15.新生曲芸団
翌日――
「は……? 何これ、どういうこと?」
今日も今日とて曲芸団へとやって来たパーウォーが目にしたのは、変わり果てた天幕の姿だった。
昨日まではアルブスやカエルラの町と同じ白と青を基調とした爽やかな意匠だった天幕。それは今、毒々しくも赫赫たる赤へと塗り替えられていた。
パーウォーを胸騒ぎが襲う。彼はその赤に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「ようこそおいでくださいました。お待ちしておりましたよ、海の魔法使いさん」
入口でパーウォーを出迎えたのは、彼が想像した通りの相手だった。
「なんでアンタがここにいるのよ」
額装の魔法使いエテルニタス――秋津洲で初めて出くわして以来、四度目の遭遇となる古き魔法使い。パーウォーはこの演出家気取りの変態死体蒐集家にはひとつもいい思い出がない。というより、嫌な思い出しかなかった。
「何故かとおっしゃられましても。私がこの団の団長だから、としか」
「はぁ⁉ だってここ、昨日まで人間の団長がいたじゃない」
「昨日、この曲芸団を一式買い取らせていただきました。ですので、本日から団長は私になります。以後、お見知りおきをいただければと存じます」
にっこりと、とてもいい笑顔で言い切ったエテルニタス。パーウォーはその発言内容に気が遠くなりそうになるのを必死でこらえ踵を返した。
「おや、どちらへ? もうすぐ見世物が始まってしまいますよ」
「気分悪くなったから外の空気吸ってくんの!」
パーウォーはエテルニタスから逃げるように天幕の外へと飛び出した。背中を嫌な汗が伝い、心臓は早鐘を打っている。
――アケル!
珊瑚色のドレスの裾が乱れるのもかまわず、パーウォーは天幕の裏手、その奥を目指した。今日は止めに来る団員も現れず、やけにあっさりと目的の場所へと到着する。そこには、昨晩と同じ木箱に腰かけ、ぼうっと空を見上げるアケルがいた。
「アケル!」
「お客様。こちらは関係者以外立ち入り禁止となっております」
パーウォーの前に立ちはだかったのは、先ほど別れたばかりのエテルニタスだった。彼はいつもの胡散臭い腹の立つ笑顔でアケルの姿を遮ると、パーウォーに警告をうながす。
「困りますねぇ。彼女はうちの花形団員ですので、手出し無用で願いたいのですが」
「それはワタシも困るわ。あの子とは友達だもの」
対峙するふたりの魔法使い。場が偽りの笑みと沈黙で支配され、空気が緊張感をはらんでいく。
「パーウォー、おはよー。今日も来てくれたんだ~」
しかし、アケルはそんな空気などどこ吹く風。空気を読めない、あるいはわざと読まない彼女は、場にそぐわぬ間延びした口調で木箱に腰かけたままパーウォーに手を振っていた。
「やれやれ、こちらも自覚が足りないようですね。誰か、彼女を奥へ」
エテルニタスの呼び声に応え出てきたのは……
「アンタ、その子!」
濡羽色の髪に銀の瞳、左目に黒翡翠の瞳を持った人造人間を素体とした四本足の自動人形――オリンピアだった。
「オリンピア、彼女を天幕の中へ」
異形の自動人形に抱きかかえられたアケルは特に抵抗する素振りも見せず、おとなしく奥の天幕へと連れていかれた。
「額装、なんでアンタがあの子を!」
自動人形オリンピア。コッペリアと対で作られた人形。彼女もまた百四十八年前、その命を終わらせたはずだった。
「決まっているではありませんか。ネウロパストゥムさんと契約して、その代償としていただいたのですよ」
――私も自分の契約を遂行しなくてはならないので。
――ネウロパストゥムさん、これにて契約は完了です。代償をお願いします。
確かにエテルニタスは言っていた。自分も契約を結んでいて、それのために動いていると。そしてあのとき、契約は完了したとも。当時の彼の言葉とマレフィキウムたちから聞いた彼の性癖を思い出し、パーウォーはエテルニタスが結んだ契約がどんなものだったのかようやく理解した。
