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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
藍玉の章 ~アクアマリン~
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 6.芽生え

 ――あの子、大丈夫かなぁ……


 自らもかなりの窮状(きゅうじょう)に置かれているというのに、それでもマーレの頭に真っ先に浮かんできたのはあの人魚の娘だった。

 名前も知らない、ほんの数日一緒に歌っただけの異種族の女の子。海へ帰りたいと泣いていた、かわいそうな女の子。甘い魔力で哀れな人間を虜にする、魔性の女の子――


「風に導かれ波に乗り……まだ見ぬ世界へ私は進む……求めるは我が魂の欠片、まだ見ぬ運命の半身」


 灯りどころか見張りさえいない、おそらくはすでに使われていないであろう朽ちかけた地下の牢獄。太陽も月も、一切の光が届かない冷たい闇に包まれた忘れ去られた墓所。そんなひとりきりの闇の中、聞く者のないマーレの歌が石の壁に空しく反響する。


「魂の欠片を求め彷徨う、当てのないこの旅路……夜空に浮かぶ月だけが、故郷と私を儚く繋ぐ…………」


 ――今はその月さえ見えないけどね。


 ふっと自嘲するような力ない笑みをこぼすと、マーレはそっとまぶたを閉じた。

 静まり返る牢獄のどこか、ぽたりぽたりと水の滴り落ちる音だけがやけに響く。町より強い潮の香りは、ここが海の近くなのだと教えてくれていた。


「おかしいなぁ……いつもなら、こうなる前に逃げてたんだけどなぁ」


 誰もいない闇の中、途方に暮れたマーレの声が吸い込まれる。

 マーレはこれまでも何度か捕まりそうになったことがあった。その美しい容姿と声に価値を見いだされ、愛玩用の金糸雀(慰み者)として囲おうとした者たちがいたから。

 けれどマーレはその勘と運の良さで、それらを全て切り抜けてきた。

 

 マーレの加護の力は、「幸福に満ちる」。

 

 その加護の性質ゆえか、マーレはとにかく運がよかった。嫌なこと、痛いこと、苦しいこと、そんなものとは無縁の毎日。だからただ流されるまま、なんとなく生きてきた。

 そんな満ち足りているようで何か足りない毎日を変えたくて、だからマーレは極夜国(ノクス)を出てきた。持っているものをすべて捨て、その身一つで。半身というものを見つけたら、もしかして何かが変わるのではないかという、一縷(いちる)の望みを抱いて……。それに彼には、どうしても半身を見つけたい理由もあったから。


「なんで、気づけなかったんだろう」


 ひざを抱え、マーレはひとりつぶやく。返事など返ってこないことはわかりきっていたが、それでも声を出さずにはいられなかった。黙ってひとりで考え込んでしまうと、マーレ自身もこの闇の中に溶けてしまいそうな気がしたから。


「領主様、最初に会ったときはいい人そうだって思ったんだけどなぁ……」


 とはいえ、早くもその日の夜にはその好印象は(くつがえ)ってしまったのだが。人魚の魔力に()てられたせいなのかもともとの素質なのか、ヘムロックという人物の性質はマーレには到底理解できるものではなかった。

 じっとりとした闇の中、うなだれるマーレの耳に飛び込んできたのは、かつん、かつんという軽い足音。慌ててひざの間から顔を上げたマーレの目に映ったのは、角灯(ランタン)の明かりに照らされたキクータの姿だった。


「ウィーローサ、様?」


 マーレの呼びかけにキクータは困ったような笑みを浮かべると、「ごめんなさい」と悲しそうに目を伏せた。


「ヘムロックなのでしょう? あなたをここに閉じ込めたのは」


 なんと答えれば正解かがわからなかったので、マーレはひとまず曖昧な笑みを返す。するとキクータはそれを肯定と取ったのか、再び小さな声で「ごめんなさい」と謝った。


「原因は……あの子?」


 (うれ)いを帯びた瞳をマーレへとまっすぐ向け、キクータは問うた。それは問うという形をとってこそいたが、その実確信に満ちたものだった。

 足元に灯りを置くと鍵の束を取り出し、キクータは言葉を続ける。


「あの、人魚の子。私、知ってるもの。ヘムロックが秘密の地下室にこっそり隠してる、大事な大事な宝物」


 錆び付いた蝶番(ちょうつがい)がぎいいと嫌な音をたてると、扉はあっさりと開かれ、マーレはあっけなく牢獄から解放された。


「ウィーローサ様、なぜ……僕を助けてくれるのですか?」


 マーレのもっともな質問に、キクータはくすりと挑戦的な笑みを浮かべた。


「それはね、私が嫌な女だからよ」


 言葉の意味がわからず困惑するマーレを見て、キクータはくすくすとおかしそうに笑った。


「私はね、ヘムロックがあの子に恋をしているって知っていて、それなのにあなたをここから出すの。だってあなた、あの子のことでヘムロックの不興(ふきょう)を買ったのでしょう? それは、私にとっては好都合だもの」

