3.迷いの森の王子様
オルロフのことを教えてもらったあの夜会の日から、ミオソティスはどうにかして彼に会えないかと行動してみた。
魔術師の仕事場に入り込めないものかと外出申請もしてみたが、ことごとく却下されてしまった。ミオソティスの力の性質上当然と言えば当然なのだが。どうやらオルロフと会うには、強力なコネか、純粋な魔術師としての実力がないと無理だということがわかった。
ただの伯爵令嬢でしかない今のミオソティスでは、魔術師としても貴族としても、王族に会うなど到底無理な話だったのだ。
結局、あの夜会の日から何の進展もないまま一週間が経ってしまった。
オルロフに会うことは出来ず、だからといって気分転換に街へ出かけることもままならない。何もかもうまくいかず、ミオソティスはくさくさとした気分で庭へ出た。
今日も空は墨を流したかのような闇におおわれ、唯一の頼りは儚い月明りのみ。そんな月の光を受けきらきらと輝くのは、冷たい硝子の木々。
元は普通の木だったのだが、百年前、まだ迷いの森の霧が安定していなかった頃――霧が異常発生するという事件が起きた。その際、霧に含まれていた魔力にあてられた木々は、全て硝子と化してしまったのだ。
美しいけれど、どこか荒涼とした景色が広がる極夜国。そう感じるのは、ミオソティスが本で読んだ人間の世界に憧れていたからかもしれない。
ミオソティスたち石人は、基本的に太陽の光に弱い。彼女らは月の光と水を命の糧とする、人間とはまったく違う生き物。人間に比べてはるかに長い寿命を持つが、ある一定の条件以外では、人間に比べて繁殖力がとても弱い。しかも人間が十月十日で生まれてくるのに対し、石人は生まれるまでに十年はかかる。
そんな石人たちが暮らすこの極夜国は、あの事件以降、現在も鎖国のまま。だからミオソティスは、極夜国の外のことは本でしか知らない。外の世界には朝と昼という時間があるとか、その空が藍玉のような色をしているとか、海と呼ばれる巨大な湖があるとか、人間や人間以外の様々な生き物がたくさん暮らしているとか……。
気分が沈んでいたこともあり、ミオソティスは一人になりたくて、屋敷の庭から続く迷いの森に足を踏み入れた。鬱陶しい眼帯を外すと、歩きながら大きく伸びをする。
この森はどう進んでも、結局最後には元の場所に戻される。森全体にそういう魔術がかけられているからだ。しかもここでは人に会うことはない。何人かで入っても、気づいた時には必ず一人になっているからだ。密談にも使えない、本当に出入りを制限するためだけの結界。
だからミオソティスは、一人になりたいときはここに来る。ここなら、ミオソティスを監視する兵士もついてこないから。
そうやっていつものように普段着に編み上げのショートブーツという軽装で、ミオソティスは一人ふらふらと森を歩いていた。歩けども歩けども動くものの姿はなく、目の前には霧に閉ざされた硝子の森だけが延々と。見慣れた、見飽きた景色。あと十分も歩けば、いつものように屋敷の庭に戻るだろう。そんな風にとりとめのないことを考えながら、ミオソティスは目的もなく歩いていた。
そう、いつもと同じように歩いていたはずなのに……
もうすぐ、屋敷の庭に出るはずだったのに…………
「誰だ⁉」
ミオソティスは見知らぬ場所に立っていて、見知らぬ青年に詰問されていた。
髪も目も服も黒い、全身黒ずくめの厳めしい雰囲気の青年が広場の真ん中に立ち、ミオソティスを睨みつけていた。青年の顔立ちは男らしく端正でとても好感がもてるのだが、いかんせん、その纏う雰囲気や言葉遣いが刺々しく。残念ながら、ミオソティスにはそう簡単に仲良くなれそうには思えなかった。
しかし、この非日常的な状況にミオソティスの好奇心は大いに刺激された。その高揚した気分の前では、青年の攻撃的な態度など些細なこと。それに失敗したとして、どうせ翌日には自分のことなど忘れてしまうのだから。という開き直りの気持ちもあって、ミオソティスは好奇心の赴くまま、軽やかに青年との距離を詰めた。
「こんにちは、真っ黒な人。私はミオソティス。親しい人からはティスって呼ばれているわ。ところで貴方、こんなところで一体何をしていたの? 私、ずっと小さい頃からこの森で遊んでいたけれど、ここで人に会ったのは貴方が初めてだわ」
ミオソティスは無防備に青年に近づくと、彼の答えを期待しながらにこにこと見上げる。そんな彼女に青年は一瞬たじろいだが、すぐに眉間にしわを寄せ、きつく睨みつけてきた。
「俺が誰だろうとここで何をしていようと、お前には関係ない。今すぐここから立ち去れ。そしてもう、二度とここには来るな。いいな!」
青年は険しい顔でミオソティスの腕を掴むと、ずんずんと森の中を進んでいく。そしてしばらく進んだところでミオソティスの腕を離すと、「あそこへは二度と来るな」とだけ言い残し、背を向けると瞬く間に霧の中へと消えてしまった。
その場に一人残されたミオソティス。彼女は頬を膨らませると、いかにも不服だという顔で青年の消えた霧の向こうへと文句を投げる。
「そっちが聞いてきたから名乗ってあげたのに! ……ま、どうせ私のことなんか忘れちゃうんだから、どうでもいっか」
そう、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。けれど、それは一瞬。ミオソティスはすぐにいつもの笑顔を貼り付けると、霧けぶる森の中へと溶けていった。
※ ※ ※ ※
翌日、ミオソティスは再び迷いの森に来ていた。