「ワタシたちを利用して傀儡を楽しませる悲劇を演出し、オリンピアの死体を手に入れたのね」
「全くもって正解! 貴方たちのおかげで素晴らしい蒐集物を手に入れられました」
「で、せっかく解放されたあの子の体を、今度は死霊魔術で無理やり動かしてる。……サイッテーなゲス野郎ね」
「折角ならば思い出深いものの方がよろしいかと思ったのですが。どうやらお気に召していただけなかったようで残念です」
くつくつと嗤うエテルニタスにパーウォーが抱いたのは嫌悪感。人の死や悲しみを娯楽として利用、消費するこの悪魔が、パーウォーは心の底から嫌いだと思った。
「さて、私は団長として色々やらなければならないことがありますので。申し訳ありませんが、これにて失礼させていただきますね」
エテルニタスはパーウォーに背を向けると、おもむろに額縁を出した。だが額縁に足をかけたそのとき、彼はちらりと顔だけをパーウォーの方へと向けた。
「ああ、そうそう。せっかくいらしてくださったのですから、是非とも我が曲芸団の見世物を楽しんでいってくださいね」
にんまりと仮面のような笑顔でそれだけ言うと、今度こそエテルニタスは額縁と共に消えた。
「アケル!」
エテルニタスが消えてすぐアケルが連れていかれた天幕へと走り出したパーウォーだったが、それはエテルニタスの張った結界によって阻まれてしまった。
「ほんっと性格悪っ!」
パーウォーは仕方なく演芸の行われる天幕の方へと引き返した。中に入り席に腰をおろすと、すぐに最初の演芸が始まった。だが、昨日まで拍手喝采が起きていた会場は今、不安や恐れ、戸惑いのどよめきに埋め尽くされている。
次々と客が席を立つ中、舞台では無表情で血の気のない団員たちが淡々と曲芸を披露していた。
「生ける死体曲芸団とか……。あの変態、ほんとブレないわね」
生ける死体は隣国ティエラでは労働力として使われているためそこまで忌避されることはないが、ここファーブラでは港町やティエラとの国境の町くらいでしか見かけない。だから馴染みがなさすぎる生ける死体は当然死体ということもあって、この国では忌み嫌われていた。
「パーウォーさん!」
「ヘルメスちゃん! と、リコリスちゃんも」
ガラガラになってしまった客席のおかげか、元から目立つパーウォーの見た目のおかげか。ヘルメスたちはパーウォーの姿を見つけ駆け寄ってきた。
「この曲芸団、どうしちゃったんだろう。昨日までは普通の曲芸団だったのに」
「所有者が変わったのよ。で、団員もほぼ総入れ替えしたみたい」
今、舞台の上にいるのはすべて生ける死体。生きた人間はひとりもいなかった。
「あの団員さんたち、あれってティエラでよく見る生ける死体、だよね?」
「ええ。新しい所有者の趣味よ」
パーウォーの話しぶりにヘルメスは小首をかしげる。まるで所有者と知り合いのようなパーウォーの言い方、それにヘルメスは違和感を覚えた。
「パーウォーさん、その新しい所有者の人と知り合い?」
「……ええ、残念ながら。新しい所有者は、額装の魔法使いエテルニタスよ」
「魔法使い! えっと、あれ? でもその名前って……」
「パーウォーさんから聞いたお話に出てきた人! 赤い変態‼」
元気よく笑顔で答えたリコリスにパーウォーが苦笑する。
「そう、レフィのときにもちょっかい出してきた変態性悪魔法使い。ヘルメスちゃんとリコリスちゃんはあのとき王都で別れちゃったから遭遇しないですんだのよ。それだけは本当によかったわ。こんな純粋なかわいい子たちに、あんな汚物見せたくないもの」
「変態やら汚物やら。悲しいですねぇ」
背後から降ってきた聞き覚えのありすぎる声に、パーウォーは振り返りざま思わず「げっ!?」と変な声をあげてしまった。
そこにはエテルニタスが、パーウォーたちを見下ろすように立っていた。