13.硝子の棺と過去の夢 前編
「どういう、こと?」
「映写機? 立体画像、いや立体映像……とでもいえばいいのか? こんな技術、クレピタークルムでも見たことない」
驚く二人の目の前で、映写幕もない空間に映し出された立体的な映像のトリスは、一人うろうろと歩き回っていた。
『あんなに強烈な執着は初めて見たよ。石人にとっちゃ半身っていうのは、何よりも大切な存在なんだろう? そんな大切なものと出会える未来を捻じ曲げてまで、今執着してる相手が欲しいなんて……ボクには理解できない。だって、どう考えたって損じゃないか』
『損得など考えられないほど狂っているんだろう。壊れた者の考えることなど、考えるだけ無駄だと思うがな』
今とまったく変わらない姿のテオフラストゥスがトリスの隣に並ぶ。在りし日の二人から感じられるのは、穏やかな気の置けない雰囲気。
「半身と出会えるはずの未来を代償に差し出した石人がいたのか!? ……信じられない」
驚くカストールに、テオフラストゥスが再び口を開いた。
「今から約五十年前、この迷いの森をおおっている霧の結界が暴走した。原因は、一人の石人の妄執。トリスが眠りにつく原因にもなった、忌々しき愚昧な女」
「眠りについてるってことは、お母さんは生きてるの⁉」
テオフラストゥスはミラビリスの問いを無視し、棺に目を落とすとそのまま淡々と話を続けた。
「今から約九十年前、黒色金剛石を持つ石人の魔術師の紹介で、一人の女がトリスのもとへとやって来た。『惑わす』という加護の力を持つ、燐灰石のカエルラ」
テオフラストゥスの言葉に反応するように、ミラビリスたちの前に映し出されていた映像が切り替わった。
『お初にお目にかかります。わたくしの名はトリス。トリス・メギストス。人はわたくしの事を――絡繰りの魔法使い――と呼ぶわ』
そこには先ほどまでの少年のような姿とは打って変わり、長く豊かな宵闇の髪を背に流した妖艶な魔女が微笑んでいた。
『グリソゴノから話は聞いてるわよ。あなた――随分と大それた事を考えるのね。半身でもない想い人から半身を取り上げ、自分のモノにしようだなんて。ウフフ』
『……単刀直入に聞くよ。できるの? できないの?』
可憐な見た目とは違い、件の少女――カエルラ――は非常に気が強かった。魔女を前にしてもひるむことなく、むしろ苛立ちをぶつけてさえいる。
『せっかちさんね……でも、いいでしょう。答えてあげます。結論から言えば――可能。わたくしの可愛い天体観測機ちゃんもそう言ってるわ』
『できるんだね! だったらお願い――』
カエルラの少しだけ上ずった声をさえぎり、射貫くような眼差しで彼女を見据えるとトリスは告げた。
『でも、代償が必要よ。星を捻じ曲げ、本来ある運命を変えるんですもの。それはそれは、凄まじい代償を支払わなければならない』
代償の要求。魔法使いへの依頼には必ず必要とされるそれは、魔法使いとの相性、願いの困難さによって千差万別だ。
『……代償は何?』
緊張しているのか、かすれた声でカエルラが問う。
『あなたの幸福な運命――詳しくは話せないけれど。半身として結ばれるハズの運命を引き裂くのよ? 例えその――ルーフスと一緒にいられるようになったとしても。あなたに幸福は訪れない。あなたと将来出会うハズだったかもしれない、運命の半身とも巡り合う事はない。それでも――あなたは望むの? 彼を手に入れる事を』
氷よりなお冷たい、闇くよどんだ深淵を思わせる二つの空ろ。何もかもを呑み込んでしまいそうな漆黒に気圧されてしまっていた少女だったが、ごくりとのどをならすと意を決してうなずいた。
そんな彼女を見てトリスは一瞬、本当にほんの一瞬だけ眉をひそめた。
『合意は遵守すべし。いいわ、契約は成立。絡繰りの魔法使いトリス・メギストスの名に於いて。汝カエルラと、ルーフスの運命を繋ぎ合わせましょう――』
そこで映像が途切れると、場面はまったく違うものへと移り変わった。
『ねえ、テオ。ボクも、なんか執着できるものが欲しくなっちゃった』
『私では足りぬか?』
『うーん……テオは確かに特別だけど、なんか違うんだよなぁ。もっとこう、あのカエルラみたいに、これじゃなきゃだめだって執着できるものが欲しいんだ』
悪気はなかったのであろうが、トリスは笑いながらテオフラストゥスに残酷な言葉を突き刺した。お前ではだめだ、と。
思わずテオフラストゥスを盗み見たミラビリス。けれど彼は眉一つ動かさず、相も変わらず棺の中のトリスをじっと見つめていた。その表情からは何も読み取れない。
『そうだ! テオ、子供を作ってみよう。一般的に、親は子に執着するものなんだろう? 子供を作ったら、ボクにもカエルラの気持ちが少しはわかるかもしれない』
『子供を作ると言うが、どうやって? 適当なオスを調達してきて交尾するのか?』
『バカだなぁ、オスならここにいるじゃないか。きみの精液とボクの卵子を使って作るんだよ』
得意げに胸をそらすトリスに、テオフラストゥスは深いため息をついた。
『私はトリスに作られた人造人間。一代限りで生殖能力はない。そんなこと、作った貴女が一番理解しているのではないのか?』
