17.愛のことば
どうにかセーピオーティコンへとたどり着いたミラビリスとカストールだったが……
「ねえ、カストール。私、お金持ってないんだけど」
「奇遇だね、ミラビリス。私もだよ」
早速危機を迎えていた。そんな二人のもとへとやって来たのはウィオラーケウス。
「いたいた、ミラビリス。はい、これ」
なぜか渡されたのは、硬貨が詰まった袋。大金というほどではないが、数日の宿代には十分なそれを渡される理由がわからなく、ミラビリスは目を白黒させながらウィオラーケウスを見上げた。
「こんな、受け取れません! だって、むしろ私の方が渡さなきゃいけないのに」
「ああ、これはおつりだよ。十八年前、きみが支払った運賃のおつり。あの時は渡しそびれちゃってごめんね。今回の分もちゃんと引いてあるから、これは正真正銘きみのもの。領収書はないけど、はい。今度こそ、ちゃんと渡したからね!」
有無を言わせずミラビリスに硬貨の入った袋を押し付けると、ウィオラーケウスは「じゃ、また縁があったら」と言い残し、さっさと仲間の元へと戻っていってしまった。
「私、まだ歯車に導かれてるのかしら?」
「いや、あれはもう目的を果たしたから……これもおつりなんじゃない?」
「おつり?」
「うん、おつり。払い過ぎた代償をこれから返してもらえるんだよ、きっと。そう考えた方が楽しいだろう? ミラビリスは、これからたくさん幸せになる。私もいるし、任せてくれ」
こじつけのようなカストールの言葉だったが、彼があまりにも自信たっぷりに言うので、ミラビリスにもそれこそが真実のように思えてきた。
「そっか……そうだね! じゃあ私も、カストールが幸せになるように努力するね」
「私はミラビリスが隣にいてくれれば、それだけで幸せなんだけど。でもせっかくだし、期待させてもらうおうかな」
ひとまずの軍資金を手に入れた二人は早々に行動を起こした。まずは、アルブスのトートに無事を知らせるための手紙を書いた。次に、帰るまでの間、診療所を閉鎖する旨をしたためた。次いで宿をとり、図書館へと足を運ぶ。
「これは…………想像していたよりも手強そうね」
びっしりと書きこまれた古代文字と図解。宝箱を守る番人はかなりの難敵のようで。ミラビリスは大きく深呼吸すると、辞書を片手に攻略へとのりだした。
しかしこんな難事、到底一日で終わるはずもなく……初日はほぼ成果らしい成果など出なかった。わかったことといえば、このままだと資金がすぐ尽きること。かといって稼ぐにしても、そう都合よくすぐに働き口など見つかるわけないということ。
「これは一度、アルブスに戻らないとだめね。とりあえず古書店で最低限必要なものだけ確保して、一度撤退するしかないわ」
「確かに。ここへ来たのは、そもそも行き当たりばったりもばったり。というより、むしろよくここへたどり着けたものだよ」
結局来て早々、二人はアルブスへと戻ることになってしまった。翌日、辞書や旅に必要なものを確保したあと駅馬車へ乗り込み、途中リンテウスという町を経由して、およそ七日かけてアルブスへと戻ってきた。
※ ※ ※ ※
昼は診療所、夜は翻訳。都度必要な資料はセーピオーティコンから取り寄せと、そんな生活を三年ほど続け……ミラビリスはようやく、すべてを翻訳し終えた。
量産型人造人間の製造方法、賢者の石の正体、そして人造石人の製造方法――どれもこれも、絶対口に出せないものばかり。この三年、解読が進むごとにミラビリスの精神的負担は大きくなっていた。
とはいえ、この論文の解読はミラビリスにとって悪いことばかりでもなかった。なんと言っても新しいことを知るというのは知的好奇心を満たしてくれたし、なにより読み解いていくうちに、ようやくあの時の言葉が理解できるようになったからだ。
――賢者の石になる。
立体映像の母が残した言葉。あの時のミラビリスにはわからなかったが、今ならわかる。全てを知った今、ミラビリスはようやく出発点に立てた。
賢者の石とは、魔法使いのなれの果て。
魔法使いは人間にはない臓器、魔臓というものを持っている。彼らは普段、取り込んだ魔素をここに貯めておき、代償を得るとその魔力と掛け合わせて魔法を使うのだ。魔臓にはもちろん限界貯蔵量があり、それを超えると、魔法使いたちといえど魔素に体を侵される。いわゆる魔素中毒。最期は石となり砕け散る。
けれど魔法使いには一か所だけ、決して砕けない場所があった。それが魔臓。限界まで魔素をため込み石となった、魔法使いのなれの果て。そしてそれこそが――賢者の石――の正体。
石人たちが守護石に魔素をためこみ死後力を残すように、魔法使いたちは魔臓に力を残す。しかもその力は甚大で、最強の魔道具となる。
まだトリスたち旧い魔法使いが表舞台にいた頃。人間と魔法使いの戦争直後――賢者の石は、戦争の副産物としていくつか存在していた。けれど彼らが表から姿を消した後、賢者の石も表舞台からは消えてしまった。そしてその後、再びその存在が囁かれたこともあったが……それも、ある一人の魔法使いによってすべて消し去られてしまった。
それは人間の歴史には記されることのなかった、トリスやエテルニタスと同じ、旧き魔法使いの物語……
その後、表舞台から旧世代の魔法使いと賢者の石が完全に姿を消すと、世界には新たな魔法使いたちが生まれ始めた。攻撃魔法は使えないが特殊な固有魔法と空間魔法を扱う、様々な姿かたちの新世代の魔法使いたちが。
テオフラストゥスが魔導研究所で行っていたのは、そんな賢者の石の模造品を作るという実験だった。おそらくトリスを助ける一助として、賢者の石の代替品を作ろうとしていたのだろう。と、ミラビリスは推測している。
そしてその副産物、および研究所から資金を出させるために作っていたのが、あのあわれな略奪者や人造人間たち。論文には彼らの製造方法として守護石の移植方法、定着のさせ方なども記されていた。
「トール、マレフィキウムさんに手紙出した?」
「あとで。明日の朝出すよ」
この三年ですっかりと背が伸びたカストール。ミラビリスと出会った頃の少年の姿はすっかり消え去り、いまや二人が並ぶと完全に大人と子供、青年と少女となっていた。
「しっかし本当によく育ったわね、トールってば。昔は身長だって少ししか違わなかったし、声だってもっとかわいかったのに」
「ミラのおかげかな? きみに出会った後、なんか急に成長期が来たんだよね。私としては嬉しかったんだけど……いやだった?」
すっぽりとミラビリスを包み込み足の間に抱えると、不安そうに訊ねるカストール。そんな彼にミラビリスはくすくすと、こらえきれない笑みをもらす。
「小さいトールもかわいかったけど、大きいトールもかっこよくて好きよ」
「私もミラが好きだよ。たとえ嫌われても、もう死ぬまで逃がさないから」
くすくす、くすくす。満月に染められた部屋の中、愛のことばで互いを縛り、縛られていることを確認して安心する。二人しかいない世界はどこまでも優しく昏く心地よく、そんな狭い世界で愛を囁き、傷を舐めあい、溶け合うように一つになる。
「私が死ぬその時まで、絶対に捕まえていてね。約束よ」
「ああ、約束する。死が二人を分かつまで、私はミラビリスと共に在る」
※ ※ ※ ※
そして時は流れ、五十二年後……
「はいはーい。どちらさまー?」
呼び鈴の音に玄関の扉を開けたミラビリス。そこに立っていたのは――――