「ウィーローサ様、おっしゃる意味がよくわからないのですが……」


 キクータは半分独り言のような、マーレには意味の分からない言葉を続ける。


「あなた、あの子のことが気になるのでしょう? そしてあの子も、あなたのことが気になっている。それを察したからこそ、ヘムロックはあなたをここへ閉じ込めた。だから私は、あなたにお願いするの」


 キクータは一息つくと、笑みを消してマーレをまっすぐ見つめた。


「あの子を、海へ帰して」


 その唐突なお願いに、マーレは一瞬だけ身を固くする。けれどすぐに接客用の愛想笑いを貼り付けると、やんわりとキクータの願いを拒否した。


「無理ですよ。だって僕、なんの力も持ってないんですよ? それにあの子のことだって何も、名前さえ知らない。かわいそうだとは思うけど、僕が彼女を助ける理由なんて――」

「あなたたち石人が世界を渡り歩くのは、運命の半身を求めてなのでしょう? もし、あの子があなたの半身だったとしても……それでもあなたは、あの子を見捨てるの?」


 遮るように重ねられたキクータの言葉に、マーレは出かかっていた拒否の言葉を思わず飲み込んだ。

 キクータが知っていたとは思えないが、確かにマーレの半身は人魚。海の魔法使いたるパーウォーがそう言ったのだ。

 陸で暮らすマーレには、人魚などそうそう会う機会のない種族。けれど彼女とは、まるで運命に導かれるように出会ってしまった。ほんの数日一緒にいただけなのに、妙に心に引っかかる女の子。もっと話してみたいと、知りたいと思ってしまった女の子。生まれて初めて、マーレから――執着――という感情を引き出した存在。


「ですが、彼女が僕の半身とは限らないじゃないですか。僕も彼女とは何度か会っていますが、半身かどうかは……正直、よくわかりません」


 ――嘘だ。本当はもう、わかってる。

 言葉にすればするほど、マーレの心は彼女が半身なのだと訴える。


「だったらなおさら、確認するべきなのではなくて? もしもあの子があなたの半身だったとしたら、もうこの先、一生、あなたは半身には会えないということよ」


 キクータの言葉に再び言葉に詰まるマーレ。キクータのいうことはもっともで、それはマーレも思っていたことだった。今ここで彼女を見捨ててしまったら、もしかしたらマーレはもう半身を見つけられないかもしれない。いや、もう見つけられない。


 ――僕は、なんのために故郷を捨てた?


 何かを変えたくてここまで来たのに、結局何も変えられないまま、一生世界を放浪して終わる……そんな己の姿が脳裏をよぎり、焦燥感と恐怖が一気にマーレを支配した。

 顔を強張らせたマーレを見たキクータは、そのかわいらしい顔にあどけない笑みを浮かべる。


「ね? 私たち、協力しあえると思うの。あなたはあの子が半身か確かめたい、なおかつ半身なら救い出したい。私はヘムロックの目を覚まさせたい、そして私を見てほしい」


 マーレの頭に警鐘(けいしょう)が鳴り響く。この言葉をそのまま信じてはだめだ、と。確かに今は助けてもらったが、マーレはキクータにも言い知れぬ怖さを感じていた。

 見た目は華奢なかわいらしい少女。にこにこと無邪気な笑顔を浮かべ、恋しい男の愛がほしいと願う、どこにでもいそうな普通の少女。けれどマーレは直感で――この少女は怖い――と思った。


「ですが、ウィーローサ様。僕には……なんの力もありません。できることと言えば、せいぜいが歌うこと。そんな僕が、いったいどうしたら彼女を救い出せるというのですか?」


 そんなマーレの答えを予測していたのか、キクータはにっこりと笑った。


「代償を支払えば、どんな願いも叶えてくれる。そんな存在が今、この町にいるとしたら……ねえ、あなたならどうする?」

「どんな願いも、叶えてくれる存在……」


 ならばマーレなど使わず、キクータ自身が行けばいい。頭ではそう思うのに、マーレはキクータの言葉にどんどんと絡めとられていく。


「西の町はずれ。そこにいけば、会えるはず」


 聞いてはいけない――そう思えば思うほど、キクータの言葉はマーレの中にするりするりと入り込んでくる。


「見合う代償さえ差し出せば、善人も悪人も関係なく、その願いを叶えてくれるという。すべての者を等しく扱う虚心(きょしん)の魔法使い……(あけ)の魔法使い、サンディークス。そんな存在がいるとしたら、あなたならどうする?」

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