『きみこそわかってないなぁ、テオ。ボクを誰だと思ってるの? 絡繰りの魔法使い、そして世界で初めてきみという人造人間を作り出した、伝説の魔法使いトリス・メギストスだよ。交尾なんてしなくたって子供くらい作れるさ』
映し出される二人のやりとりに、ミラビリスの顔から血の気が引いていく。
「私、もしかして――」
過去の二人の会話。それで、ミラビリスにもわかってしまった。
「人造人間なんだろ、きみも。テオフラストゥスと同じような気配だってんだからさ。で、それがどうしたっていうのさ。人造人間だと、何が問題なんだよ」
再びのマレフィキウムの攻撃的な態度。けれど、今度はミラビリスも引かなかった。
「問題は、あるんですよ。聞いたでしょう? 人造人間は一代限り、生殖能力はないって」
ミラビリスが何を言いたいのかわからないマレフィキウムは、怪訝そうに首をかしげる。
「私、二十八歳なんですけど……初潮、まだ来てないんです。亜人だから成長が遅いんだって、今までずっと自分で自分を納得させてきたけど…………」
無理やり笑顔を作ると、努めて明るい声でミラビリスはカストールに言った。
「ごめんね。私、人造人間だったんだって。生殖能力のない私じゃたとえ大人になってたとしても、カストールの子供、産めなかったんだね。二次性徴も来てないくせに成熟を代償に差し出しちゃってたんだから、どのみち絶対無理だったんだけど。でもさ、亜人だったらもしかしたらって可能性も、あったかもしれないじゃない? だけど……」
今にも泣き出しそうなくせに強がろうとするミラビリスを抱き寄せると、カストールは彼女の頭にあごを乗せながら「バカだなぁ、ミラビリスは」と笑った。
「私はね、ミラビリスさえいてくれれば、それでいいんだ。子供はいたらいたで楽しいかもしれないけど、絶対に必要なわけじゃない。極論を言えば、きみが人造人間だろうが男だろうが、そんなの私には関係ないんだ」
「男だろうがって……」
「半身の前には、何もかもが些細なこと。そんなことでミラビリスが気に病む必要なんて、何もない。だって、私のこの気持ちは、もう私が死ぬその瞬間まで、絶対に変わることはないのだから」
抱き合うふたりから目を逸らすと、マレフィキウムはそのまま黙り込んでしまった。その間にも場面は移り変わっていて、映像のトリスは様々な実験器具の間を走り回っていた。やがて、大きなフラスコの中に小さな命の種が生まれ、それは見る間に見慣れた人の形となり、ついにはトリスによってフラスコから取り出された。
『見て見て、テオ! ほら、きみとボクの子供だよ‼ うわぁ、ちっちゃいなぁ。テオの時は大人になるまでフラスコの中で育てちゃったから、すっごい新鮮。ところでこれ、どうやって育てるんだろう?』
まるで新しいおもちゃを手にした子供のようなトリス。彼女からは我が子に対する愛情や母性が感じられず、ミラビリスは見ていられなくて、逃げるようにうつむいた。固く握りしめられた拳――そこへ重ねられたのは、ミラビリスより少しだけ大きな温もり。
「母親だって、みんながみんな、最初から母親なわけじゃない。母親だって、子供と一緒に育つんだ。……ミラビリスは、母親が大好きだったんだろう? だからさ、もう少しだけ見てみよう?」
カストールは微笑むと重ねた手に少しだけ力を込め、そのままトリスの映像へと視線を戻した。つながった場所から流れ込んでくるカストールの温もりに励まされ、ミラビリスは再び顔を上げる。
映し出される映像は切れ切れの断片で、次々と場面を変えていった。
『あー、もう! なんで夜に寝ないんだよ‼ 疲れたー、飽きたー、もうやだー』
長椅子にぐったりと体を投げ出し泣き言を言うトリスに、泣きじゃくるミラビリスを抱いたテオフラストゥスが首をかしげた。
『子供は泣くことでしか意思表示が出来ないのだから仕方なかろう。トリスが飽きたというのならば、どこかに捨ててこようか?』
テオフラストゥスが真顔でとんでもない提案をする。まだこの段階で捨てられることがないというのはわかっているものの、当事者であるミラビリスの心中は穏やかではない。
『……いい。せっかく作ったんだし、捨てるのはなんかやだ。かして』
トリスは眉間にしわを寄せながら、腕の中で泣く小さなミラビリスをじっと見つめていた。そして場面はまたもや飛び、ミラビリスはつかまり立ちができるほど育っていた。けれど、お世辞にも発育がいいとは言えない状態で、ミラビリスの体はかなり小さく、髪の毛もろくに生えそろっていなかった。
『ミラ、頼むからもう物を落とさないでくれよ。きみときたらなんでもかんでもなぎ払いぶちまけて、まるで小さな嵐じゃないか。でも……次は何をやらかしてくれるのかって、ついワクワクしちゃうんだけどね』
ため息をつきながらも笑ってミラビリスを抱き上げたトリスは、もうすっかり母親の顔になっていた。そんな二人に寄り添うテオフラストゥスの表情も柔らかく、三人はどこから見ても幸せな家族の姿で。けれど……この幸せには、期限が設けられていた。
『天体観測機、ようやくボクにもわかったよ。これが執着、そしてこれが……後悔』
両の拳を固く握りしめ、天体観測機に語りかけるトリス。その声は悔恨にまみれていた。
Special Thanks LEDさま
「硝子の森と霧の夢」
https://ncode.syosetu.com/n5897eb/