12.翡翠の少女
綱渡りの演目が終了した瞬間、パーウォーは立ち上がると天幕を飛び出した。
「パーウォーさん⁉」
「パーウォー様!」
驚くヘルメスたちには目もくれず、パーウォーは全速力で天幕の裏を目指す。途中何度か団員に止められたが、全部無視して突き進んだ。
「待って、そこの石人のアナタ!」
慌てて追いかけてきたヘルメスたちが目にしたのは、腰に男を二人ぶら下げ引きずったまま、ひとりの少女の前に立ちはだかっていたパーウォーの姿。
「パーウォーさん、落ち着いて!」
ヘルメスたちの呼びかけにも応えず、パーウォーは少女をじっと見つめていた。
「それ、隷属の契約よね?」
少女の首に刻印された魔術入れ墨を指してパーウォーは顔を曇らせた。
隷属の契約――商品として売られた者にかけられる、主人に対して逃亡と反抗を禁ずる魔術。いわゆる奴隷の印。
「え? あ、うん。いや~、うっかり捕まって売られちゃった」
パーウォーの問いにあっけらかんと答えた石人の少女。そのあまりにも軽い返事に、パーウォーは思わず絶句してしまった。
「でもさ、私ってば幸運だったんだよ。大抵は石目当てで本体はいらないか、本体込みで愛玩用にされるかだもん。それがさ、ここの団長ってば私のこと曲芸師として買ってくれたんだよ! まあ、給料は出ないんだけど。でもさ、ただで世界の色々なとこ連れてってもらえるし、毎日大好きな綱渡りさせてもらえるし。いや~、本当に幸運だったよ」
にこにこと嬉しそうに身の上を語る少女に、パーウォーはなんと言っていいかわからなくなっていた。演技中の彼女に隷属の刻印を見つけ、きっと困っているのだろうと思って駆けつけたのだが……蓋を開けてみれば、すべてはパーウォーの思い込みで。パーウォーの目の前の少女は、現状に満足していた。
「お、お客様……ここは関係者、以外、立ち入り禁止……なので」
「帰って……帰ってくださいお願いします」
パーウォーの腰にしがみついていた道化師の男と曲芸師の男が息も絶え絶えな状態で訴えてきた。
「あ……えっと、ごめんなさい」
勢いでここまで来てしまったパーウォー。しかし、助けたいと思った相手は助けを必要としていなかった。
「お兄さん、だよね? ま、どっちでもいっか。ねえねえ、私の綱渡りどうだった?」
「え……ええ、とても楽しかったわ。あんな細い綱の上で、よくあんなに動き回れるなって感心しちゃった」
「楽しんでもらえたならよかった。私はアケル。お兄さんは?」
「ワタシはパーウォー」
アケルはすれ違いざまに「よかったら明日も来てね」と営業用の笑顔で言い残すと、関係者の天幕の方へと歩いていってしまった。
助けることも願いを引き出すことも、コッペリアのことを確かめることもできず。パーウォーは何もできないままアケルの背中を見送る。と、そのとき、くるりとアケルが体ごと振り返った。
「またね、パーウォー」
無邪気に手を振るアケルの姿に、椅子で静かに手を振っていたコッペリアの姿が重なる。
「また、ね……アケル」
あの頃、毎日交わしていた約束の言葉。守れなかった約束の言葉。パーウォーは引きつりそうになる顔に無理やり笑みをはりつけアケルを見送った。
「もー、急に走り出すし女の子の前に立ちはだかるし。パーウォーさん、あの子なにか困ってるの?」
「パーウォー様、先ほどの女性とはどういったご関係なんですか?」
「パーウォーさん、どうしたの? あの子、大変なの? 助けたいの?」
帰り道、当然ながらパーウォーは三人からの質問攻めにあった。
ただ、皆パーウォーの性格を知っているため、彼が少女を助けるために動いたんだろうという前提で質問してきた。
「えーと……なんかね、ワタシの勘違いだったみたい。あの子、全然困ってなかったし、願いもなかった」
てへっと誤魔化すようなおどけた笑みを返してきたパーウォーに、ヘルメスたちはそれ以上は何も言わなかった。
※ ※ ※ ※
