるから、別に正門から出ても怪しまれない……はず?」

「神職者だったのか!?」

「いや、色々ありまして。本当は違う」


 驚くクラムに曖昧な微笑みを残して、わたしはリリルちゃんのご両親のほうに歩いて行った。



「具合は、大丈夫ですか」


 そう声をかけると、二人とも微笑んでくれた。うん。よかった。


「勿論です。これから帰れるんですからね。えっと……貴女、名前は?」


 その問いにわたしは、二人の微笑みを真似、答えた。


「名乗るほどの者でもありませんよ。強いて言うなら、只の面倒くさがり屋の"先輩"です」

「"先輩"……?」


 二人が首を傾げていると、月野くんが到着した。

 息を切らして、膝に手を付いている。ごくろうさま。ごめん。


「はあ……成程、そう言う事ですか。この方々が、リリルさんのご両親なんですね?」

「貴方は……?」

「ああ、はい。ぼくはこの人の後輩の、月野珠羅と言います」


 月野くんが、和らかい微笑みを返す。

 この子は、絶対営業とかやった方がいいと思う。


「……どういう意味ですか?……」


 いや別に。


「月野珠羅さん……? 珍しい名前ですね」

「え、そうですかね? ああ、けど珠羅っても中々居ないか……」

「いや、月野くん。そういう意味じゃないと思う」


 なんてったって、異世界だ。あっちとこっちじゃ文化も地理も勿論名前だって違うだろう。

 あの二人組だって、クラムとエシュトだし。

 そう言うと、月野くんは不思議気に首を傾げた。


「んん? それじゃあ、なんです? 先輩は名前教えてないんですか?」

「勿論。名乗るほどでもないだろう」


 腕組みをして答える。別に隠す必要も無いのだが、だからといってあげる理由には為りえない。そんな物だ。この頃、たまに忘れます。

 と、今まで私の発言を聞いて何やら考えていた月野くんが、ふと、つぶやいた。


「そうですかね、"ゆーちゃん"」


 その瞬間。


「ああー!? よ、呼ぶな! その名でわたしを呼ぶな! というか、なんでお前がそんな事知ってるんだ!?」


 世界が崩れた。なんたる惨劇。鼓膜が痺れていく。


 ゆーちゃん。


 それは、禁句。わたしにとっての禁句であり、同時に、戒めだった。

 幼き頃の日々。

 楽しくて、輝いていて、それでいて、壊れていた。

 そんな日々と決別するため、わたしは、その名を捨てた。自ら封じることで忘れようとした。

 それが、"ゆーちゃん"。

 つまり、わたし。



 ……いや、そんなモノローグはともかく。


「まあいい……どうせ君のことだから、わたしの思考に"介入"して古傷を漁ったんだろう……。それよりも、だ」


 月野珠羅のプライバシー侵害の咎はもうどうでも良い事として。

 わたしは振り返り、先客であった二人組を見る。


「……リリルちゃんのご両親さん方の事はありがとう。わざわざ探す手間が省けた」

「そんな気にすることでもない。……それじゃあ、両親方はあんた達に任せていいか?」

「構わんが」

「済まない。それじゃあ、ここでお別れだな」


 クラムが微笑んだ。一緒に正門から出ないのか、と尋ねようとすると、色々と事情がありそうな顔を向けられた。

 ……はい。察します。


「なんだかね。きみらとは、また何処かで出会える気がするよ」

「わたしもだよ。まあ、その時はまたよろしく」

「うむ。……それじゃあ」


 そう言い残し、クラムとエシュトは屋敷の奥へと消えていった。しかし、最後までエシュトと言う人とは声を交わさなかったな。

 ……事情、ね。なんだかな。やっぱり異世界だな、此処は。


「さて、出るか」


 うーんと背を伸ばして欠伸をすると、月野くんがクラムたちが消えて行った屋敷の奥の方を眺めている。

 どうしたい。そう言えば君は一言も会話をしなかったじゃないか。


「まあそうですね……。いや、別に何でもありません。出ましょう」

「うむ」


 大きく頷いて、リリルちゃんの両親を連れて、わたしたちはサヴェノタールの屋敷を去った。




   *




 後日談。というか、後書きのようなもの。

 結果的に、わたしたちはこの異世界をしばらく旅することにした。いつまでもルワラエに居るというのも意味ないだろうし、無事元に戻ったリリルちゃん一家から凄い御礼も貰った訳だし。今更意味ないけど、リリルちゃん、うちは貧乏とかそんな感じの事言ってなかったっけ。

 それはともかく。


「さて……、何処に行こうかね」


 ルワラエを出て、暫く経った。隣では、月野くんがリュックを背負い(旅用に買った色々な物が入っている)、リリルちゃんのお父さんから貰った異世界の地図を開いていた。

 つられるようにわたしもその地図を覗き込む。


「とりあえず……此処は全体から見て、東の方にあるみたいで……。だから、まずは、この法都アルヴェリとやらを目指してみますか」

「うん……法都アルヴェリ? 随分と遠いね」

「まあそんな物ですよ。アルヴェリにつくまで、いくつか町や村があるわけですし」

「うーん、まあ、いいか。それじゃ、法都アルヴェリ目指して、張り切っていこー」

「おー」


 そんな感じで、旅、始めました。



 余談。

 あれからサヴェノタールの屋敷は撤去され、新たに別の人が町の長となった。町民誘拐事件はおさまったようだが、一日でサヴェノタールのガード、用心棒であった剣豪、そしてサヴェノタール本人を殺害した犯人は、日下捜索中だという。

 町の住民に話を聞いてみたところ、全員が同じような言葉を返してきた。


「無口な二人組と、身元不明の神職者の二人がサヴェノタールの屋敷に入って行ったよ」

ぐ、ぐだぐだだ!

ぐ、ぐだぐだだ!


そんな訳で、「少し書き方を変えてみたファンタジー」第二弾でした。最早変えていません。

前作がシリアスだったのに対し、今回はややコメディーです。笑えるポイントが相変わらずないですが。

あともうひとつ……第三弾が出来上がれば、土台は完成です。

そしたら、連載……化!?

そんな感じです。期待はしない方が身のためだとぼくが思った。

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