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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~
95/200

15.ありがとう

 知りたかった情報はほぼ手に入れ、言葉を交わすことはできなかったが母との再会も果たし、ミラビリスはようやく過去から解放されたような気がしてほっと息をついた。けれど……

 けれどその瞬間、ミラビリスを襲ったのは、安堵よりも強烈な違和感。


「どうした、ミラビリス。まだ何か気になることが?」


 気遣うカストールに曖昧な笑みを返すミラビリス。けれどすぐに眉間にしわを寄せると、口もとに手をやりながらつぶやいた。


「なんていうか……なんかね、変なの」

「変って、何が?」


 ミラビリスに生じた違和感、それは急速に薄れつつある母への執着だった。

 ここへ来るまではあれほど強烈だった、代償を支払ってでも知りたいと思っていた自分の正体と母のこと。いざ知って受け入れた今、それは驚くほどどうでもよくなっていた。カストールが全て受け入れてくれたからというのもあるのだろうが、それでもここまで急激に変化する自分の気持ちが、ミラビリス自身にも信じられないし理解できなかった。


 自分が人造人間(ホムンクルス)で子を成せないというのは、正直ミラビリスにも予想外のことだった。けれど、それでミラビリスが衝撃を受けるのはおかしいのだ。あの時点ですでに自身の未成熟な身体のことを承知していて、なおかつ成熟を代償に差し出してここへ来たのだから。それはすなわち代償を支払った時点で、ミラビリスには子を成すという意思はなかったことになる。

 それなのに、人造人間(ホムンクルス)に生殖能力がないと言われたとき、ミラビリスは本当に悲しかった。行動と思考が矛盾している。まるで寄生虫に操られた宿主(しゅくしゅ)のように、ここへ来るまでのミラビリスの心と体はずっとちぐはぐな動きをしていた。


「私がお母さんを好きだったのは本当よ。でも二歳までしか一緒にいられなくて、ここへ来るまでは顔さえおぼろげなくらい薄っすらとした記憶だったの。それなのに、なんであんな代償を支払ってまで、私は必死にお母さんを求めてたんだろう?」


 確かに、ミラビリスの中には母への思慕はあった。あったが、本来それは、そこまで強烈なものではなかった。郷愁というか、手に入らなかったものへの憧れというか、それはすでに失ってしまった過去のもの。

 それなのに。あの研究所で、あの声を聞いた瞬間から。ミラビリスの中で、母や自分の出自へのありえないほどの渇望が生まれてしまった。そんな唐突に膨れ上がった不自然な欲求のせいでミラビリスの心は著しく均衡を失い、ついには自分を見失ってしまい。

 そうして選び取った未来は…………


「もしかして後悔、してる?」


 強張った顔で恐る恐るといった風に確認するカストール。そんな彼に、ミラビリスは静かに首を横に振った。


「ううん。カストールのことに関しては、一切後悔はない。カストールを受け入れたのもすがったのも、全部自分で決めたこと。何かに後押しはされていたかもしれないけど、どうせ時間の問題だったし」

「よかった。もし今さら拒絶なんてされたら、無理心中しようかとまで考えてしまったよ」


 安堵と共にとてもよい笑顔で殺伐とした告白をされ、ミラビリスは苦笑いするしかなかった。そして、こんなことを言われても苦笑いで済ませられる自分も大概だと、苦笑いをさらに深める。


「してやられた、ってとこ?」


 少し前までは錆びついて止まっていた天体観測機(アストロラーベ)を見上げ、ミラビリスは小さくため息をつくとつぶやいた。


 ――半身たる二人を引き合わせる、それが錆びて止まった歯車を動かし始める。


 パーウォーの予言、その意味。歯車の呪縛から解き放たれた今なら、ミラビリスにはその意味が理解できた。

 すべては、天体観測機が自身を復元すべく招き寄せた運命。歯車の持ち主であるミラビリスをここへおびき寄せるために手繰(たぐ)り寄せた、歪な運命。


「あの研究所で私を呼んだの、あなただったんでしょう?」


 物言わぬ天体観測機から返ってくるのは、歯車たちの幽かなざわめきだけ。ミラビリスは軽くため息をつくとしゃがみ込み、改めて硝子の棺を覗き込んだ。


「あなたはこれからもずっと、一人でお母さんを救う方法を探すんですか?」

「…………ああ」

「助けは、必要ないんですか?」

「……ああ」


 視線を合わせないまま言葉を交わす二人。その面影は確かに重なるものがあるというのに、心は遠く離れてしまった二人。


「わかりました。薄情かもしれないですけど……私は、私の道を行きます」

「ああ」


 ミラビリスは硝子の棺にそっと触れ、届かない母の頬をなぞる。そして少しだけまつ毛を濡らすと、「ありがとう」と小さく笑った。


「私を生んでくれて、ありがとう。私を生かしてくれて、ありがとう。私を愛してくれて、ありがとう。色々あったけど私ね、この世界に生まれてこられて、よかった。ありがとう……さようなら、お母さん」