「これはこれは……なるほど。いいでしょう、此度の演目、このエテルニタスがお手伝いして差し上げましょう。なに、遠慮などいりません。前回の大団円のお礼ですから」
椅子に腰かけ鏡に映し出されるパーウォーたちを見ていたエテルニタスは、聞こえるはずもないというのに鏡の中の彼らに話しかけた。そして、ほくそ笑むと軽やかに立ち上がる。
「さて、色々と試したいこともありますし。忙しくなりますね」
赤い悪魔は鼻歌を歌いながら上機嫌で額縁の中へと消えていった。
※ ※ ※ ※
日没後わずかな時間だけ顔を出していた二日月も姿を隠してしまい、幽かな星明りだけが瞬く静夜。
「こんばんは」
「あ、昼間の。えーと……パーウォー!」
パーウォーは再び曲芸団の天幕を訪れていた。目的は、もちろんアケルと会うため。そのアケルは食事中だったようで、地面に置かれた木箱に腰かけながら瓶の水を飲んでいた。
「また強行突破してきたの? ダメだよ、ここ関係者以外立ち入り禁止なんだって」
「今回は強行突破じゃないわ。こっそり忍び込んだもの」
「すごい! その目立つ格好でよく忍び込めたね」
けらけらと笑うアケルの姿はまるで快活な少年のようで、いつも静かにたたずんでいたコッペリアとはまるで似ていなかった。だというのに、パーウォーはなぜか彼女から目が離せない。
「昼はバタバタしてたから、改めて自己紹介させて。ワタシはパーウォー。魔法使いよ」
「わぁ、初めて見た! 本物の魔法使い‼」
アケルは木箱から飛び降りると瞳を輝かせながらパーウォーを見上げた。
――この子、見た目はコッペリアなんだけど……これ、中身はマーレちゃんだわ。目が離せない理由、なんかちょっとわかったかも。
「ねえねえ、魔法ってどんなことができるの? 空とか飛べる?」
「道具を使えば飛べなくはないけど、ワタシは海の中を泳ぐ方が得意かしら。まあ、魔法っていっても魔法使いごとに得手不得手があるから、みんながみんな空を飛べるわけじゃないし、道具使わなくても飛べるヤツもいるわよ」
「へぇ~、魔法ってすごいんだね」
魔法に興味津々なアケルに、パーウォーは好機だと本題をきりだした。
「アナタに願いがあって、それが私に叶えられるものなら、代償次第で叶えるけど。どう、興味ない?」
「願い? う~ん……」
「たとえば、隷属の契約を破棄したいとか」
パーウォーの言葉にアケルは首をかしげると、笑いながら横に振った。
「ううん。昼も言ったけど、別にこれに不満はないよ」
「でも、アナタ石人でしょ。もしその状態で半身を見つけてしまったときはどうするの?」
「あ……それは考えてなかったかも。隷属の契約と石人の本能ってどっちが強いんだろ?」
半身至上主義の石人とは思えない答えにパーウォーは面食らう。今まで彼が関わってきた石人たちは、あのお気楽なマーレでさえ、半身に出会う前から並々ならぬ執着を見せていたというのに。
「それよりさ、パーウォーはどうしてそんなに私に構おうとするの? あ、もしかして私に一目惚れしちゃった?」
「それはない」
「即答とかひどいなぁ」
あははと能天気な様子で笑うアケルに、パーウォーはコッペリアとマーレを重ねる。
「似てるのよ、昔の友達に。だから、なんかほっとけなくて、つい」
「へ~、どんな人なの? 私に似てるってことは美人確定だね」
「……アンタ、自己肯定感すごいわね。まあ、ふたりとも美人であったことは確かよ」
「ほうほう。そんな美人たちに似てるなんて、さすが私」
なぜか誇らしげに胸を張るアケル。
「ただし、そのうちのひとりは顔は文句なしだったけど、脳みそはクラゲだったわよ。ちなみに中身がアンタに似てるのはクラゲの方ね」
「ひどい! あ、でもクラゲってきれいだよね。曹灰硼石みたいに半透明で、ゆらゆらふわふわしてて」
むくれたかと思えば直後にはもう笑っていて、楽天的で危なっかしくて能天気。しかも大切な人たちの面影もある。そんなアケルに、パーウォーのお節介心と庇護欲が刺激されないわけはなかった。