13.重ねて、探して、比べて
「ねえ、アケル。アナタ、本当に願いはないの? 自由になって、もっといろんなクラゲを見てみたいとか」
「ん~、いろんなクラゲかぁ。それも楽しそうだけど、今は綱渡りの方が楽しいかな」
何度聞いても、アケルから返ってくるのは現状に満足しているという答え。願いがありそうな気配はあるのだが、それは霧がかかったような状態でパーウォーには読み取ることができなかった。
願いを引き出せない現状、パーウォーの世話を焼きたいという欲求だけが置いてけぼりになっていた。
「じゃあ、何か思いついたら、そのときは絶対にワタシを呼んでね」
パーウォーはアケルの手に小さな孔雀石を置く。
「魔法使いも営業とかするんだね。りょーかい。なんか思いついたら、そのときはパーウォーを呼ぶよ」
「絶対よ。いい? 間違っても全身真っ赤な慇懃無礼変態魔法使いとか、全身真っ白な失礼変態魔法使いとか、そういうのの誘いは受けちゃダメよ」
「へ~、魔法使いって変態ばっかなんだね。ちなみにパーウォーはなんて変態?」
「ワタシは変態じゃないから! アンタはワタシをなんだと思ってんのよ」
心外だと頬を膨らませるパーウォーを見てけらけらと笑うアケル。星空の下、ふたりのお喋りは続く。
「それにしても、これだけお喋りしてるのに誰も来ないね。みんな寝ちゃってるのかな?」
「違う違う、ワタシが人払いの術使ったのよ。だって、ワタシ不法侵入者よ。昼間のこともあるし、見つかったら確実に怒られるじゃない」
「あー、そうだった! パーウォーってばいけないんだ~」
「気づかれなきゃいいのよ」
堂々と言い切った不法侵入魔法使いの言葉で、アケルは「なるほど」と納得してしまった。
「さて、本日の営業活動はそろそろ終了かしらね。じゃ、ほんとに何かあったら呼んでね」
「はいはーい。じゃ、おやすみ~。またね、パーウォー」
「……ええ。またね、アケル」
天幕に戻っていくアケルの後ろ姿を見送ると、パーウォーは紅梅色の扉を出してアルブスの方の家へ戻った。
そして翌日、パーウォーはまたもや曲芸団に来ていた。昨日のやらかしがあるので今日のパーウォーは化粧をせず、なおかつ男物の服で髪も後ろで三つ編みひとつにまとめた、普段よりだいぶ地味な格好で。
――アケル、今日も本当に楽しそう。
パーウォーの視線の先には、綱の上で跳んだり跳ねたりと生き生き動き回るアケルがいた。そんな彼女の願いは変わらず霧に閉ざされていて、パーウォーは改めて落胆する。
――わかってる、魔法使いへの願いなんてない方がいいってことくらい。それなのに、あの子が願いを自覚することを望んでるなんて。
アケルにコッペリアを重ねている。それはパーウォーも自身で理解していた。アケルを救って、コッペリアを救った気分になりたくて彼女につきまとっている、それも理解していた。そしてそんな行為が褒められたことではないことも、十分すぎるほど理解していた。
――ワタシ、どうしたらいい?
アケルがコッペリアの生まれ変わりだったのなら、パーウォーはなんとしても今度こそ彼女の願いを叶えたいと思っていた。それが偽善だとか欺瞞だとか言われようとも。
けれど、アケルがただの他人の空似だったのなら? そして、もし別にコッペリアの生まれ変わりが現れて、アケルに害を為すような願いを抱えていたとしたら?