理由も説明されず一方的に来るなと言われて、わかりましたと言うほどミオソティスは素直ではなかった。どうせもう会うこともないだろうし、もし会ったところで彼がミオソティスのことを覚えているはずもない。あの時、ミオソティスは眼帯をしていなかったのだから。
自分は名乗ったのにそれを無視され多少の腹立たしい気持ちもあったので、今日この森へミオソティスが来たのは半分くらいは当てつけだった。もう半分は――――
「お前、なぜここに⁉ というより、どうやって……いや、それは後で調べよう。それより! 昨日、ここにはもう来るなと言ったはずだ。なぜ警告を無視した」
眉間にしわを寄せて睨みつけてくる強面の大男の言葉に、ミオソティスは恐怖ではなく驚愕を覚えていた。驚き過ぎて、思ったことを全部言葉に出してしまうくらいには。
「なんで⁉ だって昨日、私、眼帯してなかった……なのに、なんで……なんで私のこと、覚えてるの⁉」
うろたえ思わず叫んでしまったミオソティスに、青年は眉間のしわをますます深くする。
「お前、俺を馬鹿にしているのか? 昨日の今日でお前みたいな不審者、そう簡単に忘れるわけないだろう」
さも当然といった風に言い切った青年に、驚き過ぎたミオソティスは思わずぽかんとした間抜けな顔をさらしてしまった。それを見た青年は吹き出しそうになるのを必死に堪え口許を引きつらせていたが、ミオソティスにはそれどころではなく、青年のそんな失礼な態度も目に入っていなかった。
「……本当に? 私のこと、覚えているの?」
「しつこいぞ、不審者。お前、一体何の目的で、しかもどうやってここに来ているんだ? 場合によっては――」
どんどん不機嫌になってゆく青年。しかし、そんな彼の言葉はミオソティスの予想外の行動によって遮られた。
「見つけた! 私の運命の人‼」
ミオソティスは感極まった様子で叫ぶと、突然青年に飛びついた。
それに驚いたのは青年だ。いきなり見ず知らずの年下と思われる少女に「運命の人」などと叫ばれた挙句、問答無用で抱き着かれているのだ。しかも離そうとしても、必死にしがみついて離れない。
「はぁ⁉ ちょっ、本当に一体何なんだ、お前は‼ 離せ、はーなーせぇぇぇ」
「お前じゃないわ、ミオソティスよ。ティスって呼んでね」
笑顔で必死に食らいついてくる鬼気迫るミオソティスのその姿に、今や青年の方は多少の恐怖を覚え始めていた。もしかして、どこかの馬車から逃げ出した妖精馬の類ではないのかと。
「知るか! いいから離れろ、今すぐ離れろ‼ そもそも若い女がむやみやたらに男に抱き着くんじゃない! 痴女か、お前は」
「だから、お前じゃなくてティス! それと痴女じゃないわ。私だってちゃんと抱き着く相手は吟味しているもの」
「嘘つくな‼ どう見ても今、思い切り衝動的に抱き着いているだろうが! いいからとにかく離れろ、痴女」
「ティ・ス! もう、恥ずかしがり屋さんなんだから」
「阿呆か‼」
青年は少しだけ上気した顔で叫ぶと、その勢いでミオソティスを引きはがした。目の前でニコニコと笑う少女に青年は深いため息をつくと、わけのわからないものを見るような目でミオソティスを見下ろした。
「お前は何の目的でこの森をうろつく? 言っておくが、先程のような戯言で誤魔化そうとしても無駄だぞ。目的を言え」
再び警戒心を滲ませ睨みつけてくる青年に、ミオソティスはさも心外だという顔を向ける。
「ひどいわ、戯言だなんて。あなた、乙女の告白をなんだと思っているの? それに昨日も言ったじゃない。ここは私の遊び場なの。小さい頃からよく来ているの」
「……あくまでしらを切るつもりか。ならば仕方ない、王城に連行――」
「お城に連れて行ってくれるの! すごいわ‼ 実は私、まだ行ったことがないの。やだ、あなたって見た目にそぐわず、意外と親切なのね」
青年の言葉に喜ぶミオソティス。そんな彼女に、青年はうつむくと額に手をやった。
「待て、何故そうなる。俺は不審者としてお前を王城に連行すると言ったんだ。どこに親切だと喜ぶ要素があったんだ?」
「え、でもお城に連れて行ってくださるんでしょう? ちょうどよかったわ。私、お城に用事があったの。あら? でも、あなたと出会えたんだから、もう用はないのかしら?」
まったくかみ合わない会話に、青年はついに頭を抱え、しゃがみこんでしまった。
「本当に何が目的なんだ、お前は」
疲れきった声の青年に、ミオソティスは輝くような笑顔で答える。
「私ね、オルロフ殿下にお会いしたかったの。会って、確かめて……そして出来れば、協力していただきたいことがあったの」
青年はミオソティスに怪訝な顔を向けると、ゆっくりと立ち上がった。
「王子に会って、一体どうしようってんだ? そもそも王子が、お前みたいな痴女の願いを聞くと思っているのか? さては色仕掛けで……いや、無理だな」
かわいそうなものを見るような憐れみのこもった青年の目に明らかな悪意を感じ取り、ミオソティスは大いに憤慨する。
「失礼ね! 私だってちゃんとすれば、色仕掛けの一つや二つできるわ。…………たぶん」
「それは失礼した。ではそうだな、詫びに一ついいことを教えてやろう」
不貞腐れて頬を膨らますミオソティスに、青年は出会ってから初めての笑みを浮かべた。けれどそれは、まるで面白いおもちゃを発見した少年のような、どこか嗜虐的な微笑みで……
「俺がそのオルロフだ。オルロフ・グラフェン・アダマス。で、なんの用だ? 不審者で痴女の小娘」