 ミラビリスは立ち上がると(きびす)を返し、そのまま一度も振り返ることなく部屋を出た。



 ※ ※ ※ ※



「ミラビリス、セーピオーティコンに行こう」


 カストールは屋敷を出たところで振り向くと、唐突に宣言した。なぜ彼が急にセーピオーティコンへ行こうなどと言い出したのかがわからなくて、ミラビリスは首をかしげる。


「ミラビリスは、ミラビリスの道を行くんだろう?」


 仕方ないなと言わんばかりの笑顔で、カストールはミラビリスの握りしめられていた拳をほどいていく。


人造人間(ホムンクルス)や魔法使いのこと、調べてみよう。伝説の錬金術師が手こずっている難問が私たちに解けるかどうかは別として、やって損はないと思うんだ」

「もう、会えるかどうかもわからないのに? 全部、無駄になるかもしれないよ? 時間だってきっとすごくかかるし――」

「無駄になんてならないよ。だって、人造人間(ホムンクルス)を知るということは、ミラビリスを知るということじゃないか。私にとって無駄なんて一つもないね。それに私はね、ミラビリスの母親を助けたいというより、ただもっともっと、ミラビリスのことが知りたいってだけなんだ。……こんな理由で失望した?」


 ゆるゆると首を横に振ると、ミラビリスは「ありがとう」と小さくつぶやいた。


「カストールのそういうとこ、本当に好きよ。見た目はともかく、大人の余裕ってやつなのかな? 気を遣ってくれて、ありがとね」

「見た目……まあ、いいか。で、今のどこで大人だなんて判断されたの? 自分で言うのもなんだけど、かなり自己中心的な理由だと思うんだけど」

「そういうところ」


 ようやく屈託ない笑顔を見せたミラビリスに安心したのか、カストールからも自然な笑いがこぼれた。


「お待たせ~」


 そこへ一人遅れて屋敷から出てきたのはマレフィキウム。その存在を半分以上忘れていたミラビリスとカストールは、同時に「あっ」と声をもらしてしまった。


「ひどいなぁ。きみたち、途中から完全に僕のこと忘れてたでしょ」


 まったくもってその通りだった二人は苦笑いするしかない。


「ま、僕もあえておとなしくしてからね。それよりこれ、な~んだ?」


 ぶ厚い紙の束をちらつかせ、さも得意げな顔でマレフィキウムがにんまりと笑った。二人にはそれが何なのか皆目見当もつかず、ただ首をひねるばかり。


「ざーんねん、時間切れ~! 答えはぁ、テオフラストゥスから奪っ……もらった、『人造人間(ホムンクルス)と人造石人と賢者の石に関する論文』でした~」


 とんでもない代物を持ちだしてきたことを朗らかに報告するマレフィキウムに、ミラビリスとカストールはただただ唖然とするしかなかった。

 人造人間(ホムンクルス)の製造方法――それはとうの昔に失われた(いにしえ)の秘術。現在ではテオフラストゥスのみが持つ、唯一無二の(わざ)。そして権力を持つ者たちが欲している、禁断の木の実。


「おまえ……どうやってそんなものせしめてきたんだ⁉」

「せしめるってきみ、失礼だなぁ。ちゃんとした取引だよ、取引。で、ここできみたちとも取引したいなぁって思ってね」


 にこにこ、にこにこ。マレフィキウムの笑顔に、思わず一歩引いてしまった二人。


「何を企んでるんだ、百禍の魔法使い」

「だからせしめるとか企むとか、ほんと僕のこといったいなんだと……ま、いっか。えーとね、僕のお願いは、これ」


 にこにこ顔のマレフィキウムが差し出したのは、先ほどの紙束――人造人間(ホムンクルス)と人造石人と賢者の石に関する論文。マレフィキウムはそれを、有無を言わせずミラビリスへと押し付けた。


「え? ええ⁉」


 いきなり渡された、物理的よりも精神的に重い紙束に目を白黒させるミラビリス。今の状況が理解できないミラビリスは、紙束とマレフィキウムを忙しなく交互に見る。


「僕からのお願いは、これを翻訳してほしいってこと。中見ればわかると思うけど、それ、全部古代語で書かれてるんだ。まったく、お年寄りの文字は僕たち若者には難解すぎるんだよ。こんな世界歴以前に使われてた言葉なんて僕は読めないし、解読なんて修行みたいなことは願い下げ。だからさ、交換条件」

「……この論文の内容を知る代わりに翻訳しろ、ってことですか?」

「正解。きみだって知りたいでしょ、それの内容。興味ない? ……人造人間(ホムンクルス)として」


 にんまり、三日月のようなマレフィキウムの笑み。それはミラビリスが断らないことがわかっている、相手を見透かすような笑みだった。

 相手の思惑通りに振り回されるのは(しゃく)だが、意地を張って拒絶するには惜しすぎる貴重品。ミラビリスは「わかりました」と素直に返事をした。


「でもこんなもの、持ってるって知られたら確実に命狙われそうなんですけど……。セーピオーティコンの図書館で色々調べようと思ってたんだけど、さすがに無理かぁ」

「古代語だったら極夜国にも資料はあると思うけど……今は鎖国してしまって、入国するどころかたどり着くことも容易じゃないからな」


 どうやって資料を読み解こうかと頭を悩ませる二人を見下ろし、マレフィキウムは胸をそらすと得意げに鼻を鳴らした。


「僕を誰だと思ってるんだい? 百花の魔法使いの力、ここいらできちんと思い知らせてあげよう」


 取り出したるは一本の鬼灯(ほおずき)。枝の先端に一つだけ残った朱色の実は、遠い異国の提灯(ちょうちん)と呼ばれる照明器具を連想させた。それを無造作に先ほどの文書の上に放ると、マレフィキウムはにやりと口角を上げる。


「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、翻訳の報酬の一つとして、偽りの鬼灯をミラビリスに与えることを誓う。百花繚乱(ひゃっかりょうらん)未来(あす)を来らしめよ」


 鬼灯はマレフィキウムの言葉に反応して淡い光を発したあと、すぐに元の姿に戻った。

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