――ワタシは、どうするんだろう。
コッペリアの転生が確定しているわけでもないのに、パーウォーはぐるぐるぐずぐずと不毛な思考の袋小路で動けなくなっていた。
そしてその日の夜も、パーウォーはアケルを訪ねた。
「こんばんは、アケル」
「こんばんは、パーウォー」
昼間の考え事が尾を引いて、パーウォーの口は重くなっていた。
「何かあった? 今夜のパーウォー、なんか変だよ。服も普通だし、お化粧もしてないし」
「ほら、昨日騒ぎ起こしちゃったじゃない。だから変装してみたんだけど」
「普通の男の人のかっこすると変装になるってすごいね」
アケルの素直な感想にパーウォーは苦笑いを浮かべる。
「で、ほんとは何があったの? なんでそんなに落ち込んでるの?」
「……アケルって抜けてるようで意外と鋭いのね。というか、考えるより感覚重視ってとこかしら」
「抜けてるとか失礼な。ほらほら、聡明で美人なアケルさんに相談してみたまえ」
無駄に自信満々で聞く気満々のアケルに、パーウォーは思わず笑みをこぼしてしまった。
「じゃあ……アケル、生まれ変わりってどう思う?」
「生まれ変わり? あー、死んだあと輪廻の環に戻って、全部まっさらになってから新しい命としてまた生まれるってやつだよね。うーん……」
アケルは昨日の木箱に座って、腕組みをして首をひねる。そうやってしばらく考え込んだあと、顔を上げるとパーウォーを見て一言。
「わかんない」
きっぱりと言い切った。
「ちょっと、聡明なアケルさんはどこいったのよ」
「聡明で美人ね。ていうか、どう思うなんて漠然と聞かれても。でもまあ、そうだなぁ……うん、前世があっても来世があっても、今の私がいなくなっちゃうならどうでもいいとしか」
それは、パーウォーの答えと同じだった。だが、パーウォーが本当に聞きたいのはここからで。
「じゃあ、例えばなんだけど……約束を守れないまま失ってしまった大切な人の生まれ変わりを見つけたら、アナタならどうする?」
アケルは再び首をひねり考え込む。そしてしばらくすると顔を上げ、パーウォーをまっすぐ見上げた。
「何もしない、と思う。だってその人、全部忘れちゃってるんでしょ? なら、たぶん私は何もしない。その人はもう新しい人生を生きてるんだよ。そこへ一方的に過去を押し付けたら、その人困るんじゃないかな」
アケルの答えにパーウォーは何も言い返せなかった。それは自身でも重々承知していたことだったから。
「それに、私だったらちょっと悲しいかな。今生の私はここにいるのに、前世の私のことばっかり言われたら」
「そう、よね。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
アケルから直接言われ、パーウォーは改めて自身の身勝手さを思い知る。アケルにコッペリアを投影する、それが彼女に対してどれだけ失礼で残酷なことなのか。
「でもさ、相手は忘れちゃってるのに、自分だけ知ってる思い出があるってのも苦しいよね。そんなの、重ねずにはいられないもん。私だって、きっと重ねちゃう。重ねて、探して、比べて、そんな自分に嫌になって……」
「それでも、気になって気になって仕方なくて。違うところを見つけるたびにがっかりして、そんな自分にがっかりして」
星空を見上げ、ふたりは同時につぶやいた。
「どうにもならないねぇ」
「どうにもならないわね」
しばし、静寂がふたりを包む。
「パーウォー。その大切な人って、恋人だったの?」
先に沈黙を破ったのはアケルだった。
「違うわ。友達だったの」
「そっか」
ふたりの間に再び沈黙が落ちる。
「……私、なの?」
ぽつりとこぼされたアケルの確認に、パーウォーはすぐに答えを返すことができなかった。けれど沈黙は肯定と受け取られ、アケルは「そっかぁ」と少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「パーウォーは私を通して、その人を見てるんだね」
「ごめんなさい。アケルはアケルだってわかってる。わかってるつもりなの、でも……」
アケルにコッペリアを重ねてしまう。アケルにコッペリアを探してしまう。アケルとコッペリアを比べてしまう。よくないことだと頭ではわかっていても、パーウォーの心はそれを止められなかった。
「そもそも、アケルがコッペリアの生まれ変わりかどうかもわかってないのに、ワタシは自分の勝手な願望だけでアナタにあの子を重ねてるの」
パーウォーの告白にアケルは目を瞬かせた。
「私、そんなにそのコッペリア? って子に似てるの? 生まれ変わりかどうかわかんないのに重ねちゃうくらいに」
「ええ。見た目だけは」
「見た目だけなんだ。あ~、そういえば中身はもうひとりの脳みそクラゲの人に似てるって言ってたね」
「ええ」
「そこは力強くうなずかないでよ!」
天然なのか考えてのことなのか。どちらにしろ、重くなってしまった雰囲気を変えようとしてくれているアケルの気遣いがパーウォーは嬉しかった。