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貴石奇譚  作者: 貴様 二太郎
藍玉の章 ~アクアマリン~

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 5.月華の故郷

「彼女に、きみの歌を聞かせてやってほしいんだ」


 不快さを隠そうともしない険しい表情のマーレに、しかしヘムロックは平然と、まるで挨拶でもするかのように言った。そんな目の前の男のどこか尋常(じんじょう)ではない様子に、マーレの背筋を冷たい汗が流れる。


「彼女はね、歌が好きなんだ。そして、とてもうまいんだ。ああ、もちろんきみの歌も素晴らしいよ。でもね、彼女の歌は特別」


 熱に浮かされ、夢見るように。目の前で嘆き悲しむ人魚の娘の前で、恍惚と語るヘムロック。熱っぽい彼の声と、涙にぬれた彼女の声が交差する。


 不思議なんだ――帰して――彼女の歌声を聞くと――ここから出して――すごく幸せな夢を見るんだ――帰りたい――子供のころから――帰りたいの――ずっと焦がれていたんだ――


 全く交わらない二人の言葉。それはとても歪な、永遠の平行線。けれどヘムロックの言っていること、それはマーレにも少しだけ理解できた。

 先ほどから彼女が言葉を発するたび、マーレの胸は締め付けられるような浮きたつような、なんとも言えぬ甘い疼きに襲われていた。彼女の声を聞くだけでマーレの頭の芯はどんどんと痺れ、とにかく幸せな気持ちになっていく。それはまるで、甘い毒のようで……

 ふらふらと鉄格子に歩み寄ろうとするマーレ。けれどその歩みは、突如頭の中に再生された野太い声によって止められた。


 ――あなたの半身、おそらく人魚よ


 はっと我に返るとマーレは一度目を閉じ、少しだけ冷えた頭でヘムロックと人魚の娘を観察してみた。嘆く人魚の娘と酩酊(めいてい)したようなヘムロック。その光景は、明らかに常軌を逸していた。その時ふと、マーレの脳裏にまたもやパーウォーの言葉がよぎる。


 ――色々思うところはあるでしょうけど、まずは我慢なさい。


 先ほどからむやみやたらと(たか)ぶる気持ちを静めるため、マーレは再び目を閉じると大きく深呼吸をした。そして改めて周りを見渡す。すると、さきほどまでは見えていなかったものが見えてきた。

 魔力のまったくない人間(ヘムロック)にはわからないだろうが、この空間には外よりもかなり濃い魔力が満ちていた。そしてその魔力は、彼女が嘆きの言葉を発するたびに濃さを増してゆく。


「帰して、私を海に、帰して……!」


 元来、人魚の声には魔力が宿る。良いものも、悪いものも。

 彼女、彼らは、取り込んだ魔素を魔力へと変換し、歌にして水や大気へと解き放つ。ある者はその歌で人間を誘惑し船を沈め、ある者はその歌で人を幸せな眠りに誘い、ある者は他のものと共に歌い嵐を呼ぶ――。

 

 歌の形をした災厄、それが人魚。

 

 けれど、その美しい外見に惑わされ、人間はわかっていても人魚を好意的に見てしまう。もちろん人魚とて性格は千差万別。人間と子を成すような者もいれば、溺れもがく人間を見るのが何よりの楽しみという者もいる。


 ――この()は災厄か、それとも……


 マーレは鉄格子のすぐそばにあった岩に腰かけると、おもむろに背負っていた弦楽器(リュート)を抱えなおす。そして目を閉じると、ぽろんぽろんと物悲しい旋律を奏で始めた。



 目を閉じればよみがえる

 懐かしき我が故郷

 月明かりに包まれた

 美しき我が故郷

 

 魂の欠片(かけら)を求め彷徨(さまよ)

 当てのないこの旅路

 夜空に浮かぶ月だけが

 故郷と私を儚く繋ぐ



 マーレの歌声が狭い洞窟の中で反響する。まるですべてを包み込んでしまうようかのようなその歌声に、先ほどまで満ちていた甘い魔力が少しずつ薄らいでゆく。



 風に導かれ波に乗り

 まだ見ぬ世界へ私は進む

 求めるは我が魂の欠片

 まだ見ぬ運命の半身



 マーレの歌声に、ふわりと甘く柔らかな歌声が重なった。



 遥か遠い故郷を胸に抱き

 私は独り荒野を進む

 分かたれた魂の欠片を求め

 無限の荒野を彷徨い歩く

 

 魂の欠片を求め彷徨う

 当てのないこの旅路

 夜空に浮かぶ月だけが

 故郷と私を儚く繋ぐ



 マーレが歌い終わるころには、あれほど満ちていた甘い魔力は残り香程度まで薄まっていた。代わりに洞窟を満たすのは、お気に入りの毛布に包まれているかのようなふわふわと心地のよい空気。


