18.さようなら。また、いつか
燃え盛る天幕の中に取り残されたパーウォーは、アケルを抱えたまま唖然としていた。
「飽きたって……ほんっと、なんだったのよあの変態ーーー‼」
思わず絶叫してしまったパーウォー。その声を聞きつけたヘルメスとリコリスが客席から舞台を覗き込む。
「パーウォーさん! 残ってた生ける死体、ゴメン、ちょっとしか止められなかった。このままじゃアルブスが‼」
「了解! なんとかする」
アケルを右腕に座らせるように抱え、紅梅色の扉を出そうとしたその瞬間――
「パーウォー……友達になってくれて、ありがとう」
眠っているはずのアケルの口から、かつて毎日聞いていた、もう二度と聞くことのできない懐かしい声がこぼれおちた。
「アケ……ル?」
信じられない思いでアケルを見つめるパーウォー。驚き戸惑う彼の右手の中では、割れた翡翠が温かな光をたたえていた。
「そして……」
アケルが目を開き、パーウォーを見上げる。目の前にいるのは、その顔は、確かにアケルだというのに。
「恋をさせてくれて、ありがとう」
パーウォーには、コッペリアにしか見えなくなっていた。
「アナタ……コッペリア、なの?」
パーウォーの確認にアケル――コッペリア――は静かにうなずいた。
「ずっと、伝えたかった。長い間……縛っちゃって、ごめんね」
パーウォーはただブンブンと首を横に振る。油断すると流れそうになってしまう涙を必死に抑え、震える声で「ワタシこそ願いを叶えられなくて、ごめんなさい」と言うのが精一杯だった。
コッペリアは首を振り、流れ落ちそうになっていたパーウォーの涙をそっと拭う。
「パーウォー……ありがとう。そして、さようなら」
あの日、あのとき。終わらせたくなくて、告げられなかった言葉。
それを今、コッペリアはあのときはできなかった微笑みと共に告げた。そしてそのまま満足そうに目を閉じると、くたりとパーウォーの胸に頭をあずけた。
「さようなら、コッペリア。ワタシを好きになってくれて、ありがとう」
アケルからふわりと魂が離れる気配がすると、パーウォーの手の中の割れた翡翠も温もりを失っていった。
――人の手によって創られた疑似魂は輪廻の環に戻れない。ずっと、そうだと思ってた。でも……
鈴を転がしたような笑い声を残し、コッペリアの魂は旅立っていった。普通の人魚や人造人間のようにその場で消滅するのではなく、まるで人のように、ここではないどこかへと。
――さようなら、コッペリア。また、いつか。
「パーウォーさーーーーん!」
余韻に浸っていたパーウォーを容赦なく現実に引き戻したのは、ヘルメスの悲痛な叫びだった。
「あっ、忘れてた!」
「ほう……忘れていたとはいい身分だな、海の魔法使い」
客席から身を乗り出すヘルメスの後ろから現れたのは、不機嫌さを微塵も隠していないカストールだった。目の下に色濃く浮き出ている隈が彼の不機嫌さに拍車をかけている。
「やたら町が騒がしいから確認しに来てみれば。やはり元凶は魔法使いどもか」
「えーと……カストールちゃん、なんかめちゃくちゃ機嫌わるい?」
カストールはにっこりと迫力のある笑みを返すと、ぼそりとつぶやいた。
「さっきな、やっと寝たんだよ」
言い返してはいけない雰囲気に、パーウォーは黙ってうなずくと口をつぐんだ。
「だというのに、急に外が騒がしくなって……そのせいで、せっかく寝かしつけたステッラが起きてしまってな……」
ゆらり、と。カストールから冷気が立ち昇り、彼が掴んでいる手すりが氷におおわれていく。
「ミラも私も、ステッラの夜泣きでここのところずっと寝不足で……」
客席の方から氷の砕け散る音と共に炎があがり、焦げ臭い匂いがあたりに充満した。ヘルメスとリコリス、そしてミドリが震えながら固まって抱き合っている。
「騒ぐなら私とミラ、そしてステッラのいないところでやれ‼」
瞬間、いくつもの氷の砕ける音と同時に炎があがった。炎は生ける死体たちをたちどころに炭どころか灰にし、そのまま汚物は消毒だとばかりに天幕をも燃やし始めた。
カストールは言いたいことを言ってスッキリしたのか、はたまた騒音の原因を排除したからか、そのままふらふらとした足取りで炎の中に消えていった。パーウォーは客席に上がると、固まっているヘルメスたちのもとへ行く。
「ねえ、ヘルメスちゃん。もしかしてだけど、逃げ出した生ける死体たちって……」
「シルフに見に行ってもらったんだけど、今ので全部片づけられちゃったって。あんなにたくさんのものを最小限の範囲で凍らせたり燃やしたり、反対に広範囲で燃やしたりって……ミラビリス先生の旦那さん、めちゃくちゃすごい人だね」
「劫火雪魄のカストール、看板に偽りなしってとこかしら」
「それって『悪い子はカストールに燃やされるよ!』っていう、あのカストール⁉」
苦笑いでうなずいたパーウォーにヘルメスが目を白黒させる。まさかこんな身近に、都市伝説のように語られている悪名高い有名人がいるとは思ってもいなかったのだろう。
「……パーウォー?」
意識を取り戻りたアケルが寝ぼけ眼でパーウォーを見上げた。彼女は今の状況がまったく理解できず、ぼうっとした顔で首をかしげる。
「ようやくお目覚めね、アケル。おはよ」
「おはよー。で、私、なんでパーウォーに抱っこされてんの?」
「色々あったのよ。とりあえずワタシたちも灰にされる前にここを出ましょ。話はそれから」
パーウォーは紅梅色の扉を出すとマラカイトへ移動した。ヘルメスたちをいつもの応接室に案内したあと、目覚めたばかりのアケルだけは彼女の体調を考慮し別途客室へ案内する。そこでアケルには、彼女が気を失っていた間に起きたことを説明した。
「そっか~。私とコッペリアはただの他人の空似で、生まれ変わりとか全然関係なかったんだね」
「生まれ変わりではなかったけど、全然関係ないかはなんとも言えないってとこかしら。コッペリアの形見のこの翡翠、アナタと出会う前までは何の反応もなかったのよ」
アケルとコッペリアの魂は同一のものではなかった。けれど、コッペリアの瞳は確かにあのときアケルと共鳴した。ならば、ふたりには何かしらの縁があるのだろう。パーウォーは手の中の割れた翡翠に目を落とし、思いを馳せた。
「じゃあさ、私とコッペリアって、どんな関係だったのかな?」
「そうねぇ……お互いの守護石で共鳴したくらいだから、石が関係があった、とか?」
「石かぁ……あ、もしかして前世は半身同士だったとか!」
「あら、情熱的な解釈ね」
アケルの石人らしい解釈に微笑むと、パーウォーは「でもね」と少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「コッペリアの魂はテオフラストゥスに作られたものだから、誰かの生まれ変わりっていう可能性はないのよ。ただ、ワタシはアイツが何を材料にどうやって疑似魂を作るのか知らないから、もしかしたら材料や方法によっては……」
一般的な死霊魔術師たちが作り出す疑似魂は感情や意志を持たない、与えられた命令を遂行するだけのもの。大量の魔素を注いだ蝶を核に死霊術を施し作り上げる、かりそめの魂。
しかし、テオフラストゥスの作り出した疑似魂はコッペリア然り、パエオーニア然り、自我を持っていた。もしかしたら彼が核にしたものによってはアケルの解釈もあり得るのかもしれないが、パーウォーにはそれを調べる術もなければ、調べるつもりもなかった。