8.崩れる平穏
その日から毎日のように結界の綻び、侵入者、その排除が繰り返された。パーウォーはコッペリアとの契約を守るため、オリンピアが血で手を汚すことのないよう必死でその作業を繰り返していた。
「毎日毎日、いったいどっから湧いて出てくんのよ!」
「パーウォー様、落ち着いてください~」
ぜえぜえと肩で息をするパーウォーをミドリがあわあわとなだめる。もはや恒例となったその光景にコッペリアの心は申し訳なさでいっぱいになっていた。
「ごめんね、私が――」
「それは違う‼」
コッペリアの自分を責める言葉を遮ると、パーウォーはちいさく息をついた。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって。まったく、我ながら情けないったらないわ」
「ううん。だって昼も夜も毎日毎日、パーウォーの気も体も休まるときがないもん」
最初の侵入者が来てからというもの、里には連日連夜、様々な人間たちがやって来ていた。結界は直しても直しても綻び、そのキリのなさにパーウォーは辟易していた。
「あ、そういえば」
コッペリアは懐紙に包まれた何かを衿から取り出す。
「これ、いつの間にか戻ってきてた」
差し出された懐紙の上に乗っていたのは妖しく輝く黄金緑柱石。エテルニタスがコッペリアに押し付けていったあの石だった。
「引くわぁ……なにこれ、呪いの石?」
「すごいね。どうやって戻ってきたんだろ」
「お褒めいただきありがとうございます」
三人ははじかれたように一斉に声の方へと顔を向けた。
「皆様、ごきげんよう」
そこに立っていたのは赤い方の変態こと、額装の魔法使いエテルニタスだった。彼は芝居がかった大仰なお辞儀をすると、「いかがでしょう、私からの贈り物。楽しんでいただけていますか?」と哂った。
「結界、やっぱりアンタの仕業だったのね。いったい何が目的でこんな嫌がらせすんのよ」
「なんと、嫌がらせとは心外です。私はただ、貴方たちの物語を盛り上げようと微力ながらお手伝いを……」
エテルニタスはわざとらしく手巾を目もとに当てると、どこまでも嘘くさく嘆いた。
「勝手に盛り上げんじゃないわよ。それと、手出ししてるのって結界だけじゃないわよね? 魔力を込めた言葉で妙な噂流して人間たちを扇動してんのもアンタでしょ」
連日連夜、不自然なほどに集まってくる人間たち。いくら宝の噂だとしても、常ならば大多数の人間は娯楽として消費した後は忘れてそれきりだろう。だというのに、この噂を聞いた多くの者たちは熱に浮かされたかのようにコッペリアを求め実際に里へとやって来る。まるで、誰かに操られてでもいるかのように。
「さて、なんのことでしょう」
にっこりと。涙のあとなど微塵もない輝かしい腹の立つ笑顔でパーウォーの質問を受け流したエテルニタス。
「とにかく。もうワタシたちに手出しするのやめてもらえないかしら。だいたい、他の魔法使いの依頼にちょっかい出すとか無作法じゃなくて?」
「そうですね、その意見には同意です。ですが、私も自分の契約を遂行しなくてはならないので」
エテルニタスは口だけ笑みの形にすると、現れたときと同じように大仰なお辞儀をして額縁の中へと消えていった。
――アイツの契約ってなんなのかしら。ワタシたちの邪魔をしないといけない願いって何?
「パーウォー、大丈夫?」
「パーウォー様ぁ……」
エテルニタスが消えた空間を睨みつけたまま険しい顔で考え込んでいたパーウォーを、コッペリアとミドリが心配そうに見上げていた。
「ごめんなさい。ええ、大丈夫よ。ちょっとこれからのことを考えてただけだから」
実際、このままでは埒が明かない。パーウォーは完全に行き詰まっていた。結界は直しても直してもどこかが綻びる。おそらくその原因の一端である黄金緑柱石は捨てても捨てても戻ってくる。しかも人間たちの噂は広がりすぎて収拾がつかないし、かといってコッペリアをここから動かすこともできない。
普段ならばだいたい力尽くで解決するパーウォーだが、今回は相手が悪かった。自分より力が上の魔法使い相手では力尽くは通じない。ならば特化した何かで対抗しようにも、パーウォーは万能型の魔法使い。万能型といえば聞こえはいいが、いわゆる器用貧乏な、なんでもそこそこできるタイプの魔法使いだった。
――とりあえずは対症療法でやり過ごすしかないわね。しばらくお店の方は閉めないと。
※ ※ ※ ※
結界の綻び、侵入者、その排除。それらを毎日作業のようにこなす。そうやって保っていた仮初めの平穏だったが、崩れるときはあっという間だった。
最初の侵入者がやって来てから三月、闇に包まれた新月の夜。その日やって来た侵入者たちはなぜかパーウォーの網にもオリンピアの網にもかからず、里の奥深く、コッペリアの閉じ込められている廃墟の屋敷にまでやって来た。
「なんだ、この部屋? 四方が土壁で囲まれてて出入口ねぇぞ」
コッペリアの部屋は屋敷の中央に位置しており、出入り口はなく四方を廊下に囲まれていた。しかし、人がいなくなり手入れされなくなった上にオリンピアによって周囲の屋根や壁などが破壊されていて、現在は無防備にもむき出しになっていた。
「いいじゃねぇか、いかにもお宝が眠ってそうな部屋って感じでよ。それに壊されてねぇってこたぁ中身はまだ無事だってことだろ」
「ちげぇねえ。よし、さっさと壁引っぺがしちまうか」
壁の向こうから聞こえる何人もの足音と不穏な会話。コッペリアはパーウォーからもらった孔雀石を取り出すとひそめた声で呼びかけた。
「パーウォー! パーウォー‼」
次の瞬間、部屋の中に紅梅色の扉が現れ、濡れ髪で腰に湯上り用の布を巻きつけただけのパーウォーが飛び出してきた。
「やだ、なんでここまで人間が来てるの⁉ あ、オリンピアは?」
「わかんない。でもあの子がこの人間たちに壊されたんだとしたら私も壊れてる。だから無事なはず」
「そう、よかった。でも、なんで感知できなかったのかしら……って、原因は絶対あの赤い変態よね。あの野郎、何してくれてんのかしら」
バキバキ、メリメリと土壁がはがされた音がしたあと、続いて板壁に斧や鉞が突きたてられ始めた。派手な破砕音と共に壁にいくつもの裂け目が生まれ、そこから鈍く光る刃がのぞく。
パーウォーはひとまずコッペリアの安全だけでも確保しようと、彼女の周囲に防御と隠蔽の結界を張ろうと術を展開した。
「あの赤い変態、ほんっとどこまでも性格悪い!」
けれど、何度術を展開しようとも結界は途中で消滅してしまった。パーウォーは結界を諦めると、コッペリアを左腕に乗せるように抱き上げた。
「パーウォー、もう壁が!」
コッペリアの叫びと同時に部屋の中に男たちが踏み込んできた。
「あったぞ! あの人形だ‼」
男たちはパーウォーの腕の中のコッペリアを見て興奮の声を上げる。そしてパーウォーを睨みつけると持っていた斧や鉞を構えた。