「この歌、知ってる……。昔、旅の人が教えてくれた。あなたみたいな、石人の旅人が」


 嘆き悲しむだけだった人魚の娘はいつの間にか泣き止んでおり、不思議そうな顔でマーレを見つめていた。


「この歌は半身を求め故郷を旅立った石人たちを歌ったもので、『月華(げっか)の故郷』というんだ」


 あれほど荒れ狂っていたのが嘘のように、今のマーレの鼓動は()いでいた。人魚の娘を見ても、今は特に何かを感じることはない。

 本当にこの娘が半身なのだろうか? マーレはわからなくなっていた。


「すごい! すごいよ、きみ!」


 マーレはいきなり肩を強くつかまれ、驚きに思わず目を見張った。肩をつかんでいたのは興奮に頬を紅潮させたヘムロック。


「お願い、出して、帰して。これ以外の彼女の言葉、初めて聞いたよ。やっぱりきみをここへ連れてきたのは正解だ。すごい、すごいよ、ええと……」

「マーレです、領主様」


 苦笑いしながら名乗るマーレに、ヘムロックは「ああ、そうだった」とあまり興味なさそうに答えると、すぐに人魚の娘の方に顔を向けた。途端、人魚の娘の顔がこわばる。


「水宝玉。ねえ、いい加減きみの名前を教えてはくれまいか?」


 人魚の娘はさっと鉄格子から距離をとると、瞬く間に水の中へと消えてしまった。それを見たヘムロックは「仕方ないね」と笑うと、彼女の消えた水面(みなも)に虚ろな視線を落とした。



 ※ ※ ※ ※



 翌日から夜になるとヘムロックに連れられ、マーレはこの水の牢獄に通うことになった。歌うマーレ、その間だけ顔を出す人魚の娘、それを満足げに眺めるヘムロック。ちぐはぐな三人の、ちぐはぐな時間。そのぎくしゃくとした関係は、本当にぎりぎりのところでなんとか均衡を保っていた。けれどやはりというか、そんな不安定な関係がそう長く続くはずもなく。


 マーレが通うようになって一週間。人魚の娘がときおり、ほんの一瞬だが笑顔を浮かべるようになったのだ。本人は笑っているつもりはないのだろうが、マーレの姿を見るとほんの一瞬、確かに口角が上がる。

 それを向けられているマーレは気づいていなかったが、人魚の娘だけを見ていたヘムロックは、そんな彼女の些細(ささい)な変化にいち早く気づいていた。

 最初は人魚の娘の笑顔が見られたことに、それに気づいているのが自分だけだということに優越感を覚え満足していた。しかしそんなヘムロックの小さな優越感など、あっという間にしぼんでしまった。

 それはそうだ。そもそも彼女がその微笑みを向けているのは、ヘムロックではなかったのだから。


 ――私にも微笑みかけてほしい。


 最初はありふれた、ただの恋する男の嫉妬心だった。


 ――私だけに微笑みかけてほしい。


 それは次第に大きく育っていき、


 ――私だけのために歌って、私のことだけを考えて、私だけを見てほしい。


 そして、歪んでいった。


 人魚の娘が微笑みを浮かべるたびに、マーレが彼女に微笑みかけるたびに、ふたりがヘムロックの存在を忘れてしまうほど共鳴するたびに――――

 同じ空間にいるはずなのに、ヘムロックはそのたびにひどい疎外感にさらされた。それはマーレに対して着々と(おり)のような憎悪を募らせてゆく。そしていつしかあふれだしたそれは、人魚の娘にも向けられるようになっていた。


 できることなら、人魚の娘には自らの意思で自分を愛してほしい。そう、ヘムロックは思っていた。けれど、彼女はいつまでたってもヘムロックを見ようとはしなかった。彼女がその瞳に映すのは、心を許すのは、根無し草の石人だけ。

 日に日に募る想いと不満、それはヘムロックの心を黒く黒く染め上げていき……



 ※ ※ ※ ※



「領主様、マクラトゥム様! 僕がいったい何をしたっていうんですか⁉」


 錆びた鉄格子の向こう、無表情で見下ろすヘムロックに向かってマーレが叫ぶ。しかしヘムロックは何も答えず、マーレを冷たく一瞥(いちべつ)すると階段を上がっていってしまった。

 暗く冷たい石の牢獄に、たったひとりで残されたマーレ。なぜ自分がここへ入れられたのかも分からず、彼はただひたすら困惑していた。


「なんで……? 僕はただ、歌ってただけなのに」


 ひんやりとした石壁に背を預け、そのまま力なくずるずると崩れ落ちる。そして天井をぼうっと見上げたその時、マーレの脳裏に浮かんだのはあの人魚の娘の姿だった。

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